弟が27日に天に還って行って、家族だけの家族葬を行うと決めたけれど、どうしても明石の従兄弟の博文には連絡だけはしなくてはと思い、息苦しく呼吸を行なっている弟を見て、電話で病状を話しました。
明石は毎年夏が来ると、7月21日に東海道線で大阪経由で行き、8月31日まで過ごしたほど愛着を持って、接してきた従兄弟たちがおります。 従兄弟以上、限りなく兄弟に近い関係ではなかったかと思い起こさせる関係です。
30日の午前中に家族葬を行うと言う事を聞いて、50年近く会ってはいない弟に一目会いたいと、明石から来てくれました。 出来れば生前に会って話をしたかったと云うのですが。
午後3時ごろには多摩センターに着いて、駅前の京王プラザホテルにチェックインして、2階のデユエットでコーヒーを飲みながら、弟を中心話題にしながら近況や思い出について話をしました。
席を変えてアルコールを交えながら、三日月庵でツマミを摂って、従兄弟の故 義郎ちゃんや敏江ちゃんのことを話題にして、楽しく過ごしました。
明石の海岸で泳いで遊んだこと、野球や石蹴りをしたこと、地蔵盆でお米を持ってお菓子をもらい受けたこと、盆踊りをしたこと、従兄弟が集まって従姉妹の住まう呂屋で遊んだことなど。 益ちゃん、逸っちゃん、理美ちゃん、ひろみちゃん、シゲ子ちゃん、一美ちゃん、たかよちゃん。
母の兄弟の従兄弟たちとは、何とも云えぬ関係があります。 改めて弟のことを通じて、様々なことを思い出すのです。