:県の一括交付金要求は岡戸違い





 県は政府に沖縄振興策交付金を使途に制限のない一括交付金にするように要求している。県は「使途に制限のない」交付金を強調して、今までの沖縄振興交付金がひもつきであったような印象を与えるが、事実はそうではなかった。自民党政権時代から振興策の企画は県に一任しいていた。今までの振興策は県が企画して政府が形式的に承認したものだ。
 自公政権時代の経済産業省のある幹部は「現行の振興法でも計画の原案作成権は県にある。政府はその原案を受け取って、首相によって『計画』と決定していただけ。『県主導』が県側にとって画期的でも、政府にとってはそうではない」と述べている。自民党政権時代の沖縄振興は、最初に金ありきであり、「いくらの金を出すからそれに応じた振興策を県で作成しろ」と言われて計画を立てるのに苦労し、結局は道路や建物をつくる計画しか立てられなかったことを副知事経験者がテレビインタビューで答えていた。ハコモノは国がやらせたように思われているが、事実は県が計画したものだった。
 自民党派閥政治は振興策の費用の一部を献金などを通じて自民党にまわした。米軍基地とのリンクと自民党派閥への献金が絡んで続いたのが沖縄振興策や島田懇、大学院大学の創設であった。

 一括交付金になっても画期的に県の振興策が変わるというものではない。むしろ、今までは計画を政府に提案する義務があったので必死に計画を策定してきたが、政府への提出がなくなると計画性のある振興策を
県が真剣につくるかどうかが心配になってくる。

 仲井間知事は失業率を本土並みにすると公言したが、知事になってから、沖縄の失業率が高い原因を調査したことがなかった。失業率が高い原因として考えられるのが、
1学力が低いことによって本土企業への就職率が低い。
2島国なので家族が生活の面倒をみる。
3アルバイトで食いつなぐことができるので無理してまで本土就職をしない。
などが予想できる。のんびりと沖縄で生活したために厳しい本土の職場についていくことができなくて沖縄に戻る人間もかなり多い。「給料が安くても沖縄がいい」といって本土に行かない人間を何人も知っている。就職率を本土並みにするには、沖縄の失業率が高い原因を知ることが必要であり、徹底した調査をするべきだ。調査した上で計画を立てない限り成功しない。しかし、仲井間知事は調査をやっていないし、やる必要を発言したこともない。

 県は那覇新都心をモデルにして、沖縄の軍事基地が返還されれれば、県経済は飛躍的に伸びるという試算を出した。試算の根拠になっているのは、県の中心都市で那覇にできたサービス業とマンションが集結した人口密集地の消費経済地域であり、他の軍用地返還には適用できない経済論である。
 この県の試算方法の元をつくった大田元知事は嘉手納飛行場が返還されれば嘉手納飛行場は成田空港並みの大きさだから成田空港なみの乗客が獲得できると著書「こんな沖縄に誰がした」に書いてある。こんなバカらしい経済論が沖縄ではまかり通っているのである。
 米軍基地が返還されれば自動的に経済効果が二倍にも三倍にもなるという県のやり方が沖縄の経済を発展させることができるとは考えられない。

 「地方分権で県と市町村は対等関係だか、一括交付金が入ってくれば県の権限が強くなる。そうすると離島や小規模町村が県と対等に交渉するのは難しい」と城間氏は述べているが、城間氏の心配はもっともである。
 今日、仲井間知事は政府に一括交付金をしてくれるように申し込んだが、仲井間知事と同席したのが那覇市長だった。一括交付金になれば、県が県全体の経済発展を考慮して使うかどうか心配だ。むしろ那覇や浦添などの都市部に一括交付金の多くが投資される可能性は高い。または県知事の属する政党議員の地元に優先して交付金が投入される可能性もある。

 「しかし、県が計画をつくっても、その実行が国の法律で担保されるのであれば『県主導』は絵に描いた餅」と新聞は述べているが、新聞の真意がわからない。日本は法治国家であり、予算は法律の許容範囲内で実行されるものであり、法律の範囲外で一括交付金を使うなら犯罪である。県の計画が実行されないのなら問題だが、国の法律で担保されても計画通りに実行できれば問題はないはずだ。新聞がなににこだわっているのか理解できない。

 元県知事工室長の花城委員は「計画を県が作っても、その全てを国の法律に依拠するならば、その法律について県と国の綱引きが始まり、従来の繰り返しになる」と述べている。理解しがたい理屈だ。法律は立法機関である国会で作られる。国会は国民に選ばれた国の最高機関であり国会でつくった法律に逆らうということは国民に逆らうということになる。
 国の法律を破ってまで実行しなければならない事業とはどんな事業なのか。花城委員は民主主義国家の基本を無視している。県も予算を実行するには条例という法律を作る。県の条例が国会の法律に反することを花城委員は述べているが、それは具体的にはどんなことなのか予想できない。
 政府から交付金をもらい、それを独立国として予算を使うことを主張しているのか。わからない。

 「沖縄振興の名の下に投下された関連予算は結局、国が沖縄に米軍基地の受忍を強いるための『アメ』だった」と新聞は述べている。その通り「アメ」だった。アメだったから、政府は県に甘くて、県が政府に計画を提案すればほとんど受け入れられた。ある意味権が自由に使えたのが沖縄振興予算だった。しかし、振興と基地をリンクさせた予算は島田懇などであり、沖縄振興ではない。

 県は政府に「多すぎる」と言わせるくらいの企画をつくり、要求した予算を削られるくらいの要求をするのが当然だと思うが、県はそのような政府を困らせるくらいの要求をしてこなかった。県は振興計画を貪欲なまでにつくってはこなかったのだ。県は沖縄の経済発展を死に物狂いで頑張ったことがないのかもしれない。
 県は振興策の一括交付金にこだわるよりも、沖縄の経済発展のための振興策つくりに真剣になるべきだ。素晴らしい振興策をつくってから一括交付金の要求をしたらどうだ。

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