順位付けは民主主義の理念を壊すもの




「順位付けの資料が存在」していることが判明したから「採択協で廃止の根拠が崩れる」と記者は主張している。
「12年度から中学校で使用する教科書を選定する教科用図書八重山採択地区協議会が順位付けを廃止した根拠にしていた」から「採択協で廃止の根拠が崩れる」というわけである。玉津石垣教育委員長は「協議会と調査員が諮問、答申の関係だったことは変わらない」と延べ、調査員が協議会の教科書採択に直接影響を与える存在ではないと話し、「会社の報告書があったとしても、協議会には1位しか報告されていない」と述べている。市民も記者も会社全部の順位付けがあれば、順位付けに従って教科書を採択しなければならないと玉津石垣教育委員長が言ったと考えているようだが、それは誤解である。玉津教育委員長は調査員の順位付けを廃止して、協議会委員の独自の判断で教科書を選定すると主張しているのだ。

順位付けをしないように文科省はずっと前に通知している。国も調査員の順位付けを否定している。
順位付けは民主主義の理念に添わない。民主主義はすべて過半数で決めればいいという思想ではない。立法、行政、司法の三権分立のように権力が集中しないようにするのも民主主義の理念である。
自衛隊のトップは自衛隊のえりぬきではない。戦闘に素人である民間人がトップである。いわゆる防衛大臣である。自衛隊の幹部が自衛隊のトップになることはない。自衛隊の幹部が自衛隊のトップになれば軍国主義国家になる恐れがあるからである。自衛隊の行動を決定するのは防衛大臣であり、総理である。シビリアンコントロールが民主主義の理念である。

自衛隊員が戦闘の専門家であるように教師は教育の専門家である。市民に選ばれた人間ではない。教師に「民意」はない。順位付けは教員が教科書に自分の主張を反映させることである。教師が教科書を決めるということは学校教育の方向を教師が決めることである。自衛隊員が自分たちで軍事戦略を決めるようなものだ。自衛隊員が自分たちで軍事戦略を決めることを国民は絶対に許さない。国民は軍国主義国家のひどさを知っているからだ。自衛隊はシビリアンコントロールでなければならないと国民の誰もが思う。

教育は戦争の危機には関係ないからシビリアンコントロールであるかどうかに国民は関心を持たない。しかし、民主主義の理念は教育もシビリアンコントロールでなければならい。権力の集中を避けるのが民主主義の理念だ。

調査員である教師員が順位付けをして、それに従って教科書を採択するということは、教師が教科書の選択の主導権を握ることになる。教科書会社はとうぜん教員の思想に合わせて教科書をつくるようになる。教科書採択の実権を教員が握ているのだからそれは当然である。

教員は沖教祖に属している。沖教祖は政治思想に公平ではない。教師が教科書の採択の実権を握っている限り沖教祖の政治思想と対立する育鵬社の教科書が採択されることはない。文科省の検定で合格しても沖教祖の教師が順位付けをすれば、沖教祖の政治思想に合わない教科書が採択されることはない。
調査員の順位付けは市民に選ばれていない教師が教科書を採択する。市民の望みとはずれた沖教祖の政治思想に沿った教育をする可能性が高くなる。

教科書の調査結果を順位付けをしないで八重山採択地区協議会に報告する。そして、協議会委員は調査結果を参考にしながら自分の判断で教科書を採択する。それがシビリアンコントロールであり、民主主義の理念である。

石垣市長が保守派になったから、育鵬社の教科書が採択されたのは事実だ。次の選挙で革新系の候補者が市長になったら育鵬社以外の教科書が採択されるだろう。でも、文科省の検定に合格した教科書に大差はない。教育の影響は全然ない。

橋下市長は教育の目標を学力の向上においている。保護者も子どもの学力向上を一番願っている。しかし、教師は学力の向上を目標にはしたがらない。負担が重くなるし、自分の教育の指導が露骨に評価されるからだ。

学力向上教育の視点からみれば育鵬社の教科書も東京書籍の教科書もなんの問題もない。どっちでもいい。
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