琉球新報「ひずみの構造」批判 3




戦前の沖縄経済の中心は農業だったことは沖縄は第一次産業の時代であり産業が発達していなかったことを示している。沖縄では軽工業さえなく、着物は各家庭で機織りを使って芭蕉布をつくっていた。
農業人口が73%であることは農業が栄えていたということではない。第二次産業が発達していないということだ。産業が発達していな沖縄の人々は農業をするしかなかったし、貧しい生活を送っていたのだ。
農業で生活するには広い土地が必要である。しかし、沖縄の土地は狭い。だから親の土地を引き継ぐのは長男に限られ、次男、三男は農業を引き継ぐことができなかった。だから、農業をやりたい次男、三男を中心に沖縄の人々はブラジルや南方に移民した。
戦前は農業人口が73%であったことは沖縄の貧しさを現しているのであり、戦前の農業中心の沖縄経済では沖縄の人口の限界は50~60万人という統計もある。
島洋子さんは戦前の農業人口が73%であり、小規模農業であったことを述べているが、このような農業が沖縄の人々の貧困の原因であることは無視している。

それに、なぜアメリカ軍が「銃剣とブルドーザー」で強引に基地を建設したか、その理由を追及していない。
朝鮮戦争・ウィキペディア
犠牲 [編集]
板門店ソウルの支配者が二転三転する激しい戦闘の結果、韓国軍は約20万人、アメリカ軍は約14万人、国連軍全体では36万人が死傷した。毛沢東の息子の一人毛岸英も戦死した[29]。

アメリカ国防総省によれば、アメリカ軍は戦死者3万3686人、戦闘以外での死者は2830人、戦闘中行方不明は8176人にのぼる。西側の推定によれば中国人民志願軍は10万から150万人(多くの推計では約40万人)、人民解放軍は21万4000から52万人(多くの推計では50万人の死者)をそれぞれ出している。また約24万5000から41万5000人にのぼる韓国側一般市民の犠牲が明らかにされ、戦争中の市民の犠牲は150万から300万(多くの推計では約200万)と見積もられている。

朝鮮戦争では市民の犠牲者が150万人から300万人も出たのだ。沖縄戦で県民が10万人も犠牲を出した悲劇を体験したのなら朝鮮戦争がこんなに多くの犠牲者を出していることに目を背けることはできない。
朝鮮戦争は社会主義と資本主義の対立から起こった戦争である。
アメリカが社会主義の拡大を防ぐために日本、沖縄の軍事基地を強化したのは当然の流れである。

「米軍政下にあった沖縄では海外移民続いた」というのはおかしい。ブラジル移民は戦前に盛んに行われたことである。ブラジル移民が盛んに行われた原因は沖縄の土地は狭くて農家が貧困だったからであり、米軍政下でなくてもブラジル移民は行われていただろう。
「沖縄本島中南部の多くの優良農地が米軍に基地として強制接収され」たとする島洋子さんの見解には疑問だ。私は1970年代半ば頃から南部のほうに住んでいたが、島洋子さんのいうような風景は見受けられなかった。南部は広大な土地にさとうきび畑が広がり、米軍基地は見当たらなかった。南部の米軍基地のほとんどは自衛隊基地になっているが、自衛隊機地を見つけるのが難しいくらい基地の敷地は小さい。そのことから推理すると、南部の優良農地のほとんどは強制接収はされていないはずだ。

この土地の強制接収の問題を扱うとき、必ずといっていいほど伊佐浜の強制接収のことが扱われるが、むしろ伊佐浜の強制接収は特殊なほうではなかっただろうか。読谷では、渡久地と楚辺はアジア最大の通信基地を建設するためにごと強制的に移された。移す場所は米軍が荒地をブルドーザーで整地した。
社会主義圏と資本主義圏の対立によって朝鮮戦争が起こり数百万人の犠牲者が出たのだから、私は社会主義圏の拡大を防ぐために、渡久地と楚辺を移動させて通信基地を建設したことに反対はしない。
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