glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

ブログは休暇に入ります。

2014-07-25 07:19:23 | エスペラント
 数時間後に出発と言うのに色々しています。弟が韓国語に興味があるというのを聞いても気にも留めていなかったのに日中韓辞典研究所をしているエスぺランティストのハルペンジャック氏を突然思い出しました。弟の希望に沿うか分かりませんが尋ねるに越したことはないとその住所と電話番号をたった今送りました。

 なんで今日になってこんなことを思い出すのでしょうね。後は冷蔵庫の中のものを調理し、生ものは残さないようにしようと思っています。

 新しい出会いがあるといいのですが、とにかくアルゼンチンに行って来ます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議の国中国

2014-07-24 07:10:38 | 雑感
 一昨日テレビをつけると海外ニュースで上海の食肉加工工場への潜伏取材が報道されていました。新鮮な肉に緑青色の肉を混ぜていました。カビの生えた肉です。ナゲットを作っている所でそんな事をして大丈夫かという質問に担当者は混ぜてしまえば分からなくなると答えていました。また、マクドナルドからの担当者の査察の際は綺麗な肉を使って作っていましたが、彼らが居なくなると大量のカビの生えた肉が工場内に運び込まれました。

 こんなに大量に自工場だけでカビを発生させることができるのでしょうか。どうみてもそとから持ち込んだとしか思えませんでした。査察も作業工程だけでなく保管倉庫などをすべきなのにそれをしなかった発注側にも責任があると思うのですが・・・。
 昨日のニュースで驚きました。日本マクドナルドとファミリーマートがこの工場の製品を使っていたそうです。私は既製食品を買う事はほとんどないのですが、若いお母さんが子どもとハンバーグを頬張っている姿を良く見かけます。自分で作っても原材料が汚染されていることはあるかもしれませんが、それでもまだ少しは安全に思えます。

 それにしても中国は二〇〇〇年以上の歴史を誇る国であり、医食同源を唱えています。黴にもやはり健康効果があるという説があるのでしょうか。

 この1年でクルミの値段が2倍近くに上がりました。その他のナッツの高騰を続けていますが、胡桃ほどではありません。クルミ大好きの私はパンを焼く時1個につきクルミを50g入れていました。そのパンを友人たちが欲しがります。初めは息子の妻がラオスから来て衣類が足りず、冬物やらなんやらいただいたお礼にあげていたのですが、みなさん心待ちにしているようで全く上げるのを止めるのもどうかと悩んでいます。最近クルミとアーモンドを混ぜてて50グラムにしました。
 数日前ナッツ類高騰の理由をニュースで知りました。またもや原因は中国です。最近、ナッツの栄養価が見直されたこともあり中国人が買いあさっているというのです。日本は加工されたものを買ってきますが中国人は原産地でできたものを安値で大量に買い占めて自国に持ち帰り加工する。自国で消費するだけでなく高く売れると踏んだら高値で輸出するのだそうです。

 なりふり構わぬ拝金主義も中国の歴史の産物なのでしょうね。南沙諸島問題、尖閣諸島問題も含めて、その歴史認識とその誇りは中国人を独善的に育てたのだろうかと感じる昨今です。

 これは余談です。台風が発生するたびに台風が尖閣諸島を通って欲しいと私は願っています。せめて台風通過期間だけでも世情が静かであって欲しいです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Amuze Lernu (楽しく学べ)終了

2014-07-18 09:02:18 | エスペラント
 2011年韓国で開催された日韓共同大会で記念に購入した、韓国エスペラント協会発行の『Amuze Lernu』を昨日読み終えました。 開始時期は12年の8月ですから2年がかりでした。といっても友人の喪中は4ヶ月はModestoの『Mara stelo』を読みましたので実際は20カ月と言う所でしょうか。

 さて表題にある『楽しく』とはどう学ぶべきなのか首を傾げたりしたり、軍隊に絡む韓国の風習なども分かりかねたりしていましたが、いつの間にか類似語探しをしたり、エスペラントが思い浮かばない時には、日本語から奇妙奇天烈なエスペラント合成語を作り笑ったり、終わってみると結構楽しんでいたように感じます。本はあるものの、またそれを読んではいるものの、あまり学習とは言えない集まりでしたが、一番若手の友人のエスペラントの発言を聞くにつけ、彼女のエスペラントは進歩したものだと感じています。私などは古い単語を忘れないように同意語や類似語を捜し、記憶保持にそれなりに役立っていたと思います。ですが、初めての単語、あまり使われていない単語を覚えるのは徐々に難しくなっていると感じました。

 『千里の道も一歩から』いつまで続けられるか分からない集まりですが行きつける所まで行きましょう。次の本も用意したのですがverdavjetoさんが電子版にしようとしている『 Sub la negxo』を読む事にしました。原本がないのでどれだけ打ち間違いが見つけられるか分かりませんが読んでみます。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅発つ前に

2014-07-16 07:44:48 | 雑感
 10日後、アルゼンチンに出発するというのに荷造りもまだです。冬物をリュックに入れてみたのですが着替えまでは入りません。もしも荷物が付かなかったことを考えると2日分の下着は手荷物にしなくてはなりません。やはり大きめのバックに着替えを入れましょうか。

 出発前に姉のところにも癌治療中の友人のところにもパンを届けたい。それにわが家の分もあるし・・・。人形の家に出かけた時一人の友人が私もそのパン欲しいと言いました。彼女は癌手術を2度しています。今度再発したらなるがままに任せるといっています。イチヂクが本当にガンに効くかどうか私にはわかりませんが、上げるとすると一度きりでは済まないのでしょう。彼女はお金を払っても欲しいと囁くように言いました。お金をもらってまで人に与えるほどの気もありません。

 3月だったでしょうか、友人の一人が裏毛付きのジーパンを持ってきました。私の上げると言います。生協だか通販だか忘れましたが、実物を見ないで買ったら足が長くて履けないという。私の長さならぴったりだろうという。待ってよ、お尻の大きさはどうなの?はるかに私の方が大きい。裾上げするから計って来てというとラッキーと再度持ってきました。これもまだしていない。今日はこれを直しましょうか。その他片付けておくべきものは何だったでしょう!事故にあわないなどと言う保証はないのですから。

 人形の家に一緒に行ったひとりの友人の次女は子どもの頃私が世話をした子でした。現在42歳。6年生と1年生の子どもがいます。2年前、朝起きたら夫が亡くなっていました。歳は彼女より少々上でしたがまだ40代前半だったのです。息子の名前に海と言う漢字を入れるほどダイビングが好なスポーツマンでした。彼女は今どうしているかとその母親に尋ねたら『最近発狂したように泣くことは無くなった!』と言いました。仕事を持っていたから経済的に子どもを育てることはできるでしょう。が、いまだに辛い日々を送っているでしょう。旅の途中事故ではなく突然死と言うものに襲われるとともあります。

 そんな愚にもつかない事を考えるのが旅発ち前の習慣です。さあ、できることから熟さなくては!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姉のトウモロコシ

2014-07-14 09:00:38 | 家族・友人・私
 金曜日午前、姉から今トウモロコシを送ったとメールがありました。今年のは小ブリですが甘いですと言う事でした。千葉で午前に出した小包はたいてい配達が12時ごろです。午前中配達を待つ事にしました。2時過ぎても配達がないのでやむなく買い物に出かけました。留守中に配達に来たという知らせが入っていました。早速配達員の携帯電話に連絡。彼はこれから郵便局に帰る予定で配達は6時過ぎになりますと言う。それでも良いというといや8時過ぎになるかもと言葉を濁していました。この暑さ、明日で結構ですと言わせたい雰囲気でしたが、生ものと言われたので今日中にお願いしますとこちらも返答。

 夜8時半小包が来ました。トウモロコシが8本とトウモロコシと引き換えに近所からいただいたという玉ねぎが2個入っていました。トウモロコシは外皮の上にしっかりとラップが巻かれていました。同封の便りによるとそのまま数分レンジにかけて蒸すのだそうです。昨日その通りにし調理したら皮をむく手間もいらずその上甘みにもあるようで結構美味しかったです。

 そう言えばいつだったかテレビで見たのですが、さつま芋を洗わず、泥つきのまま焼く、焼き芋屋さんのことを思い出しました。水がどこにでも豊富にあるわけではありませんし、自然の形の調理法は結構持ち味を保つのかもしれませんラップをアルミホイルにし、電子レンジを焚火に替えれば災害の時にはこの調理法は役に立つでしょうね!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中華街散歩

2014-07-12 08:33:45 | 家族・友人・私
 9日水曜日台風が来ると言われたけれど予定どうり友人たちと出かけました。友人の従妹で人形作家の福田朝子さんが人形の家で人形展を開いているです。中華街で買い物があるから寄っても良いというと私が言うといつのまにか4人になっていました。一人の友人の娘さんがマンションで会員制の洋服店を開いているというので好奇心もあって寄る事にしました。
 
 店はマンションの3階にありました。離婚後友人の手伝いをして商売の仕方を覚え、中華街の近く、元町の外れて商売を始めてもう10年になるそうです。今は婚家に置いってきた息子さんも成人しこのマンションで一緒に暮らしているそうです。服の量の多いこと多いこと。また、私たちの年齢では手に取る事もないような派手派手な服があふれていました。会員制をとるのは割引率が高いので公けに売らないようにと言う問屋との約束があるのだそうです。日本の問屋からの仕入れだけでなく自分で韓国に行って仕入れても来るそうです。女性が一人暮らしてゆくには充分な収入があるようでした。会員制といっても会員が知人を連れてやってくるので芋蔓式にやってくる人も結構増えるので近所のブティックよりは入店者も多いという事でした。普段手に取る事もない派手派手な服を手に取り大はしゃぎし結構楽しみ、3人ともパンツ(スラックス)など買ってしまいました。

 福田さんの人形展『人形が語る様々な母の姿』はいわゆるかわいらしいだけの人形だけではありません。歳老いた母の姿がテーマです。懸命に生きつ昭和の母の姿。サッカーに夢中の白髪の母。凛とし空気を漂わす着物姿の老婆などがおりました。実は2010年埼玉県の小川町で開かれた人形展に1泊で遠足がてら見に行きました。その時の展示の仕方と人形の家の展示の仕方は髄分と違いました。展示ケースが鏡になっていて、横の姿も後ろ姿もしっかりと見えるのです。若者の姿と老人の姿の後ろ姿の違いがしっかりと見て取れて楽しかったです。さすが人形の家と言う展示の仕方でした。
 最近お孫さんができたとかで可愛い子どもの人形もありました。

 期間は7月13日までだったのですが、好評だったので8月3日まで延長されました。昭和生まれには自分の母や祖母と重なり思い出話をしながら見れるような人形たちでした。夏休みです。お孫さんと見に行き昔を語ったやれる良い材料だと思います。是非是非お出かけください。数年前マリンタワーも改装されましたし、たまには横浜の雰囲気を楽しんでください。

 本当はビラを取り込んで皆さんに人形の雰囲気を伝えたかったのですが、なぜか忙しくそこまでできませんでした。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素晴らしかったラオスの若者たち

2014-07-08 14:09:53 | ラオス人を家族に持つと
 だいぶ前ですが息子が録画していたら6月12日に再放送された世界のドキュメンタリーを見ました。きな臭いニュースが飛び交うので感想を書きそびれていました。内容は13年にスウェーデンのエーテボリ行われた国際ユースサッカー大会に参加したラオスの少年達の物語です。

 この大会ゴシアカップには世界70カ国から1600チーム。35,000人以上の18歳未満の少年たちが参加しました。

 イギリス青年ギャリス・カートがラオスに到着したところから物語が始まりました。彼は仕事を辞めて東南アジアを旅行中にラオスでガイドのマノペットという若者と会います。マノペットの本業は不発弾処理です。彼は子どもたちの生活を改善したいと自宅に英語学校作り、子ども達に意欲を持たせようとサッカーチームを作って活動していました。それを聞き、ギャリスは少年たちを世界ユース大会に参加させることを思いつきイギリスで遠征資金を集めマノペットに資金集めに成功したという朗報を伝えるために再びラオスを訪れたのですが遭遇したのはマノペットの葬式でした。

 しかし、少年たちの親たちが子どもを海外に送りだすことに同意し彼らはエーテボリで大会に参加したのでした。

 この少年たちの村(町?)ホンサワンはベトナム戦争当時のホーチンミンルートにあり、アメリカはこの地帯を石器時代に戻すと称し、大型爆弾4000万個、クラスター爆弾2億6000万個を投下し、今も8000万個を超える不発弾が残っていると言われています。

 ラオスの少年たちは第1試合は体の大きなスウェーデンチームに負けましたが、以後、闘いながら力を付け決勝リーグに進みます。準決勝でハンガリーチームにPK戦で負けますが、戦った相手チームの監督等は彼らの正正堂堂とした闘いを褒めたたたえていました。そしてこの大会のフェアープレー賞も受けました。

 彼らの真摯な戦いぶりに胸を打たれました。ラオスは軍事政権下にあります。2度訪ねて感じたのは一般国民と政権はかい離しているのではないかと言う事でした。ラオス人は政治的には自由は制限されているでしょうが、向上したいという心は人一倍強いと思います。頑張れラオスの若者たち!あなた方の未来がいつか開かれるように願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもの苛め

2014-07-04 08:47:15 | 福祉と教育
 先日小学3年生の女の子が友人が苛められているのを見かねて、いじめるなら私をと身代わりを申し出たら当事者ではなかった子どもが3人がかりでその子に暴力をふるい怪我をさせたというニュースを見ました。先生は単なる遊びと見ていたようですが。

 私の2男も小学3年生の時に苛めにあいました。当時男の子たちは野球に夢中でした。多分テレビの影響もあった事でしょう。ガキ大将がしごきのまねをしたのが始まりでした。遊びが次第にエスカレートし投げ方が悪い、落球した、打ち方が悪いなど何でもしごきの対象となっていたようです。ある時息子が僕のお尻を見てと言いました。お尻には真っ赤な跡があり、その子にバットでぶたれたものでした。彼が言うには僕はお尻だからまだいいけれど○○君は腰を打たれて地面に倒れて動けなかった。もし怪我しているといけないから電話して調べて欲しいという事でした。電話を受け○○君の母親が息子の腰を見ると8センチ幅15センチにわたりは赤く腫れているという事で彼女があちこちに電話して子どもが怪我していないか聞いたので大騒ぎになりました。でも、子ども力関係は変わりません。学校へ行くと子どもたちはガキ大将の言うなりで、いじめの対象は我が子一人に絞られました。学校帰りも狙われました。息子は自分で解決したいから口を出さないでと言うので気が気ではありませんでした。正門も裏門を封鎖され、塀近くにあった松の木によじ登り塀に登り跳び下りて帰ったことがありました。母親たちは大騒ぎするも中年の先生は動きません。母親たちが騒ぐのでいじめの対象が息子からガキ大将に向かいそうな気配が見えました。そんな時、息子が血相を変えて帰ってきました。ガキ大将△君の父親から家に来るようにと彼を通じて言われたのだそうです。‘まさか、あのお父さん僕を殴ったり殺したりしないよね。僕は自分が悪くないから逃げるのは嫌だから行ってくる。夕方帰らなかったら警察に電話してね!'彼は決死の思いで出かけてゆきました。
 数時間後帰ってきた彼はほっと溜息をついて言いました。‘家に着いたら△君のお父さんが出てきてね、今日は一緒に遊んで欲しいと言ったんだ。僕はいつ△君に殴られるかと思って怖かったけれど、お父さんは玄関のドアも、書斎のドアも、子ども部屋のドアも開け、僕がいつでも逃げ出せるようにしていたから怖かったけど我慢できた。だけど怖かった!'と話しました。以後△君の息子への苛めは消えました。また、△に君いじめが移行する事もありませんでした。息子をクラスメートと和解させようと決断し、自分の目の届くところで和解させた△君のお父さんのとった処置は素晴らしかったと私は今も思っています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老兵は今も

2014-07-02 10:07:32 | 平和
 昨日夫の友人から夫にメールが届きました。これから国会に座り込みに行きます。もちろん安倍政権の憲法9条の解釈変更に対する抗議です。私もEUがノーベル平和賞をもらうなら日本国憲法9条もノーベル平和賞をもらえるほども価値があると考える一人です。この存在が日本とその周辺国に心理的安定を与えてきたのですし、存在意義は大きいと思うのですが。と思っても憲法解釈変更に反対の意思表明をするために国会にまで出向く気力は無くなっています。

 彼は大学3年の時に編入してきました。私などより年上で、すでに大学出の技術屋でした。母と二人暮らしですが母親に内緒で定職を止めての編入でしたので、母親に今までと変わらぬ生活費を渡すためにいくつかの仕事を掛け持ちし、その上にある政党のオルグ活動をしていました。

 今朝のテレビニュース。国会前の群衆は午後3時ころは数100人でしたが、次第にその数が膨らみ夜の11時ころになっても人々は抗議のシュプレヒコールを叫んでいました。彼はもう82~3歳。きっとその群集のなかにいたに違いありません。老いてもなお、意気軒昂な彼にせめて声援を送りましょう。

 それにしても昨日は暑かったですね。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エスペラント読本

2014-07-01 10:26:35 | エスペラント
 エスペラント読本= Esperanta legolibro はエスペラントの文法は分かっているが、それを活用するのにまだ不慣れな初心者が自分の知識を確実にするために読む本と思われがちです。でも色々な活用法があると思うのです。私など長いことエスペラント生活をしていてもエスペラントを日常生活では使用しないので次第に若い時に覚えた単語も忘れがちになります。私のような人間が記憶を保つために、あるいは忘れた事を思い出すために暇な時に目的もなく読むのにも良い本だとも思います。代表的なものとしてはプリバーの『Karlo』があるようです。

 昨日verdavojetoさんからそんな本の一つ『Sub la negxo』を打ちこんだPDFをいただきました。1920年代このような初心者向けのエスペラント読本が結構多く発行されました。私もエスペラント文になれるにはこれらの小冊子を繰り返し読みなさいと先輩から数冊もらい幾度か繰り返し読みました。今のような複雑な合成語など使っていませんので初級者でも結構読めると思います。

 せっかく写本したのですから活用方法を考えたらとメールしたのですが、何か良い方は無いでしょうか。E-libroに入れてもらったらと思うのですがその前に校正が必要かもしれません。興味のある方はverdavojetoさんに送ってもらい、読んでおかしな所や単語を見つけたら彼女に連絡してあげたら自ずと校正の助けになると思うのですがいかがでしょうか。間違い探しも結構楽しいかもしれません。なんでも遊びにしたい私の提案ですが、間違い探しのゲームにしてみてはいかがですか。

verdavojeto http://blog.goo.ne.jp/verdavojeto
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする