慰安婦問題を捻じ曲げるタイムス・新報2





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慰安婦問題を捻じ曲げるタイムス・新報2



タイムス・新報両紙で連載している「問われる自画像・歴史認識と日本」は慰安婦問題の巧妙な捻じ曲げを八月九日の記事でも行っている。

聞き取りによると、第二次大戦中の一九四四年四月、十八歳のマーサはインドネシア中部ジャワ島のスマトランから日本軍に連行され千キロ以上離れたフロレス島で性行為を強要された。インドネシア日本占領前、オランダの植民地だった。
               「問われる自画像・歴史認識と日本」

 マーサのことは事実である。この事件は「白馬事件」といい有名な事件である。

 当時スマランには既に慰安所があったが、性病の蔓延から新たな慰安所の設置が計画された。慰安所設置を要請された幹部候補生隊長は、慰安所には自由意思の者だけ雇うようにというジャカルタの第一六軍司令部のガイドラインを無視した。(ガイドラインは未発見であるが証言やスマトラの第二五軍の類似の通達からそのように考えられている。)
 複数の将校と慰安所業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所から十七歳から二十八歳の合計三十五人のオランダ人女性を強制的に集め、スマラン市内のカナリ通りの建物で日本語で書いた趣旨書への署名を強制した後、スマランの四つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行した。
 三月一日から営業を始め、女性達は毎日強姦された。給料は払われず、暴行され、その上、性病を移された者、妊娠した者がいる。週に一度医師の身体検査があったが、充分な治療はほとんど行われず、医師が強姦することさえあった。
                               ウィキペティア
 
 強制連行し、給料を払わずに強姦したということは性奴隷である。もしこの事実だけであったなら慰安婦は性奴隷であったという証拠となる。しかし、この事件には続きがある。

 自分の娘を連れ去られたオランダ人リーダーが、陸軍省俘虜部から抑留所視察に来た小田島董大佐に訴え、同大佐の勧告により一六軍司令部は、一九四四年四月末に四箇所の慰安所を閉鎖した。(小田島大佐の視察は、事件と前後して抑留所の管理が軍政監部から現地軍司令部に移管したためのものである。)しかしながら、日本軍は、当事者を軍法会議にかける事も処罰も行なわなかった。
                                ウィキペティア

 慰安婦は公娼である。公娼は本人が同意することを前提としている(法律として明文化してある)。強制的に慰安婦にすることを日本軍は禁じていた。オランダ女性を強制的に慰安婦にしたことは法律違反だった。だから、一六軍司令部は二か月後に慰安所を閉鎖したのだ。「問われる自画像」はこの事実を隠している。日本軍がオランダ女性を強制連行して慰安婦にしたことだけを書いている。

 新聞を読んだ人は日本軍がオランダ女性を性奴隷にしたと思うだろう。新聞はその効果を狙っているのだ。新聞のマインドコントロールである。
 私はコンビニで売れ残った新聞を切り取ってコピーし、それを読みながらブログの文章を書いている。だから、私のブログは一日遅れの新聞記事を参考に書いている。一昨日はタイムス・新報の両紙が売り切れていたので「オランダ社会の無理解」をコピーすることはできなくて、ブログを書くのをあきらめた。ところが写真家の石川真央さんのブロクにコピーが掲載されていたので、ブログを書くことができた。
 石川真央さんは「オランダ社会の無理解」の内容を信じ、日本軍や安倍首相、橋本市長に怒ったからブログに掲載した。石川真央さんは沖縄二紙の狙い通りマインドコントロールされたのだ。彼女のように多くの読者がマインドコントロールされているだろう。
 

 「問われる自画像」の文章の後半には、

 李は、従軍慰安婦について「当時は必要だった」と発言した橋下氏を「でたらめだと非難。賠償請求訴訟は〇七年に最高裁が上告を棄却し敗訴が確定したが「自分」が死んでも日本政府への責任追及は子供たちが引き継ぐ」と断言した。
 大原市内で入院中の元原告の万愛花(八十五)。中国で「右傾化」への例会が強まる安倍首相について「歴史を正視していない」と批判し「だからこそ裁判を何度でも打たなければならない」
                       問われる自画像「再び傷つけられた」

 橋下徹大阪市長の従軍慰安婦発言には在オランダ日本大使館に「危険な発言」と抗議書簡を送った・「橋下氏の発言や、強制された慰安婦の存在を疑問視する安倍晋三首相の言葉は元慰安婦らを繰り返し傷つけています」と憤る。
                     問われる自画像「オランダ社会の無理解」

と必ず橋下市長や安倍首相を非難する文章を書いている。慰安婦問題ではないのに慰安婦問題のように扱い、安倍首相や橋本市長を批判しているのがタイムス・新報が同時連載をしている「問われる自画像」である。

 慰安婦について調べていくと、慰安婦=公娼であることがわかる。公娼は国の認可制であり公娼になるためには多くの規制がある。公娼になるには本人の自由意思で売春婦になることを条件にしている。白馬事件では「日本語で書いた趣旨書への署名を強制した」したから違反行為をしたことになる。

戦場では三つのケースの性行為があった。

一 慰安婦を相手にした性行為。慰安婦=公娼制度を遵守した売春婦。慰安所のみで商売する。
二 フリーな売春婦を相手にした性行為。フリーな売春婦=政府の許可を得ていない売春婦。慰安所以外の売春宿で商売を  する
三 一般女性の強制連行・監禁・強姦による性行為

「問われる自画像」は慰安婦問題を扱っているように見せながら実際は三のケースを実例にしている。三は慰安婦ではない。一般女性である。「問われる自画像」は慰安婦問題を捻じ曲げている。
 
 白馬事件と似た事件をロシア兵も起こしている。

敦化事件
 一九四五年八月二七日に満洲国吉林省敦化(現吉林省延辺朝鮮族自治州敦化市)でソ連軍によって連日に渡り集団強姦され続けていた日満パルプ製造(王子製紙子会社敦化工場の女性社員や家族が集団自決した事件。

 一七〇人ほどの婦女子は一五,六人ずつに分けられ監禁されることとなった。
ソ連兵による女性たちへの昼夜に渡る暴行は八月二七日の深夜になっても収まることはなかった。このため、二十八人の婦女子が集められていた部屋では自決をするべきか議論がなされるようになった。議論中にもソ連兵の乱入があり、隣室からも女性たちの悲鳴や「殺して下さい」などの叫び声が聞こえてきたため、自決することに議論が決した。隠し持っていた青酸カリが配られ全員が自決を図り、二十三人が死亡、五人が死に切れずに生き残った。他の部屋ではソ連兵に引きずり出されるときに剃刀で自殺を図った女性もいた。

 八月二七日早朝、ソ連兵が集団自決を発見し、将校に報告されると各部屋にはソ連兵の見張りが付けられ、女性たちは外を見ることを禁じられ、遺体はどこかへ運び去られた。責任を問われることを恐れたソ連軍将校によって、これ以上の暴行は中止されることとなった。
                          ウィキペティアを参考

 白馬事件と敦化事件は内容が同じ事件である。しかし、日本軍とソ連軍の対応は異なっている。日本軍は違法行為をした慰安所を閉鎖している。ロシア軍は二十三人の自決者が出るまではロシア兵の強姦を黙認していた。
日本軍は兵士の強制連行・監禁・強姦を禁じていた。その代わり慰安所を設置した。しかし、慰安婦制度のないソ連は強制連行・監禁・強姦を認めていた。
 慰安婦制度は兵士の強制連行・監禁・強姦を禁止するための制度であり、一般女性の被害を防ぐための制度であった。


 終戦後の一九四八年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として十一人が有罪とされた。罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦である。有罪者は、軍人および慰安所を経営していた日本人業者等であり、責任者である岡田慶治陸軍少佐には死刑が宣告された。また、中心的役割をはたしたと目される広島県生まれの陸軍大佐は戦後、日本に帰っていたが軍法会議の終了前に自殺した。裁判では、慰安婦にされた三十五人のうち二十五名が強制だったと認定された。


 日本は慰安婦制度=公娼制度を世界に公表するべきだ。公娼制度を遵守したのが慰安婦であり、公娼である慰安婦が「性奴隷」にされることはなかった。それが真実である。
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