glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

面白い表現

2017-06-30 08:14:09 | Notoj por mi mem
本を読んでいると時々、面白いこれは文を書く時に使えるという表現に出会います。時々ノートするのですが日常的に面白い表現に出会うはずが無くそのうち紛失してしまいます。思い出してその表現に似たものを使ってみると友人たちに怪訝な顔をされます。どこかで読んだと云っても全く説得力がありません。
 パソコンに記録しておくという単純なことをどうして考えつかなかったのでしょう!

 この一ヶ月ほどの間に出会ったものを書いてみました。もしかして興味がある方もおられるかとブログに書き込みました、というより自分のためです。

Faktoj kaj Fantazioj p. 297
‘Kio estas Oĉjo?’ 初めてあった人に声をかけた。
Oĉjo  PIV : karesa nomo de onklo, uzata ankaŭ inter amikoj. 日本語のおじちゃん、お兄ちゃんに使える!

Faktoj kaj Fantazio p.313
“Ho, ve, ve, ve, aj ve-ve-ve-!”  恐怖と嘆きの表現
〈同じ本なのに会話の‘と“が統一されていない。〉

Faktoj kaj Fantazio p.314
“Mara... e ... fiŝinjo” njoの使用例
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ゴーヤ

2017-06-27 13:14:33 | 衣・食・住
 ゴーヤの花が咲き始めています。5月14日に移植したのですが丈は2メートルほどに成長しました。あんまり高くならないように蔓を少し摘んでいます。今日ようやく実が3センチほどになった雌花を見つけました。これからどんどん実がなることを期待しています。友人たちも楽しみにしているようです。

 さて、移植した以外にもこぼれた種から芽が出て共に成長しています。実がなるのは嬉しいですがそんなに一度に食することはできません。冷凍にしたり、いろいろ工夫しましたが保存食には向かないような気がします。いつだったかお土産にお茶と称して乾燥したゴーヤを貰いましたが、お茶として飲むには苦くて飲みきれませんでした。
 どなたか良い保存方法はご存知の方はいませんか。
 折角なったものを無駄にしたくないので、毎年、貰い手を捜して奔走しています。
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静かに読書

2017-06-26 08:04:18 | エスペラント
 Okuloj: Marjorie Bouton。 短編集です。エスペラントの日、日本エスペラント協会で古本市をしていましたので買ってきました。会の蔵書だったらしく、黄ばんでいましたが、袋とじが開かれていません。この袋を開くのも結構技術がいるようでああらしい体験でした。
 彼女は1924年生まれで、1967年発行ですから彼女の若いころの作品です。まだ最初の1篇を読んだだけですが久しぶりに純文学を読んだという感じでした。
 世の賞賛とそれとは真逆の嘲笑の間で制作意欲を失ったが40代の画家。父親のくどい叱咤に耐えきれず急行列車に飛び込んで死のうとした平凡に見える16歳の少女のつかの間の交流が描かれています。
 饒舌な説明はありません。ふたりの会話と、時には頭に浮かんだ思いが直接話法で描かれいました。
 Okulo(オクーロ)は目と云う単語ですが認識力と云う意味もあります。日本語に翻訳するとしたらどう表現したら良いのでしょう!
 画家はスケッチをしながら少女に生きるとは何か、死とは何かを問いかけます。少女はそのスケッチを見ながら、お茶を飲み、リラックスして自分の未来に目を転じます。画家は少女との会話とその変化を観察しながら新しい制作意欲を持つという20ページほどの作品でした。

 ただ一つ理解できなかったのが昆虫でした。Koleopetero= 鞘翅虫、甲虫類。どんな虫かとPIVを引いたら出るは出るは沢山でてきました。死番虫。コクゾウムシ。オサムシ。ナナホシテントウムシ。蛍。ミヤマクワガタ等々。作者がどんな虫を描いたかは結局分からずじまいでした。

 直接話法は登場人物の心を表現に適すると思うのですが、会話を表す記号がが著によって-だったり、“”する。多分統一などできないとは思いながら、もう少し目で分かりやすくして欲しいです。
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梅漬け

2017-06-25 06:14:23 | 衣・食・住
 21日に漬けた4キロの梅は5日で水が上がりました。昨日瓶に移しました。どれも痛みが無くとてもきれいに発色しています。今日あたり赤シソを買って上に載せようと思います。
 少々小粒ですが、一人が一つ一回に食べるには適しているかもしれません。以前梅が好きだというのであげたら、この1.5倍ほどの大きさの梅を一度に5個も食べてしまったという恐ろしいスペイン女性がいました。
 彼女にはもの足りない大きさでしょう!
 上ンの季節が過ぎないうちに少なくともあと4キロは漬けるつもりです。
 
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梅を漬ける

2017-06-21 09:22:27 | 衣・食・住
 昨日ようやく梅を4キロつけました。減塩の梅をつけようと塩を減らしていたのですが、エスペラント大会に参加すると少なくとも2~3週間は留守にします。帰宅すると梅酢にうっすらとカビが浮いたりしますので20パーセントほどの塩で漬けるようになっていました。この半分を果糖にしてもカビ防止になるということで、一昨年からこの分量です。

 果糖は虫歯にならない甘味だそうです、フィンランド製です。
 
 果糖は店頭にないので以前買ったデパートで注文しました。木曜日に入荷したので梅を捜しました。いつものような大粒の梅は見つかりませんでした。ですから少々小粒です。

 梅を一キロづづ50度洗いしました。洗った梅を氷水に漬けて冷やすと発色し、豊かな梅の香りが立ち上ります。布きんで水分をとらずペーパータオルで水分を取りました。調理用ジッパー付きの袋を使うで、作業は一キロづつです。砂糖と塩がまんべんなく梅に行き渡るように、近くを通るたびにひっくり返しています。
 以前は梅のあくをぬくために一晩水に漬けていましたが、50度洗いは色が綺麗で見るだけでも楽しくなります。水分がでたらガラス瓶を消毒して移し替えるつもりです。

 私の梅が好きと云うエスペラントティストにあげるためにももっとつけるつもりです。
 
 果糖で梅シロップも作ってみようかと考えています。
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古い切り抜き帳Ⅴ

2017-06-19 09:32:41 | エスペラント
  昭和41年(1966年)の5月と7月にいぬいとみこさんがファンタジーについて書いています。その初めに‘エルマーのぼうけん’について書いています。エルマーシリーズ3冊はむすこたちがせがむので幾度も繰り返し読み聞かせました。引越しの際も処分しないで3冊とも押入れの中で眠っています。仕事場でも子どもたちに何度も読んでやりました。

 いぬいとみこ著『木かげの家の小人たち』が再出版されたのは翌年の8月です。いまだに私の手元にあります。深く心に染み込み友人や姪などにも読ませました。

 内容は戦争中小人の世話をしていた少女が小人を連れて田舎に疎開し苦労する話ですが、単なる苦労話に終わっておらず、ファンタジーとして成り立っているところがとても好きなのです。この物語をエスペラントに訳してみたのですが、ひどくこだわっているのにうまく訳せない情景があります。夕焼けです。彼女は‘壮大な夕焼け雲’と表現していますが、それをエスペラントに訳したらどのような表現になるのか。以前ブログに空襲で両親を失った友達のきょうこちゃんについて書いたことがあると思います。彼女と幾度も大空いっぱいに広がる夕焼けを見ました。空襲を思い出して泣く彼女と夕闇が迫るまで声の限り泣き続けました。壮大な夕焼けとは私にとっては友達の悲しみと一つになっています。形容詞を一つや二つ付けたくらいでは表現できないのです。訳すということは言葉を置き換えることではないと分かっていますが、本当に難しいものですね!
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エスペラントの日

2017-06-12 07:50:13 | エスペラント
 6月12を日本エスペラント界ではエスペラントの日と呼んでいます。1906年この日日本にエスペラントの組織ができた日だそうです。この日を記念して、記念日の前後に日本エスペラント協会は2年に一度講演会を行っています。 今年の講演は昨日早稲田にあるエスペラント会館で行われました。

 講師
 木村悟郎クリストフ氏。上智大学教授。専門は言語社会学と言語教育学
 伊藤哲司氏。     茨城大学教授。専門は社会心理学
 内容はエスペラントと関係があるようでないような!でもなかなかおもしろかったです。ふたりとも名古屋生まれだそうで、名古屋人は東京育ちと違って自由な考え方をするなどと云っておりました。
 
 木村氏の話は先ず電車内の広告についてから始まりました。同じような似たような広告によって人の意識が変えられてゆくという警告です。英語教育もネイティブ英語に近寄ろうとしてして学校教育での英語教育が低年齢化している。日本語で考える力がまで身につかないうちに英語で話させるのだから、考え方が育ちにくい。(本人は数カ国語を話すらしく、ポーランド人のお客さんによどみのないポーランド語で話していました。)そのほか国際交流のために国際英語とかいう物の研究がなされているなどいろいろ話が展開するので私にはまとめることはできませんでしたが、興味深い話でした。

 実は20年近く前、個人的に伊藤氏のお世話になりました。エスペラントアジア大会がハノイで開催された時にどうしても枯葉剤の被害を見ておきたかったのです。伊藤氏に不戦兵士の会を紹介していただき、幾ばくかの寄付を現地の施設に渡し、4カ国の元軍人の会と現地のベトナム退役軍人の会が運営している施設を訪問し、枯葉剤の影響で障害を受けて生まれた子どのたちや後遺症に苦しむ数人の大人たちと交流することができたのですた。
 伊藤氏の話は世論やニュースを変えることができるという話でした。私もトランプ大統領のお陰でフェイクニュースと言葉を初めて知ったのでしたが、フランス大統領選でもフェイクニュースが多く使われたそうです。
 インターネットの時代に正しく社会を見、判断するにはどうすべきかと云う問いかけを感じました。笑って聞いていましたが、本当は笑いごとでない社会で私たちは暮らしているのですね。

 講師二人の話は内容が多義にわたっていました。
 一緒に行った友人は日常生活から離れた話を聞くのもたまにはいいわねと云っていました。
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古い切り抜き帳Ⅳ

2017-06-09 06:46:56 | 
 世界主要国の童話の特徴について書かれた記事も数枚あります。フランスの童話についての中で、サン・テクジュべリの星の王子様に触れています。これを児童文学に入れるべきだろうかと疑問を呈してます。
 この作品は詩的ではあるがその本質は知的であり、作者の現実批判であると。これを読み返し、私は今回も少し安心しました。星の王子さまを読んだのは中学生ぐらいだったでしょうか。どうしても心にしっくりこなかったのです。ですからまわりの人のようにもてはやす気にはなりませんでした。
 その後、いつ頃でしょうか同じ作者の‘夜間飛行’を読んではじめて星の王子様を理解できました。夜間飛行は日本語訳を読んだのですが、エスペラント訳もあります。エスペラント訳も読んでみたい本の一つです。
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突然遠くに行きたくなって

2017-06-07 07:00:05 | 家族・友人・私
 突然出かけたくなりました。最近遠出はしていませんし行くところもないのです。車に乗る高齢者を冷ややかに書く記事も多いです。高齢者とあるけれど幾つかとみると私より10歳い若かったりします。車を運転するのも気がひける時代となりました。

 行く当てもないので昨日は一番近いと思える道の駅へ。地元の新茶と、黒米を見つけて買ってきました。海岸線を走り山道を走る、130キロの行程でした。
 当分は出かけることはないでしょう!
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古い切り抜き帳Ⅲ

2017-06-05 12:55:43 | 
  当時、大阪市立中央図書館勤務だった松岡享子さんはアメリカと日本の図書館利用に違いについて書いています。アメリカでは図書館を本を読むところですが、日本では学習の場になっていると。仕事の中で、時たま幼児に絵本を読んでやる時やお話をしてやると時に、わずかに児童図書館員らしい生きがいを感じていると。
 そして当時盛んに行われていた家庭文庫についても触れています。学校の勉強とは関係なく本を読む楽しみを得られる場となっていることが良いこと。ただしこれは本当は行政がすべきことを個人が肩代わりしているのであると。
 最近、この文庫運動はどうなっているのでしょうか。

 文庫運動に子どもの仕事をしている時に私も6年ほど関わりました。市立の図書館で300冊ほどの本を借り、長くて期間は3カ月だったでしょうか。一ヶ月に一度ほど図書館に行き本の借り換えを行いました。一人の子が興味を持った物語はなぜか他の子も読んでとせがみます。大人が面白そうと思ったものが結構子どもに受けない時があります。違う子どもが以前他の子に読んでやった本を読んでと云い、読み手は同じ本を何度も読むことになります。その本は前に読んでもらったからもう聞かないという子はほとんどいないのです。繰り返し同じお話を子どもたちは聞くのです。
 私自身もそうでしたが、本には不思議な魅力があるのです。

 最近、読む本はエスペラントばかりですが、私は本の内容を咀嚼せず、読みっぱなしと云うことが多いです。この咀嚼するということが本当は大切だとわかっているのですが!
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古い切り抜き帳Ⅱ

2017-06-03 07:14:17 | 
 石井桃子さんは"子どもの心 子どもの本"と云う題で4回にわたって書いています。
①秘密の世界
②記憶とよばれるもの
③環境は訴える
④新しいおとな
 彼女はその中で子どもでない大人が子どもが共感を示すような本を書けるかと云うことを論じています。
 私は中学生の時に、彼女の作品"ノンちゃん雲に乗る"や他の作家の"51番目のザボン"を読んで驚いたのでした。それまで私が接してきた物語は民話とかいわゆる世界名作物語と云うものばかりで、現代の話が童話になるなどと思いもよりませんでした。もしかしたら私にも童話が書けるかもしれないと、見たこと聞いたこと空想したことなど毎日毎日、1冊の大学ノートを横にして書き続けましたが、それは物語とは程遠く、人に見つかると恥ずかしいので風呂の窯に入れて燃やしました。石井さんによれば書くということは大変な年月を要することなのです。人はいろんなことを記憶します。しかし、記憶は写真と違い年月を経る中である部分は希薄になり、ある部分は情緒的に積み重なってゆきます。そこから童話が生まれることもあるが、どんなに情緒的蓄積があっても生まれないこともあるだというのが石井さんの記事の要約でしょうか。

 世の中に名作が氾濫する理由を彼女は書いています。出版社は出版した本が売れないと困ります。名作と云うのは年月をかけて、時には最近のものであっても違う国で爆発的に人気を呼んだ物語には人心を掴むという保証が付いているから出版し易いと。なるほどと思います。
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