glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

おかしな客

2012-07-23 05:12:44 | ケチケチドキドキカナダ旅行

 トロントのB&B

 この宿は日系人が経営しているとかで働いているのはワーキングホリデイで来ている若者たちのようでした。小さいながら台所もあり、宿泊客専用の冷蔵庫があり、自由に自炊できるようになっていました。建物ももう一つあるそうです。私たちの部屋は3人部屋ですがベッドの間には間仕切りが置かれていて互いの寝顔を見なくて良い工夫がされているのはさすが日本人です。値段は1泊105ドルだったと思います。もっと小さな部屋はもっと安く、退職後日本から語学研修にやってきた人は6カ月契約だそうです。
 私たちは1月ごろこの部屋を抑えました。ところがこの部屋を長期に借りたいと言うに女性が現れ私たちの宿泊日は他の部屋に移るという条件で貸したそうです。ところがその前日彼女が帰って来なかったそうです。そんなわけで部屋を私たちに引き渡すために従業員たちはてんやわんや。それでも片付かない小物を整理ダンスに入れたのでその引き出しは宿に貸して欲しいと言う事でした。私たちはバックから荷物を出す予定もなかったので快く了承しました。

 26日夜9時ころ、私たちが例によってくつろいでいると女性従業員が困った顔で一人の女性を連れてやって来ました。ローズマリーだったかマリローズだったかそんな名前でした。彼女が突然帰って来て荷物を取りたいと言い出したのだそうです。従業員の困った顔を見て友人が入るのを許可しました。私は知らんふりで寝ていました。30分もガタガタしていたでしょうか、いくつかの袋に全ての荷物を詰め込んでいざ退散と思いきや、一度で持てないのでまた取りに来ると、荷物を半分部屋の中に置いって出ていったのです。廊下に出しておいても盗人などいないのにと腹が立ちました。また取りに来た時、その女性はベットの下にもあるかもしれないとぶつぶつ言って、私の完全無視が気に入らなかったのか私のつい立の所まで来て私の顔を覗き込んでいました。こんな時私は無性に腹が立ちます。日本人がヨーロッパ系の人になめられているとつまりアジア人蔑視を感じるのです。

 さて、翌日、バスで空港へ。バス停は凄く混雑していました。三つの空港に行くバスが同じ所に停ると言う事で旅発つ人を送ってくる車がその場に停まります。また、バスを間違えたら大変なことになるのです!少々心配しながらバスを待ちました。バスに乗る時姉はずいぶん前にもらった(20年ぐらい前?)無料チケットを使いました。受け取った運転手は‘おお!ワンダフル!’と言い、私と友人はこんな時にもワンダフルという単語を使うのねと囁き合って妙な事に感心していました。

 空港カウンターでは職員が私たちが確保しておいた座席を見て前後の席では楽しくないと手真似で運が良ければ寝てゆけるようにしてあげると空席の列に私たちを通路を隔ててそれぞれに席を取ってくれましたが、残念ながら寝て帰ることはできませんでした。
 荷物をカウンターに預けた後で3人で最後の乾杯と昼食をして私と友人は飛行機に乗りました。

 長い様であっという間の3週間でした。もし周囲が許してくれるならもっと長く滞在したかっです。

 今週はハノイに出発します。もしかしたら最後の海外旅行かもしれません。目の手術をしたら今度いつ飛行機に乗れるか分かりません。気圧変化はダメなようです。とにかく楽しもうと思っています!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姪からの招待

2012-07-22 11:25:51 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 5月26日の夕食は姪に招待されていました。レストランは私たちの宿近くのベジタリアンレストランです。夕食の前に休憩しようと午後早めにトロント島を発ちました。宿の近くにオンタリオ州の州議事堂があるので寄って行こうと言う姉の提案で地下鉄からすぐの議事堂に向かいました。ところがです。なんとこの日は開放日でした。普段は入れない議長室まで入ることができました。私たちは本当に幸運に恵まれています。充分に議事堂内を楽しんでトロント大学の構内を通って宿に戻りました。

 姉はベッドで昼寝を、友人はイスに座って音読を、私はベッドに横になって彼女の耳を傾けていました。一時間あまり休憩して姪の迎えを待ちました。初めの予定では渡井と姉は彼女の所に泊る予定でした。友人が一緒したいと言うので宿をとったのです。姪との再開は10数年ぶりでしょう!姪の夫と子どもたちには初対面です。レストランは前の日に通った通りにありました。その日のお勧めは豆腐ハンバーグでした。あんかけのようになっていました。あんはともかくハンバーグは美味しかったです。味には自信があるらしく3種類の豆腐を使っていると言う事でしたが、私には木綿豆腐と高野豆腐しか思いつきませんでした。
 食後、姉の荷物を彼らが持ってゆくために彼らも一緒に宿まで同行しました。面白かったのは姉の孫たちです。小学1年生と3歳です。姉の方が庭でタッチごっこを始めました。狭い庭を走り回り木や植え込みに抱きつき始めたのです。弟もまねて姉のと同じものに抱きつきます。
 もう帰ると母親に言われた時、二人は最後に笑いながら私たちに抱きついてきました。シャイな姉は、私たちへの歓迎の気持ちを遊びに託して表現してくれたのでした。


オンタリオ州議事堂。日本ではこんな経験はありませんでした。

タッチごっこ。歓迎の予行演習を思いついたようでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月26日:トロント島へ遠足

2012-07-15 08:24:06 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 始発のフェリーに乗ろうと8時ごろ地下鉄で出かけました。宿から地下鉄まで5分ぐらい、地下鉄からフェリー乗り場まで10分足らず。着いた時乗り場には人まばらでしたが、瞬く間に大勢の人が集まりました。大きな荷物、クラーボックス、昼食の材料です。遠足の事をつべこべ述べたとしても楽しくはないでしょうから、私の目に映ったものを少しお見せします。

トロント島の近くには飛行場があるそうでフェリーから偶然取れた写真です。

 上陸

島の地図

 戯れる白鳥

 パトロール船
 この木なんの木気になる木。ピンクや白い花を付けたトチの木は沢山ありましたが・・・。

 雁が飛ぶ

 いくつもの飛ぶ雁の群れを見ました。時には空中で交差しながら。

 岸辺のベンチから遠くへと広がる湖面を眺める。

 親子

 鳥も沢山いました。ずるいカモメは自分だけ餌をもらおうと他のカモメたちを威嚇しているうちに投げたパンは他の鳥に撮られたり、可笑しかったです。
 雁を見ていると子どもの頃空を飛ぶのを良く見たこと、母が歌ってくれた歌などを思い出しました。その歌、みなさんはご存じでしょうか。

 雁が渡る 啼いて渡る 啼くは嘆きか喜びか
 月のさやかな秋の夜に 鉤になり 竿になり 
 わたる雁 おもしろや
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トロントへ

2012-07-14 11:01:07 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 5月25日、いよいよ出発地点であるとトロントに帰ります。オタワに着いた時、貨物列車の労働者のストライキがあり途中までまたバスで移動すると言う事を言われていたのを思い出だしました。少し早めに駅に行き時間まで待つことにしました。ゆっくりと音読の時間が取れました。また、通路にあった鉄道地図を写真にしましたが乗り換え駅だけ光って映っていませんでした。

 
 地図を眺めても距離の感覚がつかめません。


 光っている所で乗り換えました。


 ここで乗り換えトロントへ。

 路線に変更が生じたりすると女性一人旅では不安になります。20年ほど前一人でスカンジナビア半島を旅した頃はインターネットも使えませんでした。半年も以上も前から地元のエスぺランティストに便りを書き情報や宿泊のOKをもらい、その他の所では自分の足跡を残そうと宿はインフォメーションで紹介してもらいました。旅をするのは親しい者達3~4人が良いと言うのがこの旅の実感でした。本当に楽をし楽しませてもらってもうすぐすごろくの上がりに到達です。

 宿はとロンド大学近くの日本人の経営するB&Bです。レストラン街が近くにあるのですが、翌日のピクニックのお弁当も必要なので、少し離れたスーパーまで買い出しに行きました。

 列車の食事は日本人にはかなり多いものでした。夕食はカップラーメンにしました。その容器は翌日ピクニックに持ってゆく胡瓜の漬物もどきを作るのに使いました。容器を洗うのに最後の重曹を使い切ったと友人と大いに喜びました。醤油も翌日の漬物もどきに使用し、この入れ物も空っぽ。私たちは物の使い方が上手だと自画自賛したのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巣立ち

2012-07-13 11:01:54 | ケチケチドキドキカナダ旅行
  『最近いやな事が続きます。例えば大津市の中学生の自殺問題、そして昨日の九州の大雨と山崩れ!こんな楽しい思い出を書いていていいものかと感じながら、心の記録だからと自分を納得させて書いています。若い時は良い未来があると信じて頑張っていたのに、私の前に広がる現実はまるで荒野のようです。ただ、いつか実現してみせると努力したエスペラントの世界への参加だけが果たされましたが・・・。』
         

 24日午後は4時半までのんびり過ごしました。友人はズラフカの本を音読し私はそれを聞きながら携帯電話を試してみました。電池はほとんどなくなっていましたが、圏外ではないようです。充電器をつなぐと、海外充電サービス無料という文字が現れ、はいを押したとたん瞬く間に充電してくれました。圏外では充電もできないと言うことを始めて知りました。

 5時半ごろ美術館に到着。式典をしているがもう中に入っても老いという事でしたので中に入りました。ゴッホ作品は1887~1890年に描かれたものでした。ですから後期の有名作品はありませんが、あの有名な作品への移行を示す絵がありました。またゴッホに影響を与えたと言う浮世絵も展示されており、カナダで本物の浮世絵に会うとは驚きでした。

 見学後外に出ると美術館前の彫刻(?というよりアート作品9)の大蜘蛛から雛の鳴き声が聞こえます。黒い鳥です。親鳥はこの彫刻の胴の中に巣を作ったようです。二羽の鳥がえさを運んでいました。一羽が巣から這い出したものの巣には戻れずかと言って飛び立つ事も出来ずピーピーと悲鳴をあげています。親鳥は何度も飛び立たせようと試みますがなかなかうまくゆきません。私たちはベンチ座って眺めていました。そのうち蜘蛛の下に人々が集まり始めました。夕暮れの中私は見ることはできませんでしたが、姉が飛んだと叫んだとたん、蜘蛛の上にいた雛の影は見えなくなりました。

 暮れかけた運河を眺めながら宿近くまで帰り、行く時に見つけておいたカフェで夕食を取りました。



美術館前の大蜘蛛のアート。4~5メートルあるでしょうか。もっと高そうです。この胴体の内部に鳥の巣があるようでした。


 宿近くのカフェ。小さな宿が沢山あるのにレストランが少ないらしく私達の前を歩いていた集団もここに入って行きました。ようやく隅に席をつってもらい食事ができました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月24日(金):今日の予定は

2012-07-12 08:00:54 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 予定は運河周辺を散歩。暑いから美術館にでも入りましょうと言う事になりました。ホテルの従業員は若い女性たちで姉妹と見える娘たちもいました。朝食も注文を取ってから作ってくれました。美味しかったです。食後お湯をいただけないかと頼むと快く私たちのポットに入れてくれました。昨日のパンと朝食べきれなかったパンを持って昼食の準備完了です。後はおかずを調達するだけです。

 国会の裏手に当たる運河のあたりを散歩しました。姉が運河沿いに歩くか戻るかと尋ねるので私たちは戻る方を選びました。市場に入ると初めに目に入ったのはメープルシロップを売っているテントです。安い!モントリオールで地場産業の商品を展示即売しているセンターに入ったのですが、そこの品よりも300mlにつき1ドルくらい安いのです。荷物になりますが空港より安いですし、それに瓶の絵がカナダ国旗ではくカナダの田舎の風景でこれのは良いとお土産に買いました。おかずを探してテント村をふらふら。見つからないので常設の建物に入り、大勢の人が食べている店の中に入ってみると持ち帰りができます。端の方にサラダ類を見つけました。豆(紅白のいんげんとひよこ豆)、海鮮、人参とチーズの3種類のサラダを300gづつ買いました。12ドル少々でした。蓋は皿がわりに使えます。すぐ近くが美術館ですので美術館前の木陰でビニールの風呂敷をテーブルクロスにして暑いお茶と共に食しました。豆も美味しかったですし、海鮮サラダは新鮮なエビがゴロゴロと沢山入っていました。蟹と見えたの残念ながらカニかまぼこのようでした。
 私は以前100円ショップができたころ買ったプラスチックのまな板をいつも持ってゆきます。それと小さなナイフ。これがパンや果物を切り分けたりするのにとても便利です。
 
 さて美術館に行くと『25日からゴッホ展』という広告を見つけ、姉がこれも見たいけど明日からでは見られない。残念ですと係の女性に言うと、今日夕方6時から無料開放しますとのこと。まだ2時前、宿で一休みして夕方きましょうと帰る事にしました。帰りに友人がお金が心配というので途中の商業センターによって換金して帰りました。円安が進んでいました。


運河沿いの散歩


夕暮れゴッホ展を見た後違う道を通って帰路に付きました。上から眺めた運河です。


小さいのに巣から飛び出したのでしょうか。午後宿に帰る途中私たちの前を必死に走るチップマックです。40~50センチ高さの石垣を登れず転げ落ちました。とにかくシャッターを切ったら写っていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵士たちの群像

2012-07-10 10:35:56 | ケチケチドキドキカナダ旅行
カナダの国会議事堂前には各州が連邦に参加した年号とその州花のレリーフがあります。プリンスエドワード島が参加した時の話を聞いて笑ってしまいました。プリンスエドワード島は参加の遅い州ですが参加したのではなく、他の州を自分の仲間にしてやったという表現をしたそうです。誇り高い人々が住んでいる土地のようです。  その近くに兵士の群像がたっています。側面には年号が書かれています。二つの世界大戦、朝鮮戦争などでしょう!
兵士の群像



 
11月11日はなくなった兵士を偲んで慰霊祭が行われるそうです。ジョン・マクレーの詩『フランダースの野に』にちなんで赤いポピーの花を人々は胸に飾るとの事です。詳しくはserenaさんのブログにあります。
http://blog.goo.ne.jp/serena_2005/e/f481ccfdc4720f6cc8ac2118f4bf84ce

 『抜粋』
フランダースの野に

フランダースの野に芥子の花がそよぐ
列また列と並ぶ十字架
僕たちの場所と印された十字架の野に。
そして空には、勇敢にも歌いながらひばりが飛ぶ、
砲音の真っ只中その声はかき消されて

僕らは死者、昨日まで生きていたのだ
曙を感じ、夕日が輝くのを見ていた
愛し、愛されてもいた。そして今ここに横たわる
フランダースの野に。

僕らの戦いを続けてくれ
倒れながら、君たちにたいまつを投げ渡そう
君たちの手で高く掲げてくれ。
死ぬ僕らの信頼を裏切るなら、僕らは眠れない
どんなに芥子の花が育とうと、ここ
フランダースの野に。

In Flanders fields

In Flanders fields the poppies blow
Between the crosses, row on row
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.

We are the Dead, Short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved, and were loved, and now we lie
In Flanders fields.

Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow.
In Flanders field.

(エスペラント訳)
En Flandruja Kampo

Per John McCRAE
En Flandruja kampo la papavoj frapas
Inter krucoj, vico sur vico
Kio markas nia placo; kaj en la cielo
La alaudoj, ankorau brave kantantaj, flugas

Apenau audite meze de pafiloj malsupre
Ni estas la mortintaj, tagoj antaue
Ni vivis, sentis tagigon, vidis sunsubir’ brile
Amis, kaj estis amataj, kaj nun ni kusas
En Flandruja Kampo

Prenu nian kverelon kun la malamikoj
Al vi ni jetas de malplenumitaj manoj
La torcon; estu via teni gin alte


Se vi rompas fidon de ni kiu mortas
Ni ne eblas dormi, malgrau kreskas papavoj
En Flandruja Kampo
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月23日:オタワへ

2012-07-10 09:19:16 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 汽車の発車は12:50分ですが早めに駅へ行きました。計画では昼食をとってから乗車する予定でしたが、食事は出ますし、ゆったりとしたソフアのある待合室もあります。姉はパソコンを開いたり、私は小声で音読する友人の声に耳を傾けながら飲み物を飲んでゆっくりと過ごしました。

 オタワ着14:50分。駅は街の中心から離れていますのでタクシーで宿へ。体力も充分あるのでカナダ国会周辺の散歩に出かけました。凄い暑さです。国会周辺は緑も多く小鳥やリスが飛んだり駆けたりしています。小さなシマリス、チプマック本当に忙しそうです。あっちをウロウロ、こっちをウロウロ。議事堂の裏手に回り”野良猫の保護区?”を眺め、すぐその下には川が巡っていました。
 夕食は宿近くのファーストフードの店で済ませました。私と友人は豆のスープとパンを注文したらなんとスープにもパンが付いて付いていると言ってくれたらよいのにとぶつぶつ言いながら持ち帰りました。

 宿は3人部屋が無いので2室使いました。綺麗ですが湯沸かし器もありません。トイレと洗面所が離れていて、トイレ使用後に一端部屋に戻り洗面所で手を洗うと言うの少々不便でした。


カナダ国会議事堂



議事堂裏手


日陰は嬉しい!


この芝生をリスたちが駆け回り、小鳥たちが何かをついばんでいました。写真に撮ろうとすると彼らは逃げてしまう。すばしっこい1
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本の表紙をパソコンに取り込んだはずなのに!

2012-07-09 08:42:04 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 
 5月22日夕刻、友人と連れ立って買い物に出かけました。スーパーが二つあると宿のスタッフに言われましたが、二つとも小さくてほとんど品物がありませんでした。昔の田舎の雑貨屋の感じです。最初に入った方にお酒類がありましたので戻ってワインとパン、スープ代わりにラーメンを買いました。店主は韓国人系でした。帰るとズラフカから電話があり、夕食に招待しようと私たちが帰る前に何度か電話を入れてくれたそうです。伺えなかったは残念でしたが、もう、エスペラントの会は終わったと思っていたのでとてもうれしかったです。彼女の家は私たちが使った地下鉄の沿線にあるそうです。小雨が降っているけれどもし行けあら行くと言う事でした。

 夕食が終わり、友人の音読に耳を傾けているとズラフカがお菓子を持って自転車で訪ねてくれました。その後若い夫婦ジェニィとジョエルも。この若い夫婦は8月に3週間日本を訪問します。広島と関西は予定がたったけれど、関東がまだなので世話役を探していると言う事でした。お世話してあげたいのは山々ですが、目の状態はどうなっているか不安です。姉は埃だらけの家でも良いと言いますが、一応パスポルタセルぼ(無料でエスぺランティストを止める組織)の会員を紹介しておきました。

 夫ジョエルは2年程福井県の田舎で英語教師をしていたそうです。もしかしたら兵庫県?MEKAROの集会にもう一人日本で英語教師をしていた人が参加していましたので、混同しているかもしれません。
 二人とも若いけれど熱心な活動家です。先日ネットでMEKAROの事を書いた会誌を送ってくれました。音読教材にしようと印刷したら中身が28ページもありました。

 ズラフカはお菓子の他に自著をくれました。中身を見たらやさしかったので、帰るまでの読み終わるよう友人の音読する本をこれにしました。列車の待合室で、部屋で、飛行機を待ちながら彼女は読み続けましたが残念ながら60ぺ―ほどでしたが3ページほど読み切れず帰ってから読み終え、記念品として彼女が受け取りました。
 さて題名は?本の表紙をパソコンに取り込んだつもりでいたが、保存していなかったようで入っていません。木曜日に出会うのでその時写してここに挿入したいと思います。

Zdravka Metz 著 Bestoj en nia domo
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モントリオ-ル散策

2012-07-08 06:32:14 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 授業料値上げ反対の学生のデモは激化していると心配性の甥が母親に幾度もメール送って来ました。21日夜、友人のエスペラント音読を聞きながらのんびりと過ごす。発音がよくなっているのは気のせいだけではないでしょう!

 部屋は3人部屋です。シングルベット二つにソフアベット。ソフアはセミダブルです。ベットとソフアの間にいやに高い作りつけのテーブルがあります。レンジにお茶用の湯沸かし器もあります。

 22日小雨。モントリオール・オタワは私たちのために姉が用意したサービスの旅です。私もケベックのエスペラントの集会に参加する目的を果たしているので特にここに行きたいと言う希望もありません。でも、宿にいるのはもったいないとまずは月並みにノートルダム寺院へ。そして街をぶらついていたらキャップ式の指抜きを見つけました。カナダに来てから急激に視力が低下しています。使う機会がないかなと思ったのですが姉が進めるのでモントリオールの記念に買いました。値段は5ドル+税金。休憩にまた寺院に入りました。入場料8ドルでしたが、一日中何度でも入ることができます。疲れも取れ雨も止んだので地下鉄で元オリンピック会場へ。道を知っている人が全てガイド役をしてくれるので本当に楽です。展望台に上りモントリオールを見わたし、また地下鉄で宿に帰りました。遅くならないようにと急いでいたにもかかわらず警戒中の警官と会いました。学生デモは午後8時過ぎと聞いていたのにと姉。よく見ると道路が大きく陥没していました。

 夕食は近くにあるというスーパーで買う事にしました。食事の買い物大抵私の役目です。


ノートルダム寺院のステンドグラス。モントリオールが洪水に見舞われた時ある人物が十字架を背負い丘に登り神に祈りをささげると洪水が引いたというお話しに基づく。


元オリンピック会場。この尾翼の上に展望台があります。


展望台より。

展望台より。遠くに伝説の十字架が見えます。



 街の中で。この像たちの不安げな表情が意味するもの?なんだかとても気になりました!


 どうしたのでしょう!大きな穴がありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汽車はファーストクラス!!

2012-07-06 08:08:03 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 植物園見学後(5/21)寮へ歩いて戻ろうとしていたらズラフカが寮近くの林のそばまで車で送ってくれました。強行軍だったけど楽しかったエスペラントの世界ともお別れです。来年はオタワが当番だそうです。日本のエスぺランティストのみなさんいかがですか。私たちは夜の雑談には参加しませんでしたが、それでも楽しかったです!

 さて姉が呼んだタクシーはすぐにやってきたので12時前にもうケベック駅についていました。とにかく記念写真を1枚。でも建物が大きくて私のカメラにはおさまりません。昼食に私はラザニアを食べました。美味しかったです。時間までベンチで待って13:10初の汽車に乗り込みました。黒い革張りの座席でした。カナダの汽車は立派なのだと感心しました。

 さて、1時間くらい過ぎたでしょうか。ボーイがワインを持ってやって来ました。まさかここはファーストクラス?と姉が慌てて切符を確認したら私たちの支払いはエコノミー料金だったのに切符は食事付きファーストクラスになっていました。
 甥が連絡不十分で年寄りに不親切だとカンカンに怒って責任者に抗議しているのを聞いて、姉はまるで私がよぼよぼで歩くのもままならぬ年寄りと思われるような勢いでしゃべっていると笑ったていたのですが…、まさかファーストクラスとは!!
 ワインも食事も昼食後におかかわらずおいしかったです。夕食は抜く事にしてしっかりといただきました。その後デザートにケーキとチョコレートも出ました。連れの二人はケーキも食べていましたが私はもう食べられませんでした。

 でも、VIA(カナダ鉄道)も大損ですね。というのは私たちは宿を出る時に慌てないように、また次の町でホテルに着いた時に余裕があるように移動はお昼頃にしていたのです。ケベック~モントリオール、モントリオール~オタワ、オタワ~トロントと3回も昼食のサービスを受けたのです。ファーストクラスでも座席の形は全部違っていました。カナダの鉄道の様々なタイプの座席も経験できました。

 これは凄いと驚くと共に大いに満足した私たちでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月21日(月):エスペラントの集いも今日が最後!

2012-07-05 00:20:13 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 9時集合:ラヴァル大学の植物研究所付属の植物園に遠足です。予定は2時間です。みなさんは昼食をとってお別れですが、私たちは時間に追われ慌てたりしたくないのでそこで別れ駅に行きます。汽車の発車は13時10分ですのでその間に昼食を取る事にしました。

 集合場所から、徒歩組と自動車組に分かれ私たちはリリーと4人ノルマンドの車に乗せてもらいました。私は素人なので植物のことはよくわかりませんとノルマンドは原稿片手に植物の説明をします。丁寧で詳しくて、よくぞここまで調べたものと感心しました。後でズラフカがモントリオールの宿を訪ねてくれた時に聞いたのですが、3月からケベックにに来て、遠足の経路、説明すべきことなど調査していたとの事でした。その緻密さ驚きでした。例えば蕗に似た植物がありました。私が食べられるかと聞くとこれは日本で食べる植物とは違う、違いは花を見ればわかるだろうと葉の下に隠れている花を示してくれたり・・・。まさに懇切丁寧でした。植物園の最後の見学はイチョウの木でした。まだ2メートルほどの幼木です。これは広島で被爆し生き残ったイチョウの子孫という事でした。暑くて明るくて、どこから写真を撮ったら良いのか考えも浮かばず、漠然とシャッタ―を押しました。


 広島から来たイチョウの木は芽吹いたばかりというのにこの暑さです。


植物園。暑い!木陰が欲しい!


 朝コーヒーを買いに行くときグランドホッグが初めて全身を見せてくれました。写真を撮る時は気がつかなかったのですが、お腹の下にある赤い玉が気になります。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NASAのせいで道をお間違える!?

2012-07-04 06:49:46 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 5月20日の昼食はモンモラシーの滝の上方に位置するレストランで取ることになっていました。みんなそれぞれの車に分乗してです。何しろキタさんはせっかちなようで、私たちの車がいち早く走りだしました。ヤジさんが運転しキタさんがカーナビを見て方向を支持します。5分くらい走ったところでオタワから来たD氏が方向が違うのではと言いだしました。反対方向に走ったようで途中で折り返しました。

 誰も道を間違えた事を咎めたりしていませんでした。でもキタさんが言うのです。僕がカーナビを見た丁度その時,NASAが周波数をを変えたのだ、だから機械が正確に指示できなかったのだと。その発想がおかしくてみんな笑いました。一人が言いました。でも、変更は約一ヶ月に一回ですよ。それについ最近変更になったばかりです。いや、テロリストの襲撃があるかもと思うとNASAはすぐに周波数を変えるよとキタさん。それからも彼は方向指示を間違えたのはNASAせいだという論を延々と続けました。初めはこの発想の面白さに笑っていた私たちもうんざりして黙りこみました。なんとなく気まづくなったままで、モンモラシーの滝の駐車場に到着しました。

 昼食はバイキング。美味しかったです。昼食後、集合写真を撮るとは知りませんでした。昨日メールでもらったMEKAROの機関紙に載っている写真には30人ほどしか写っていません。写真の時にいなかったと姉に叱られましたが、写っていないの私たちだけではなかったようです。

 さて食後、私と友人は散歩に出ました。滝を見下ろす遊歩道が木立の中に続いています。とにかく暑かったです。前日も、30℃くらいでしたし、この日も同じくらいだったでしょう。ペルセの寒さから一気に真夏日ですので体にこたえました。ノルマンドはこの滝の落差がどんなに凄いか、ナイアガラの滝よりも大きいのだと自慢げでした。私たちには滝に降りる体力も無く遊歩道を少し散歩しただけで滝を上から眺め、木陰に座っていました。ヤジさんキタさんが通りかかり4時に出発するといいました。早めに駐車場近くのベンチに座っているとワイン氏もやって来て、私たちの運転手はかなり気が短そうだから早めに来たよとつぶやいていました。
 車はあっという間にシタデルに着き、疲れた姉をベンチに残し、私たちは暑さの中をダラダラとシタデル散歩。展望台では少年(名はトーマス?)が疲れたおばさん達の要望にこたえて近くの水道から冷たい水を汲んであげていました。帰りは道のりを短縮しようと緑の芝生の上を心地よくまっしぐらに下りました。

 夕食はラヴァル大学の近くのレストラン。近くと言っても2キロぐらいあるでしょうか。姉と私はグループの中では年長者に入るとは思うのですが、他の人の体力は凄いですね。行きはノルマンドがレストランまで、帰りは妻のズラフカ(Zdravka zdの発音は難しい!)が寮の近くまで送ってくれました。

 この夜も足湯で疲れをいやしました。


モンモラシー滝の上には虹がかかっていました。ロープウエイもありますが、下りてから滝までの距離はかなりあるように見えました。


 暑かった!みんな陽気にビールです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インディアン村へ

2012-07-02 07:57:41 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 5月20(日)、朝9時集合。直ちに車に分乗してインディアン村に出発です。ヤジ・キタの車に乗る事になったワイン氏に誘われて私も彼らの車に乗りました。ところが後からやってきた太ったD氏乗る車がないと乗ってきたので、後ろの席はぎゅうぎゅう詰でした。

ここのインディアンは土着民ではありません。闘いを逃れてオンタリオ州から避難してきたのだそうです。族長は才能あふれる人物だったようです。最初は猟をし生活を支えていたようです。この土地で毛皮は生きるために大切な物資でした。冬に不可欠なのはスノーシューズ(かんじき)でした。ホテル隣接する博物館にはスノーシューズなど展示されていますし、ホテルのソフアには頭部のついたオオカミの毛皮が敷かれていました。
 族長は新しく来る開拓者たちを助け、産業を興し村の発展に努めました。例えば木材の輸出、それが振るわなくなるとパルプ生産、そして今は精密機械とか言っていました。最後の部分は不確かです。参加グループはフランス語と英語のガイドの二手に分かれ、私にはノルマンドがかいつまんで通訳してくれましたので。

 この村の公用語はフランス語とインディアン語。道しるべなど標識にも2言語が書かれていました。ケベックには数十を超えるインディアンの部族が住んでいるそうです。言語も関連性がなくは文字化されていないため、この村のように学校で教えられることもなく、消滅しつつあるものが多いと言う事でした。
 この部族は早い時期にキリスト教に改宗したそうですが、面白いのは教会に十字架でなくスノ―シューズが飾られている事でした。


スノーシューズ。日本のマタギの使うカンジキは後ろの尻尾のようなものがなく竹製ですが、これは木製でした。
 

スノーシューズ教会の内部


 病弱で23歳で亡くなった少女。亡くなるまで朝な夕なに神への祈りを続けていたので死後聖女として教会に祭られました。


 水が豊富な土地でした。端から見える堤防の壁には神話らしい絵が描かれていました。このインディアンの守護神は亀だそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕食はベジタリアンレストランで

2012-07-01 08:23:57 | ケチケチドキドキカナダ旅行
 5月19日(土)、旧市街散歩の後はノートルダム寺院の近にあるケーブルカーで高台に上りました。広場を散歩し、少々景色を眺めてレストランへ。
 レストランでは酒類は売っていなにが持ち込み自由とのこと。お酒が欲しい人は向かいにある酒屋に入ってゆきます。私も後を追いましたがフランス語どころか英語も話せません。X氏に助けてもらいました。ケベックのお酒を飲みたいと言うと甘いのが良いかドライが良いかとの質問。ドライと答えるとドライはフランス産しかないとの事でした。ペルセで飲んだケベック産があまりおいしくなかったのでフランス産にする事にしました。8ドルと10ドルのどちらがいい?10ドルをもらいました。X氏は私のはチリ産で8ドルだと、私の10ドルは高いというような目つきで云いました。レストランでも彼らがコルクを抜いている所に割り込んで栓を抜いてもらいました。これは10ドル。私のは8ドルと他の人にも話しています。飲みながらも言われたので味見しますかというといやこれは毎日飲んでいるワインだから・・・。こちらは姉と二人で飲むのです。彼のワインより安いのです!発音が難しくてどうしてもX氏の名前が覚えられなかったので、以後私たちは彼をワインさんと呼ぶこととなりました。

 日本人はお酒を他の人に薦めますが、ヨーロッパ系の人は招待した時以外は決して人に勧めけないのですね。肝に銘じておきましょう!

 時間がたってもルーシーが来ません。レイモンドが心配そうにしています。彼女は車で行くので一緒に来ないかと私を誘ってくれたのです。ケーブルカーは特に面白いわけでもなく景色も良く見えないままに数分で丘に到着してしまいました。ルーシーの誘いに乗れば良かったなと少々後悔しました。
 彼女は車を止める所がなく時間がかかったと言う事でした。

 他の人がまだ賑やかに食べて飲んでおしゃべりをしている時でしたが、レイモンドが私たち3人を寮に送ってあげると言ってきました。疲れている私たちは喜んでその申し出を受けました。車に乗る前にケベックで一番古い店に行かないかとルーシーが誘ってくれました。喜んで喜んで彼女に従いました。店は同じ通りにありました。まあ、昔の日本の雑貨屋のような店です。果物・野菜少々。目についたのは多種類のチーズです。明日の朝はチーズにしましょう!ケベックのチーズが欲しいと言うと店員は二種類のチーズを出し、これがケベック最高のチーズですと薄く切って、私たち三人に味見をさせてくれました。二人が私が選んで良いと言うので少々濃い味の方を選びました。翌朝パンにつけて食べたのですが本当に美味しかったです。姉に高級品だものと言われました。60gくらいで12ドルほどだったと思います。ケチケチ旅行中のささやかな贅沢です。
 姉がリンゴを買い、私と友人は胡椒挽きを買いました。

 足は棒のようになっています。さあ、今夜は足湯にします!と私が提案しました。シャワー室にバスが一つあるのですが、昨夜試したところ、このバスタブはお湯をためて数分たつと自動的にお湯が流がれる仕組みになっていました。そこでバスタブの穴にタオルを詰めて片足で抑え、足湯につかりました。翌日は足の疲れも取れていました。これは日本人の知恵ですね!


 ルーシとレイモンドは仲睦ましい夫妻でした。レイモンドは技術書を翻訳出版する会社に勤めており、顧客の中には日本の会社もいくつかあるそうです。


 ガラス製の胡椒・塩挽き。右に回すと胡椒、左に回すと塩を挽きます。楽しくてまた香りがよくて使っているうちにこんなに中身が減ってしまいました。32.87ドルでしたが、円高が進んでいたの2615円。私が買った一番高い品物です。どうして中身を入れ替えるのかいじくりまわしていたら、壊してしまうよ、中身が無くなってからにしたらと家人に叱られました。
 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする