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生きること:過去と未来とエスペラントと

散策:'22-6-17

2022-06-25 10:39:12 | 日記:Taglibro
 兄の葬儀の翌日、帰宅途中花巻に寄りました。目的は宮沢賢治とエスペラント展でしたが、賢治の世界にすっかり魅せられて帰宅しました。

 なぜか読んでいたエスペラントの本’不思議な国のアリス’【 Alico en Mirlamdo 】の続きが読みたくなってブログをお休みアリスの世界に浸っていました。300ページ。残すところあと80ページほど。賢治の世界を忘れないうちにブログも書かなくては!

 宮沢賢治の記念館など、賢治に関する施設は新花巻駅の近くです。私が利用する’特急こまち’は停車しません。盛岡で乗り換えです。花巻出身の友人が二人ほどいました。彼女たちがどんな街で育ったのか知るのも良いかと思い、盛岡-花巻間は鈍行を使いました。

 花巻駅で観光案内所を訪問。賢治に関する施設をどう回ったらよいか尋ねる。記念館に行き、それからイーハトーブ記念館最後に童話村へ。記念館へはぜひバス停前の階段を上ってほしいと言われる。バスは5分ほどて到着。すぐに出発しました。


しわくちゃになりましたが目的地です。


階段の一段ごとに文字が一つ。雨ニモマケズの詩が書いてあります。詩の文字数367段の階段です。
キャリーバックが重いです。


200段目ごろ。
半分は上りました。

 最後の階段。
アツサ ニ マケズ、キャリーバック ノ オモサニモ マケズ と上りました。
多くの人は車なので階段は使いません。まさに一人階段を行くという状態でした。下には広々とした童話村が!
もう二度と訪れないかもと思い頑張りました。(笑い)


最後と思ったけれど記念館の入り口はまだ遠かったです。


記念館近くに建つ碑


 賢治の世界が広がります。撮影自由とありますが、科学・芸術・宇宙・宗教・農学・と展示は多岐にわたり写真を撮ったところでどうにもならい。見学の大人たちの多いこと!


記念館の窓の外の風景




賢治につながる人々




上ったら下ることになる。イーハトーブ記念館へと下る。


ポランの広場。前に来たのはいつだったか思い出せない。
随分変わりました。
外灯はフクロウです。


童話村入り口。もう足が痛い。




入り口をくぐったが、進むべきか帰るべきか迷う。
足が痛い。

 職員と出会う。荷物は事務所に預けなさいとのこと。


賢治の学校入り口。銀河の上を歩くような…。


人形たちがお待ちかね。子どもたちがはしゃいでいる。


物語のジノラマが二つ。
こちらはセロ弾きのゴーシュ。

丘へと続く道があり、その手前に木製の階段。いくつかの建物があり賢治の教室呼ばれていました。




花だけでなく星座の教室など。
子ども向けに自分で星座を作って名前を付けてくださいなどという誘いも!
子どもの頃、夜空を見上げて歩きました。母は自由に星のかたまりを見つけて名前を付け物語を作ってくれました。
どんな話だったでしようか。


 荷物を事務所で受け取り帰路へ。初めにこちらに先に来てくれれば荷物は預かったのにと言われました。観光案内所ではそんな助言はなかったのでした。できるなら丘にも上りたかったです。

 新幹線では隣の座席に客が来る前に靴を脱ぎ、足をマッサージしました。翌日まで疲れは残りませんでした。
帰宅時間22時。歩数:12,000歩。
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帰宅

2022-06-18 15:16:18 | 日記:Taglibro
 長兄の葬儀を終えて夕べ無事、帰宅しました。

 葬儀に参加した甥の妻が東京駅を一人で乗り換えてきたのですかと驚いていました。彼女の話では2歳ほど年上の姑(私の次兄の妻)が息子に連れられて大阪の姉を訪ねての帰り、なにも持たずに東京駅で迷子のなって大変だそうです。帰りに一人で花巻に寄ってゆくと言うと驚いていました。

 姪は実家の近くの宿がと取れなかったのでと新幹線の泊まる駅近くに宿を予約していました。

 宿の名はフォルクローロ(Folkuloro)。エスペラントから取ったものです。意味は民俗学とか民間伝承。このホテルができた頃、義姉がなくなり、もう兄が一人暮らしだったような気がします。カナダから来た姉と泊まったことがありました。従業員はエスペラントについて知らなかったことを思い出し家にあったパンフレットを2冊持って行き、帰りがけに読んでくださいと一冊差し上げました。


 もう1冊は義姉の弟が葬儀後、エスペラントについて知りたいといったのですがパンフレットが手元になかったので、姪に後で渡すように頼んできました。



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訃報

2022-06-13 22:45:09 | 家族・友人・私
 昼過ぎ姪から電話。兄(彼女の父)が夕べ亡くなったと言う。’そう。’と、まるで当たり前のように受ける私がいました。なぜか、昨日からもう姪から電話が来るような気がしていたのでした。午前2時に姪が病院から戻ったとメールをくれたのに気が付きませんでした。
 
 体調が悪そうなので病院へ。夜中に亡くなったそうです。医師が言うにはすべてのエネルギーを使い、燃え尽きたようだと。苦しむこともなく穏やかに逝ったようです。
 先週、急に畑に出なくなったと姪がメールをくれたので、ゆっくり休ませた上げてと返信した時、兄の逝くことを予感していたのです。

 今日の夕食はカレー。2回分作らなくてはと思って大量に作っていました。長兄とは14歳違いです。まだ二人兄がいますが、ひとりで動き回れるのは私だけのようです。

 見送るつもりで2日分の宿の予約を姪に頼みました。2年前に亡くなった姉の年まで生きるとすると後10年、兄の年まで生きるとするとあと14年生きなくてはいけません。二人とも最後まで自立していました。14年自立して生き続けることができるでしょうか。ちょっとしんどいなどと思いながら、喪服を風に当て、黒い靴を磨いて午後を過ごしました。
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ゴーヤ

2022-06-12 08:24:54 | 日記:Taglibro
 牛乳パックをポット代わりに使いゴーヤの種がを播いたのだけれど、苗が大きくなりすぎてゴーヤも苦しいらしい。葉が黄ばんで来ました。蔓も伸びたいのに伸びられずにいます。昨日はニンニク処理の後、南側に置いたプランターに植え替えました。プランターに出てきたものも含めると15本ほどありました。気が付くと11時を過ぎていました。

 午後は雨を待ちました。夜になってようやく雨!

 ゴーヤは今朝は元気です。昨年は台風が早く来て潮風でほとんど実を付けることができませんでした。今年蒔いたのは実ったものの大きいもの数本から取った種です。今年の台風はどうなるでしょう。早い時期に来る台風の方が潮風を運んでくるようです。

 成長の時期をずらしたくて後からプランターに蒔いた種はまだ芽を出しません。こんな私の思惑が自然現象に対抗できるかわかりませんが、まあ、そんなことを考えるのも楽しいことの一つです。

 今日はじっくりと本でも読みたいです。
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畑へ:'22-6-10

2022-06-11 09:08:48 | 日記:Taglibro
 ニンニクの収穫をしました。土を耕さず、肥料もやらず、草を刈ってやっただけなのに大小の違いはありますがそれぞれに成長している。植物の生長する力はすごいと驚く。

 7日(火)も畑に行き、ハコベの畑の草刈りと小松菜の後に手無しいんげん豆をまきました。水曜日は雨でした。雨のお蔭もあるかもしれません。数個芽を出していました。2カ月ほどで実を付けるということですので楽しみです。

 ジャガイモも花が咲いたり枯れかかったのがあります。次にそんなジャガイモから掘ることになるのでしょう。



 今朝は早起きしてニンニクの泥の付いた外皮や根を落としました。
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不思議の国のアリス

2022-06-07 14:59:09 | エスペラント


 昨日は1日中ひどい雨でした。最近買ったばかりの不思議の国のアリスを読む。手に取った時はその装丁の豪華さに驚く。物語の中は挿絵がいっぱい。挿絵だけでも楽しめると数日眺めていたけれど、雨なのでのんびりと読み始めた。

 登場する者・物たちの表情というか目の動きが良い。動画ではないから動いているはずがないのに登場者(物)動きを感じる。

 挿絵が多くて文章が少ない。ゆっくりと挿し絵を眺め、読み進みたくないけれど、いつの間にかページを重ねてしまった!


表紙カバー


色付きの挿絵も多いが、ペンで描かれた細密画も素敵です。

 

 







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散策:'22-6-4

2022-06-05 13:35:40 | 日記:Taglibro
今日も鎌倉へ。
 心地よい風が吹いていたが気温が上がりだすとやはり暑かった。由比八幡宮へ。八幡宮は移転する前はここにあったのだと言う。







源義家。懐かしい名前です。
私の育ったところと深い縁があるのです。




この白い花ななんの花でしょうか。


 私の実家から徒歩10分ほどのところに八幡さまがあり、近くに義家が陣を張ったという場所もあります。近くの農家の苗字は草彅。戦いの時に義家の先に立って農民たちは草を刈り、義家を援助したのでこの苗字を貰ったと言いうことです。字のように弓矢隊の前に立ち、草を刈って進んだというので弓の前の刀と書くのです。5年生の遠足は’後三年の役’が行われたところで、安倍一族(?)の立てこもった柵でした。そいうば歌があったのですが、1番が思い出せず、調べました。

 八幡太郎

【歌詞】
一、駒のひづめも 匂ふまで
  道もせに散る 山櫻かな。
  しばしながめて吹く風を
   勿來の關と 思へども、
  かひなき名やと ほほ笑みて
   ゆるく打たせし やさしさよ。
二、落ちゆく敵を よびとめて
  衣のたては 綻ほころびにけり
  敵は見かへり年を経し
   糸のみだれの 苦しさに、
  つけたることの めでたきに
   めでてゆるせし やさしさよ。


 家族みんなで歌ったものでした。忘れたたことをネットで見つけ出せるのは嬉しいです。それと共に当時の家族の会話なども思い出します。日本中貧乏だったはずなのにとても幸せな時間でした。

 昨日は道案内の息子が勘違いして住宅街をてくてく歩きまわり、疲れました。
 歩数:1,1000歩

 住宅街の一角に見つけた白い花。不思議な花でした。
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ペルセ風オーロラスープ

2022-06-03 09:09:37 | rememoro: 思い出
 一寸形が悪いけれど大きなズッキーニを買いました。翌日、赤いパプリカ、茄子とベーコンの塊を買い、買い置きのトマトの粗切りを加えて2日分のラタトゥユを作りました。1日目は残っていた蒸し鶏を加え、2日目はゆで卵をのせて食しました。とても美味しかったです。
 
 ズッキーニで思い出したのは10年前の5月にカナダ・ケベックで行われたエスペラントの集いに参加したことのできごとでした。
 姉はガスペ半島はまさに地の果て。疲れた時に行くと癒されるとよく言っていました。地の果てという言葉に魅かれ私も行きたいとその度に言っていたのでした。エスペラントの友人ひとりを誘い3人で出かけました。

 このブログに書いたケチケチドキドキカナダ旅行はその時のできごとです。読み返してみて驚きました。日程は確か20日間だったと思います。費用は30万円。こんな豪華な旅行だったのかと今になって気づきました。ガスペだけでなく、ナイヤガラグレーンへの遠足、ナイアガラ川に沿った散歩、トロント島遠足など今思うと日本に住んでいる人間が1回の旅行で経験できないことなのでしょう。姉は実業之日本社の出版だったでしょうか、ブルーガイドのカナダ版の執筆者でした。B&Bのホテルでもどこも気持ちのいい上質なホテルでした。ガイドブックを書くほど旅行した姉だからできたサービスだったと今は思うのだけれど、私はありがとう楽しかったとひとこと言っただけだったと思います。

 ペルセはガスペ半島の端にある小さな漁村という感じの町でした。スーパーマーケットも一つあるきりでした。観光客受け入れは6月からだということで姉のいつも泊まる宿はまだ開業前、高台のオーロラ岬の貸別荘にとまったのでした。到着した日は街に出なかったので5泊ぐらいしたのでしょうか。買い物をした後、重い野菜を持って長い坂道を上ったのは私でした。友人は私より9歳も年下なのに腰が痛くなるのです。姉はもしかり。

 野菜は友人がすべて洗い、冷蔵庫に入れ、冷蔵庫のスイッチを入れました。温度調節雄しなければならないことを知らなかったのです。翌日冷蔵庫の野菜はすべて凍っていました。料理係りはたいてい私です。
 野菜をぶつ切りにし、水を入れガスで煮立たせてあとは暖炉の上に載せてゆっくりと夕方まで数時間煮ました。20日大根の赤い色が出でて美しいピンク色のスープができました。暖炉でゆっくり煮たのが良かったようで塩コショウでこれほど美味しいスープができるのだろうかと思うほど美味しかったのです。友人はペルセ風オーロラスープほど美味しいスープを食べたことがないと今でもいいます。



ペルセ風オーロラスープ材料
ズッキーニ(太さは私の手首より太く長さ45センチほど)1と3分の2本
 人参:500g弱(500g-きのうの夕食分)
 二十日大根:500g×三分の二くらい
 パプリカ大2個
 畿内から持ってきた塩とコショウ 

 煮立ったら弱火でじっくりズッキーニが柔らかくなるまで煮込み醤油少々で味をとのえる。

『ペルセ風オーロラスープ2』
 昨日の残りに生のトマト3個を加え、味を調え、2日目に食しました。

『ペルセ風オーロラスープ3』
 3日目、茹でじゃがいを加え熱々をいただく。暖炉のそばで頂くオーロラスープはことのほか美味しかったです。

以前の写真から少し引用

突然ガス(濃霧)が!


北極海からの風が冷たい。
1日目暖炉の火を消して出かけたら炊きつけるのに一苦労。
翌日から大きな薪に火をつけ空気口を塞いで燃えるのを防ぐことにしたのでした。


夕日に映えるペルセ岩。


オマール漁が解禁された。
どうしてもオマールが食べたいとレストランの看板を見ては訪れるものもどこもまだ開業していいなかった。
スーパーマーケットで尋ねたら、はじめての漁なので海老はすべてモントリオールに運ばれる、モントリオールなら食べれるかもしれないとのことでした。
残念。


ペルセについて
https://www.google.com/search?q=%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BB+Le+Rocher-Perc%C3%A9+Regional+County+Municipality,+Quebec,+%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%80&sa=X&rlz=1C1CHBH_jaJP778JP779&biw=1447&bih=738&sxsrf=ALiCzsbA2MHtQV4-RDe9B1YKgB8zWDugyw:1654037295684&tbm=isch&source=iu&ictx=1&vet=1&fir=qro8Mu8vS-IzRM%252Cs2Sbqfx7aJi9LM%252C%252Fm%252F04fhyd&usg=AI4_-kTOIU20CYXzZIGJ3gaHoGkaAolfTA&ved=2ahUKEwi_i9GL6Yr4AhULS2wGHSyvAfgQ_B16BAhMEAE#imgrc=qro8Mu8vS-IzRM
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畑へ:'22-6-1

2022-06-02 15:18:10 | 日記:Taglibro
 今日も畑へ。畑の隅、法面の草を刈る。蕗が沢山生えているので蕗も刈る。あまりにも多かったので友人に電話し、バス通りに出てもらって、収穫の3分の1ほどを渡しました。

 ベルリンの息子家族はパリに旅行をしているらしい。孫のMから写真が届いた。









 エッフェル塔を見下ろす丘で撮った家族の写真もあった。懐かしい眺め。その丘には1998年モンペリエでの世界エスペラント大会の時の大会前遠足に参加した時の上った。遠足は4泊3日だったが、折角だからと私は5泊し、1日ひとりでパリをぶらぶらした。知らない街をうろつくのはまさに冒険。自分のいる位置がわからなくなると住民が休んでいるような小さな公園などを捜し、息子から借りたパリの地図を眺めながら休憩したのでした。
 エッフェル塔が見える丘の横には画家などが集うモンパルナスの丘と呼ばれる場所があったが、私が想像していたよりも狭苦しいしい場所でした。モンパルナスの丘からは軌道のないまるでおもちゃの汽車のような乗り物に乗ってワィワィと下った。下ったところには過去にエスペランティストが夜な夜な集まったといキャバレーがあったとような気がする。そこからバスでルーヴル美術館へ。中食はエッフェル塔の3階か6階かのレストランで取った。野菜不足と思い、ベジタリアンの食事を頼んだら大皿に山盛りの生野菜が出てきてとても食べきれませんでした。

 凱旋門は車が渦巻くように走っていて、自分の行きたい方向に出るのに数回門の周りを巡回したのでした。
 そんな思い出をMにメールしました。
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