glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

どこもかしこも

2020-04-30 06:29:08 | 雑感
 夕べ、チェコの友人からメールが来ました。彼女、プラハの郊外に住んでいます。体調不良で検査のためにプラハへ出たようです。プラハも少数の観光客がいただけで閑散としていたそうです。どこもかしこも外出自粛中のようですね。

Saluton kara G.
Mi gratulas ke vi denove estas avino, mi deziras cxion bonan al via nova nepo kaj ankau al vi. Mi gxojas ke vi kaj viaj familianoj estas sanaj, same kiel mi kaj mia edzo. Hierau mi devis veturi al Praga malsanulejo úpr kontroli sanstaton de mia koro kaj organoj en mia ventro per ultrasono. Cxio estas en ordo, kaj mi poste decidis promeni tra malnova praga kvartala, ponto de Karolo kaj mi ankau vizitis du pregxejoj, en unu ecx estis meso en pola lingvo kaj partoprenantoj estis cxirkau 15 personoj. La ponto kaj malnovurba placo kun fama turhorlogxo kun apostoloj estis nekutime liberaj, nur kelkaj homoj kaj grupetoj gxis 4 homoj promenis tie.
Fartu bone kaj restu sana. Cxion bonan al vi. H
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学校へ行けない!

2020-04-29 00:07:08 | 家族・友人・私
 孫Eの声の便り:学校ゆけない、つまんない!本当にそうでしょうね。弟Hはスタント・スクーターとかいうものを買ってもらい、懸命に練習しているようです。動画では歩道と車道の段差をスクーターで乗り越えられるようになりました。それから庭の木が枯れたそうで枝を切り落としてなにかを始めたらしい。Eは活発な子ですが、もう中学2年生。木登りには興味はないでしょう。

 私は月曜日商店街に買い物に行きました。バスの乗客は私を入れて4人でした。帰りも数人!新鮮な曲がった胡瓜が安かったのでニンジンとショウガもいれて漬けました。夕食分を取り、残りはキムチの元を混ぜて保存しました。今日(もう昨日ですが)キムチの素が切れていたので、買いに出たついでに花とピーマンの苗も買ってきました。ゴーヤも2本だけ。昨年は5月に自然い芽を出したものを植え替えただけで結構収穫したのですが目が出ないときのために2本だけ買いました。

 


 
 Hは木の上で何を考えているのでしょう。

 
 一晩付けたキュウリ。袋に入れた方がキムチ用


 庭はないも等しいので花はプランターに植えました。
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カタリンさんのインタビュー:4月26日

2020-04-27 09:16:06 | エスペラント
 中国・山西省・太原市の小学校校長、愛称ヤードさんへのインタビューです。学校の生徒数1500人、エスペラントの授業はい1年生~6年生までの選択科目。現在のエスペラント学習児童400人。他の国と規模があまりにも違いすぎるので調べてみたら居住者は単一民族ではないのですね。漢民族・モンゴル族・回族・満州族が主な居住者のようです。エスペラントを学ぶ目的はと聞かれ、子どもたちは外国のことを知りたいがっていいる答えていました。カタリンさんは学校の住所をエスペランティストに知らせてパンデミックが終わったら絵葉書を送ってくださるようにとお願いしますと言っていました。下記のエスペラント文いアドレスが含まれています。

Kronvirusa intervjuo kun Wei Yubin - Jado

En mia 11a intervjuo mi parolis kun Wei Yubin, Jado, direktoro de la baza lernejo en la urbo Taiyuan Shanxi. En tiu lernejo 1400 lernatoj dum la 6 jaroj de sia lernotempo daŭre havas Esperanto-lecionojn, kie la Internacia Lingvo funkcias kiel propedeŭtika lingvo. La lernejon vizitis jam pluraj esperantistoj de la tuta mondo, kiuj gastis en la lernejo kaj kontribuis al la instruado. Kiel la direktoro Wei Yubin organizas la laboron, kion ili nun faras dum la kronvirusa pandemio vi povas ekscii spektante la intervjuon. La lernejo por prezenti sin mem produktis filmon antaŭ kelkaj jaroj. Ni konsilas al vi nepre spekti ankaŭ tiun filmon https://www.youtube.com/watch?v=8h1GY...
kaj se vi povas poste sendu salutmesaĝon al la infanoj. Ili organizos ekspozicion el la ricevitaj kartoj. Nomo kaj Adreso: Wei Yubin, Baiyangshujie Xiaoxue, Taiyuan Shanxi, Ĉinio. Dankon.
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世界エスペラント協会特別講演: Sin nutri en la naturo

2020-04-26 10:35:22 | エスペラント
 講演は野草の話です。講演者はベルギー人。自己紹介の名前が聞き取りにくかったので個人名は紹介できません。

初めは野草採取についての注意点。
・毒のあるものがあるので気を付けてる。(下痢することもある)
・自分の体に合わずアレルギー症状をを起こすことがあるので初めて食するときは少量にする。
・薬効性のあるものもあるが、成分は弱いし、継続して用いると効果が無くなる。
・採取は清潔な場所で。
・採取量は自分が見つけた量の10パーセント以内にしましょう等。

それから個別植物の紹介でした。味の紹介と共に食べ方も語っていました。紹介植物の中には私たちが普段目にするカタバミやアザミとかイタドリもありました。これらのエスペラント名くらい覚えておきたいなあと思いました。
カタバミ:oksalido
アザミ:kardo
イタドリ:japana falopio
カタバミとかイタドリとか戦中戦後に食べたので、ヨーロッパにも同じものがあるのかと興味深かったです。

Speciala prelego Sin nutri en la naturo
https://www.youtube.com/watch?v=P34PX6xJNso
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目標を見失って

2020-04-25 20:35:09 | taglibro: 日記
 コロナ騒動が続こうと終わろうと家にいる時は問題がないと思うのだけれどなぜか落ちつかない。今日こそエスペラント開始と思ってパソコンを前に他の人のブログを読んでいたらもうお昼でした。昼はピザ。それから、紅茶酵母パンについて読んだので紅茶酵母によるパン種を作っています。

 私は、せめて今日と明日の日曜日は買い物に行くのは控えようと心がけていたのに、夫は午後本屋に行くと出かけました。なんたること!本は不特定多数の人が手に取ってみるでしょうに!子育て支援のぐるーぷに参加しているが、今週も3回ほどボランティアに出かけた。先週も数日でたのでいい加減にしたらといったら、横浜市から’子育て支援をしているグループは活動を継続してください’という通達があったという。活動を控えたらと私が言ったので、今週は私にあいさつしないで出かけていました。そして今日は本屋です。やっていないからやめなさいと言ったのにそれでも出かけたのです。行きつけの店は閉まっていたので別の本屋を探したらしいです。駅からちょっと離れた本屋は開いていた、人も結構入っていたということでした。本が欲しいならネットで注文してやるよと息子に言われていました。

 夫は東京都の今日の発病者は幾人だとかいうけれど自分が渦中の人間であることを理解していないように見える。息子たちが子どもの頃子育てに協力的ではなかった。外で子どもの世話をしているから、家では子どもにかかわりたくないと言っていた人が、85歳になってなんでまだ子育てにかかわるのでしょうね。孫たちが来ても積極的にかかわろうとしていないように見えるのにと私の怒りはわいてくるのです。

 ドイツでは’学校も5月からは、再開す予定ですが、衛生管理の徹底、生徒間の距離を随時取る必要があるので、一体どうなるか?クラスを分割して、隔日登校とか、午前と午後に分けるとか、いろんな噂が出ています。’と息子の便りでした。

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4月23日:散策

2020-04-24 16:12:14 | 家族・友人・私
 先日行った近くの小山へ散策。道はいろいろあります。40数年前の6月、学童保育を始めたころ6人の子どもを連れて歩いた道を歩きました。父親のひとりが同伴してくれました。その細かった砂利道は自動車がすれ違えるほど広くなっていました。 
 舗装道路が終わるころ、谷あいに農地を持つ方が置いたのでしょう、自由にお持ちくださいと書から手札の横に蕗の束がありました。喜んでいただき持ち帰りました。
 広場でおにぎりを食べ、また別の道を下ってバス通りに出てバスで帰宅しました。階段は最後の道だけでしたので、大股で歩いたせいでしょうか、距離の割には歩数は少なかったです。11,000歩に少々かけましたし、疲れも少なかったです。頂いた蕗は家に着いてすぐに休憩前に茹でました。夕食にはキャラ蕗にしていただきました。美味しかったです。道が緩やかだったせいでしょうか、散策中に出会ったのは幼児連れの家族と老夫婦それぞれ数組でした。バスもガラガラでした。


 拡張された道路


 当時歩きながら熟れた桑の実をとって食べました。まだ緑ですが桑の実がなっているところもありました。


頂いた蕗の束。

 イースター休暇前の写真です。休校とは言わないようです。家を学校にするだそうです。

 
 この写真の前の動画で彼はミキサーを使ってクリームを泡立てていました。自分も手伝ったケーキに満足しているようです。正座が日本的!


 動画では枝切りをしていました。切り上げた喜びの表現でしょうか。

 
マスクを作っています。ミシンはEが10歳の誕生日に貰ったものです。慣れない手つきの母親に苛立っているようです。

 
それぞれのマスクができた喜びの二人です。

日本であれ、どこの国であれ一日中子どもがいるというのは両親にとって本当に大変です!


今日、午前中歯科に行きました。以前被せた前歯が虫歯になっているとかで、被せたものを取るに1時間ほど頭を下向きにしてごしごしぎりぎり治療。ほんとに疲れました。
 
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カタリンさんのインタビュー:4月21日

2020-04-21 15:25:54 | エスペラント
 今日はドイツの人の少ない田舎に住む音楽家と教師の妻とその娘7歳とのインタビュー。ちょっと長かったし、妻のおしゃべりは私には聞き取れない言葉がいくつかありました。いつもは妻は仕事のために週2日しか家にいないのが現在は家にいるという環境の変化がおしゃべりに拍車をかけているのかなとも感じました。夫はとても理解やすいエスペラントを話していました。最後に流れる音楽は夫Bertiloの歌に,妻 Birkeのフルート伴奏で 'Lasu min songxi'(私に夢を見させておいて)でした。良かったです。

Kronvirusa intervjuo kun Bertilo, Birke kaj Gitta
https://www.youtube.com/watch?v=fyMdcSkWHu4


 今日は久しぶりにバスで商店街へ行き銀行によりました。新鮮なイナダを買いました。
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知恵を絞って!

2020-04-19 23:44:34 | taglibro: 日記

 写真左の袋は保険証などを入れ40数年間使用したものです。生地が擦り切れました。紐だけはまだ使えます。姉のコートの生地が少し残りました。この残りを使って同じように作れないか、紐もそのまま利用できないかと考えて古い袋を解体し紐を取り出しました。紐は輪になっています。オズの魔法使いの案山子さんのように脳味噌は空っぽになっていると思ったのだけれど、解体した袋を眺めていたら、縫いながらひもを通す方法が見えてきました。私には不可能かと思えましたが、紐を輪のまま袋の口に通せたので一人でにんまりと笑い満足しております。この大きさなら保険証・お薬手帳だけでなく処方された薬もはいるでしょう! 


 息子用にマスクを縫いました。表生地はこの前モンペを作った紳士用着物(絹地)の残りです。内側は木綿生地の切れ端、中に芯地を張りました。このところミシンで遊んでばかり…。心を入れ替えて他のこともしなくては!明日は自分用のマスクを作ったらミシンはしまおうと心に決めています。思考が止まっている時は編み物とか縫物とか手作業をしている方が時間に過ぎてゆくので楽ですね。
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思考力0

2020-04-18 11:04:15 | taglibro: 日記
 いろいろ考えたくなくて水曜日、木曜日とミシンを踏んだ。数週間前、姉が送ってきた和装コートを眺めた。再利用するにもツルツルしていてしかも厚手の生地は使い道がない。袋もにしか転用できないとトートバック3枚縫いました。残りの生地は巾着にしようと思ったけれど、2個では大きすぎるし、3個では正方形になる。口に裏地で日も通し部分をつけて3枚縫いました。との小さな端切れちっちゃな袋煮る予定です。自分では使う予定は全くないので、トートバックの内一個はもう友人の元に!残りのいくつかは姉の愛孫娘に送ろうと思っている。出来がいいわけだはない。糸が合わないのか、生地があミシンに向いていないのか、時々糸がつれました。


 この赤い色。袋ぐらいしか再利用は思い浮かびませんでした。


 一段落ついたところで端布でマスクを試作しました。型紙はユーチューブで見つけました。使い捨てマイクは以前友人に頂戴したものがまだ50枚はあるけれど、コロナとの戦いは長期化しそうです。保存しておいた方が良いかもしれません。使っていないガーゼマスクをほどいてみたら中にちゃんとフィルターが入っていました。フィルターをどうする?以前簡単な帽子を作った時に使った紫外線除け、抗菌の芯地がありましたのでそれを入れてみました。使い捨てより、肌触りが良いです。これから家族のものも作ります。ベルリンのEも自分でマスクを塗ったようです。休校中の活動の写真がいろいろ来ていますが返事をするのも少々億劫になって…。

 

マスク試作品

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カタリンさんのインタビュー:4月15日

2020-04-15 14:11:00 | エスペラント
 対談相手は中国山西省にある南昌大学教授通称Arkoさん。授業ができなくなって以来、以前から大学が所有しているインターネットのシステムを使用して授業を継続している。また、ある女性からの依頼を受けてインターネットでエスペラント講習会を行っている。講習会は週1回でスタノ・マルチェック独習本を使用。現在初心者や昔エスペラントを学習したことのある人が40~50人参加してい等々。 

Kronvirusa intervjuo kun Arko 
https://www.youtube.com/watch?v=QO47QP8Op98&t=32s


息子の妻の実家にはインターネット設備がありません。連絡がないと思ったら知人から次のような便り
を受け取りました。

 ラオスからの便り抜粋:4月14日(火) 22:56 (2 日前)



ラオス正月
おめでとうございます。

ラオスでも外出規制が出され、私も毎日
家にいます。皆さんはいかがでしょうか?
・・・・・・
ラオスも商売をしている人は
コロナが収束してくれないと大変ですよね。
これから自営業、日銭を稼ぐ人にとって大変な時期になるでしょうね。
きょうも妻の実家の側で、外国人が鞄を強奪されたという
話を聞きました。これから治安が悪くなるような気がします。

それでも、ラオスの田舎の人たちは
自然と共に生活しているようで

パクセやボーケオなどの女の子が
作っているブログを見ると

森の中に入って行って、キノコを採ったり
川でエビを捕まえたり、川海苔を採取したり
自然の恵みを利用していることがよくわかります。

また、都会の人もオンラインで商売をする人が増えているようですね。
ショッピングモールで店舗を借りて商売しても
テナント料、電気、プロパン、掃除、税金にとられて利益はあまり出ないようです。

そこでオンライン・ショッピングをするわけです。

洋服なんかもオンラインで売って、購入すると
バイクで届けてくれるそうです。
代金は届けてくれた時に現金で支払い様です。
オンラインだと、実物と実際で、色や感じが違うようですが、それでも
返品には応じないようです。

ラオスの商売もかわってきたようです。
そしてコロナの影響で、ますますこういった商売のやり方は増えるようですね。

ラオスは
本日、昨日と引き続いて、感染者が0でした。
累計で19人。

そして嬉しいことに
入院していた人が1人ですが退院したようです。
本当に良かったです。

早く収束して欲しいですね。

それではお元気で。

便り第3弾
ラオスの状況をお伝えします。
15日,トンルン首相は,3月29日付首相令第6号及びCOVID-19対策特別委員会の発出した通知を,4月20日以降も14日間,5月3日まで延長すると発表しました。
 


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別れ

2020-04-15 10:28:47 | 家族・友人・私
 甥によるとコロナウイルスを避けるため姉の告別式はしないということでした。また、家族間の接触はしないようにするということでした。昨日は姉に別れを言うために東京に行きましたが、電車で行くと数回乗り換えなければならないので車で行きました。遺体が安置されている葬儀社までは50キロ余りです。神奈川県はすいすい走ったのですが、東京都に入ると渋滞が起こり、のろのろと2時間ほどかかりました。それに10か月ぶりの高速道路走行はさすがに緊張し、疲れました。

 まだ化粧はしていないという甥の言葉通り、姉は素顔でした。朝食と夕食は自分で用意していましたし、買い物がない日は散歩をしていた姉の顔は日焼けし、まるで健康な人が眠っているような感じでした。晩年は気難しくなっていました。5~6年前、ヘルパーさんを頼んでの暮らしをしようと試みたとことがあります。ところが一回で打ち切りました。上から目線でものを言うヘルパーさんの態度が気に入らなかったようです。できなくなったからお願いしたのに、手伝いますから自分でやれというのはどういうことと怒っていました。その会話の経緯は私に分かりませんでしたが、指圧師になるの前の姉の仕事を思いだしました。それは姉にとって自分が選んだ仕事でした。彼女にとって第2の青春とべき時代だったでしょう。

 1960年か61年のことです。姉は私に’あなたとオナジこと勉強始めたの!昨日あなたの先生にあったので〇子の姉ですとあいさつしておいたと言われて驚きました。1950年代末売春禁止法ができ赤線が禁止されました。逮捕された売春婦の多くは自立できない人が多かったそうですが、当時は福祉を学んだ人は少なかったのです。大学が東京と名古屋、短大が大阪、そして東北には新設されたばかりの大学と全国で4校しかありませんでした。そこで東京都は短期間で職員を育成するため、社会事業学校を立ち上げました。この学校が幾年続いたかは知りませんが、姉は第1期生となり、卒業後に婦人相談員となり、元売春婦の更生の手伝いをしていました。当時、私はエスペラントを始めたばかり、それに社会調査とか実習とか卒論で忙しく彼女の話にはあまり付き合いませんでした。それでも今日あった子は着るものがないというので見たら数枚のブラウスのボタンが取れているのにつけ方を知らなかった。付け方教えたら、××さん凄いと喜んでた。そして教えたらできるようになったとか、売春をする子の多くは少し知的に遅れているので人に騙されやすい。少し時間をかけて教えれば色々できるようになるのよ。きちんと教育を受ていない人が多いのよね、賢い娘はたとへ売春しても決してつかまるようなへまはしないなどと話していたのを記憶しています。
 数年後東京都の機構改正で非常勤職員を廃止するということになり、正規職員として定年までケースワーカーとして福祉事務所で働きました。ケースワーカーとしての経験がヘルパーさんの言葉への強い反応として出たのでしょうか。
 定年数年前に夜学の指圧師学校に通い、資格を得て、定年後に夫と開業したのが指圧院だったのです。世話好きで、働くことが本当に好きだったのですね。よく働き、頑張って生き抜きました。このブログの中でも時々姉に対する不満を書いていますが、あなたの生き方は私の見本になるかもしれません。
 【合掌】
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姉の青春

2020-04-13 07:39:54 | 家族・友人・私
 夕べ、8時ごろ甥から電話。1時間ほど前に姉が亡くなったという。冷蔵庫の前で倒れていたので救急車で近くの病院へ。死亡が確認されたという。夕食前に姉にメールをしたばかりでした。返事をしていなかったらきっと後悔にさいなまれたでしょうが・・・。
 悲しくないわけではないが、良かった、家族に最低限の迷惑しかかけていないので良かったという思いがが先に立ちます。 両親,亡くなった兄姉弟も寝込むことはありませんでした。母は夕食前に疲れたというので、父が夕食まで休みなさいといったら、’本当に長いことお世話になりました。’とあいさつし、2時間後に眠ったまま逝ってしまいました。そして姉もまた突然に!

 父が亡くなった時、弟は自分の番が近づいた気がすると言っていましたが、今、私がそんな気分です。

 姉は昭和3年(1928年)10月生まれですから91歳と6カ月。青春を戦争の中で送った彼女の心はいつも屈折していました。それは青春時代を戦争の中で過ごさなければならなかった人たちに共通していると思えます。
 姉は17歳になったばかりの女学校3年生の10月突然卒業を命じられ、挺身隊員となって工場で働くか、看護婦になるか決めなければなりませんでした。母は病院の方がお医者さんもいるし病院が良いのではと姉に勧めました。姉は母の言うように病院を選んだのですが、地獄のような世界だったと言います。陸軍病院の患者はすべて男性です。そして彼等が全員道徳的であるということは無かったでしょう。そこに若い少数の女性がいるという生活は女性たちにとって恐怖に満ちたものだったでしょう。姉は17歳、婦長でさえ23歳だったそうです。姉は私のことをなぜが婦長は働いている時も寝る時もそばに置き守ってくれたと言っていました。その婦長さんは数年前亡くなったそうですが、亡くなる前に’どうしてあんなに守ってもらえたのか’と尋ねたら、’弱々しいのに人が見ていても見ていなくともきちんと仕事をする,決して手を抜かないのを見ていると守ってやりたくなったんだ’と答えたそうです。

 いつだったか、私が、’看護婦には傷痍軍人と結婚している人が多いよね。兵隊の中には良い人が沢山いたんじゃないの?’と言った時姉は困ったような顔をして答えました。’みんな飢えていたのよ。兵隊たちにはきちんと3食でたし、おやつもあった。でも看護婦の食事は塩気さえなかった!’と答えました。1920年代に生まれた女性たちは大変厳しくつらい青春時代すごしたのです。


 写真は1945年の2月か3月ということでした。それまでは制服が無かったそうです。制服ができた記念に弘前市にあった陸軍病院の庭で撮ってもらったものだそうです。私が10年余り前に県の国際平和展示室でボランティアをしていた時に、戦争中の人々の暮らしを話すために姉から借りコピーました。大勢の看護婦が写った写真もありましたが、私はこちらを選びました。左から二人目が17歳の姉です。看護婦と言っても何の訓練も受けず即実践。軍医に対して質問は許されず、指示に従うことを厳命されていたそうです。また、敗戦後突然軍医がいなくなり、教育も受けてない看護婦たちだけで治療に当たった時期もあったということでした。
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遠出

2020-04-11 16:48:48 | 家族・友人・私
 久しぶりに遠出しました。遠出と言っても往復く60キロほどでしょうか、大磯まで海岸沿いに走りました。車は結構走っていましたが渋滞することは無くすいすいと走れました。
 先日友人に美味しいコーヒーを頂きました。息子さんが軽井沢でコーヒー店を経営していて、コーヒーは自分で輸入し、焙煎等もいています。彼女は持病があり療養中。以前私のパンを美味しいと言っていたのですが、エスペラントが忙しくご無沙汰し、暇になってもまたご無沙汰し続けていました。酵母パンが最近他人の試食に耐えるくらい美味しくなったので届けました。戸口に置いてくるねと電話したら家にいるから声をかけてということでした。免疫力が落ちている人なのでなるべく合わない方が良いと思ったのでしたが・・・。
 私たち夫婦共通の友人ですが私は人づきあいが悪いのでいつも夫に連絡してきます。1月だったでしょうか。朝早く手が痛くて料理ができないと泣きごとを言ってきました。返事に窮した夫が私に電話を渡しました。自分でできなかったらヘルパーを頼みなさいと私は一言。彼女曰く、料理まで人に頼ったらずるずると自分が崩れそうな気がするからそれは嫌だと。そう自分で決めたなら、泣き言は言わずに自分でしなさいよ!その時、私は両掌があれて包丁を持つのもやっとの時も調理してたと、彼女に活を入れました。
 今日の彼女、肌艶も良かったです。これならコロナ騒動も乗り越えられそうで安心しました。

 途中息子のところにより、パンを届けました。新しい家族を迎えるためでしょう、息子は一人で家の模様替えをしていました。
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カタリンさんのインタビュー:4月9日

2020-04-10 00:33:53 | エスペラント
 カタリンさんのインタビューの相手はモニカ・モルナさん。映像を見ればこの人は…と知っているいる人も多いかと思います。今、フランス国境に近いショードホンの超・小さな学校の教師です。学校名はエスペラント訳をするとGranda Ursido。 日本訳では大きな子熊。本当に小さくて生徒10数名、教師2名と補助教師6名の学校です。給料は保護者負担のようですが、日本人も援助している人がいるようです。ブックスタンドには’はだしのゲン’のエスペラント版もありました。
 聞いていて感じたこと。ヨーロッパはほぼ秋に新学期が始まります。(うちの孫たちの新学期は8月1日でした。)もうすぐ学年が終わるヨーロッパの子どもたちと比較すると、日本の子どもたちは新しい学習を始める前に休校になりました。自習するのはもとても大変です。

 エスペランティストの中にはショードホンをご存知の方もいるかもしれません。この学校の隣にはエスペラント文化センターがあります。
  
Kronvirusa intervjuo kun Mónika Molnár
https://www.youtube.com/watch?v=O2vbDqzyOuY


 【昨日は自然農講座に参加し、時なし大根の種を播きました。2時間余りの活動でした。】


Hはとうとうスマホを手に入れました。友人とおしゃべりするそうです。


 姉のEはなぜか水まき。春には水まきなど必要がないと思うのですが。
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散策

2020-04-09 19:44:49 | rememoro: 思い出
 昨日、4月八日息子に誘われて散策しました。昔子どもたちと散策した場所のはずでした。が、ハイキングコースになっていて以前はのんびりと2時間ほど歩いて帰宅したはずでしたが、散策時間4時間。急勾配の山道を上ったり下ったり、13,000歩に及ぶ行程でした。今日体が普通に動いていることが不思議なくらいです。

 
 
港南区・栄区・金沢区にハイキングコースになっていました。


昨年、10月の台風の時に地滑り跡。台風の影響のせいで、通行不可能な箇所がいくつもありました。


ハイキングコースの概要です。





ボヘミアの森(チェコ)1週間歩きました。写真の杉より太い落葉樹がすっきりと立っていたのを思い出し、急勾配の階段状道を上りながら」ちゅえこの道は平たんで歩きやすかったと懐かしく思いだしました。


一心堂という広場でおにぎりを食べました。疲れ切って見上げた空です。沢山の人が休憩したり通りました。




この道は武蔵と相模の国を結んでおり、たたら職人(鉄を製造する職人)たちが通った道だそうです。今でも付近の田んぼから鎌倉時代の’かなく
そ’と呼ばれる鉄くずが出るそうです。なんと道には石が敷かれていました。


竹林の中に続く急勾配のつづら折りの道が10数分続きました。きつかったです・
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