佐藤優の眼光紙背:第85回にかみつく

 佐藤優氏は、尖閣諸島衝突ビデオを保安官がユーチューブに投稿したことに関して、「義挙という世論が強いが、筆者は強い違和感をもっている。」と延べ、その理由を2つあげている。

第1は、
 この保安官が流した映像が国民の知る権利に真に応えているとはいえないからだ。この映像は、海上保安庁によって編集されたものだ。意図的もしくは無意識のうちに海上保安庁の利益を反映する構成になっていることが、当然、考えられる。例えば、中国漁船の船長を逮捕する過程の映像が欠落している。「ユーチューブ」に投稿された映像のみで、事件を判断することは危険だ。

 冷静でもっともらしい意見であるが、そうなると、全ての映像を見ないとなにも言えないということになる。しかし、ユーチューブの映像だけでも理解することが多くある。

 例えば、巡視船に警告されても、中国漁船の乗組員はのんびりとして慌てる様子を見せなかった。それは中国漁船が尖閣諸島の日本の領海内で漁をしているのが常態化している実態が明らかであることを示している。
 そして、巡視船への衝突は故意であるのは映像ではっきり分かる。海上保安庁の巡視船に衝突するというのは、中国の漁民が日本を馬鹿にしていているということだ。
「ユーチューブ」に投稿された映像を見て「意図的もしくは無意識のうちに海上保安庁の利益を反映する構成になっていることが、当然、考えられる。」という佐藤優氏の見識を疑う。

 尖閣諸島の日本の領海内であるにもかかわらず、八重山等の沖縄の漁師は中国の漁船群団によって追い出されているという深刻な事態に佐藤優氏は冷淡である。やはり佐藤優氏は官僚体質の人間だなあと思ってしまう。
 
 流出ビデオが「海上保安庁の利益を反映する構成」になっていたとしても、あの映像から尖閣諸島の実態を知ることはできるのだ。それに、流出させた保安官が入手できたのはそのビデオだけであり、海上保安庁の意図にくみして彼が流出したのではないことは明らかである。

 一介の保安官である彼は首になる覚悟でビデオを流出させたのだ。その重みを私たちは尊重しなければならない。 


 第2は、
 官僚の規律違反を容認することが、最終的に国民の利益に相反すると考えるからだ。海上保安庁が機関砲をもつ国際基準では軍隊に準じると見なされる「力の省庁」だ。官僚には上司の命令に従う義務がある。武器をもつ「力の省庁」の職員には、特に強い秩序感覚が求められる。この点から見て、保安官の行為は、官僚の服務規律の基本中の基本に反した行為で、厳しく弾呵されるべきだ。

 「力の省庁」に属する官僚の下剋上について、われわれは苦い経験をもっている。1932年5月15日、政界と財界の腐敗に義憤を感じた海軍と陸軍の青年将校が決起し、犬養毅首相らを殺害した。「方法はよくないが、動機は正しい」と五・一五事件の犯人たちへの同情論が世論でわき起こり、公判には多くの除名嘆願書が届けられた。本来、死刑もしくは無期禁錮が言い渡されるべき事件であったにもかかわらず、裁判所は世論に流され、被告人に対して温情判決を言い渡し、五・一五事件の首謀者、実行犯は数年で娑婆にでてくることになった。この様子を見た陸軍青年将校がクーデターを起こしても世論に支持されればたいしたことにはならないという見通しで、1936年2月26日に1400名の下士官・兵士を動員しクーデターを起こした。二・二六事件は、昭和天皇の逆鱗に触れ、徹底的に鎮圧された。しかし、二・二六事件後、政治家、財界人、論壇人などは軍事官僚の威力に怯えるようになり、日本は破滅への道を歩んでいくことになった。


 官僚出身の佐藤優氏らしい弁である。
 五・一五事件にしろ、二・二六事件にしろ、武力を用いて国民の代表者を暗殺しようとした行為である。
 しかし、今回の保安官は国民が見たいと欲している情報をユーチューブを利用して国民に提供したのであり、保安官の行為は、管内閣の国民の知る権利を無視した行為に対する国民の側に立った行為であり、二・二六事件のような軍隊が政権を握る目的のクーデターとは全然違う次元の事件だ。

 二・二六事件後、政治家、財界人、論壇人などは軍事官僚の威力に怯えるようになったと佐藤優氏は警告を発しているが、尖閣ビデオの流出後は国民に真実が伝わり、海保の巡視船が中国漁船にぶつかったと嘘を吹聴していた中国政府を黙らせたのだ。
 

 佐藤優氏の「力の省庁」に属する官僚の下剋上についての云々という見方も時代錯誤がはなはだしくて滑稽だ。
 民主主義国家の現在は戦前の富国強兵、帝国主義の日本とは違うのだ。海上保安庁は政府のシビリアンコントロールの指揮下にある。海上保安庁と戦前の軍隊を同列化するのが馬鹿げている。

 佐藤優氏の視点は官僚体質の視点であり、国民視点ではない。
 例え法を破ったとしても、国民のために行動した人間は国民にとってヒーローなのだ。
 逆に、中国漁船の船長を開放したのにもかかわらず、捜査中を理由にビデオを国民に見せないのは、たとえ法律を守っているとしても、それは非国民的行為であり、国民は嫌うのだ。
 国民主権、民主主義の視点を失った理論は真実の理論にはなりえないのだよ、佐藤優さん。


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