文芸社から電話、しかしタイムスからは・・・

文芸社から電話があった。文芸社は強く自費出版を勧めるだろうと思っていたがそうではなかった。文芸社の人は、私の原稿への評価について質問し、私が答えるとしばらくは原稿の内容の話をした。オーバーに褒めることはなく、淡々とした会話だった。
文芸社の人が自費出版をする気があるかどうかを聞いたので、私が迷っているというと、私が迷っている理由を聞いた。私は文芸社が指摘した通りウィキペディアの引用が多いので、図書館に行って専門書を調べてみたいといった。すると文芸社の人は、ウィキペティアだと信頼性が薄いから、読者から内容が軽く見られる恐れがある。ぜひ県や国の図書館に行き、専門書で調べた方がいいと言った。文芸社の人はすぐに自費出版をしたほうがいいという方向には話をすすめなかった。

文芸社の人は、もし自費出版をするなら参考にしてほしいと、1000冊を出版し全国の書店に置くなら200万円の費用がかかるといい、500冊で地域を限定するなら120万円くらいだと話し、文芸社は全国で1000件の書店に本を置くことができ、沖縄にも出版した本を置く約束をしている書店があるといった。自費出版に関する資料を送ると言って、文芸社との電話は終わった。

文芸社の人は自費出版を無理強いしなかったし、対応は丁寧で親切だった。文芸社の人は原稿の技術的な問題を指摘したが思想については一切言及しなかった。これが商売の基本であるし、表現の自由を保障している国にある出版社のとるべき姿勢だ。沖縄の出版社もこうあるべきだ。

ところが沖縄タイムスからは昨日も電話もメールもなかった。

高校生の時、プロレタリア文学の小説家小林多喜二が警察のリンチで殺された写真を見て、小説家が国に殺されたことが信じられなくて大きなショックを受けた。琉大ではプロレタリア文学を研究したし、文章を黒塗りにした当時の記録なども読んだ。軍国主義の表現の自由へのすさまじい弾圧を知り、軍国主義や独裁国家への嫌悪が強くなった。私は、プロレタリア文学詩人である中野重治の「夜明け前のさよなら」や「雨の降る品川駅」に感動し、中野重治のファンになった。

戦前、国家にものすごく弾圧されたのが共産党でありプロレタリア文学者たちであった。警察の拷問によって転向させれたプロレタリア文学者も多かった。戦前に国家に弾圧された共産党であればこそ戦後は表現の自由を強く主張するべきだ。社会党も社大党もだ。
しかし、現実は逆だった。

沖縄の革新系が支配している世界では戦前の軍国主義国家と同じように思想の検閲をやり、革新系に批判的な思想は闇に葬ろうとするようだ。
詩人清田政信はかつて「反体制も体制だ」と叫んだ。反体制運動も体制をつくる目的があり、反体制も必然的に体制をつくってしまうということだ。つまり、反体制運動にも根本的には自由がないということである。詩人清田政信が指摘した通りになっているのが沖縄の反体制運動だ。

革新政治家、沖教祖、自治労、連合、マスコミ、知識人等が沖縄の反体制運動をけん引している。その組織体は大きく沖縄の裏の体制をつくっている。この体制には県知事も手が出せないし、自民党もその体制を崩せない。(橋下市長が大阪でこの裏体制崩しを始めようとしている)

反体制運動であればすべてが正しいと信じている運動員は多いだろう。しかし、反体制はすべてが「正」ではないし、すべての行動が「正」とは言えない。むしろ社会主義を根としている沖縄の反体制運動は民主主義を押し込め、自由を縛っている。
沖縄の反体制運動が沖縄の将来を築いていくとは考えられない。

しかし、無名である私の自費出版まで検閲するとは沖縄の反体制運動には恐れ入るばかりだ。


追記
篠原章さんのブログはちょくちょく覗いています。知念ウシへの批評は読みました。知念ウシさんへの批評を読んだ直後に私のことを取り上げてくれたのを知って驚きました。私のことを取り上げてくれて感謝しています。篠原さんは以前から沖縄に興味があり、いろんなミュージシャンと仕事をしたんですね。

いつか、篠原さんと論争することができたらいいなと思っています。これからも、よろしくお願いします。
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