沖縄の女性識者たちの橋本批判を批判する・その1







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中国が共産党一党独裁国家である限り、アジアの冷戦は終わっていない。
米軍はアジアの民主主義と平和を守っている。
沖縄の米軍基地もその一翼を担っている。
中国が民主主義国家になった時、沖縄の米軍基地は閉鎖される。
このことを念頭に沖縄の米軍基地を問題にするべきである。


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沖縄の女性識者たちの橋本批判を批判する・その1


第二次世界大戦当時の戦地性政策の三類型 [編集]秦郁彦によれば、第二次世界大戦当時の戦地での性政策には大別して自由恋愛型(私娼中心。イギリス軍、米軍)、慰安所型(日本、ドイツ、フランス[28])、レイプ型(ソ連、朝鮮[29])の3つの類型があった[30]。なお、強姦は平時でも発生する[31][32]。

自由恋愛型とは、私娼中心で公娼制度を持たないものでフェミニズムによる批判や世論を受けて[33]、公娼制を公認できなかったためとされ、英米軍がこれに該当する[34]。ただし植民地においては慰安所が存在し、また日本軍慰安所を居抜きで使用した場合もある[35]。

日本では廃娼運動などもあったが、ドイツ軍と同様の国家管理型の慰安婦・慰安所制を導入し、日本は400箇所、ドイツは500箇所あったといわれる[36]。フランス軍、インド駐留イギリス軍、イタリア軍にも慰安所があったが、慰安婦を現地で募集する場合とそうでない場合とがある(詳細は下記節で述べる)。

ソ連(ロシア)では慰安所は設置されていないがレイプが黙認された[37]。スターリンは敵国の女性を戦利品とする「戦地妻」を容認し、「わが軍兵士のふるまいは絶対に正しい」と兵士を鼓舞した[38]。ソ連軍は占領したドイツで集団強姦を広範囲に行い[39][31]、レイプの被害者数はベルリンでは9万5000〜13万、東プロイセン等では140万人、ドイツ全域で200万人にのぼった[40]。ソ連軍は満州や朝鮮半島では日本人女性の強姦行為を各地で繰り返し[29]、ソ連軍によって監禁された約170名の日本女性が強姦を受け、23人が集団自決した敦化事件も起きている。また大古洞開拓団(三江省通河県)ではソ連軍による慰安婦提供の要請を受けて、2名の志願慰安婦を提供している事例もある[41]。

また、朝鮮人(朝鮮保安隊)も朝鮮半島の吉州郡や端川市などでソ連兵とともに非戦闘員の女性引揚者への集団強姦行為をおこない、強姦後に虐殺するケースもあった[29]。強姦により妊娠した引揚者の女性を治療した二日市保養所の1946年(昭和21年)の記録では、相手の男性は朝鮮人28人、ソ連人8人、中国人6人、アメリカ人3人、台湾人・フィリピン人各1人であり、場所は朝鮮半島が38件と最も多く、満州4件、北支3件であった[42]。また、中国共産党軍による通化事件が起きたほか、引揚列車に乗り込んできた中国共産党軍によって拉致された女性もいた[43]。(ウィキペティア)

ウィキペティアから転載した。橋本市長が言いたいのはウィキペティアで書いてある通り、他の国々も慰安婦制度があったのになぜ日本だけが慰安婦問題で非難されるかということだ。この問題提起に対して、自分の国では慰安婦制度はなかったと反論している国はまだない。

橋下氏発言で批判の的となっているのが「当時は必要だった」という発言である。「当時は必要だった」という発言が、今も軍隊には慰安婦が必要であると考えていると非難されている。そこは微妙な問題であり、橋本氏自身が誤解されないように説明していかなければならない問題である。

日本軍が韓国の女性を連行したという事実はまだ証明されていないのに韓国は強制連行されたといい、韓国の慰安婦は性奴隷であったと主張している。奴隷であればお金を払わない。しかし、お金を払ったという事実のほうが残っていてお金を払わなかったという事実は残っていない。韓国の慰安婦が日本軍の性奴隷だったとは思えない。

第二次大戦までは売春は許されていて商売として成り立っていた。軍隊は男たちが集まっているから売春は大儲けできる商売であった。売春を商売にしていた会社があったはずである。農村に行って何年か売春させる約束でお金を払い若い娘を集める人間。日本軍の遠征地を調べて手配する人間。女性たちを移動させる人間。売春会社はかなり大きかったのではないか。

慰安婦を奴隷のように扱うあくどい商人も居ただろう。娘をさらう商人もいただろう。しかし、それは日本軍の責任ではない。
もし、日本軍が強引に連行したり、日本軍が直接管理運営して無料で売春を強要したとすれば日本軍は非難されなければならない。
しかし、売春を管理・運営したのが日本軍ではなく民間会社であったなら、強制連行や給料を与えないで奴隷のように扱っていた問題は民間会社の責任である。
慰安婦問題で日本軍の責任はどこにあるか。それを明らかにしようとしているのが橋本市長である。政治的な駆け引きでうやむやにするのが日本の政治家であるが、橋本市長はうやむやにするのを嫌う。異色の政治家である。
でも、異色が本当は正当である。

橋下市長の発言に「安倍内閣、自民党の立場と全く違う」と安倍首相もどん引きしたように、ことなかれ主義の日本政界は慰安婦問題に関わるのを避け、橋下市長批判に終始している。橋下市長は孤立している。
「安倍首相が15日の参院予算委員会で、橋下氏の発言について「全く立場が違う」と述べたことに対しては、「(政府が)日韓基本条約で法的に解決済みと言うことの方が、慰安婦の方々を傷つけている」と反論した」(読売新聞)

マスコミは、橋本人気は落ち、今度の参院選は惨敗すると予想している。

橋下市長は逃げないで、韓国の元慰安婦と対談し、真相を追及していくべきだ。そうすればマスコミの予想を覆すはずだ。
橋下市長の粘り強い闘いを期待する。

私は韓国のことは知らないが、沖縄のことは知っている。沖縄の女性識者たちの橋本発言への批判を批判していく。
沖縄の慰安婦について知るには戦前の沖縄を知っておく必要がある。

「命どぅ宝」の重さ
 多くの格言は戒めや幸福や倫理について述べている。「命どぅ宝」、「物喰ゆすどぅ我が主」のような奴隷精神の格言はない。もしかすると二つの格言には教師の説明や私の解釈とは違うもっと深い別の内容があるのではないかと私は気になった。本で調べようとしたが高校の図書館には「命どぅ宝」について説明している本はなかった。琉球大学に入学したので、琉球大学の図書館にはあるだろうと思い、「命どぅ宝」について書いてある本を探した。本はあった。それは沖縄の格言について書いてある小冊子だった。その本には「命どぅ宝」と「物喰ゆすどぅ我が主」についての説明が載っていた。小冊子は「命どぅ宝」の格言が生まれたのは琉球王国時代の農民の極貧が原因であると書いてあった。何度も大飢饉に襲われて農民は困窮し、家族が生き残るために愛する我が娘を那覇の遊郭に売らなくてはならなくなった時、那覇の遊郭に売られるのを嫌がる娘に、娘が遊郭に行かなければ家族みんなが飢え死にする。家族が生き残るためには恥もプライドも捨てなければならないと親は娘を諭し、生き抜くことがなによりも大事つまり「命どぅ宝」であると娘を説得した。そういう話が載っていた覚えがある。

厳しい農民の生活
沖縄の畑は赤土で痩せている。それに毎年やって来る台風で作物は被害を受ける。島国である沖縄は水事情も悪くひでりが続くとすぐに水が不足した。沖縄の農民は何度も大飢饉に襲われた。
それに琉球王国は一六〇九年に薩摩藩の支配下に置かれために薩摩藩への作物の献上を強制された。琉球王府は、
年貢9000石、
芭蕉布3000反、
琉球上布6000反、
琉球下布10000反、
むしろ3800枚、
牛皮200枚、
を毎年薩摩藩に収めなければならなかった。
しかし、この負担があるからといって琉球王府の王や士族が倹約生活をしたわけではない。琉球王府の王や士族も贅沢な生活をした。その負担は一方的に農民に課せられた。琉球王国時代の農民は薩摩藩への献納と琉球王府への租税の二重負担を強いられた。そのために農民はほとんど蓄えがなく、干ばつの時には疫病死者や餓死者が多く出た。 
 干ばつの年は農民の租税免除があったが租税免除はその年限りで、翌年には容赦なく年貢が取り立てられた。農民はますます貧しくなり、借金返済のために子供の身売りが後を絶たなかった。貧しい農家は漁村に男の子を売り、女の子は那覇の遊郭に売った。農民の娘であった歌人の吉屋チルーは七歳で那覇の遊郭に売られた。遊郭に連れて行かれる途中に比謝橋があり、比謝橋がなければ遊郭に売られなかったのにと、

恨む比謝橋や 情ねん人ぬ 
わん渡さ思てぃ かきてぃうちゃら

と詠んだのは有名である。農民は生き延びるために愛する我が子を遊郭や漁師に売ったのである。
薩摩藩と琉球王府の二重搾取のために税が重いばかりでなく、地方の間切りや村役人などの特権階級は租税以外にも農民から取り立てて私腹を増やしていたという。そのために農民はいっそう貧しかった。だから、台風や干ばつに襲われると蓄えがほとんどない農民は毒があり調理を失敗すると死んでしまうソテツの実を食べて飢えをしのばなければならなかった。それをソテツ地獄と呼んでいる。沖縄の農民はソテツ地獄と呼ばれる大飢饉に何度も襲われた。
ソテツは台風にも干ばつにも強い植物であり、農作物が全滅するような台風や干ばつでもソテツだけは生き残った。しかし、ソテツの実は少ない。ソテツを食べる頃にはすでに餓死する者も多く出ていただろう。農民は命をつなぐためにソテツを食べた。いつ死んでもおかしくない状況がソテツ地獄であっただろう。「命どぅ宝」の格言は飢え死にするか否かの極限の生活の中で必死に生き延びようとした農民によって生まれた叫びの格言であった。

 大正末期から昭和初期にかけてもソテツ地獄があった。
 沖縄の輸出品は砂糖が八割を占めていた。砂糖以外には泡盛、パナマ帽子、畳表、鰹節、漆器くらいであった。
 国際的な砂糖の値段の暴落は県経済に深刻な影響を与え、農民の収入が激減する中に台風や干ばつが襲い、農民は貧困の極みに陥った。大飢饉に襲われた農民はソテツを食べて餓えを凌がなければならなかった。貧しい農家は家族が生き延びるために子供を身売りした。男は糸満へ、女は遊女として辻の遊郭に売られた。明治以後、人身売買は禁じられていたが、沖縄では半ば公然と人身売買が行われていた。

死に直面した農民に唯一残されていた希望は自由や幸福や豊かさなどではなく、ひたすら生き延びることであった。ひたすら生き延びることだけが農民の希望だったのだ。自由・平等の世界を思い描く余裕は沖縄の農民にはなかった。小冊子を読んだ後の私は「命どぅ宝」に対する考えが変わった。
「あなたにとって何が一番大事ですか」と質問された時、多くの人は「幸福」や「愛」に関係あるものや、子供とか、妻、親、仕事などと答えるだろう。「命」と答える人はいないだろう。「命」は空気と同じで存在して当たり前のものであるからだ。大病や大怪我をして九死に一生を得た人間でない限り「命」が一番大事とは思わない。死ぬかも知れない体験をした人が「生きているだけで幸せ」と言う。琉球王国時代の農民は死と向かい合いながら生きていた。生き延びるのが精一杯である「命どぅ宝」の生活を送ったのだ。
           「沖縄に内なる民主主義はあるか」

戦前の沖縄は貧しかった。男子は糸満売り、女子は遊郭売りの人身売買は公然と行われていた。家族が生きるためには子供を売る。生きるために子供を売り、生きるために半奴隷になる。死と背中合わせの生活でとにもかくにも生き抜く=「命どぅ宝」の社会が沖縄だったのである。

貧しい沖縄では遊郭や吉原があり慰安婦とは関係なく売春は公然と行われていた。

沖縄女性史家として戦中の慰安婦の実態や戦後の米兵による性被害について調査している宮城晴美さんは「地方自治体を預かる長が女性の人権を無視する発言をするとは、その資質を疑う。人の痛みが分からずにどんな行政ができるのか」と強い怒りをにじませた。
また、「これまでの歴史をみても、軍隊の犠牲になるのは常に女性だ。もし母親や娘が同じ立場に置かれた時、同じことが言えるのか」と語気を強めた。(琉球新報)

宮城晴美さんは沖縄女性史家と名乗っている。しかし、彼女は戦中からの歴史しか調べていない。戦前の女性の歴史についてはほとんど発言しない。沖縄の女性の歴史を研究するのなら琉球王朝時代から調べるのが当然であるが、彼女が興味あるのは戦時中の女性だけのようである。

「母親や娘が同じ立場に置かれた時、同じことが言えるのか」と宮城晴美さんは語気を強めたというが、慰安婦にされた若い女性は親が売春業者に売るのである。売られる娘が嫌がっても親は生活のためにと売春業者に売るのである。娘が慰安婦になることを家族は承知しているのだ。
戦前・戦中はそんな社会だったのである。戦前の歴史を知っているなら「もし母親や娘が同じ立場に置かれた時、同じことが言えるのか」と言えるはずがない。

橋本市長は女性の人権を無視してはいない。戦時中の女性が人権を無視されていたといっているのだ。慰安婦は日本だけでなく世界中の軍隊にいたのになぜ日本だけが非難されるのかと言っているのだ。
日本だけに反省を求めるのはおかしいと言っているのだ。

もし、宮城晴美さんが橋本市長を批判するのなら、日本以外は慰安婦制度はなかったことを証明した上で批判するべきである。
「地方自治体を預かる長が女性の人権を無視する発言をするとは」などと批判するのは橋本市長の発言を自分の都合のいいように曲解しているからである。
的外れの批判である。


県女性団体連絡協議会の石嶺雅子会長はがくぜんとし、開いた口がふさがらない。「命を懸けて戦地に行くのだから、女性は我慢しろというのか。人権どころか、女性はもう道具同然ではないか」憤った。(琉球新報)

石嶺雅子会長は全然橋本市長の発言を理解していない。慰安婦問題は戦時中のことであり、橋下市長が主張しているのは慰安婦制度は世界中にあったのになぜ日本だけが非難されるのかということである。
「女性はもう道具同然ではないか」と憤ったというが、自分勝手にどうぞ憤ってと言いたい。

むぬかちゃー(ライター)の知念ウシさんは「男性にとっても侮辱的だ。男性の健康的な性のあり方を抑圧して、戦争や基地が成立していることを、この発言は暴露している。橋下氏がこうした考えであれば、基地を引き取って大阪で実践するべきだ」と批判した。従軍慰安婦についての発言には「戦時の性暴力を肯定するならば、今後も日本は同じことを繰り返す。国際的感覚から言っても恥ずかしい」と語った。(琉球新報)

「橋下氏がこうした考えであれば、基地を引き取って大阪で実践するべきだ」と話すようにこの人の考えは軽い。理論も短絡的だ。
「戦時の性暴力を肯定するならば、」と仮定しているが、橋下市長は肯定していない。戦時中の人達は肯定していたと言っている。橋本市長の発言を正しく理解しないから「戦時の性暴力を肯定するならば、」なんて誤解してしまう。
知念ウシさんは妄想病でもある。「今後も日本は同じことを繰り返す」と妄想してしまう。橋下市長は戦時の暴力を肯定していない。それに自衛隊の総指揮官は首相である。大阪市長ではない。大阪市長が戦時の性暴力を肯定したとしても自衛隊を指揮できないのだから「今後も日本は同じことを繰り返す」ことはない。
現憲法下では自衛隊が国外で戦争することもないから慰安婦が存在することもない。
めちゃくちゃな理屈である。

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