日米政府の真意を見抜けない米軍批判



島洋子氏は、「農地も宅地も基地に奪われた人々にとって軍作業しかなかった」とあたかも農地があれば軍作業をしなかったように述べている。島洋子氏は軍作業と農業の収入の差を調べただろうか。沖縄だけでなく、アメリカ軍事基地のない本土さえ、兼業農家が多い。土地は狭く養分のない赤土でしかも灌漑設備もない沖縄で、農業だけで生活するのは厳しい。島洋子氏は沖縄の農業の現実を知らない。例え畑があっても軍作業を優先したのが沖縄の現実だった。
私は南部のあるところで学習塾をした経験がある。A字には軍雇用員が多く、生活も豊かだった。教育熱心であり子供が学習塾に通っている家庭が多かった。一方農業中心に生活をしているB字は生活は豊かでなく学習塾に通う子供は少なかった。高校進学率もA字の子供が多かった。
さとうきび栽培では生活はきびしい。1980年代に菊栽培が行われるようになり収入の増えた農家も出てきたが微々たるものであった。
那覇市に隣接する豊見城で野菜を作って那覇の農連で売る農家の中には専業農家もいたが、土地の狭い沖縄では専業農家は少なかった。沖縄の南部は米軍基地がほとんどない。農業調査を南部でやればアメリカ軍がいないのと同じ農家の経済状況がわかるだろう。

沖縄ではさとうきびとパインだけが換金作物であった。しかし、さとうきびもパインも年々下降線をたどっている。それはパインやさとうきび栽培では生活が苦しいからだ。もし、アメリカ軍が沖縄に駐留しなかったら、沖縄はパインとさとうきびの生産で暮らしていかざるをえなかった。沖縄は確実に貧困生活を送っていただろう。人口も現在の半分くらいだっただろう。

69年までの沖縄の失業率はなんと平均0・6%だったという。この脅威的な失業率の低さは米軍のお陰である。それは素直に感謝すべきではないのか。必要だったから雇用したのだという意見もあると思うが、どうしても必要なら急な大量解雇をしなかったはずだ。米軍は必要以上に沖縄の人を雇用していたと予想できる。軍事基地を置いているアメリカにとって一番恐れたのは沖縄の基地撤去運動の拡大であった。体制への反対運動が高まる原因は貧困にある。だから、アメリカにとって沖縄の貧困は避けるべきものであり、そのためにアメリカ軍は必要以上に沖縄の人を雇用し、大学、銀行、商工会の建設・運営を沖縄の経営者に指導し、自由貿易、外国の自由投資など、アメリカで培った方法を駆使して沖縄の経済発展に尽力した。

よく、沖縄はアメリカの軍事植民地という。アメリカが沖縄を植民地にするために軍事力で沖縄を支配するのは赤子の手をひねるより簡単だ。しかし、アメリカが軍事力を駆使して沖縄を支配しようとしたことは戦後65年間一度もない。それはアメリカが民主主義国家だからだ。アメリカ軍が駐留しているがゆえに起こる事件・事故を理由に沖縄をアメリカの軍事植民地呼ばわりするのは間違いである。

事件・事故を無くす努力は大事である。アメリカ軍基地の縮小も重要だ。しかし、「悪いのは全部アメリカの性」だという考えでは解決できるものも解決できない。

島洋子氏は沖縄返還以後の大量解雇を非難している。しかし、新聞社は「復帰すれば核も基地もない平和で豊かな沖縄になる」と宣伝して祖国復帰運動を推進した側だ。ずはり言えば「復帰すれば核も基地もない平和で豊かな沖縄になる」と実現不可能なことを吹聴した重大責任が新聞社にもある。自分たちの読みが大きく間違っていたことを県民に誤るべきだ。

施政権が日本に戻れば沖縄の経済の責任はアメリカ政府から日本政府に移る。アメリカ政府は沖縄の経済の面倒を見る必要がなくなる。沖縄の経済の責任を負わなくなったアメリカが雇う必要のない無駄な軍雇用員を大量解雇するのは必然となる。このことを見抜けなかったから島洋子氏は沖縄返還以後の大量解雇を非難しているのである。

軍雇用員の大量解雇には日本政府の思惑があった。日本政府は沖縄で大規模な公共工事をする予定であり、そのためには大量の労働者が必要であった。もし、失業率が1%未満であったら労働者不足で公共工事がはかどらなくなる。大量解雇は沖縄への経済援助をアメリカ政府から日本政府へ移項する過程に起こった日米両政府による計画的なものであったのだ。

復帰の結果生じたことで「ひずみの構造」では決して書かないだろうということが一つある。
それは、祖国復帰運動の中心的存在であった教員と公務員の給料が本土並みに大幅に上がったことだ。祖国復帰すれば確実に実現するのが学校設備の充実、教員と公務員の給料の本土並みだったのだ。そのことについてはアメリカ軍や日本政府を批判する目的で連載している「ひずみの構造」では書かないだろう。


アメリカ軍が多く雇用しているお陰で1%未満失業率にありながら、アメリカ軍への感謝の気持ちは全然なく、徹底して祖国復帰、軍事基地撤去を主張していたにも拘わらず、祖国復帰して軍雇用員が大量解雇されたらアメリカ軍を非難する。つじつまの合わない理屈だ。

全軍労が祖国復帰運動に参加したとき、とても感動的であった。しかし、基地撤去を主張するということは自分の職場を無くすのを主張することでもあり、自己矛盾を抱えた参加であった。復帰運動の主流である教員や公務員は復帰すれば生活が豊かになる保証があったが、全軍労はその逆だった。それでも祖国復帰運動に参加したのは、「軍雇用員はベトナムでの人殺しの手伝いをしている」という誹謗中傷に絶えられなかったことや、復帰運動に参加しても大量に解雇されるということはあり得ない、復帰をすれば別の仕事がどんどん増えると予想していたからだと思う。
教員・公務員と軍雇用員の復帰後の運命は天国と地獄であった。

全軍労が復帰運動に参加してもしなくても、復帰後の大量解雇は避けることはできなかっただろう。前述した通り、沖縄復興を名目にした、日本政府による大量の公共工事を促進するためには多くの労働者が必要だったからだ。

復帰後の基地従業員の問題は公共工事と関連させて問題にしなければならない。
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