glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

田舎へ:昔は渓谷だった!

2013-04-30 10:49:11 | ラオス人を家族に持つと
 子どもの頃近くに発電所があり、その上流は渓谷でした。抱き返りという名前でしたが昔交通手段のなかった頃、山伏となどが岩手県に抜けるためにこの渓谷を利用したと言う事です。上流に田沢湖がありますが、今そこまでたどり着けるかは知りません。急流で紅葉の名所でもあります。

 息子が子ども頃夏休みで長兄のところに滞在していると、他の市に住んでいる兄がやって来て発電所の近くに魚釣りに連れて来てくれました。兄の息子はもう高校生だったでしょう。父親と遊んでくれないので寂しいのだと言う事でした。

 帰り際に息子が抱き返りに行きたいと言うので私も同行しました。昔空襲を避けるために発電所は蔦で覆われた素晴らしい西洋的な建物でした。建て替えられた建物は近代的というよりなんともそっけない建物でした。発電所の社宅も2階に突き出たような窓のあるハイカラな建物でしたが、もうありません。それ以上に驚いたのは素晴らしい景観であった急流がすっかり姿を変えていたことです。マスの養殖場を建築すると書かれたありました。
 
若くして逝った叔父が療養をかけてやって来て釣りをしていた急流の岩はすっかり無くなり、写真のようなつまらない風景に変わっていました。
 私たちも下まで下りてみました。この下流で私は水泳をしました。水温は真夏でも18度を超えることは無く、10分ほど泳ぐと唇は紫色になります。大きな石を探して腹ばいになり体を温めたものでした。
 この写真の日の温度は10度ほどあったでしょうか。孫が水に入ろうとすると、驚いた事にNは子どもの靴と靴下を脱がせて水に入らせました。足は瞬く間に冷えて真っ赤になりました。

 ちょっとだけ伝説に触れておきましょう。子どもの頃川の中に二つの大きな岩がありました。松が生え小さな祠がある岩は巫女岩、石だけの岩を山伏岩と呼んでいました。
 昔この川は歩いて渡れるほどの川だったそうです。ある時岩手に向かう山伏と巫女の夫婦が川の途中まで来た時水かさが増し、川幅も広がり、流れも速くなりました。二人とも流されそうになりした。山伏は助けを求める巫女を振り切り一人対岸に向かいました。巫女は流されながら助けてくださいと神に祈りました。夫に見捨てられた巫女を憐れみ神は岸にたどり着く寸前の山伏ともども二人を岩に変ええました。村人は岩になった二人を憐れんでてっぺんに祠を立て、松の木を植えて弔いました。ところが山伏岩の祠はすぐに壊れ、松の木も根付きませんてした。人々は妻を見捨てた山伏に神が怒っているのだと考え、以来山伏岩には近づかなかったという事です。その時から二人は川の中ににたち続けているです。
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連休の仕事

2013-04-29 03:53:58 | 衣・食・住
 連休です。みなさんはどう過ごされているのでしょうか。私は家族が出かけると言うのでウッドデッキのペンキ塗りをすることにしました。12月、中腰でブラシを動かしていたら腰痛になり途中放棄した仕事です。

 私の仕事は全く雑です。ウッドデッキを作った時業者に耐久年数を尋ねたら、毎年塗って10年、塗らなかった2~3年という答えが返ってきました。塗装を業者に頼んだら費用はどのくらいかかるのでしょう!10年でダメになるのなら業者に頼んだつもりで自分が塗り、ダメになったら作りなおそうと考えました。そんなわけで作り返すなら下手な塗り方でもかまわないと変な結論に達して人目も顧みず下手なペンキ塗りをしています。

 もう8年経過しました。確かに囲いの枠が落ちてきました。待てよ、この枠と床の空間に支える板を挟んだらどうなるでしょう!?正月に使ったかまぼこの板を削いで入れてみたら上に保つことができました。今、車が無いので細い板を買いに行けませんが、次の仕事は全ての枠のに下に細い板を入れ支えようと思っています。こんな考えが浮かぶのは自分でペンキを塗りながら観察する結果だと思います。業者だったら痛んできましたね、そろそろ新調した方がいいでしょうと言う事になるでしょう!

 やすりかけは南側の痛んだ支柱だけかけることにしました。金曜の午後から作業開始です。新調した脚立も初めて使いました。買うとき販売員のおじさんに使用目的を聞かれました。私は一番大きいのを買う気はなかったのですが、そのおじさん『それなら大きいのが良いに決まっている!』と有無も言わせず一番長い脚立をレジに運んで行きました。その上私が買おうとしているのより3000円も高かったのです。その脚立の重いこと。運ぶのが大変でした。そのおじさんを恨めしく思いながら脚立に上り、柱にサンドペーパーをかけました。それから塗装にかかりました。

 さて、外側にペンキに塗るので脚立に上がって気が付いたこと。以前のはこの脚立より30センチほど短かったのです。それと比べると長い分だけ梯子が身体を支えてくれました。ですから不安なくペンキを塗ることがでたのです。さすが餅は餅屋です!
 それでももしも転んだり落ちたりしたら、あの人あの年で脚立に乗ってペンキ塗りして怪我したんですってと世間に言われかねません。上がり下がりは慎重に柱にもつかまって行いました。

 この仕事今日までの予定でしたがもう終わりました。今回の塗料代、10%引きの時買ったものですが12,000円ほどでした。

 さて、今日は何をしましょうか。まだ5時前です。ゴミを出して一休みすることにします。
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行ってみたい場所: Bona Espero

2013-04-27 09:51:11 | エスペラント
ポーランドではクリスマスから新年にかけての2週間ブラジルの『Bona Espero』で過ごす企画がある事を知りました。この施設は貧しさから犯罪に走る子どもを減らそうと50年以上前にヨーロッパのエスぺランティストの援助で作られた児童教育施設です。国立公園内にあると言う事でした。以前は援助に頼っていたようですが最近は農業も営み自立しつつあると数年前に聞きました。私も若い頃児童養護施設内で数年暮らしました。日本の施設では当時は高校へ進学させるのも難しく中学卒業後の子どもたちの生活は大変でした。今は多くは高校へ進学することができるようにはなりましたが、その後の子ども生活は大変です。ブラジルではどんな教育がなされ、成人後にどんな生活をしているのか興味がありました。が、ブラジルは遠いですね。

 時間と少しばかりのお金が今は自由に使えるようになりました。しかし、体力と遠出する勇気が減っています。誰かが一緒に行こうと誘ってくれたら一緒に行く元気はまだあります。どなたか誘ってくれないでしょうか!

 この企画の世話役は日本でも名の知られているローマン・ドブジェンスキ―です。 彼と1週間旅行を共にしたことがあります。エスペラントが堪能で、知名人であるにもかかわらず、平等で優しく、全ての人に心配りをする素晴らしい人でした。そんな楽しい旅行がまたできたら嬉しいですが・・・。

 日本からブラジルに行くにはドバイ経由とアメリカ経由があるようです。

   

DECEMBRO EN BONA ESPERO

Ludoviko Zamenhof, kiu multan tempon de sia vivo pasigis ĉe la lumo de kandeloj, vekiĝas sub la ruĝa ĉielo de matena krepusko. La suno, rapide leviĝanta, malfermas antaŭ liaj okuloj mirindan pejzaĝon de la brazila savano; la virga naturo en 360 gradoj da horizonto. La kreinto-Zamenhof rigardas, el sia unika en la mondo monumento, direkte al la majesta Monto Baleno, videbla detale en la kristale pura aero. Ĝi ne ŝajnas altega, malgraŭ sia alteco de preskaŭ 1600 m., ĉar Bona Espero situas je 1300 m. super la marnivelo. Sed sur la 14-a paralelo de la suda hemisfero. Jen la sekreto de ĝia milda klimato, pro kiu la tuta regiono ŝuldas sian nomon Alta Paradizo.

Ĉiumatene mi kutimas saluti la Majstron kaj tuj kuras al la lago, por gimnastiki kaj naĝi. La lago ricevas sian akvon el la abunda fonto. Ĝi estas pumpata supren al la sidejo do Bona Espero per la antikva metodo sen uzo de energio. Tiu kurioza vidindaĵo estas nomata „ŝafofrapo”. De la lago mi rekuras al la manĝejo, alarmita de sonorilo. Ĝi sonas kvarfoje tage: je la 8-a, 12-a, 15-a kaj 19-a horoj. La menuo estas kutime vegetarana kaj sin bazas sur la propra, centprocente ekologia legomejo, kiu funkcias la tutan jaron. Sed ne ekzistas malpermeso pri viando. Oni povas bonguste viandumi en restoracioj de la proksima urbeto Alto Paraiso.

Laŭvole kaj daŭre ĉiu rajtas kompletigi sian menuon per fruktoj, plukeblaj rekte de arboj. Oranĝoj, citronoj, bananoj estas fruktoj konstantaj, aliaj aperas laŭ siaj natursezonoj: ĵabutikaboj, pitangoj, moruoj, guaranoj, avokadoj, gujavoj, gravioloj ktp. Gigantaj jakvoj kaj bongustegaj mangoj komenciĝas maturiĝi en decembro. Tiu monato estas aparte interesa. Tiam la savano transiras decidite de la seka sezono al la pluva. Interesa observokampo por naturamantoj. Renaskiĝas la indiĝena flaŭro, kiu dum la tuta jarduono transvivis sen eĉ guto da pluvo.

Vekas min bruego de... Ne tiu de aŭtomobiloj, sed de birdoj, vekiĝintaj pli frue. Amaso de etaj kolibroj, kriemaj papagoj, grandbekaj tukanoj kaj aliaj birdoj, sennomaj por mi, ignoranto pri ornitologio. Rapide subiranta suno, bildigas la tutan ĉielon per fascina spektaklo de multkolora abstrakta pentroarto. Tiam mi pensas: La belo estas vere sentebla, kiam oni povas ĝin dividi kun aliaj homoj. Kaj mi aŭdas: Do dividu ĝin. Venigu esperantistojn ne plu por volontule labori, sed por ripozi en mirinda naturo. Tiel diras Ursula kaj Giuseppe Grattapaglia, kiuj jam preskaŭ 40 jarojn volontulas en Bona Espero, senlace kaj senenue.

Bona Espero eniras la fazon de restrukturiĝo. Dum la pasintaj 55 jaroj ĝia ĉefa celo estis edukado de infanoj kondamnitaj je analfabeteco. Dume okazis en Brazilo granda progreso sur la kampo de edukado. Tio ebligas al Bona Espero turni sian atenton al aliaj statutaj celoj. Venis la tempo transformi ĝin en internacian Esperantan Kulturcentron. Bona Espero ne intencas rezigni pri infanoj, ĉar sen ili ĝi ne estas imagebla. Sed oni prenas malgrandulojn de 5 ĝis 8 jaroj, kiuj estas pli efike edukeblaj. Same neimagebla estas Bona Espero sen esperantistoj, sed nun oni ne devas varbi volontulojn por longa estado, sed ĉiujn aliajn, kiuj volas fari mallongan viziton.

La nova celo estas, ke Bona Espero fariĝu vivanta peco de Esperantujo. En la tuta mondo ne ekzistas simila fenomeno. Jen la proprietaĵo de la Esperanto-movado leĝe konfirmita, je surfaco de 10 kvadrataj kilometroj, kun kompleta infrastrukturo kaj moderne ekipitaj konstruaĵoj, en la belega naturo. Esperantistoj, venu decembre por ripozi en tiu mistera mondangulo. Kaj festi Kristnaskon kune kun Ursula kaj Giuseppe Grattapaglia, kiuj en 1973, do ekzakte antaŭ 40 jaroj unuafoje metis siajn piedon sur la promesitan teron... La festego estos ne-imagebla!

Estas du vojaĝvariantoj de la 6.12.2013 – 5.01.2014 kvarsemajna aŭ dum 20.12.2013 – 5.01.2014 – dusemajna. Krom Bona ESPERO eblas viziti Sao Paulo, la ĉefurbon Brasilia kaj Rio de Janeiro. En Bona ESPERO dum la tuta tempo mi gvidos Festivalon de miaj Esperanto – filmoj pri kiuj ni diskutos. Vojaĝu kun ni – aliĝu ĉe Esperantotur en Bydgoszcz, Pollando.

Roman Dobrzyński



SUDA AMERIKO

BRAZILIO

Bona Espero !
06.12.2013

-05.01.2014




Varsovio -Sao Paulo-Brasilia-BONA ESPERO kun Filma Festivalo de

red. Roman Dobrzyński - Rio de Janeiro- Varsovio

Prezo: ñä 300 EUR + monata restado de 500 USD +Qde 1600 USD

SUDA AMERIKO

BRAZILIO

Bona Espero !


20.12.2013

-05.01.2014
Varsovio -Sao Paulo-Brasilia-BONA ESPERO kun Filma Festivalo de

red. Roman Dobrzyński - Rio de Janeiro- Varsovio

Prezo: ñä 300 EUR +dusemajna restado de 300 USD+Qde 1600 USD


EN LA ARANĜOJ POVAS PARTOPRENI ĈIU, KIU ESTAS INTERESITA.

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日本語学びたい!

2013-04-26 03:15:23 | ラオス人を家族に持つと
 Nが日本語を学びたいと言いだした、誰か教えてくれる人はいないだろうかと息子。近くにある外国人を援助している団体に尋ねたらと私。土曜日一家で出かけてゆきいくつかの団体を教えてもらったと言う事でした。

 水曜日にメールが入り、木曜日私の区の日本語の会が学習会を開いているのでみてきてもらえないかとのこと。なんで私が!私は木曜日エスペラント。場所は同じですが時間も同じです。私が見学するよりも本人たちが見学して決めた方が手っ取り早いと思うのですが・・・。

 まあ、しょうが無い!勉強したい時にそして機会がある時にさせてあげなさいと私も強く勧めた手前、短期滞在者でも受け入れてもらえるか私が聞いて見る事にしました。

 ネットで会のホームページを開き、そこに載っている連絡先に電話し、ビザは6月半ばまでしかないこと、本人は日本語を覚えたいと言っているが、私は日本語の上達よりも親族以外の日本人との接点を持たしてやりたいと思っていることなどを話しました。短期でも引き受けてくれると言う事でした。

 息子たちも忙しかったようです。何しろ水曜日に私に見学を頼んだのに、翌日朝自分たちで行けと言われたのですから・・・。

 同じ建物ですから偶然学習後に彼らと出会ったのですが、Nは嬉しそうに顔を紅潮させていました。あるNPOが経営している食堂で一緒にワンコインで食事をし、私は買い物があるので分かれて帰りましたが、食事後もコーヒーを飲みながら学んだことを復習していました。

 息子は子守と付き添いで疲れた疲れたと言っていましたが、私だって疲れました。水曜日だってほとんどそのことに関するやり取りで潰したのですから。そんなわけで早寝し、真夜中に起きてブログを書いています。でももう朝ですね。新聞配達のバイクの音が聞こえます。
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国会議員の靖国神社参拝

2013-04-24 08:25:41 | Weblog
 昨日、国会議員団の靖国神社参拝のニュースを見ました。修学旅行生の様に嬉しそうに隊を組んで歩いていました。
 なんて情けない。この議員たち、きっと一人で参拝する勇気が無いのでしょうね。『赤信号みんなで渡れば怖くない!』ということわざ(?!)を思い出しました。

 議会で議決権を行使する時も自分の意思、自分を選出した有権者の意志など考えず付和雷同的に国の問題を決めてしまうのかなと感じました。

 個人で行動できない議員に魅力は感じません!
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緑のカーテン

2013-04-23 07:14:42 | 衣・食・住
 そろそろ緑のカーテンを考える時期になりました。昨年取った種はあまり色が良くなかったので種を買ってきました。でも蒔く時期が遅かったのでしょうかまだ芽が出てきません。

 友人が緑のカーテンを上手に作る方法が新聞に載っていたときり抜いて持ってきてくれました。種を蒔くより苗を買った方が良いとありました。

 作り方もつるが1メートルぐらいに伸びたら一度切って新しいつるを作るとあります。またネットからはみ出た子づるや孫づるは切り取るとありました。これは私にはなかなかできそうもません。例え植物とはいえせっかく伸びてきたものを切り取る事が出来ず私はネットに絡めてしまいます。するとつるは伸び放題、あるものは2階のベランダの手すりを這いまわり、あるものは敷地の下にある駐車場へと壁にぶら下がり、実をつけます。たしかに見栄えはしないかもしれません。余分なものは切り取った方が大きな実が付くかもしれません。

 さてどうしましょう!種が芽を出す前からきるべきか切らざるべきか悩んでいます。
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タケノコ

2013-04-21 07:28:43 | 衣・食・住
 タケノコの季節は短いです。沢山食べたいと思っても大きなタケノコを目にするとそんなに食べられないとあきらめてしまいます。

 先日はなまるマーケットだったでしょうか、テレビでタケノコ料理を放送していました。根元は薄く切り、それをまた細切りにして繊維を断ち切り、きんぴらにするというものでした。調味料はいたって簡単、みりん1に醤油2の割合でした。それに炒める油とたっぷりの削ったかつお節です。

 自分にできることで経験のないことを聞くと黙ってはいられない私です。早速をタケノコを買い求め試しに作ってみました。大好評でした。料理法も簡単です。炒めて味付けたタケノコに削り節をかけるだけですから・・・。

 このきんぴら1週間は冷蔵庫で保存できるそうです。我が家では美味しいと一回で見事完食しました。

 
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田舎へ(3)

2013-04-19 07:31:56 | ラオス人を家族に持つと
 『今日のニュース』
  ボストンマラソンでの爆弾テロの容疑者がの写真が公表されました。この卑劣な犯人を早く逮捕しておしいと願っています

 
  

 12日夕刻兄の家に到着。息子家族は近くの宿に宿泊。13日は家族で好きなように過ごすようにと言い渡しました。私は翌日早朝に到着した姪と家の片付けに没頭しました。兄は買い物は隣町まで車で行き料理は自分でするのですが、掃除、台所の後片付けまでする体力はないようです。私が休憩しようかなと思うと姪が働いています。姪が休憩しようかと思う時私が働いています。そんなわけで午後遅くまでせっせと働きました。長旅の後私のどこにこんな力が残っていたのかと思うほどでした。

 息子たちは角館の武家屋敷を散歩し、田沢湖に行ったそうですがまだ冬の残る湖に人気も無く、店もしまっていたとかで早めに宿に帰り、まだ残っていた雪で遊んだそうです。Nの嬉しそうな顔が写真に残っていました。
 その日の夕刻私は温泉で一休み、その後で兄・姪・息子家族と一緒に会食しました。兄も良く食べました。桜ビールというビールがあって、燻製でもしたかのように微かに桜の香りが残っているビールを飲みました。

 夜、帰宅してから兄を説得して訪問介護を受けることを承諾させました。姪は特に風呂桶を洗う時水槽に落ちるかもと心配していたので、掃除の他にそのことも付け加えました。彼女は翌日、義姉のケアマネージャーだった人に連絡し相談したと言う事でした。私も旅の目的が果たせました。

 帰りはひたすら西を目指し、蔵王町で一泊して帰宅しました。秋田から山形へ抜ける途中今まで使ったことのない新しい山道を通りました。雑木林が続きほとんど車も通らず山は真っ白に雪に覆われていました。雪に覆われた田んぼも広範囲に残っており、今年の雪の多さを実感しました。
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田舎へ(2)

2013-04-18 07:20:11 | ラオス人を家族に持つと
 4月11日朝6時家を出ました。私は東名高速は恐くて走ったことがありません。いつもC1かC3を使っていました。息子は東名が分かりやすいと言ったのですが彼がバイクで駆けまわっていたのはもう10年以上も前ですから首都高が複雑になっていてうっかり東京で一般道路に出てしまいました。戻るのに一苦労しました。それでも宇都宮に着いたのは10時でした。寄り道して東照宮に行きたいと言います。

 東照宮でNは生まれたなじめて建物の陰にあった雪を見て大はしゃぎしていました。見物にはかなり階段を上らねばなりません。いつでしたか息子はラオス人は歩くのが嫌いと言っていましたが、Nは私以上に疲れたようでした。
 1時過ぎ近くの食堂でそばを食べました。そばも初経験です。2時ごろ霰が落ちてきました。それは大粒の雹になりました。華厳の滝・中禅寺湖を回ろうと言っていたのですが急遽山を避け、目的地にしていただけ温泉へ向かいました。霰混じりの雹は激しく窓をたたきます、私と息子はこの嵐を早く逃れようと必死になっているのにNは嬉しそうに雪だと息子に話しかけていました。

 岳温泉では息子家族が休憩している間に私は一風呂浴びました。戻ってしばらくするとNも入ってみたいが入り方が分からないと言います。日本の温泉はタオルを湯船に入れてはいけないことを説明させてまたNと一緒に私も浴場へ。彼女は初めての温泉です。寝湯の使い方を教えると気持ちよさそうに楽しんでいました。

 ラオスでは孫が生まれた時湯沸かし器を入れ、お湯を使って身体を洗ってやっていましたが、大人は水のシャワーです。それも私がNの家に泊まりらない理由の一つでした。やっぱり水よりお湯の方が気持ち良いらしく彼女は我が家での朝晩1日に2度風呂かシャワーを使っています。息子の排便の後はすぐに風呂場に行きお尻を綺麗にします。やはりお湯が出るのは嬉しいようです。

 夕食を息子がホテルに頼んでいなかったので山の下にある自然レストランという所に行きました。フランス料理でした。雑木林の中にありました。静かに降る雪を眺めながら夕食を取りました。
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田舎へ(1)

2013-04-16 17:21:09 | ラオス人を家族に持つと
 息子が小学生のころ私が働いていたこともあって下の息子は夏と冬の休みには田舎で過ごすことが多かった。義姉は自分の子どもたちは大きくなっているので休みが近づくといつ来るかと電話をよこすほど可愛がってくれました。その義姉は亡くなりましたが86歳になる兄は健在で一人で暮らしています。健在と言っても掃除はしないし、料理はするが後片付けはもう嫌になっているらしい。2ヶ月に一遍訪れる姪は掃除だけでも訪問介護を利用して欲しいと思うが家事を人にゆだねるのが嫌で家は次第にゴミ屋敷と化していると言う事でした。

 息子が私の兄を訪問したいと言うので姪の帰省に合わせて私も行く事にしました。介護の人に入ってもらうと言うのは単に暮らしを楽にすると言う事だけではなく見守ってもらえるという安心も大きいと思います。私には兄を説得しようと云う思惑もありました。

4月11日出発帰宅は15日夕方でした。帰りついてニュースを見ると驚きました。ボストンマラソン会場で爆発があり3人死亡多くのけが人が出たとか。平和を象徴するようなマラソンという行事の最中に起こった悲劇。昨日はブログを書く手も途中で鈍ってしまいました。

 8歳の子どもも犠牲になったとは哀しいです。
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粉ミルク

2013-04-10 08:11:07 | ラオス人を家族に持つと
今日のニュースですが、英国では粉ミルクが店頭で品薄になっていると言う事でした。数年前中国で粉ミルクに有害物質が混入されていて死亡したり後遺症が残ったりした乳児がおり、親たちは国産のミルクを嫌うのだそうです。高くとも外国産を飲ませようとするのす。イギリスの粉ミルクも密輸されていて在庫が不足がちと言う事でした。インタビューに応じた中国人はまた有害物質を混入するとは思わないが高額でも外国の物の方が安心して飲ませることができると話していました。

 我が家の孫は1年4ヶ月になりました。まだ粉ミルクを飲んでいます。私の子育て経験はもう40数年前のことなのでどのくらいでミルクをやめさせたか覚えがありませんが、そろそろ牛乳に替えてもと思うのです。

 ところがラオスで売っている牛乳は輸入品なので品質的に安心できないと息子は言います。孫の飲んでいる粉ミルクは日本製です。

 帰国前、息子が指定してきた粉ミルクは日本では販売されていませんでした。よくよく考えてみるとこの会社はいつであったか古い記憶ですが、消費期限が切れそうになった牛乳を粉ミルクに転用していたとかで問題になった会社でした。例え東南アジアへの輸出品であっても今はそんなことはしないだろうと信じたいところです。

 多分孫はラオスに帰っても栄養補給として粉ミルクを飲み続けるでしょう。安全なミルクを作って欲しいと願っています。
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ところ変われば

2013-04-08 18:08:56 | ラオス人を家族に持つと
 先日息子の妻が家の周りに生えているどくだみとミントを摘んで見せに来ました。ラオスではそれを生で食べると言います。私は日本では乾燥させてお茶にすると説明したつもりですが通じたかどうかは分かりません。

 今朝住処に帰る息子一家。彼女が庭にある野菜が欲しいと言っていると通訳されて怪訝に思った私は彼女についてゆきました。野菜とはどくだみでした。そういえばさっと湯がいた牛肉と一緒にどくだみに良く似た葉がでてきたのを思い出だしました。私は最近牛肉が食べれません。ましてや少し生が残っていると嘔吐するのです。そんなわけでラオスではご飯だけつまみおかずはほとんど口にしませんでした。ですからあの野菜がどくだみであるとは思いもしませんでした。

 彼女は嬉しそうにどくだみの葉を摘み、ミント:これも匂いが強烈で私にはハーブ茶としてすら利用できないのですがそれも摘みました。去年の晩秋に蒔いてネギがワケギほどの大きさになっています。数本間引いてあげました。味噌汁の具くらいにはなるでしょう。それらを持って嬉しそうに帰ってゆきました。

 彼女はホームシックになった様子も無いです。私がラオスのお正月は何時と尋ねるとといつだった忘れたとの事。知人がくれたカレンダーを見てようやく来週であることを思い出していました。
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嵐に備えて

2013-04-07 07:23:41 | ラオス人を家族に持つと
 低気圧が近づき激しい雨と風になるという予報が出ました。先月だったでしょうか同じような予報がありました。晴天でしたので予報は外れたと思っていたら突然屋根をも吹き飛ばさんばかりの嵐が来て驚きました。こんな嵐の日、古家に暮らす息子家族は大変だろうと呼び寄せました。
 でも、昨日の雨は大したことがありませんでした。これから風が強くなるかもしれないと言う予報ですが外れて欲しいです!

 幼児というものは数日で成長するものですね。ボールを蹴るのも投げるのもとても上手になっていました。電話の傍の鉛筆を見つけると広告の紙を探し出し殴り書きして見せました。

 ボールはボー、ジュースはジュ―、バーと言うのは私のことのようです。新しいエスペラントの単語は私の頭の中にいつも頭文字だけが残ります。彼の単語の記憶の仕方は私と同じねと思わず笑ってしまいました。

 我が家では市販の野菜ジュースにリンゴやバナナを混ぜて飲みます。私の顔を見るなりジュ―ジュ―と催促です。この飲み物はとても気に入っているようです。
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不気味な北朝鮮の動き

2013-04-06 10:04:01 | 平和
 最近のニュースの中で北朝鮮の挑発的言動がエスカレートしています。アメリカも朝鮮や日本の近海に軍備を増強しています。ほんの些細なきっかけで衝突が起こるかもと思うと怖いです。もし衝突が起こったら、私たちはそれ行けと闘いを支持してしまうのでしょうか。そんな自分も怖いです。

 昔から泣く子と地頭には勝てぬと言いましたが、北朝鮮は今までその方法で勝利(?)してきました。また、その方法で利益が得られると考えているのでしょうか。

 人と意見が違う時議論していつも自分が勝つかは分かりません。ましてや武器を振りかざしての要求は恐いです。もし、北朝鮮とアメリカが衝突したら中国はどう動くのでしょうね。北朝鮮の挑発に沈黙を続けているようにも見える中国も不気味です!
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カタカナ絵本

2013-04-02 09:48:39 | ラオス人を家族に持つと
 昨日は久しぶりにバスで買い物に行きました。最近日本語の本を探すことが無いので本屋に入ったことがありません。驚いたことに以前あった3軒あったかなり大きな書店が消えていました。そういえば古本屋のあったところに小料理屋もできています。
 今まで知らなかった地下にbook&dvdと書かれた店を見つけて入ったらdvdが並び半裸の女子たちの映像が流れていました。カーテンで仕切られた奥も商品があるらしかったがのですが、とても入る気になれず店を飛び出しました。

 駅ビルに本屋があったはずと駅ビルへ行きました。そこでワークブックを探しました。幼児の知能を延ばすと書かれたカタカナ用ワ-クブックを見つけました。私はもともと宿題が嫌いでした。夏休み帳とか決められたことをするのが苦手でした。ワークブックを見ながらこれで楽しく勉強できるだろうかと悩み、絵本の棚でしっかりしたカタカナ絵本を見つけました。練習ページはないのですがいろんな品物の絵とカタカナ表記があります。

 ふ~ん、値段も立派です。ワークブックを4冊買ってもお釣りが来ます。でも、物は考えようです。息子の妻にあげることは孫の将来の知的土台を作ることになる。思い切って買いました。

 そう言えばラオスの書店にはラオス語の絵本がほとんどありませんでした。もしかしたらこの本は彼女が生まれて初めて持つ自分の絵本になるかもしれません。

 贈り物ですかと店員が聞きました。そうだと答えると綺麗な紙で包み、赤いリボンのシールを貼ってくれました。
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