妓生の李容洙を慰安婦に仕立て上げた韓国 それを見抜けない日本の愚かさ


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妓生の李容洙を慰安婦に仕立て上げた韓国 それを見抜けない日本の愚かさ

慰安婦被害者とされる李容洙(イ・ヨンス、92)が記者会見を行った。長年、挺身隊、正義連の広告塔として活動してきたが、昨年には正義連元代表で国会議員の尹美香氏の悪事を暴露する会見を行い、その後、尹美香氏が起訴される事態に至った。今回の会見は正義連とは別の団体の支持を受け、「賠償はいらない、お金が目的ではない」として、「謝罪と国際裁判での決着」を訴えた
李容洙は元日本軍慰安婦だったと主張する女性である。韓国挺身隊問題対策協議会:略称 艇対協(現在の日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯:略称 正義連)の支援の下で、韓国国内はもとより、アメリカ合衆国下院121号決議や女性国際戦犯法廷など、国際社会への発信活動においても中心的役割を果たした女性である。

2017年に韓国を訪問した時には韓国大統領府での晩餐会でトランプ米大統領と抱き合ってあいさつした。李容洙にはホワイトハウスの女性スタッフと同じテーブルの席が用意された。


李は長年、挺身隊、正義連の広告塔として活動してきた。慰安婦被害者として文大統領も重宝している。

李容洙は元慰安婦として活躍している。しかし、彼女は元慰安婦ではない。元妓生である。妓生だった李容洙は慰安婦を装って日本に謝罪を要求しているのである。
産経新聞は李容洙を〝フェイク慰安婦”などと呼ぶ声もあがっていると述べ、慰安婦として疑わしいと述べている。理由は李が慰安婦にさせられたという証言が何回も変わったからである。
李は「国民服を来た日本人の男から、ワンピースと革靴をもらってうれしくてついて行った」と話していたが「日本の軍服を着た男らが家にやってきて、男から何かとがったものを背中に突きつけられ船に乗せられて行った」と“軍による強制連行”を主張する内容に変更している。内容を変更していることから信憑性がないことを産経新聞は指摘している。
産経新聞の指摘は的が外れている。李が慰安婦にさせられたという話がコロコロ変わるから慰安婦ではなかったのではないかと疑うのは産経新聞が慰安婦についての正しい認識が欠落しているからである。李の話は最初から慰安婦ではなく妓生であったことを証言している。李の話は慰安婦になった話がコロコロかわったのではなく、妓生になった話がコロコロ変わったのである。産経新聞や日本のジャーナリスト、学者はそのことに気づいていない。

日本軍は娼妓取締規則に則って慰安婦制度を制定した。慰安婦になるには両親の了解を得ること、17歳以上であることなどが条件である。
李容洙の証言に信憑性があるなしにかかわらず彼女の証言すべてが彼女が慰安婦ではなかったことを明らかにしている。彼女の証言を列挙する。
李容洙の証言
「1944年夏のある日、酒屋をやっていた友達(キムプンスン)のお母さんが「今のような苦しい生活をしている必要はないじゃないか。私の言うところに行けばご飯がたくさん食べられ、豊かな生活ができる」と言いました。ですが私は「嫌だ」と言って飛び出て来ました。
それから何日かたったある日の明け方、キムプンスンが私の家の窓をたたきながら「そうっと出ておいで」と小声で言いました。私は足音をしのばせてそろそろとプンスンが言う通りに出て行きました。母にも何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました。~(中略)~行ってみると川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。その男の人は四十歳ちょっと前ぐらいに見えました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。その人は私に包みを渡しながら、中にワンピースと革靴が入っていると言いました。~(中略)~それをもらって、幼心にどんなに嬉しかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座について行くことにしました。大邱から私たちを連れて来た男が慰安所の経営者でした。」
『証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』
※李容洙は誘拐されたのである。正式な慰安婦になるための書類のない李が慰安婦になれるはずがない。慰安婦の面倒をみるのは楼主であり、楼主が慰安所の経営者になることはない。李は誘拐され妓生にさせられたのである。
1944年秋(満16歳)貧乏な様子におばさんから働けと勧められ、「軍服みたいな服を着た男」(国民服に戦闘帽の男の日本人)に服と靴で釣られて働けるものとついて行った。大連から船に乗った。
※17歳未満は慰安婦になれない。
1945年(17歳)新暦の正月、爆撃下の船上で強姦される。台湾の新竹に到着したが股に腫れ物ができて血がべったりついていて歩けない。嫌だと言うと慰安所の経営者に電話線のコード巻き付けられ拷問された。トシコという名で主に特攻隊の相手をした、その際に性病を移された。
※日本軍が慰安婦制度を制定した目的は女性が乱暴され不当な扱いを受けたり、性病が蔓延するのを防ぐことだった。李が受けた乱暴は慰安婦であれば受けなかった。日本軍は性病を防ぐためにサックをつけることを義務にしていた。性病を移されたのはサックをしていなかったからである。李が慰安婦ではなく、性奴隷の妓生であったことは確実である。
2002年6月26日の「しんぶん赤旗」では「14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられた」「拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけた」と証言している。
※赤旗も李容洙が慰安婦ではなく妓生であったことを報道した。

2007年「16歳のとき、台湾で特高隊員に口を塞がれて連れて行かれた」。
2007年15歳の時に拉致された。まわりの女性は誰も売春婦のようにはお金をもらっていなかった」。
2007年「16歳の時に強制連行され、2年間日本兵の慰安婦をさせられた」「日本兵に足をメッタ切りにされ、電気による拷問を受けた」。
2007年 「台湾の慰安所で、私は殴られたり、蹴られたりしました。『言うことを聞いたら、お父さんお母さんにまた会わせてやる』と証言した。
2007年要求を拒否でもすれば‘刀でぐいぐい裂く’残忍な暴力と殺しまであわなければならなかった被害者たちに自分の考えで身を売ったという意味を持つ‘慰安婦’という呼称は当然しない」と証言。
2011年「15歳の時に台湾の神風部隊に連れて行かれあらゆる拷問に遭いほとんど死ぬところだった。一緒に連れて行かれた他の女性2人は死んだ。」。

慰安所では起こるはずがない誘拐、報酬無し、拷問を体験した李容洙である。
李容洙は「被害者たちに自分の考えで身を売ったという意味を持つ‘慰安婦’という呼称は当然しない」と話している。彼女のいう通り彼女は慰安婦ではなかった。性奴隷の妓生であった。

産経新聞は李容洙を〝フェイク慰安婦”ではないかと疑っているが、慰安婦ではないと断言することはしないし、彼女が妓生であるとは考えていない。それが日本の決定的な欠点である。慰安婦は性奴隷ではなかった。売春婦だったと主張しても性奴隷であったと名乗る自称元慰安婦がいる限り元慰安婦=売春婦は否定される。自称元慰安婦たちが性奴隷であったことを認めることが最も重要なポイントである。彼女たちは性奴隷であった。だから慰安婦ではなかった。妓生であったと主張するのである。
自称元慰安婦たちが元妓生であったことを1990年代から指摘していれば慰安婦=性奴隷が拡大することはなかっただろう。
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