ダグラス・スミス 差別1970-2010




実際に沖縄に住んだダグラス氏は興味あることを書いている。
沖縄の基地労働者にはアメリカ帝国主義のいじめや弾圧は意識していても、「差別」という意識はなかったと書いてあることだ。いじめ、弾圧と差別は微妙なニュアンスの違いであるが、沖縄の人間には「差別」という思想は薄かったと私も思う。もっと突っ込んで言えば沖縄に存在している差別は差別として自覚していなかったということだ。

沖縄の基地労働者は黒人差別というのは知識としてあった。アメリカでは黒人が差別されているという知識はあったが、沖縄では差別が存在しているか否かに関しては自覚がなかったのである。それは黒人が奴隷として差別されていたという分かりやすさがあり、奴隷以外の差別に対する認識はうすかった性であろう。
琉球大学でアメリカの黒人差別について問題にした学生が処分されるという事件があった。しかし、沖縄内での差別を問題にした人はほとんどいない。

黒人兵は帝国主義についての理解は薄く、人種差別については敏感であったが、沖縄の基地労働者はその逆だったとダクラス氏は書いている。沖縄の基地労働者が帝国主義について敏感である理由は沖縄の大衆運動をリードしたのが共産主義政党員や社会主義政党員だったからだ。彼らはアメリカを帝国主義国家と決め付けていた。彼らの主張や演説にはアメリカ帝国主義の言葉がちりばめられていたから、アメリカ帝国主義がアメリカの代名詞となっていた。

沖縄内には「差別」はなかったかというとそうではない。
元死刑囚永山 則夫と獄中結婚をした和美は沖縄出身である。彼女の父親はフィリピン人で、母親は沖縄の女性だった。彼女が生活保護を受けた時、フィリピン系の生活保護費は沖縄人やアメリカ系の人間の半額以下だったという。生活保護費は琉球政府が公的に決めることだからフィリピン系の人間は沖縄では公的に差別されていたのだ。

沖縄でフィリピン人が差別されていたことは事実だ。沖縄の人間がフィリピン人やハーフを侮蔑する言動や行為を私は何度も見た。断っておくが沖縄人みんながそういう人間であったということではない。私の同級生の母親はフィリピン人だったが、私たちが彼や母親を差別したことはなかった。

知念ウシとウシをペンネームにしている女性がいる。普天間基地反対の女性の集団はカマドゥーを名乗っている。ウシとは文字通り家畜の牛からきた名前で、カマドゥーは台所の鍋を乗せる釜戸からきている名前である。そのほかに亀から由来するカメという名前があり、鍋から由来するナビーがある。

私の母はカマドゥーだったらしい。南の戦場に行った父は、妻の名前が釜戸から由来していることで日本の兵隊に笑われたらしい。その性で戦場から帰ってきた父は母の名前を変更した。

ウシ、カマドゥー、カメ、ナビーは農民の女性の名前と決まっていて、武士の女性でそんな名前はいない。琉球王朝時代は生まれた時から死ぬまで農民の子供は一生農民であり、武士になることはなかった。農民は武士に搾取され、貧しい生活を強いられてきた。
これは人間差別であるが、沖縄の農民が「人間は生まれながらにして平等だ」と主張して立ち上がったことはない。

それどころか、現在でも沖縄の知識人はペンネームにウシを使ったり、組織名にカマドゥーを使ったりしている。そして、琉球王朝時代のほうが独立していて豊かであったと吹聴する知識人も多くいる。

沖縄ではまだ民主主義は育っていないのだ。


ダグラス氏は最近は「差別」という言葉が使われるようになったというが、現在政治的に使われている「差別」は民主主義思想を根にした「差別」とはいえない。民族主義や待遇平等主義を根した「差別」である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 社民、国民新... 上村批判「民... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。