人権を無視したのは宜野湾市だ





1972年、沖国大が開学当初の写真である。黙認耕作地が返還された普天間飛行場周辺は畑と原野だけであった。沖国大をつくった理由は返還されたばかりの普天間飛行場の周辺には住宅はなく、広い大学をつくるのに適していた。
 普天間飛行場のそばに国際大学をつくったのであり、沖縄国際大学のそばに普天間飛行場をつくったのではない。沖縄国際大学の建設を許可したのは米軍ではなく宜野湾市である。

世界一危険な飛行場になった普天間飛行場は一日も早く移設するべきである。しかし、普天間飛行場の周囲に大学や小学校の公共施設や、スーパーや病院など商業施設や住宅をつくらせたのは宜野湾市であって米軍ではない。普天間飛行場を危険な飛行場にした責任は宜野湾市にあるのだ。

 宜野湾市の責任を米軍に転嫁するのは厚顔無恥である。人権を無視したのは米軍ではなく宜野湾市である。
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