上村批判「民族自決権」と「人民の自己自決権」



「民族自決権」の元の意味は「人民の自己決定権」であるというのは理解できる。「民族自決権」ということになると単一民族単一国家という考えに陥り、民族差別に発展する可能性がでてくる。それに単一民族単一国家は民主主義とはかけ離れた思想あであり、単一民族単一国家イコール民主主義国家であるということにはならない。
「民族自決権」からくる単一民族単一国家思想は独裁国家を容認してしまうおそれがある。「民族自決権」ではなく「人民の自己決定権」であるなら民主主義国家をつくる基本にもなれる。と私は解釈するが、上村氏はそうではないようだ。

「人民は、固有の歴史や文化を背景に、独自な政治思想を持ちうる集団である。」と上村氏は言う。そのような集団による国家ということになると、封建主義国家、社会主義国家、独裁主義国家、宗教主義国家等のような国家を容認してしまう。上村氏は北朝鮮国家や中国のような国家も容認している。

上村氏は琉球王朝が「人民の自己決定権」による国家であったかどうかについては分析していない。琉球王朝は封建社会であり身分差別の上に成り立っていた国家だった。そして、琉球王朝は王が法であり、法の下の平等である法治国家でもなかった。

琉球王朝は1609年島津家の3000の兵力によって侵略され、薩摩藩の植民地となっている。上村氏明治になって日本の植民地になったというがそれは誤解である。琉球王朝は表だけの顔であり、琉球王朝が独自の言語と文化があったとしても、実際は薩摩藩の支配下に置かれていたのであり、琉球王朝は政治的には独立していなかった。

明治政府による廃藩置県は薩摩藩による植民地支配からの開放であったし、沖縄の農民にとっては琉球王朝による支配からの開放でもあった。琉球王朝からの開放は沖縄の人々に希望を与えるものであったし、戦前の沖縄は近代化への情熱が溢れていた時代でもあったことをわすれてはいけない。戦前の新聞投稿の記事には古い慣習を捨てて新しい時代を築くのだという気概が溢れている記事が多かった。
武士支配の社会からから四民平等の社会へと近代文化へ進もうとする気概は沖縄にもあったことを忘れてはならない。

上村氏は「民族自決権」を「人民の自己決定権」の意味であるということを主張しながらも、民主主義の思想にはつながっていない。上村氏の理論の内容は「民族自決権」でしかない。



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