「内なる沖縄」は乗り越えるもの







 去年、コザ騒動の特集があり、コザ騒動について詳しく報道された。国会へ激突死した青年の記事があり、コザ騒動に関わった人間にそんな人間もいたのかと驚いた。
 高校の時、ベトナム戦争の最中で嘉手納飛行場は明け方まで重爆撃機B52のエンジン調整の爆音が続いていた。離着陸の爆音は時間が短いが、エンジン調整の音は離着陸の音より大きく時間は長い。テレビの音は全然聞こえなかった。
 爆音を止めるためにB52爆撃機を破壊したい衝動に何度も駆られた。しかし、嘉手納飛行場は広大で重爆撃機B52はとてもでかかった(苦笑)。とてもじゃないがハンマーなんかで破壊できるものではなかった。自分が小さいことを思い知らされただけだった。
 B52爆撃機を破壊したい衝動は感情的なものであり、戦争は感情的なもので片付けられるものでない。ベトナム戦争とはなにかを考えるようになり、次第に破壊衝動は小さくなっていった。

 青年になっていた私は、コザ騒動は茶番だと思った。コザ騒動は朝になったら終わっている。大騒ぎをした後はみんなアットホームへさっさと帰ったのだ。アメリカ人の車を焼いて大騒ぎをしてストレス発散をしたのがコザ騒動だと思っていた。

 しかし、国会の鉄門に激突死した人間もいた。コザ騒動に賛歌した後はロックを歌えなくなったミュージシャンもいたという。それぞれに重い何かを抱えてコザ騒動に参加した人間もいたのを知った。

 だが、新聞のように「基地の重圧感」というのは認められない。生まれた時から嘉手納飛行場の近くに住んできたが、基地の重圧感というのを感じたことはない。新聞は「青年が死んだ日は復帰から一年、県民は物価高騰、米軍基地の負担にあえいでいた」と述べているが、復帰当時の失業率は1%未満だったという。物価高騰で苦しんでいたとするなら失業率は1%未満にしていた米民政府の政策に感謝するべきではないか。失業対策を兼ねていた軍雇用に感謝するべきではないか。

 いったい「米軍基地の負担」というのはなんのことなのか。嘉手納基地や普天間基地から離れると爆音は全聞こえない。那覇にいると基地の存在はぜんぜん感じない。浦添以南や東海岸も基地の存在を感じることはない。米軍基地の負担」とは具体的にはなんなのか予想できない。

 「米軍基地の負担」などと沖縄中が基地被害を受けているような表現は米軍基地について正確には伝えていない。

 本土で就職した多くの青年が「内なる沖縄」を抱え込んでいた。それは基地問題ではなく、文化の違いや能力の違い、学力の違いなどであった。私の知人は大学の勉強についていけないで自殺した。本土の人間は沖縄の人間に比べてクールなところがある。沖縄の人間を差別する人間も昔は多かった。この差別は朝鮮人を差別したり、人エタを差別するのと同じであり、基地問題とは違う。沖縄方言を使うことで気味悪がられたり、嫌われたり、半殺しにされたという話もある。今ではそのような差別はなくなっている。
 多くの沖縄の人間が「内なる沖縄」を乗り越えて本土で元気に生きているのも忘れてはならない。
 
 「沖縄はヤマトにいつまで苦しめられ、差別されないといけないのか」という考えは間違っている。法律は日本全国同じ法律が適用されている。沖縄が法的に差別されているということはない。むしろ、琉球王朝に支配されていた沖縄の民を日本政府は解放した。戦後の米民政府は沖縄を民主主義社会にし、戦前は士族や大地主や本土資本家に搾取されていた沖縄の人々を自由にした。それに経済指導をして沖縄の経済発展に寄与した。生産能力のない貧困な沖縄にアメリカと日本政府は多大な冨を与えた。

 沖縄の問題は基地被害とアメリカ兵の犯罪を日本・沖縄の裁判で裁けないことだった。アメリカ兵の犯罪で改善されたが、基地外の全ての犯罪行為は日本の裁判で裁くことにするべきだ。
とにかく、悪いのはアメリカ軍、悪いのは日本政府という思想の呪縛から解放し、冷静な目で沖縄の問題を見詰めるべきだ。
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