glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

昭和と言う時代

2007-04-30 09:58:54 | 平和
 昨日は久し振りに休日に展示ボランテイアに行きました。天気がよく旅行に出られた人も多かったでしょう、入館者が少ないのに平和展示室には途切れることなく入室者が続きました。

 深川で2月と3月空襲にあったという方もいました。16年生まれのその方は家族で来られていたのですが、戻ってきて焼夷弾はどんなものか聞き直をしていました。子どもの目には自分ほどの大きさの筒状の爆弾が落ちてきたのだ・・・・。おばあさんに手を引かれ辛うじて逃げ、3月10日の空襲では池のような所に飛び込み生き延びたとも。

 家族で見えている年配者も数組ありましたので久し振りに子どもでない人達と話しました。

 昭和とは  ・・・ 戦争の時代・・・戦争に翻弄された時代だったのだとあらためて感じたました。

 今私達は戦争の後遺症から脱却し豊かさを享受しています。

 平成と言う時代はどこへ行こうとしているのでしょうか。昭和に生きた人々の痛みや苦しみを忘れていないでしょうか?

 昭和と言う時代の経験を忘れ、私達は同じ危険な道を行くことのないように、楽しいことや面白い事だけでなく、人生、あるいは人生観についても話合う必要があるとお感じました。

 実は土曜日にあるボランテイアグループの総会に出席しました。最近福祉関係のボランティアをする人が不足している事が話題になりました。
 世間は団塊の世代が仕事を辞めた後、どう快適に暮らすかなど論議しています。その論議の中ににボランティア活動への参加も入れて欲しいと思います。

 情けは (哀れみではなく友情・愛情など) 人のためならず。

 
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ひなげしは咲いたけれど

2007-04-25 07:35:40 | 家族・友人・私
 玄関前、南側に少々と東側一面に数無数のひなげしの蕾があり、次々と花が咲き壮観と言えば壮観です。
 明日は雨というので昨日、10数本とり玄関に飾りました。

 でも、根と葉が凄いのです。東側はよその土地と4等分されたような形になっています。我が家だけが部分的に野原の感じです。
 なんとなくその狭さがひなげしに相応しくなく、どこか侘しい。 

 そこは昨年ゴーヤを多量に収穫した所です。冬中自家製堆肥を撒いておきました。その栄養をひなげしは全て吸い取ったようです。あまりにも立派で相応しくない!

 可哀想ですがは種ができないうちに抜き取ることにしましょう。この花には広い野原が相応しいのです!

 今度ははゴーヤとインゲンの垣を作れたら良いと思っています。

       
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姉・妹・弟

2007-04-17 20:09:20 | 家族・友人・私
 一昨日、姉から電話があった。
 『知っている? ちゃんが頚椎の手術をするんだって!手紙なんかくれない人のにはがきもらって驚いて電話したら、手術は明日なんだって!』

 長いのです電話が・・・。姉と言うのは先に生まれたからというのでいつも優位に立つ。下っ端の位置を与えられたものにとってはときには腹立たしくなるのです。心配している時には余計に色々とお節介を口に出し、こちらは高圧的態度だと感じてしまうのです。弟の無事を願いながら電話を切りました。

 今朝また電話がありました。手術が無事終ったと弟の妻から電話があったそうです。とてもはしゃいでいました。

 腰の骨を削り取り、頚骨を補強したそうです。我が夫も指に腫瘍ができて同じ方法で補強しました。

 本当に医学も進歩しました。先ずはバンバンザイです。

     
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さんぽ

2007-04-10 12:53:49 | 家族・友人・私
 土曜日、なんとなく腰が重かったのです。電車で出かけ家に帰り着くと立ったり座ったりと体形を変えるのが苦しくなっていました。 

 日曜日、陽射しが強い窓辺で甲羅干しではなく、腰に陽射しを浴びて日光浴をすし腰を温めると、大分楽になったので選挙にゆきました。気の入らない選挙でしたが、初めての場所なので投票所見学も兼ねました。桜吹雪が凄かったですね。 

 腰の痛みの原因は?
 加齢現象でもあるでしょう。でも、最近数ヶ月、花粉が恐いので歩きませんでした。買い物も極力車を使っていました。筋肉が弱くなったのかもしれません。

 昨日は早速散歩を試みました。情けないことに散歩なら散歩だけと決める事ができない貧乏性の私です。
 我が家の近くに古民家のある公園があります。夏にエスペラント大会に来た友人を招待したいので休館日を聞くに行くことにしましたのです。

 少々上り坂ですが5分ほどで公園の入り口です。民家を案内してもらい、我が家と反対方向に下りることにしました。それほど山道を登ったとは思いませんでしたが、長い長い階段を下りました。階段の両側にはまさに青竹。すくっと伸びた青竹の林が続いていました。日本の風情を味わってもらえそうです。

 ですが、5時には民家は閉められてしまいます。友人を招待する予定日に私は遠足の付き添いで4時まで仕事です。案内を誰に頼むか今、思案しています。  

 1時間ほどの散歩でした。帰りは雨に降られました。今日はどうしようかと空を見上げています。散歩よりも腰を鍛える運動があるならばその方が私には向いているように思えます。
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高松塚古墳

2007-04-06 08:29:31 | 雑感
 高松塚古墳の墳墓の石が切り出されているニュースを目にしました。地元の一人が言っていました。『これじゃまるで盗掘にあったと同じ跡が残るだけだ』と。

 待ってください!復元計画は無いのですか。

 フィレンツェではミケランジェロの丘の上に複製のダビデ像が立っています。本物は美術館にあります。それが良いのではないでしょうか。このまま地元に置いて朽ちらせるのはもったいない史的遺産です。

 いつか元の場所に石棺が復元され、描かれていた絵の色も復元され、古代の色を見せてくれたら、多くの人がきっと訪れるでしょう。今、1歩踏み出しただけでは無いかと私は感じています。今まで見つかっていなかった遺構も現れているとか。
私たちに古代の生活を示してくれる、そんな明日香村にいつか訪れたいと願っています!
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Kion la patro faras, c^iam estas g^usta.

2007-04-03 09:00:07 | エスペラント
Kion la patro faras, ĉiam estas ĝusta. とは『お父さんのすることはいつも正しい』とういう意味です。

 この記事は昨日書きましたが例によって例の如く消えてしまいました。最近お休みが多いので消滅する危険などすっかり忘れていたのです。

 さて、昨日の毎日新聞の余禄にアンデルセンのこのお話の紹介がありました。202年前の4月2日アンデルセンが生まれたそうです。
 この話は貧しい田舎の夫婦の話です。二人はお父さんお母さんと呼び合い仲良く暮らしています。妻はいつでも夫の判断を『お父さんのする子とはいつも正しいと賞賛します。』
 さて、夫婦の財産といえるものは馬一頭のみ。これを市に行き売ることにします。夫は妻を喜ばせようと色々と交換してゆます。

 馬→牛→羊→ガチョウ→にわとり→腐ったリンゴ一袋

 そして終いはどうなったでしょうか。自分で読んで確かめてください。
 私も急ぎ確かめました。エスペラントではたった6ページです。訳者はザメンホフです。彼はアンデルセンの童話集から107編エスペラントに訳しました。ページにすると800ページに近いです。そしてKion la patro faras, ĉiam estas ĝusta.は最後から2番目に載っています。この童話集を暇を作ってまた楽しみたいと思っています。

 この本にいつ切り取ったのか年月日が書いていない切抜きがはさんでありました。その切抜きによるとアンデルセンは貧しい靴屋の子ということになっていますが、父親については諸説があるそうです。デンマーク王の息子だという説まであるそうです。
 理由は父亡き後母はフィリップ8世につかえ、アンデルセンは王子の遊び仲間として城で過ごしていたこと。教育も貧しい靴職人の息子とは思えないほど高度な教育を受けていた事。母が病気の時にフィリップ8世は入院先まで見舞いに訪れていた事。童話の発表は王の城や貴族の館で行なわれ王自身が出席していた事、王の臨終となる病の枕元にアンデルセンが始終呼ばれていたなどという記録も残っている事などから王の息子説は出ているそうです。人の人生は中々面白いですね。

 さて現実問題としてですが、私にとってお父さんのする事は全て正しいというわけには行きません。始終文句を言っています。
 年と共に異議は増える予感がします。
 

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Nia trezoro ( 私たちの宝物 )

2007-04-01 14:42:41 | エスペラント
 私たちのエスペラント会には高校生がいます。今の高校生は活動的な生徒もいっぱいおりますが、忙しく、継続的に学習しなければ習得できないエスペラントに興味を持ってもを学習には中々いたりません。ですから彼女は本当に宝物です。

 先日、彼女の事が話題になりました。普段でも欠席勝ちなのに受験勉強が始まったら継続できないでしょうということでした。

 エスペラントはことばの構造さえきちんと理解しておけば、例え単語を忘れても辞書を片手に復帰できるはずです。まだ継続の意志がある時に今までの学習のまとめをさせエスペラントの構造を頭に入れさせおけば、例え10年休んだとしても容易く復帰できるはず、春休みのこの時期に補習をしてやればよいと意見を述べました。

 そしてのその役を引き受けました。

 合宿の翌々日(水曜日)と金曜日に補習をしました。

 第一日目は語尾変化と文の構造の復習。接辞(接頭辞と接尾辞)の使い方。
 この接辞は相関詞とともにエスペラントでは重要な役目を果たします。全部で42個有りますが、これらと単語と組み合わせで、少ない語根で多くの複雑な言葉を表現できるのです。一応の説明の後に彼女が今まで読んだことのない文を読ませて、出てきたときに気付かせると言う方法で学習しました。
 若いと言うことは素晴らしいです!!

 4時間も学習したのに疲れたとは言いませんでした。が、私が疲れたので終了。

 二日目は相関詞。相関詞の変化の構造を知っておけば、多様に応用で来ます。
例えば不定が:io,ie,iu、iam、ial,iel、ies,ial、iom、
 これにkが付くと疑問:kio,kie,kiu・・・
 これにtがつくと指示:tio,tie,tiu・・・
 またnenが付くと全否定:nenio,nenie,neniu・・・

 また本を読みなが、出てきたときに説明と言うことで・・・学習しました。

 私にとっても久し振りの基本的学習でした。時々こうして教えながら学習しなおすので自分の記憶も薄れないで済んでいると思っています。この日も学習4時間の他、いつもボランテイアをしている展示室の案内もしたので5時間ほど一緒に過ごしました。若い人と過ごせるということは新しいエネルギーをもらえるようで嬉しいことでした。

 ところが昨日彼女から贈りものを貰いました。お小遣いを使わせて悪かったなと思いましたが頂きました。
 それが真四角な小さな缶に入ったお菓子でした。缶には小ぶりの折り紙が入れられそうです。旅行の際につかおうと思います。中身は一人で食べるのはもったいないので次の学習会にみんなで食べようと思います。美味しさも数倍になるでしょう!
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