glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

続 帯状疱疹

2019-01-31 09:33:28 | 家族・友人・私

 経過は順調と言えるかもしれない。目の下の腫れが引いたので視界もだいぶ広がりました。薬服用のためか便秘が続いた。日曜日排便はあったがひどく苦しみました。腸が捻じれるような感覚で冷や汗をかき続けました。人はこんなとき救急車を呼ぶのでしょうか。隔離された個室の中でどんな方法がある?!その前に失神するのではと思った。そんなことで薬服用は途中で中止。まだ時々痛むが腸がねじれるような苦しみとは比較にならない。週2回通院。友人に言わせると視神経を犯されなかっただけでも幸運ということでした。疱疹が崩れた傷もだいぶ回復してきたのであと1週間の我慢かなと思っている。

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気まぐれ調理

2019-01-25 22:28:47 | 衣・食・住

 昨日突然ピザを作りたくなりました。

 先日籾すりに行った時昼食に手作りピザを食べました。私はイネ科の植物にアレルギーがあるので仲間が籾すりをしている間少し離れて、フランス人のレストラン経営者がピザづくりを眺めていました。ピザの焼ガマは手作りで、大小のドラム缶を2重にし、空洞を作り、空洞の中を熱が通るようにしてありました。そう言えば長いことピザを焼いていなかったと思いながら彼の作業を眺めていたのでした。

 そんなこんなで水曜日にエスペラントの音読の後カットトマトやオリーブの実など買って帰りました。でも水曜日のカレーが残っていたのでカレーを使うことにしました。

 いつもはオーブンを使うのですが以前オーブントースターやガスのグリルでピザが焼けると耳にしました。トースターやグリルでピザが焼けるならちょこちょこと一人前ずつ焼くことができるので実験しました。

 トースターは1000wですが、温めるのに3分ほど、焼くのに5分ほどだとカレーの量が多かったせいかピザ生地の焼け具合がちょっと悪い。ガスの方は6分にセット。でも4分でちょっと覗いたら焦げ目もあったので4分でやめました。芯までパリパリに焼けていました。これからはガスのグリルだけを使おうと思っています。

 ライムギ粉があったので粉の4分の1ほどライムギにしました。皮は香ばしく、カレーの上で焦げ目の着いたチーズももた美味しかったです。ピザ作り癖になりそうです。


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帯状疱疹

2019-01-22 20:21:52 | 家族・友人・私

 先週月曜日、目の下に小さな赤い湿疹が一つ。翌日起きたらひっかいたらしく傷があった。すごく痒かったけれど傷バンを貼って過ごす。それも痒いので湿疹部分を爪でひっかかないように工夫しガーゼで覆う。水曜日にはいつものようにエスペラントへ。以前かかった皮膚科は水曜午後と木曜日がお休み。金曜日は湿疹が増えていたが籾すりに行くと約束していたの、湿疹の箇所はガーゼで覆い、マスクで隠し、籾すりに行き、帰りに皮膚科へ。目の下は盛り上がり真っ赤に腫れていました。様子が見たいからと医師は塗り薬をくれましたが、痛みよりもかゆみががひどい。湿疹は増えていますが、顔面の左部分だけ。

 今日の診断。帯状疱疹とのこと。顔に出る帯状疱疹は脳を侵すこともあるでとても危険と言われました。

 薬嫌いの私が薬を飲むこととなりました。

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Fari Fajron: el Norda Odiseano kaj aliaj rakontoj de Jack London

2019-01-20 09:24:52 | Notoj por mi mem

 購入したのは1990年代。とても読みやすい本と勧められて購入したものの途中で挫折。理由はneologisimo(新語)と普段あまり使わない詩のための言葉が多用されていたこと。neologismoの説明は巻末に書かれていたものの索引を見るたびに文の流れがそがれてしまうように感じた。今度は最後まで読もうと再度読み始めた。

 アラスカの氷原を行く男の物語である。マイナス50℃の世界を無謀にも一匹の犬を連れて旅をする。男の凍死への恐怖とあきらめ。犬との心理的駆け引き。切羽詰まった男の心理状態が心細かに描かれたスピード感にあふれる物語でした。ただ、新語や普段使わない単語を調べるために中断されることが多く18ページ読むのに8晩ほどかかった。目の下に湿疹ができ苦しんでいるとはいえ、この本一冊読み終えるのにどれほどの時間を要するのでしょう。訳者は男の目まぐるしい心理的動きを表現したくて新語を使ったのだろうが、普段の単語でもこのスピード感は描けたのではないかなと感じてしまった。

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昨日のできごと

2019-01-19 08:37:14 | rememoro: 思い出

 むかし、もう50年前になるでしょうか、横浜の田舎の児童養護施設に住んでいました。バスは1時間に一本あったでしょうか。食料を売っている店もなく、毎日子どもに何を食べさせるかさえ大変でした。週に3回ほどトラックで来る八百屋さんから野菜だけは買えたのですが!

 その近くに自然農法でお米を作っている人がいて昨日はその籾を精米するからと誘われて出かけました。彼は車で、わざわざ昔施設のあったところを通ってくれました。昔停留所名は○○小学校だったのが小学校が移転したので学園の名はバス亭名として残っていました。 

 バスを降りると田んぼの中の道を歩き傾斜地に立つ施設が着く。一番高いところには木々に囲まれた神社がありました。ですが、地形がすっかり変化し、平地になっていて、地形の確認さえできませんでした。

 子どもが熱を出した時は山を越えた荏田という地に開業している医師に往診を依頼するほど不便な横浜の僻地でした。収容されている児童が脱走し、暴力団につかまっているという事件がありました。男子職員総出奪還しましたがみんな報復を恐れていました。いざという時には私と私の子どもたちは自分で守るようにと警棒を渡されたたこと。風呂がなく児童用の風呂に子どもとはいるのですが、お湯が浴槽に満たされない前に入浴したこと。昭和21年に建てられた家屋は立て付けが悪く、真冬でもカーテンが揺れ動くほど風通しが良かったことな思い起こすものの、平地に化した広い道を走り案内されて車の中から眺める景色は記憶と重なることはありませんでした。

 

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歯科医院

2019-01-12 09:51:26 | 家族・友人・私

 前の歯科医院は治療を怖がる。昔(50年前の3月)、風邪薬を飲んで薬疹が出て苦しんだことがある。そのことを話したら治療らしい治療もしなくなった。ネットを調べたり、友人に尋ねてもすべてに満足しているという人はいない。そうこうするうちに歯茎が腫れてしまった。虫歯が悪化!友人に我が家から一番近い医院を勧められた。代替わりし、1年余り前に医院を新築した女性が経営する医院である。彼女はある有名歯科大を出て大学病院で勤務。その後横浜市内の大病院で働いていたという。評判が良いという。とにかく治療しなければ!ネットで予約し昨日初めて治療に行きました。

 歯科衛生士もてきぱきとしていました。医院長は年配者を置き、抜歯その他は外科医師(口腔)に月に何回か来てもらってやるのだそうです。私の歯茎は化膿しているので薬で治療、歯はかなり痛んでいるのでその後外科医の診断を受け、抜歯が良いか決めましょうとと言い、抗生物質を渡されました。それは6~8時間おきに飲み続けること(時間厳守)、もし異常が起きたら中止して次の手を考えるというものでした。

 この50年間、抗生物質は目の治療の時以外使っていないのでこわごわ飲んでいます。当分歯医者通いが続きそうです。

 幼児連れの女性がいました。予約しておくとおもり役もいるようで、若いスタッフに子どもを預けて治療室に入ってゆきました。治療室は中2階ほどの高さ。階段は数段ですが、車いすでは入れるようにエレベーターをもありました。


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vere aux fantazie

2019-01-07 08:33:49 | 

 今朝最後の2ページを読み終えた。どうしても好きになれない文章というものがある。ピロンの文章はわかりやすいのにどうしてだろう。でも、滑らかな文章の書き方とか教えられるところが沢山あったので何度か挫折した本であったが今回は読み通した。

 名詞を動詞化して使う方法にどうしても馴染めないの私だけだろうか。例えばvorto➡vorti, vino➡vini, biero➡bieri k.t.p.


 マフラーのこと

 Mに電話して感想を聞いてみました。’ありがとう、レインボーのマフラーだった!少しチクチクする。’ 

 彼が思い描いた虹色のマフラーとは違ったようでした。その違いが虹色とレインボーという言葉の違いに現れているように感じた。

 チクチクは薄くても暖かくと混入したモヘアがあだになったようである。



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虹色のマフラー?!

2019-01-05 09:54:14 | 家族・友人・私

 昨日は捨てられなあかった残り毛糸を探し出しマフラ―を編んだ。虹色と言えるかどうかはわからないが多色です。これで捨てようと思っていたものが少し減りました。子どもなので首の回りがゴロゴロしないように細いモヘアに一部変えて薄くしました。

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孫の日

2019-01-03 08:38:18 | 家族・友人・私

 今日は夫の誕生日。10時半ごろ駅に着くと息子から電話があり駅まで迎えに行く。Nの自作のパウンドケーキと共に親子4人やってきました。家に着くともう誕生日どころではなくなります。一年生のMがお土産と取り出したのは祖父母と伯父を描いた絵。我が家な壁にはドイツの孫たち描いても持ってきた絵や送ってきた絵が壁いっぱいに張ってあります。来訪のたびにじっと見ていたので自分の絵も貼てほしいと思ったいたでしょう。良く見えるようにと言いながらすぐにその絵も張りました。彼は小さな箱を出しました。4センチほどの長さの紙の筒が数えるのも嫌になるくらい沢山入っていました。Ⅿ自作の鉛筆のサックだそうです。お土産はもう一つ、折り紙で作った飛ぶネズミ3匹。立たせて尻尾を押すと40~50センチ飛んでゆきます。何かで見たのか自分で考えたのか…

 ドイツの孫もそうですが、子どもというのは自分が上げたものは忘れません。必ず後でそれが保存されているか確かめます。物を置くことで自分の居場所を確保しているように見えます。Mもあとからそれが保管されているかどうか確かめるでしょう。夜彼らが帰った後で鉛筆のサック入りの箱と折り紙をかなり大きなお菓子の箱に入れました。しばらくはまた不思議なものを作ってくること間違いなしです。

 

 おせちを食べて一休み。息子の家はテレビ無し。うちに来ると録画されたテレビ番組をみるのが楽しみです。でも、録画もそんなに大量にあるわけでは無し。散歩にでも行ってくれればと思うものの息子は動く気配なし。仕方がないので散歩に行こうというとⅯは誕生日に伯父に贈られた双眼鏡を持ってきたという。わが家の近くの川にいるカワセミが見たいという。弟のTは魚が大好き魚が見たいという。祖母・伯父・母・M・Tの4人で散歩へ。

 カワセミなどそんな簡単に見えるわけはない。川岸に老年の人たちがかなりの人数でカメラを持って立っている。他の人と少し離れたところに立っている人に声をかけてみました。みなさん、カワセミが現れるのを待っているという。孫もカワセミが見たいと双眼鏡を持ってきましたがそう簡単には見れませんよねと私が言うと彼はMを呼び止めて自分が写したカワセミを見せてくれました。昔住んでいた家の近くまで来たので隣接している市民の森に行こうと昔のわが家の方へ川から長い階段を上る。子どもたちは元気ですが私はもう限界。200メートルほど離れた児童公園で休憩をとることにする。昔は鉄棒と水飲み場だけでしたが、幼児用の可愛い滑り台・砂場・ブランコ・東屋と東屋の下にベンチ、その他にもあちこちにベンチを配置し子どもが遊べるよう老人が休めるようになっていました。私も役員をしていたのですが、この自治会費は高く自治会は凄いお金持ちだったのです。建て替えようかと言っていた自治会館はそのままでした。(当時も地主さんと交渉しましたが、将来の遺産相続などを考えると契約しなおすかどうか迷うということでしたがまだ再契約できていないのでしょう。)

 公園には先客。母親とおぼしき女性が黙々と砂のケーキを作っています。幼児がひとり砂場の周りを駆け回っています。二人とも楽しそうに見えません。私たちはベンチにかけて持参のバナナを食べジュースを飲みました。その後MとTはブランコや滑り台で遊びその周りを男の子がアニメソングを歌ったり、独り言言いながら駆け回ります。Tは砂のケーキを作っっている「女性に気が付きそばにより、貸してちょうだいともいわず砂場遊びの道具を取り上げて遊び始めました。男の子が水を運んで来て、水いる?とTに声をかけました。こうして子どもたち3人の遊びが始まりました。Tは不思議な子で人の遊びの輪にスーッと入ってゆくのです。Tが水!というとその子がまた?と言いながら水を汲んできます。その子が滑り台で変な恰好をしたので私が気を付けてね!と声をかけると僕慣れてるよう!との返事。ハイと言いなさい。と女性。やはり母と子でした。私は砂場により彼女に声をかけました。勝手におもちゃ使わせてもらってごめんなさいね。この子(T)すごくちゃっかりしていて、どこへ行ってもこうなんです。女性は大きなマスクをずらし、いいんですと言ながら笑顔を見せてくれました。

 私たちが帰るというと彼女もおもちゃを片付け始めました。早く帰らないとおばあちゃんに怒らる!女性はそんなことないと返事しながらおもちゃをすべて袋に入れてお礼を言う私たちに笑顔であいさつしてくれました。多分姑さんと同居していてちょっとした行き違いがあったのかという思いが私の頭をよぎりました。

 帰り道Mはマフラーの話。虹色は駄目と思ったようです。次から次へと色も組み合わせをしゃべりつ続けていました。この子は何か想像すると次々と空想を広げてゆく面白い子です。

 私たちが留守の間MとTの父親はのんびりと2階の部屋でラグビーの試合を観戦していたようです。彼はが学生時代ラガーマンでした。

 4時ごろN手製のケーキをみんなで食べ、私は居間のソファで昼寝(歩いた歩数6500)。子どもたちは録画の深海の生物の映像を感嘆の声をあげてみていました。お風呂に入り、夕食。大好きなお汁粉用あんこも手に入れ、4人は満足し、私の車で帰ってゆきました。車は日曜日に帰しに来る予定です。その時マフラーがもらえると期待して来ることもあり得る。さてどうしますか。

 

 

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おめでとうございます

2019-01-01 10:05:45 | taglibro: 日記

 今朝、後20日ほどで89歳になる兄の夢を見た。元旦早々気色が悪い。兄弟が多いといつ、何が起こるかわからない。みんな元気で今年も過ごせることを願うのみ!

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