新崎盛暉・沖縄大学名誉教授批判

第三回東アジア批判的雑誌会議で、新崎盛暉は講演した。講演で
「領土や国境という概念の厳密化は近代国家成立過程において始まる。だが、領土は国家間の力関係や国際法よりも、そこの住民の生活圏としていかなる意味をもってきたかを前提として決められるべきではないか」と主張している。

地元の住民が決定権を持つというのは素晴らしいように見えるが、トラブルが発生したときも地元で裁くということになると、その地域の力の勝る者によって勝手に裁かれてしまうようになる。交通が不便な昔は小さい地域がそれぞれ独立していて、それぞれ武力に勝る者が支配者になっていた。地元の住民が決定権を持つというのはその状態に戻ってしまうだけだ。

台湾の漁船が日本領海に侵入して漁をするトラブルは多い。そのトラブルを台湾の漁師と八重山の漁師間で決着するのは困難であり、国が介入しないと八重山の漁師は泣き寝入りしなければならない。
領土問題では国家間の力関係もあるが、近隣の住民の力関係もあり、国が関与しなければトラブルは拡大していくだけだろう。

尖閣諸島では日本の領海であるにも関わらず、中国漁船が侵入し八重山や宮古の漁船に嫌がらせをして追い出したのだ。軍事力が圧倒的に勝るアメリカ軍が沖縄を管轄していた復帰前は尖閣諸島の領海では沖縄の漁師が自由に漁していたのだが、復帰後は中国漁船が尖閣諸島の海を占領したのだ。地域に国家が関わらなくなると、その地域は無法地帯となり、暴力が支配地帯となる。

新崎氏は台湾と八重山・先島との交流の例をあげて、「辺境は、国境を越える民衆交流の場として絶好の位置を占めるが、同時に国家権力の利害関係が対立し、観念的、挑発的な国家主義者の言説が利用しやすい場所でもある」述べている。

辺境での利害関係は辺境に住む人間のほうが大きい。商品を売ったり勝ったり、文化等の交流だけであればいいが、漁師にとっては魚場争いが生じる場所であり、現実に台湾の漁師と八重山・宮古の漁師とのトラブルは絶えないし、台湾漁師によるサンゴの密猟も多く、赤サンゴは絶滅状態だという。
日本の漁師にとってはむしろ日本政府が領海をしっかりと守り、台湾や中国漁船を厳しく取り締まってほしいところだ。

新崎氏の講演に対して韓国の金氏は、「抽象的なレベルで国家的論理から抜けて、地域秩序から出発することはむつかしいと感じる」と述べている。
台湾の江氏は「沖縄と金門は、互いに辺境地域であると同時に、冷戦期の最前線で軍事化されたという共通点がある」と延べ、「冷戦終結を経て、現在の金門には、脱戦場化、歴史の衝突の問題、観光地化などの課題があり、これまでの歴史とどう相対していくかが問われている」と現実的、具体的に問題を捉え意見を述べている。

新崎氏と韓国の金氏、台湾の江氏の二人とは大きな体験の違いがある。韓国は北朝鮮と戦争状態になったことがあり、最近も北朝鮮から攻撃を受け多くの人命が失われているし、台湾はは1950年代から1960年代にかけて中華人民共和国(大陸中国)と中華民国(台湾)の間での軍事的緊張が3度にわたり高まった。アメリカの介入がなければ全面戦争に発展していたといわれている。995年から1996年にかけても、台湾総統選挙に伴い台湾海峡ミサイル危機と称されている危機があった。

戦争が現実的であった韓国と台湾とは違い、沖縄には実際の戦争危機というのは一度もなかった。それはアメリカ軍が強固だったから中国が沖縄を攻めることはなかったからだ。実際の戦争に対する危機感は二人にはあるが新崎氏にはない。だから、新崎氏には反国家、反軍事、反アメリカの理論を展開することができるが、韓国、台湾の二人は新崎氏のような理論を展開することはできない。

新崎氏の主張は、アメリカ軍が戦後65年間も沖縄の平和を維持したがゆえにできる主張である。
もし、沖縄にアメリカ軍が駐留していなかったら、とっくの昔に沖縄はチベットやウイグル地区のように中国の人民解放軍によって支配されていただろう。アメリカ軍が沖縄に駐留していたから沖縄が戦争に巻き込まれることはなかった。しかし、沖縄には基地被害があり、アメリカ軍基地があるゆえに戦争恐怖を起こす人たちも少なくなかった。
しかし、戦争被害と基地被害は違う。革新政党や反戦平和主義者たちが主張している「軍事基地があるから戦争に巻き込まれる」という考えは間違っている。

新崎氏の理論は非現実的な机上の観念論である。

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