あまもりのなんやかんや

しがらみから離れてたまには身近な自然と親しみたい

2月ですね

2010-02-01 11:43:28 | 個人

久々にうちのセピア(♀)です。
今年で16歳。少しメタってます。(6kg近くあるのでメタり過ぎ?かも)


河原を歩いているといろんなワンちゃんに出会います。
人懐っこいワンちゃんたちが多いです。
数日前の朝、水鳥を撮っている私の足元にトコトコと近づいてちょこんとお座りしたトイプードル。
このウルウルお目々でじっと見つめられると、もう堪りましぇん。
可愛い!!

2月に入ったのに「明けまして・・・」もないので
急遽我が家のセピアと可愛いワンちゃんに登場してもらいました。
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明けましておめでとうございます

2010-01-01 19:48:16 | 大阪の町
今年もよろしくお願い申しあげます。


↑2010年元旦 初日の出(午前7時15分 淀川右岸より)

朝日が輝きはじめた下の黒い稜線は生駒の山でなく生駒の向こう側に立ちはだかる雨雲です。
生駒の山の稜線はその黒い帯状の雲の下にあるのが見えるでしょうか。
大阪市の元日の日の出は7時5分。淀川から見える日の出は5分後の7時10分ぐらい。
生駒の山をおっちらおっちらと登るのにそのくらいかかるらしい(笑)
今年はその生駒の山の上に太い帯状の雲が立ちはだかっていたために
朝日を認識するのに5分以上かかりました。
完全に雲の上から顔を出したのは7時半を過ぎてからでした。

今朝の寒さといったら・・・道ばたの水たまりが凍っていました。
ほっぺたは冷たくて痛くて、足の指先はもう感覚が無いほどに冷えて凍えました。
北陸方面や東北・北海道の北国はもちろんのこと九州でも雪が降ったらしいですね。
雪国と比べると大阪の寒さはまだまだマシなんでしょうが
それでも日の出を待つまでの堤防の上の冷え込みのきつかったこと。半端じゃなかった〜

淀川からいつものように神崎川の遊歩道を通りお馴染みの水鳥たちにお正月のご挨拶。



↑ホシハジロの雌(神崎川)
このホシハジロの雌は、一昨年の冬(08年11月26日)
ヒドリガモの群れに混じっていた鳥と同じだと思います。
今年も仲間(と思っている?)のヒドリガモと一緒にやってきたんだと、そう思いました。
いつになったら自分はホシハジロなんだと気づくのだろうか。
(と、これは私の勝手な想像ですので読み流してくださいませ)


↑ユリカモメとヒドリガモたち(神崎川)


↑ヒドリガモとアメリカヒドリとのハーフとも思えるカモさん(神崎川)
この鳥も(08年11月26日)に写したのと同じ鳥なのかも。

冬のお客さんがやってくるたびに「お帰り〜」と呼びかけるのもあながち間違いではなさそう。

自宅からのUPなのでブラウザはMacのサファリ。
いつものWinのIEのようにスムーズにいかずあたふた。時間がかかった〜。
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彦根城

2009-11-13 18:15:05 | おでかけ
国宝に指定されているお城は、この滋賀県の彦根城と長野県の松本城、愛知県の犬山城、兵庫県の姫路城の4つですが、築城以来ほとんどそのままの状態で残っているのはこの彦根城だけだということです。(屋形船のガイドさんから教わりました)
また彦根城の築城にあたり、近くにある石田三成の居城だった佐和山城のほとんどを移築したため、佐和山城には石垣ひとつ残っていないということです。またその他にも焼け残った安土城の石垣等も彦根城に移したとか。
ある意味では有効利用のリサイクル城と言えるかもしれませんが、井伊家が徳川譜代筆頭の家臣であることを考えると、石田三成や織田信長の痕跡を消し去り歴史は変わったということを天下に知らしめたのではないかと。(これは私の勝手な解釈です)
【追記】
秀吉が居城として初めて造った長浜城からも移築していたことがわかりました。(11/15現在)


そうそう、彦根城に行ったら内堀遊覧の屋形船に乗船することをお勧めします。玄宮園の前に乗り場があります。一人1200円で決して安くはないですが、物知りでお話上手なガイドさんの案内を聞きながら内堀を50分ほどかけてゆっくり巡るのもなかなか優雅なものですよ。

ちなみに彦根城マップをご覧になりたい方ははここへ。(彦根城公式サイト内)

◆以下の画像は全て3枚組です◆
マウスポインタを画像の上に乗せると2枚目が、そのままワンクリックすると3枚目が現れます


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↑彦根城天守閣
(1)内堀より天主を望む(西方面。屋形船の中から)
(2)外堀の船町辺りより天主を望む(東方面)
(3)玄宮園より天主を望む(北方面)
天守閣まで登らなかったのでその全貌は見ることができませんでした。
彦根城は彦根山に造られた山城で、天守閣は鬱蒼と木々が茂ったその山のてっぺんにあります。彦根駅からも、駅からお城へ向かう道路からも天守閣がはっきり見えず彦根城の中に入ってもあまり見ることができない。平城の大阪城や姫路城は遠くからでも天守閣が見られるのに比べ彦根城は随分シャイな天守閣だなと(笑)。ようやくこの3箇所で何とか天主の一部を見ることができたのでした。

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↑彦根城
(1)お城への入口の一つ「佐和多聞櫓」に続く「いろは松(左側)」の並木道
(2)内堀遊覧の屋形船からの紅葉(場所はちょっとわかりません)
(3)玄宮園(池泉回遊式の大名庭園で天守閣が借景になっていました)
玄宮園ではよく時代劇の撮影が行われるそうです。

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↑城内にある金亀(こんき)公園の二季咲桜(にきざきさくら)
春(4月〜5月〉と冬(11月〜1月)の年2回開花する

まだ2分から3分咲きでしょうか。
屋形船のガイドさんのお話では、今月(11月)の末あたりが満開ではないかとのこと。春と違って咲き始めてから満開まで間があり長く楽しめる晩秋の桜のようです。華やかさは春に負けますが、侘びしげな様子がなんとも愛おしく感じられる桜です。
この桜に出会ったのは今回で2度目。1度目もコートを必要とする晩秋だったと思います。なんだか古い友人に出会ったような懐かしさを覚えました。
この二季咲桜は友好都市の水戸市からの寄贈です。

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コクチョウ↑
(1)かい〜の(痒いの) 曲芸かも(笑)
(2)ふ〜っ、すっとした
(3)コクチョウの湖・・・
彦根城ではコブハクチョウ10数羽とこのコクチョウが3羽飼われています。
コクチョウは3羽とも二季咲桜と同じく友好都市の水戸市から寄贈されたものです。

水戸市と言えば水戸藩のあったところですね。
井伊大老と水戸藩主であった徳川斉昭とは政治的にことごとく対立し、桜田門外でその水戸の脱藩浪士に暗殺された直弼・・・。
彦根市がその因縁深き水戸市と友好都市を結んでいることに歴史の重みと面白さを感じます。

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↑トリはひこにゃんです
(1)ようこそ(後ろに見えるバッグはひこにゃんの七つ道具入れ)
(2)いらっしゃいませ
(3)抱きしめたくなる愛すべきひこにゃんはゆるキャラナンバーワン!
ひこにゃんはほんと可愛かった。
最後にいい大人がふたり、ひこにゃんを挟んで写真を撮ってもらいました。

以上、彦根城便りでした。
湖東焼に引き続きご覧いただいてありがとうございました。
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湖東焼

2009-11-11 15:45:46 | おでかけ
【湖東焼は「ことうやき」と読み、琵琶湖の東に位置する辺りは「湖東」と呼ばれています】

「あきんど 絹屋半兵衛」(幸田 真音〈こうだ まいん〉作)を読んで彦根城に行きたくなりました。
彦根城博物館に保管展示されているという「湖東焼」をこの目で見たいと。
陶磁器に全く興味がないのに、絹屋半兵衛が半生を賭けて作り上げた湖東焼とはどんなものだったのか実物を見たい、そう思わせるものがこの本にはありました。

絹屋半兵衛は江戸時代末期に実在した人物で彦根城下で古着商を営むあきんど。
この極々普通の彦根のあきんどが京で着物の買い付けをするうちに焼き物、特に磁器に惹かれやがて彦根でも磁器が焼けないものかと思うようになる。京で知り合った有田焼の職人を彦根に呼び寄せ窯を作ったものの中々思うような物ができあがらない。窯の場所を替えたり土を替えたりと失敗に失敗を重ねようやく有田焼にひけを取らない磁器ができあがる。さあこれから商売になるという時になって窯は彦根藩に召し上げられる。彦根藩から借りていた借金のカタとして。湖東焼に財産を注ぎ込んだ絹屋には借金を返す余裕などなかった。
湖東焼は14代藩主井伊直亮(なおあき)、15代藩主井伊直弼(なおすけ)にと引き継がれ世に広まりかけたが、直弼が桜田門外の変で殺された後大きな後ろ盾を失なった湖東焼はやがて衰退していった。

以上がざっとした筋書きです。
絹屋半兵衛夫妻が使う柔らかなあきんど言葉と窯焼き職人達との人間模様。
湖東焼に命を賭ける半兵衛とそれを利用しようと欲得に走る藩の役人達。
養子の口もなくさりとて藩主にも付けず悶々と悩み暮らす若き日の直弼と半兵衛の絡みも面白く上・下2巻を一気に読み終えたものでした。


↑湖東焼が展示されている「彦根城博物館」(09-11-06)
1987年(S62)に復元された彦根城の表御殿を博物館としている。
彦根藩主井伊家伝来の道具や書物等が展示されているほか、能舞台や茶室、寝室、庭園等が復元されて見学できるようになっている。

◆以下は彦根城博物館に展示されていた湖東焼4点です◆
画像はそれぞれ3枚組です。
マウスポインタを画像の上に乗せると2枚目が、そのままワンクリックすると3枚目が現れます
1枚目は斜め上から、2枚目は正面、3枚目は説明。

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↑青磁砧形花活(せいじきぬたがたはないけ)

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↑染付花卉図四重箱(そめつけかきずよんじゅうばこ)

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↑赤絵金彩寿字雲龍文鉢(あかえきんさいことぶきじうんりゅうもんはち)

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↑金欄手花卉図鉢(きんらんでかきずはち)

4点ともガラスケース越しで、撮影者(私)のヘタさも加わって余り綺麗に撮れませんでした。
彦根城博物館に展示されている湖東焼は以上の4点です。
たったこれだけ・・・・・・が正直な印象でちょっとがっかりでした。

絹屋窯で最初に成功した磁器は、白地に透き通るような青色模様がひきたつ「染付(そめつけ)」の大皿でした。この印象が強くあるので湖東焼の特徴はこの「染付」の青色絵だと思い込んだのですが、半兵衛はその後瀬戸や美濃の職人を呼び寄せて赤絵も焼いています。藩窯となってからは赤絵金彩・金欄手等が多く焼かれこれが贈答用として他藩に流れ湖東焼の代表作となっていったようです。
【↑絹屋窯〜の文章中一部訂正追加しました(11/13)】

彦根城近くにある和菓子の名門「たねや」(彦根店)の2階に湖東焼を集めて展示している「美濠(みほり)美術館」にも寄りたかったのですが都合で行けませんでした。次回チャンスがあればここに寄ってみたいと思います。半兵衛の熱い息づかいが感じられることを祈って。
HPはここです→美濠美術館

上記で、彦根博物館の湖東焼がたった4点だったのにがっかりしたと書いていますが、このたった4点に湖東焼の代表作が凝縮されていたことを今改めて気づきました。(青色に特徴がある「染付」の四重箱を見ても何も感じなかったところに、陶磁器に(も)疎い私の鈍感さを露呈してますね)【11/13現在追記】

以下は湖東焼の創始者である「絹屋」の屋敷です。
今も残っていることに嬉しい驚きがありました。
絹屋半兵衛のご子孫が住まわれていらっしゃる屋敷なので外から静かに撮りました。
(上記同様マウスオン+ワンクリックの3枚組です)
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↑絹屋
3枚目は、町名が変わったのでわざわざ掲げたものですね。
「彦根史談会」とはまたいいネーミングです。
明治以来途絶えた湖東焼を復活させようというグループもあるようで歴史ある町のエネルギーのようなものを感じました。

次回は彦根城内とゆるキャラで最高に可愛い「ひこにゃん」他、春と晩秋に咲く二期咲桜の紹介ですが、いつになるかはちょっと・・・(ポリポリ)
近々UPしたいと思っています。
あ、余り期待しないでください。たいした写真はありませんので。

相変わらずのまとまりのない長文とヘタな画像をご覧いただいてありがとうございました。
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淀川の朝

2009-09-19 18:25:39 | 身近な自然


↑9月14日の日の出(5:48am)(正面に見える山は生駒連山)
毎年初日の出を撮影している同じ場所です。
初日の出の時期は、正面右よりに見えるツインマンションと生駒山頂(多分)との中間から昇りますが、日の出の位置が冬に比べると随分北よりです。(7月末に見た日の出はこれよりももっと北よりでした)
日の出・日の入りの位置が、夏は北寄りに、冬は南寄りになるのを今更ながらに知る。
たまに早起きするとこんな三文の得があります(笑)
(冬、大阪湾に沈む夕日が6月頃から夏にかけて北寄りの六甲山に沈む様子もまた格別です。いつか写真に撮りたい)
北や南に片寄っていた日の出・日の入りが真東と真西になるのは春分と秋分だということも三文の得で知りました。今月の23日は秋分の日、この日が良いお天気であれば日の出を撮りに行きたいですが果たして起きられるかどうか・・・。


↑生駒山頂(多分)〈5:54am〉
トップの日の出の画像の右端に見える山頂を少しズームしました。

↑上の山頂の目一杯のズーム
8月8日の夜、この山上辺りから花火が上がっていました。
どこで打ち上げているのかとネット検索したら生駒山上遊園地がヒット。
で、いつもアンテナ塔がいっぱい見えるこの辺りが生駒山上だったのかと。
チャンスがあれば生駒山上遊園地にでかけて淀川のこの場所を見てみたい。


↑淀川の堤防道(河口に向かって)〈5:58am〉

↑淀川の河川敷から河口に向かって〈6:26am〉
この辺りは淀川で一番川の水幅がある場所だと思います。
この辺りから淀川は河口に向かって大きく左に曲がっています。
画像の左側にはその昔ちょっとした島にも見える中州がありました。
鷺たちのコロニーになっていた中州です。
1983年(S58)にその中州は取り払われて淀川から鷺たちが消えました。
鷺たちの楽園だった中州を取り払う必要があったのかと、いまだに納得していません。


↑河川敷で何やらついばんでいるヒバリたち〈6:29am〉
スズメじゃないですよ。ヒバリです。つがいかな?

↑上のヒバリの一羽〈6:32am〉
二羽で仲良くエサをついばんでいた内の一羽が近くに飛んできました。
四季を通じて見かけるヒバリは淀川を代表する野鳥かもしれません。
5、6mぐらいは近づいても逃げないのでスズメより撮りやすい野鳥です。

長い間ご無沙汰しております。
まだブログに完全に復帰できませんが、ソロソロ記事を更新しなければ忘れ去られてしまうとの焦りからUPしました。
皆様のところへの訪問コメントはまだできそうにもありませんが、必ず復帰しますのでよろしくお願いします。

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