国家の第一は民主主義である。美しさとか品格はまやかしの国家論である。新聞に掲載されている論文を中心に批判する。
品格より民主そして自由
デニー知事は宜野湾市民は騒音で苦しめ、軍用機事故で死んでもかまわないと宣言している
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デニー知事は宜野湾市民は騒音で苦しめ、軍用機事故で死んでもかまわないと宣言している
デニー知事は知事就任後初めての記者会見で、辺野古飛行場基地建設問題で、翁長雄志前知事の遺志を引き継ぎ、「阻止に向け、全身全霊で取り組みたい」と決意を示した。
普天間飛行場の最初の移設計画は辺野古沖移設だった。2004年のことである。その年に沖縄国際大学に米軍ヘリが不時着大炎上した。死者か出てもおかしくないくらいの事故であった。夏休みだったので学生が少なく、幸いに人身事故で重傷者、死者は出なかった。不幸中の幸いであった。
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国際大学に不時着大炎上してから数か月後に辺野古沖のボーリング調査が始まったが、辺野古移設反対派がボーリング調査を阻止しようとやぐらを占拠したために政府は辺野古沖移設を断念した。
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沖国大で死人が出てもおかしくない大事故が起こったのである。一度起こった事故は再び起きる恐れがある。宜野湾市民の安全を第一に考えれば辺野古沖への移設は容認するべきであったのに移設反対派はやぐら占領して、ボーリング調査を阻止したのである。
ボーリング調査が始まったのは2004年であるから遅くても2014年には完成していたはずである、反対派の阻止運動がなかったなら辺野古沖に普天間飛行場はすでに移設していた。辺野古沖に移設していたら、宜野湾市民の騒音被害はなくなっているし、普天間第二小へのヘリコプター窓枠落下もなかった。安部区の海岸にオスプレイが不時着して大破したが辺野古沖に飛行場があったら飛行場に着陸していただろう。
2004年で明らかになったのは辺野古移設反対派は宜野湾市民の被害はどうでもよくて、沖縄内に普天間飛行場を移設するのを阻止するのが目的であったことだ。
辺野古沖に移設できなかったから現在も宜野湾市に普天間飛行場があるのである。もし辺野古沿岸に移設できなかったら普天間飛行場は移設場所を失って宜野湾市に固定化するだろう。
翁長前知事は「あらゆる方法を使って辺野古移設を阻止する」と言っていた。辺野古移設には一生懸命であったが普天間飛行場の県外移設にはなにもしなかった。デニー知事は翁長前知事の遺志を引き継いで辺野古移設阻止に全力を向けると述べている。しかし、普天間飛行場の閉鎖返還には熱心ではない。
辺野古移設を阻止したら普天間飛行場は固定化する。デニー知事は「普天間飛行場の一日も早い閉鎖・返還を政府に強く求める」と宣言しているが、辺野古移設が唯一であるという政府に対して、辺野古移設を阻止した上に閉鎖を実現させることができるのか。政府は閉鎖できないと言うはずである。閉鎖は日米政府が決めることでありデニー知事はなんの権利もないから手が打てない。
現実を考えるとデニー知事は普天間飛行場の固定化を目指していることになる。閉鎖返還のめどがあれば辺野古移設阻止は納得できるが、閉鎖返還のめどが全然ないのなら納得できない。私たちが冷静に考えないといけないのは辺野古飛行場建設は新基地建設でもなければ米軍基地の強化でもないことである。危険な普天間飛行場をより安全な辺野古に移設することである。そして、辺野古に移設すれば普天間非行場は閉鎖・撤去できる。普天間飛行場の閉鎖・撤去を実現できるのが辺野古移設である。
デニー知事の選挙公約は「辺野古移設阻止」「普天間飛行場の閉鎖返還」である。デニー知事は選挙公約実現に向け、「全身全霊で取り組みたい」と言ったが、やろうとしているのは「政府に強く求める」ことである。「求める」くらいで実現できるものではない。デニー知事は確実に普天間飛行場閉鎖返還の実現はできない。
デニー知事は普天間飛行場の閉鎖返還をできない。実現できないということは宜野湾市民に騒音被害に苦しめ、軍用機墜落で死んでもかまわないと宣言しているのに等しい。
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