いつものように昨日は自由に使える場所でエスペラントの学習をしていました。
午後4時過ぎ、幼児を連れた7~8人のグループが現れ、買ってきたと思えるおやつを広げ飲み物を出し食べながら歓談していました。
五時過ぎても飲んだり食べたりしている。4~5歳と思しき子どもたちは、時には食べ、時には飲み時には駆け回って遊んでいました。
Kiam ili havos vespermangxon?(いつ彼らは夕食をとるのでしょう?)
思わず友人にもらしてしまいました。5時過ぎまでお菓子を食べていたら、夕食時間がたとえ7時であっても子どもたちはもう食欲を失っている事でしょうに…。
定年退職した友人は今、支援学級等で非常勤講師をしています。彼女の働くある中学校の話です。
入学当初から、学級から脱走して学習をしない生徒が2~3人いたそうですが、最近は5~6人に増えているのだそうです。
先週、子どもたちはスキー合宿に行きました。それに支援学級に通っているダウン症の生徒など3人が参加したそうです。普通学級の生徒はおやつ時間とか規則を無視し、のべつ幕なしにおやつを食べたりふらふらしている。その中で支援学級の3人はおやつも決められた時間に15分で食べ、熱心にスキーの指導を受け、普通学級の生徒が全員すべるようになったわけではないのに、3人とも滑れるようになって帰って来たというのです。
その話を聞きながら、幼児たちを見て考えてしまいました。
この幼児たち全員が落ち着きのない自由気ままな中学生になると言う気はないのですがその危険性もあるわけです。なぜなら、食事というのは栄養を与えればよいと言うだけではなく、生活のリズムを育てる事でもあるのです。ですから、食事時間はとても大切です。時たまの例外は認めなければならないでしょう。でも、例外は子どもを喜ばせます。そしていつの間に子どもの要求で例外が普通になってゆく事は良くあることです。
5時半、私たちが帰路につく頃、別の小学低学年10人ほどのグループが『この指とまれ』と廊下で遊んでいました。母親たちは室内で歓談していました。
家で子ども達とだけ過ごすのは女性にとって耐えがたい事もあります。夕食時に母子が外出している責任は夫たる、また父親でもある男性側にも責任があるのではないでしょうか。
午後4時過ぎ、幼児を連れた7~8人のグループが現れ、買ってきたと思えるおやつを広げ飲み物を出し食べながら歓談していました。
五時過ぎても飲んだり食べたりしている。4~5歳と思しき子どもたちは、時には食べ、時には飲み時には駆け回って遊んでいました。
Kiam ili havos vespermangxon?(いつ彼らは夕食をとるのでしょう?)
思わず友人にもらしてしまいました。5時過ぎまでお菓子を食べていたら、夕食時間がたとえ7時であっても子どもたちはもう食欲を失っている事でしょうに…。
定年退職した友人は今、支援学級等で非常勤講師をしています。彼女の働くある中学校の話です。
入学当初から、学級から脱走して学習をしない生徒が2~3人いたそうですが、最近は5~6人に増えているのだそうです。
先週、子どもたちはスキー合宿に行きました。それに支援学級に通っているダウン症の生徒など3人が参加したそうです。普通学級の生徒はおやつ時間とか規則を無視し、のべつ幕なしにおやつを食べたりふらふらしている。その中で支援学級の3人はおやつも決められた時間に15分で食べ、熱心にスキーの指導を受け、普通学級の生徒が全員すべるようになったわけではないのに、3人とも滑れるようになって帰って来たというのです。
その話を聞きながら、幼児たちを見て考えてしまいました。
この幼児たち全員が落ち着きのない自由気ままな中学生になると言う気はないのですがその危険性もあるわけです。なぜなら、食事というのは栄養を与えればよいと言うだけではなく、生活のリズムを育てる事でもあるのです。ですから、食事時間はとても大切です。時たまの例外は認めなければならないでしょう。でも、例外は子どもを喜ばせます。そしていつの間に子どもの要求で例外が普通になってゆく事は良くあることです。
5時半、私たちが帰路につく頃、別の小学低学年10人ほどのグループが『この指とまれ』と廊下で遊んでいました。母親たちは室内で歓談していました。
家で子ども達とだけ過ごすのは女性にとって耐えがたい事もあります。夕食時に母子が外出している責任は夫たる、また父親でもある男性側にも責任があるのではないでしょうか。