沖縄を分裂させるウチナー口復興運動




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目次

〇沖縄の狂った話1・・・琉球民族主義は民族差別主義だ
〇沖縄の狂った話2・・・米軍がいるから戦争に巻き込まれるは妄想

〇ブログ
「狼魔人日記」より・・・末松氏大敗の意味

〇彼女は慰安婦ではない 違法 少女売春婦だ2

〇「狼魔人日記」河野談話撤回の好機!

〇「狼魔人日記」と「沖縄に内なる民主主義はあるか」は島袋氏を応援したけれど

〇名護市民は「県外移設」が不可能であることを証明した

〇ブログ 
沖縄に内なる民主主義はあるか 沖縄の識者の腐敗
               「県民金で転ばぬ」というが

〇軍命令はなかったのに なぜ集団自決は起こったのか

〇特別寄稿・ドキュメント
  集団自決を追って 星雅彦(作家)

〇バーデスの五日間




裏表紙です。名護市街地は辺野古から10km離れています。しかも、間には山があります。
辺野古が安全であり、普天間基地がいかに危険であるかは写真を見れば一目瞭然です。
この事実を多くの人に知ってもらいたいと思って、このような裏表紙にしました。
買わなくてもいいから、裏表紙を見てほしい。
この三つの写真を見ても、辺野古移設に反対するのは「命どぅ宝」の精神が欠けている証拠です。

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 沖縄の狂ったお話

沖縄を分裂させるウチナー口復興運動


 日本政府による学校での共通語励行の押し付けに反発し、共通語である日本語を否定しウチナー口に戻ろうという運動が盛んになっている。

新聞にはウチナー口を文字にして掲載している。この運動は罰として方言札を貼る共通語励行の強制への反発から始まった。共通語の強制への反発から始まったこの運動は、ウチナー口の共通語も否定する方向になり、各地方のウチナー口を大事にするという方針になった。
那覇は那覇くとぅばを使い、首里は首里くとぅば、八重山は八重山くとぅば、宮古は宮古くとぅばを使うことを目的にしている。その運動に新聞やラジオも協力している。
いわゆる共通語の否定である。滑稽なのはこの運動の意義を説明する時は共通語である日本語を使っていることである。

私が子供の頃は方言の世界であった。大人も子供もウチナー口を使っていた。幼稚園で初めて先生の共通語を聞き、小学校で共通語を覚えていった。
ウチナー口を使っている世界で話題になったのが、ウチナー口はひとつではなく色々なウチナー口があるということだった。その例として聞かされたのが、
「ポーぬさちからピーがいじてぃ、わんパナやまちゃん」
であった。ポー、ピー、パナは私たちが使っているウチナー口ではなかった。ポーはボー(棒)、ピーはヒー(火)、パナははな(鼻)のことである。
棒の先から火が出て私の鼻を痛めたという意味である。鉄砲を鼻先で構えて引き金を引いた瞬間に鼻を痛めたという話だ。
「ボーのさちからヒーがいじてぃ、わんはなやまちゃん」
と言えば私は分かったが、ポー、ピー、パナが入る言葉では意味が全然わからなかった。

 八重山民謡に「とぅばるまー」があるが、沖縄本当育ちの私には歌詞の意味は分からなかった。
「つくぬかいしゃや、とぅかみかつくやしが、みやらびかいしゃやじゅうしつはつらー」

私はこの歌が好きだったので、琉大に入った時、八重山の学生に聞いて意味がわかった。
つくとは月のことであるが私たちは「ちち」といっていた。「かいしゃ」は「美しい」という意味である。私たちは「ちゅらさ」と言っていた。「とぅかみか」とは十日と三日で十三日という意味である。つまり月の美しさは十三日という意味である。
「みやらび」とは若い女性のことでそれは私が使っていたウチナー口と同じであったが、「じゅうしつ」は「十七」「はつ」は「八」である。私たちは十七は「じゅうしち」、八は「やーち」と言ったが十八は「じゅうはち」と言っていた。

沖縄の古典音楽の歌詞は分からないし、八重山民謡だから昔の言葉が混じっていて理解できないのが当然である。しかし、会話なら民謡のように極端に違うことはなく、八重山くとぅばと話し合うことができるだろうと思っていた。しかし、なぜか私の知っている八重山出身の学生は八重山くとぅばで話す人はいなかった。
宮古出身の学生は宮古出身同士で宮古ぐちで話した。私は彼らの会話を聞いてショックを受けた。彼らの会話が全然理解できなかったのだ。

沖縄県内であっても理解できないウチナー口がある。私は私のウチナー口だけでは会話ができないことを知り、共通語の重要性を知った。四十年以上も前のことである。

沖縄が独立するのなら沖縄共通語は必要である。那覇、首里、中部のウチナー口は同じであるし、それが共通語としてふさわしい。
最近八重山くとぅばを聞いたが全然わからなかった。宮古くとぅばや八重山くとぅばは共通語としてはふさわしくない。

日本語共通語の否定から始まったウチナー口運動は、共通語について追及することはなく、それぞれの地域のウチナー口を使おう運動をやっている。

それでは沖縄の地域はそれぞれ地域だけの言葉を使うことになる。そうなれば地域と地域の交流ができなくなり、それぞれ孤立した沖縄になる。ウチナー口運動は時代に逆行する運動である。バカげた運動である。

バカげた運動であるが、それぞれの地域のウチナー口を使おうという運動は続いている。役所や新聞社も協力的である。
皮肉なことに彼らの運動を説明し、運動を支えているのは日本語共通語である。彼らは彼らの思想を伝える時は日本語共通語を使わざるを得ない。ウチナー口を流暢に使える人間は少ないだろうし、流暢なウチナー口で話したとしてもウチナー口を理解できる人間は限られている。

ウチナー口を生活の場に復活させるのは不可能である。
ウチナー口から日本語共通語に変わったのは学校での共通語励行効果でもなければ政治的な強制でもない。時代の変化とともに自然に変化していった。変化していった最大の原因は日本文化の浸透である。とくにテレビの影響が強い。
私は糸満で学習塾をしていたが、糸満は方言が根強く残っていた。小学生で糸満方言を使う生徒は多かった。ところが八十年代に入ると急激に方言を使う生徒が少なくなっていった。テレビのアニメや子供にとって面白い番組が増えていったからだ。

私が子供の頃はテレビはなかった。中学の頃でもテレビのある家庭は少なかった。あの時代は学校で共通語励行をやっても学校外ではウチナー口を使っていた。
しかし、八〇年代はカラーテレビになり、しかも子供に楽しい番組が多くなり、二、三歳の頃から日本語を覚えていった。

沖縄でウチナー口が廃れ日本語共通語が定着したのは歴史的に必然であり、これは戦前・戦後に共通語励行をやってもウチナー文化が根強く残っていたためにウチナー口が定着し続けことと真逆の現象である。

ウチナー口は歌や芝居など文化として残すことはできても生活の場でウチナー口を復興するのは不可能である。それだけではない。共通語を否定したウチナー口運動は沖縄をバラバラにする運動である。
なぜ、こんな当たり前のことを知らないのか不思議である。

琉球独立論といい、ウチナー口復興運動といい、これからの沖縄になんの役にもたたないバカげたことに真剣な顔をして打ち込んでいる連中がいる。正気ではない。連中の頭は狂っているとしかいいようがない。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (おまえの頭がくるってるキチガイ又吉)
2014-11-07 05:02:07
スイスやスペインやイギリスを初めヨーロッパでは多言語があたりまえスイスに至っては たった5万人しかいないロマンス語は言語として認められている!4言語を使っているが国は普通に成り立っているぞ!専門家でもないキチガイ又吉大先生はウチナーグチの専門家の比嘉光龍氏にでも反論して打ち負かされて土下座して謝ってこい!わかったかね!老害虫 ネトウヨキチガイ又吉康隆大先生(笑)
 
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