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生きること:過去と未来とエスペラントと

バンコクへ

2012-02-29 17:04:11 | 家族・友人・私

 ノンカイトップから鉄道の駅のあるノンカイへ2キロほどの道を歩きました。セブンイレブンでビールと水を買いました。凄い埃です。黒覆面の異様なトゥクトゥクの運転手たちが声をかけてきました。

 ノンカイトップからノンカイへは新しく建設されたような人気の無いまっすぐな道を歩きました。道の両側は枯れ木のような並木が続いていました。1本だけ花が咲いていたので走りながら撮りました。息子は私の歩く能力など考えずにどんどん歩くのです。

 

 ノンカイ駅で自分の車両を確認する旅行者たち。駅員とても親切で聞きもしないのにやって来て私たちの車両まで案内してくれました。 

 寝台車は幅もあり、硬さも寒さも申し分ありませんでした。料金2100円ほど。乗客のほとんどが外国人です。一度トイレに行った時に大阪から来たという青年に声をかけられ一言二言言葉を交わしました。言い訳がましく息子と一緒なのと言わなくても良いことを言っていました。この急行列車は2時間遅れるのは普通だからという事でしたが定時、7時前ににバンコクに着きました。駅でコーヒーとサンドイッチの朝食をとり荷物を預け地下鉄で王宮行きのバス乗り場へ。行き交う人を眺めるとビニール袋に朝食らしき物を入れて持つ人が結構います。若い女性がお粥を入れて持っているのはあまり良い眺めではりませんでした。

 バス停前にはこんな店が沢山ありました。奥にはテーブルとイスがあり買ったものを食べる事ができるようです。

 王宮はありきたりですのでトイレについて一言。3回入りましたがノンカイでは3バーツ、バンコク駅では5バーツ、王宮では2バーツでした。切符を買うのもトイレに入るのも小銭が必要です。息子はチャック式のビニールの袋にザクザクと小銭を入れていて必要な時にすぐ出せるようにしていました。

 有料トイレ。バンコク駅のトイレには便器で足を洗うなと書いてありました。王宮のトイレでは紙は篭に入れてくださいとあったのに籠がありませんでした。仕方がないので床においてきました。

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ラオスの個人商店

2012-02-29 04:05:30 | 家族・友人・私

 ホテルからの移動の途中で立ち寄った個人商店を紹介しましょう。商店街とは言えませんが似たような店が並んでいました。

 

 同じ店の商品です。奥で調理してすぐ炭火焼にしますので新鮮です。

  その上、買ったものはまた焼き直して客に渡します。これなら食中毒の心配はありません。昭和30年代日本でも見られた光景です。そうそう鳥の卵も串刺しにして焼いていました。

 サンドイッチ屋です。パンは40センチほどのフランスパンでした。挟むものは好みのものを入れてもらいます。ラオスを発つときこのサンドイッチを買い、ノンカイから乗った寝台車で夕食として食べました。野菜が細長く切ってあります。半分でも多いので手でちぎろうとしたらちぎれたのはパンだけで中の野菜はずるずると引きずられて出てきました。息子が辛みを抑えたようで甘酸っぱくまあまあの味でした。というのも私は甘酢が嫌いです。

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うたげ

2012-02-28 08:52:20 | 家族・友人・私

 ラオス滞在は3泊4日。4日目の夕方ラオスを発ちました。3日目は午前中長男夫婦、Nの姉,Nと孫で買い物に行きました。私は孫の洋服を数点買いました。Nの姉は私に上着を買おうとしましたがきっちりしたスーツ風の刺繍の入った上着など私は着る機会も無いので断りました。女性たちは買い物に熱中し、子どもが泣き出すと兄に赤ん坊を押しつけ子守をさせていました。子どもは母親に抱かれている時よりご機嫌でした。

 帰りに市場によりました。この市場で姉妹は協力して八百屋をやっています。Nも出産前は勤め帰りに姉たちを手伝っていました。昼前の市場は客も多くありません。Nの姉がスカートを私のために買うと言っているようでしたのでスカートはあると言ったのですが生地を買ってきて洋裁師のもとへ連れて行かれました。。明日の朝までに彼女は縫い上げるということでした。言葉が通じないという事は不便です。独特の織り模様をつけたスカートを私がはく場などないのです。

 午後、長男、二男の妻も加わって女性4人大鍋で鯉くらいの大きさの魚を煮たり、大量の野菜を洗ったり大忙しです。私とミーティングから帰った息子は孫を挟んでのんびりと昼寝をしました。こんなに悠長に過ごすのは何年ぶりかと思えるほどでした。

 女性たちは夜の宴会の準備をしていたのです。夕飯だと外に呼び出されると中庭には敷きものが敷かれ男性たちはもう席についていました。どこからともなく子どもたちも現れ、市場で働いた姉たちも帰宅しました。室内の静けさはどこへやらカラオケをガンガンかけての宴会でした。父親は家族そろって外で食事するのは楽しいだろうと自慢していました。

 ワインを飲んだりビ-ルを飲んだり。野菜は炒めたのもありましたが、生野菜が沢山あり、ワケギや春菊も生でソースや特製味噌をつけて食べます。試食したら新鮮で美味しかったです。

 子どもたちは炭火で牛肉を焼いていました。焼鍋の周りは溝になっており、ここに魚のスープを入れ麺や野菜をゆでたて食していました。

 食べる前に写すと良かったのですが、それでもソース風のものはここに5種類あるでしょうか。茹でた魚や野菜、ご飯に付けて食べました。といっても以前ひどい下痢と嘔吐に襲われたので息子が食べるなと言うのでご飯以外は試食ぐらいでした。

 私が長居すると運転手がアルコールを飲めません。そう思って8時ころにホテルへ送ってもらいました。客が来るとこのような宴会を開き夜中まで賑やかに過ごすそうです。このような宴会が家族の娯楽なのでしょう!

 

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ラオス:子どもの成長は?

2012-02-27 09:58:07 | 家族・友人・私

 ラオス人の面倒みの良さは赤ちゃんにとっては最適と思われます。ですが、その後はどうなるのかと考えてみました。家族内だけでは刺激も少ないように思はれます。知的な好奇心、その発達はどうなのでしょう!

 いつでしたか、アメリカにおける白人と黒人の子どもの発達について読んだ事があります。幼少期、黒人は情が細かく面倒みが良く、子どもの知的発達は白人の子どもと比べて遜色がない、時には優れているのですが、青年期になると白人の方がよくなるという報告でした。黒人の両親は子の成長と共に知的な働きかけをしなくなるからだそうです。

 ラオスの場合はどうなるのでしょうね。放任主義には見えませんでしたが、外部からの刺激は少ないように感じました。学校への行き来は親がします。暑くて外で遊ぶことはほとんどないでしょう!まして友人との交流は学校外では少ないでしょう。という事は家族の伝統的生活は踏襲できても他人から学ぶことは少ないと言えるでしょう。孫はどんな大人になるのでしょうか。大人になった彼に会ってみたいものです。

 頭をお洗ってもらって上機嫌!これから身体を洗うところです。日本と違ってオイルを丁寧に肌に刷り込んでいました。その後ゆっくりとお湯の中でオイルを洗い流していました。おそらく石鹸を使うと皮膚が乾燥しすぎるのでしょう!

 助手が3人。孫の従姉たちです。仕事を取られたくないかのように小さなミウが居間からタオルを持って来て、叔母に手渡すまでしっかりと抱えていました。母親の手際のよい事。彼女もきっと独身の頃に甥姪にお湯を使わせたことがあるのでしょう!

 夕方、珍しく子どもの声がしたので外を覗いたら、男の子たちが日の陰ってきた中庭で自転車で遊んでいました。私の視線を感じるとすぐにどこかに消えました。凄くシャイなのです。

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ラオス:生活は穏やかにそして静かに

2012-02-24 16:17:19 | 家族・友人・私

 家の中ではまるで囁くように話していました。大声を出すと余計に暑さを感じるかもしれません。それは動物に対しても同じなのです。

 犬たちは網戸を鼻で押しそっと居間に入って来ます。南の窓を日除けが覆っています。入るのは風だけですから、それに天井にもいくつか扇風機がありますから外の気温が上がってもかなり涼しいのです。犬たちも居間の床に寝そべり昼寝です。その時も静かに犬の名を呼びます。多分出て行けと言っているのでしょう。犬が動かないとトゥトゥトゥと舌を鳴らします。犬は恨めしげに声をかけた家人を見つめ諦めたように部屋から出てゆくのでした。でも、数十分するとまた戻ってきます。一日中それが繰り返されます。

 赤ん坊を泣かしておくと言う事はありませんでした。ムニャムニャ言っただけで誰かがゆりかごを揺すり、泣きだすと大人がすぐに抱きあげあやします。午後気温が上がるとおむつ無しでパンツをはかせます。子どもは気持ちよさそうにパンツにおしっこをします。そのつど笑顔でパンツを替えてやります。ひとりで家事と育児をこなす日本の母親には無理な事です。こんな育て方をされるから穏やかな人に育つのでしょう!

 犬は3匹いたのですが2匹しかカメラに入りませんでした。私が鼻先を歩いてもピクリとも動きません。家族を信用しきっているようです。

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ラオス語は難しい!

2012-02-24 06:43:54 | 家族・友人・私

 さて、13日午後、Nが床にじゅうたんを敷き枕を持ってきて昼寝をするように言いました。こんな時に遠慮してどうなるものでもない、私はごろりと横になりました。彼女は日本語の教科書を持ち出して私の横に寝そべり、声を出して日本語の勉強を始めました。発音などを正しながら私もつきあいました。

 小学生が帰ってきました。女の子は絵本を見つけ大喜びで読み始めました。私が文字について尋ねると発音してくれるのですがなかなか難しいです。声調というものがあるのです。彼女はそのイントネーションの違いを肩・膝・足先に触りながら説明するのですが、聞きなえない音と抑揚がどうしてもつかめません。彼女の名はノイと聞こえるのですが、ノとイの間にかすかにゥかォの音があるようで、おまけに声調なるものがあるので、本人を満足させる発音はできませんでした。私も混乱してきたのでその後、お手玉遊びに切り替えました。彼女の従妹のミゥという幼児がやって来てお手玉をしたがりました。貸してあげたのですが、彼女が他に気を取られた好きにそっとポケットに入れてしまいました。家にお手玉は3個しかなかったのです。また時間がある時に作っておきましょう!

 午前中は大抵ノイの母親か赤ん坊のおもりをします。翌日彼女も絵本を持ち出して私にラオス語教育を始めました。音を聞き分ける能力が私には無いらしく優秀な生徒にはなれませんでした。『あいうえお』絵本は日本同様に動物の絵を使って文字の説明をしている小さなかわいい絵本です。確か一冊8000キープでした。私の分も買ってくれば良かったと残念です。日本でも一冊800円ぐらいで買えるかもしれません。

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NGOラオスの子

2012-02-23 08:54:32 | 家族・友人・私

 13日朝。息子夫婦が長兄運転の車で迎えに来ました。公的交通機関の無いラオスではタクシーを頼むか自転車を含め自家用車がないと身動きがとれません。出発前、NGOラオスの子に行き子どもたちに絵本を買ってやりたいと伝えてありました。家からかなりの距離なので途中寄ってくれるという事でした。

 http://deknoylao.org/

 狭い住宅街に入り道に迷う事も無く到着しました。一階は小さなホール(?)、中二階は図書室2階には事務室と会議室、中2階から下る階段があり倉庫につながっているようでした。事務局の秋元さんが迎えてくれました。今日は地方に出ていたスタッフも帰っているので10人のスタッフが揃っているという事でしたが、建物は静かです。Nの家もそうですがどうしてこう穏やかに静かにごせるかといえるほど空気が動かないなのです。2か月半の孫でさえ遠慮がちに小声で泣き出します。

 Nに選ばせて数冊絵本を買いました。あと大人向けの本1冊と辞典らしきもの、私もお土産に絵本を4冊買いました。それで260000キープです。あまり沢山買っても本を1度に読む事はないでしょうからまたの機会に買いなさいいとNに言いました。

 家に行く途中ひどい渋滞に巻き込まれました。高校生の帰宅時間と重なったのです。何10台ものミニバイクが車の前に割り込んできます。ヘルメットをかぶっていない者もいます。そして少なくとも二人、三人乗りのバイクもありました。

 家へ車で5分くらいの所に喫茶店ができていました。丁度日本にあるオートバックスの感じです。コーヒーを選べというので私も店に入りました。Nの兄、息子、私の分とちょっとつまもうとクロワッサンを二つ買って80000キープくらいでした。コーヒーは私はカフェラテを注文しましたが21000キ-プ。日本円で210円程です。ラオスではけっして安い飲み物ではないかもしれません。客で込んでいましたが、ほとんど外国人でしたNに悪いと思って全て私が支払いました。オーナーはカナダ人だそうです。味は本当に良かったです。

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いただきものはみんなで分ける

2012-02-22 10:54:21 | 家族・友人・私

息子の妻の家は門をはいると母屋の横を抜け奥に車庫があります。同じ敷地に家が4軒、道路を挟んで2軒あるようです。弟の姿を見たことが無いのでもしかしたら3軒かもしれません。

 

持っていたお菓子は息子の妻Nが各戸に手渡していました。でも、居間のテーブルに置いたお菓子や冷蔵庫のものは住む家が違っていても大人も子どもも自由に食べたり飲んだりしています。この家の家計はどうなっているの?誰が管理しているのと息子に聞いたのですがわからないとのことでした。

 

私は顔見知りの女の子たち、小さい子には人形を小学生にはお手玉をあげ、お手玉の遊び方を教えました。言葉はわからなくともNの姉たちも加わり、友好的に過ごせました。食後、今日はどうすると息子が聞きました。ホテルで休憩するというとお昼御飯は?と尋ねます。私はお昼ご飯と思ったのは朝ごはんでした。夕べの寒さで私は混乱しているようでした。お金さえあれば何とかなります。一日ホテルで休むことにしました。おやつを持たせてくれたので、途中お金を替えてもらい、水を買ってホテルまで送ってもらいました。

 

貨幣単位はキープです。2万円出したら息子は1万円でいいだろうといいます。1万円は1,011,900キープでした。10,000キープが100円なのです。

 

ラオスは外国人を宿泊させることが法律で禁止されています。そうでなかったら空き部屋があるのでNの家に泊まることになるでしょう!夜だけでも自由になるというのは助かります。

ホテルの部屋で息子がNHKの日本語放送が見れるようになったとチャンネルを合わせてくれました。言葉の通じない場所でテレビからだけ日本語が流れてくるというのもおかしな気分でした。昼まで眠り、おやつを食べまた眠りました。冷房は止め船風機だけ回しゆっくりと休みました。寒さから解放されて心地よい時を過ごしました。夕方、1昨年歩いた道を歩いてみました。日が陰ってきたもののやはり遠くまでは行けない暑さでした。

沢山のヨーロッパ系の人たちと会いました。徒歩の人もいましたがほとんどが自転車で交通の激しい車の横をすり抜けるように走っていました。彼らのエネルギーはすごいですね!

 

 

オヤツです。くずもちのようですが米のでんぷんでできているようです。ニラとひき肉が表面に乗っています。味は餃子です。上の袋にはひどく辛いソースが入っていました。

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ラオスへ

2012-02-20 10:50:14 | 家族・友人・私

 タイとラオスの国境はメコン川です。しかし入国を管理する検問所はメコン川を越えラオス側にあります。バスで『友情の橋』を渡りラオスに入国。またバスに乗るのかと思ったら何と迎えを待っているとの事でした。住居までは車で20分ほどという事でした。義兄と妻が迎えに来ました。温度はもう30度を超えているようです。凄い長旅と感じましたが日本を発ってまだ1日しかたっていないのです。日曜日でしたので、車が門を入ると家族が全員庭に立って迎えれてくれました。舅は姉の葬式でカンボジア近くの故郷に帰ったとかで留守でした。

もう乾季。やはり水は多くないようです。

ラオスへの入り口

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列車で凍えながら

2012-02-20 08:57:30 | 家族・友人・私

 ヴィエンチャン行きの列車でノンカイ(Nong Khai)までの旅です。バンコクの遠距離列車の駅は一つではなく例えばチェンマイに行く列車の駅はまた別です。言葉を知っているか、道案内がいれば別ですが、駅を見つけるのさえ外国人には時間が必要でしょう。それでも乾季に入った今海外からの旅行者は増えているようでした。寝台が買えなかったというので普通車両で行く事になりました。

 列車に乗るとタオルケットが配られました。何のため?後でわかったのですが寒さよけでした。発車後、息子が買ってきた食料をつまみながら走り去るバンコクの景色を眺めていました。次第に冷房が効いてきたので、地下鉄のトイレで脱いだ洋服を一枚、また一枚と身に着けました。ダウンジャケットも来て身体をタオルで覆いました。東北育ちの私ですがこんな寒さは初めてでした。乗客も客車乗務員もただ、ただ静かにミイラの様にタオルにくるまっています。どうして温度を上げないの!調節できないらしいよと息子。それなら冷房を切ったら良いじゃないですか!ノンカイ駅近くになってようやく冷房が止まりました。

寝ている人に気付かれないように写しました。繭に入ったさなぎを思わせる人たちもいました。

薄明かりの中で客を待つジャンボ(トゥクトゥク)。しばらく合い乗り者が現れるのを待ちました。そして2キロほど離れたノンカイトップへ。風は結構冷たかったです。途中セヴンイレヴンを見つけました。

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ラオスへ:バンコク内の移動

2012-02-17 21:57:02 | 家族・友人・私

 17日午前1時ごろ帰宅しました。バンコク発飛行機の出発が遅れましたが、羽田着でしたので無事帰宅できました。

 往きは成田発10時45分バンコク到着15時45分、飛行時間7時間。飛行機は予定より10分早く到着しました。汽車の時間は18時30分という事でしたが、飛行場からモノレールで移動、電車に乗り換え汽車の駅へ。乗り換えには駅の外に出て外を歩く必要がありました。暑いので途中駅で洋服を脱ぎましたが、所用時間は10分も無かったでしょう!息子は重いバックを抱えて走るように歩きます。私も小走り続ききます。これで予定の列車に乗れたのは発車5分前でした。道を知らなければ乗り換えはとても難しいとタイについて数時間で悟りました。

 

モノレールの切符。プラスチック製ですので再利用可能なのでしょう!日本の切符はどう処理されるのでしょうか。あわてて旅行カバンの上に乗せて写真に撮ったのでボケています。地下鉄の切符は黒色でした。

この駅で地下鉄に乗り換えました。

 

椅子が空いているのに床に座って時間を過ごす人が多いのは驚きでした。 

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出発

2012-02-11 04:13:02 | 家族・友人・私

 五時に起きる予定が3時に目が覚めました。また寝たら予定に遅れるような気がしておきました。洗濯機を回しながらブログを書いています。5時になったらゆっくりとコーヒーでも飲んで6時11分の始発のバスで駅に向かう予定です。

 一番の問題は気温の差!上半身は次々に脱げる薄地のものを3枚重ねました。この上にダウンジャケット来たら空港まで大丈夫でしょう。下半身は夏用のだぶだぶパンツ。その上にジーパンを重ねばきするつもりです。昨秋数キロ痩せたのでパンツはみんなだぶだぶです。こんな時に役立つとは思いませんでした。

 タイからは夜汽車です。メコン川を渡るというので楽しみにしています。一昨年見たメコン川は水が少なくてがっかりしました。滔々と水をたたえた豊かなメコン川を見たいものです。今遠足に出発する子どものような気分です!

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今朝のベルリンは-16℃

2012-02-10 16:30:26 | 家族・友人・私

 1昨日ベルリンにいる息子から雛あられが届いた事、パソコンを新しくしたのでスカイプが使えるようになった事を伝えるメールがありました。義兄の容態が思わしくないので姉と弟には旅行についてメールしたのでしたが、彼への連絡は忘れていました。あわてて息子と近所に住む姪にもメールしました。息子から試験的に明日ベルリン時間7時ごろスカイプをしようと昨夜メールがあり、2時半より待機しました。

 待つという事は緊張します。うまく繋がらなかったら孫たちががっかりするでしょう。

 出勤前の10分程ベルリン家族が4人、顔を見せてくれました。見えるという事は良いですね。あられが壊れないように隙間に男の子にはシャツを、女の子にはレグウォーマー入れたのですが、二人とも嬉しそうに頬ずりしていました。電話のありがとうでは喜んでいる様子はあまり伝わりませんが、映像が見えると喜んでいる様子が見えて嬉しかったです。今日は幼稚園でそり遊びがあるので始めて着用するそうです。

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息子へ:子どもはバイリンガルに育てよ!

2012-02-09 22:19:59 | 家族・友人・私

 今日初めて子育てについて息子と話しました。ラオスで生まれラオスで育つであろうと彼の息子をバイリンガルに育てるようにと。子どもたちはその生まれた国、社会のあり方で立場が有利だったり不利だったりするような気がします。しかし子供には自分の生まれた環境を変えることはできません。言葉を多く知ることは言葉を通して知る世界拡げる事が出来ると思います。す。言葉をおぼえるのは一つより二つの方が世界を比較したり多く理解したりできると思うのです。本当は自国語とエスペラントで事足りる社会になれば嬉しいのですが・・・。

 ラオスという国は経済的に見れば日本より劣っているでしょう。でも、ラオス語でラオスの文化を学び日本語を覚えることで日本文化を学ぶ素地が作れたら子どもの将来が暗いという事はないと思います。できるならエスペラントも学んで違う地域の人々と交流して欲しいと願いますがそれは孫に強要できるものでありませんので・・・。

 NGO『ラオスの子ども』をぜひ訪ねたいと便りを書きました。お越しくださいという寧な便りと以前の行事の際の写真をいただきました。

 子どもはみんな元気です。孫には写真の中の子に負けない明るいお茶目な子になって欲しいです。

 

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親指ピアノは独り言

2012-02-06 20:42:47 | 家族・友人・私

 昨日の研修の講師はサカキマンゴー氏でした。親指ピアノをかきならし(?)スワヒリ語で語り、日本語で話す。その語り口が楽しくて笑いが絶えませんでした。実習となると私たちは悪戦苦闘。アフリカ音楽のリズムはポリリズムというとかで右指と左指が違ったリズムを刻むのです。いつかブラジルのサンバの講習も受けましたがこちらの方が難しいですね。毎日練習したらボケ防止になるとの事でしたが、練習したらできるようになるか疑わしいほど難しかったです。楽譜はなく自分の感覚で独り言を言うようにはじき鳴らすのだというのですが、これもまた難しいですね。でも楽しい研修でした。彼の語るアフリカは生命力あふれる楽しい大地でした。苦しむ人に援助は必要、でも、同情はいらないと、荒れ果てた大地でたくましく生きる人に声援を送りたくなりました。私たちができる国際的な連帯とは何でしょうか。考えれば考えるほど答えを出すのは難しいです!

http://sakakimango.com/j_index.html

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