glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

シモーヌ・ド・ボーボワール

2021-07-01 07:45:42 | 
 先日、NHKの100分で名著でボーボワールの「老い」を取り上げていた。彼女の著書「第二の性」読んだのは19歳だったと思う。私は兄弟姉が多い。特に男性が多くて、何かすると女の子はこうしろ、ああしろ、これはするなと子ども頃ころ締め付けられてきた。そんな私にとって彼女の自由な考え方、生き方は衝撃でした。

 その後、彼女の本を幾冊か買って読んだ。私の本の読み方は繰り返し全文を読むことはない。気に入った部分・感銘を受けた部分を思い出したときに読み返すだけである。以前の家では3畳ほどの物置に、本だなを置いて詰め込んでいたもう読まないかなというものは段ボールに入れていた。時々読みたくなると思う本は居間に手離せない本は自室にと4種類に分けていた。引っ越しの時、手放せない本(特にエスペラントの本)と児童文学だけ残しあとは処分。
 読み返したい本が今は手元にないので時々残念に思う。でも、そんなことをしていたら、エスペラントに集中できなかったろうから、それはそれでよしとおもったり!

 上野千鶴子さんの本の解説を聞きながら、本は読者の思考にかなりの影響を与えるのだろうと改めて感じたのでした。

 サルトルの本を幾冊か読んだけれど、ボーボワールの著書に出てくる彼はふ~ん、男としてはかなり勝手だなと思ったものでした!

 人はどう老いてゆくのか。老いを克服することはできないけれど、どうしたら自然に消えてゆけるのか。そう考えるのも彼女の影響かもしれない。多分私は自分の老いを自覚して分析することはできない。でも、このブログを読んでくださる方が、私のブログに現れた私の老いを見て、自分の未来の糧にしてくれたら、駄文を書いている価値があるかも知れないと思っている。 
 正直に自身と生活について書こうといつも心がけています。


 今思い出した本を彼女の著作から抜粋
『娘時代 ― ある女の回想』朝吹登水子訳 紀伊国屋書店 1961 (Mémoires d'une jeune fille rangée, 1958)
『女ざかり ― ある女の回想』朝吹登水子、二宮フサ訳 紀伊国屋書店 1963 (La Force de l'âge, 1960)
『ジャミラよ 朝は近い ― アルジェリア少女拷問の記録』
『老い』朝吹三吉訳 人文書院 1972 (La Vieillesse, 1970)

 ボーボワールについて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB
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翻訳

2019-06-25 20:59:08 | 

 人との出会いであれ本との出会いであれ不思議なことに予期もしないのに突然に起こります。今日は皮膚科を受診。皮膚科の待ち時間は長い。郵便局へ行き、買い物をし医院に戻ったが1時間半待つこととなりました。エスペラントの本は持っていたのだけれどなぜか疲れてぼんやりと座り込みました。子どもの本が多くある書棚に'まざあ・ぐうす’という古びた本を見つけ手に取りました。なんと角川書店大正10年発行、北原白秋翻訳の本でした。前書きを読み本文を読みだしたものの言葉遣いになかなかなじめません。英語ではどんな文のだろうと考えながらあちこちめくるとなんと原文も入っていました。それを眺めながら白秋の文を読んでもしっくりきませんでした。本文はそこそこに切り上げ、あとがきを読むと、あとがきの内容が面白かったです

 翻訳は難しい。自分は詩人である。直訳も意訳も正確に本の内容を伝えるとは限らない。例えば原文の頭文字がそろっている時(たぶん頭韻のこと!)直訳も意訳も歌の意味を表現できない。-多分白秋は日本語的に変えて異訳したのでしょう!-それを語学者にとやかく言われたくないというような意味のことが書かれていました。

 彼の訳を目で追いながら読んだのですが、日本語としても理解が難しかったので心に引っかかりました。白秋についてネットで調べていたら、偶然にもユーチューブで彼のまざあ・ぐうすの語りを見つけました。まざあ・ぐうすは謡なのです。読むのではなくリズムをつけて謡うべきなのだと感じました。興味のある方はどうぞ聞いてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=_QwfDpsWRrk

https://www.youtube.com/watch?v=1jeQyboY9P0

https://www.youtube.com/watch?v=nao39-utTow

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vere aux fantazie

2019-01-07 08:33:49 | 

 今朝最後の2ページを読み終えた。どうしても好きになれない文章というものがある。ピロンの文章はわかりやすいのにどうしてだろう。でも、滑らかな文章の書き方とか教えられるところが沢山あったので何度か挫折した本であったが今回は読み通した。

 名詞を動詞化して使う方法にどうしても馴染めないの私だけだろうか。例えばvorto➡vorti, vino➡vini, biero➡bieri k.t.p.


 マフラーのこと

 Mに電話して感想を聞いてみました。’ありがとう、レインボーのマフラーだった!少しチクチクする。’ 

 彼が思い描いた虹色のマフラーとは違ったようでした。その違いが虹色とレインボーという言葉の違いに現れているように感じた。

 チクチクは薄くても暖かくと混入したモヘアがあだになったようである。



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子どものころの宝もの

2018-09-07 10:15:38 | 

 今朝、姉から小包を受け取りました。品名は’童話’でした。父が亡くなったとき子どものころに親しんだ童話の本がほしくて弟と懸命に探しましたが見つかりませんでした。文字が読めない時はあのお話を読んでと母にせがみ、読めるようになってから、何度繰り返して読んだことでしょうか。両親が亡くなって兄弟姉妹が集まるとあの本はどこに消えたのだろうとよく話題になりました。当時上の姉は不参加でしたので彼女が持っているとはだれも知りませんでした。その本が今日私の手元に届いたのです。紙の縁は茶色に変色し、ページは51~874までしか残っていません。その上ちぎれたページもありました。添えてあった姉の手紙には時間ができて読みたいと思ったけれど、視力が弱り読めません。活用してと書かれていました。昨年私のエスペラント訳の童話が本になったので私が利用できるだろうと考えたようでした。懐かしいページをパラパラとめくりながらそんな時間が私にあるだろうかと思ってしまいました。

 出版時期も編者もわからないのです。ネットで調べたら出てきました。94年前に出版されたものでした。。

世界童話大系16 -日本篇』

  • editor:松村武雄(Matsumura Takeo) Publisher:名著普及会
  • 複製版:1989/ 2
  • ISBN4-89551-349-1
    • 「日本童話集」
    • 「朝鮮童話集」
    • 「アイヌ童話集」


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Poemaro: 詩集

2017-11-18 09:13:22 | 

 Mi estis melankolia. Poemoj konsolos min. Mi aĉetis poemaron de Marjori Boluton. Ties titolo estas kontralte. Kontralto! Kion ŝi rakontis kontralte? Nokte mi legis kelkajn poemojn el ĝi.
Ba! Oj! Oj!
Ŝi versis siajn naturon kiel virino kaj perditan amon. Mi fariĝis pli merankolie.


* * *


 私は憂鬱になっていました。詩は私を和ませてくれうでしょう。マジョリ・ボルトンの詩集を買いました。その表題はコントラルテ。 アルトで! 彼女は渋い声で何を語るのでしょうか。夜に幾つかの詩を読みました。
オイ!オイ!何たるこっちゃ!
 彼女は自分の女として性(さが)と失恋を詩にしていました。
 私はますます憂鬱になりました。
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古い切り抜き帳Ⅳ

2017-06-09 06:46:56 | 
 世界主要国の童話の特徴について書かれた記事も数枚あります。フランスの童話についての中で、サン・テクジュべリの星の王子様に触れています。これを児童文学に入れるべきだろうかと疑問を呈してます。
 この作品は詩的ではあるがその本質は知的であり、作者の現実批判であると。これを読み返し、私は今回も少し安心しました。星の王子さまを読んだのは中学生ぐらいだったでしょうか。どうしても心にしっくりこなかったのです。ですからまわりの人のようにもてはやす気にはなりませんでした。
 その後、いつ頃でしょうか同じ作者の‘夜間飛行’を読んではじめて星の王子様を理解できました。夜間飛行は日本語訳を読んだのですが、エスペラント訳もあります。エスペラント訳も読んでみたい本の一つです。
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古い切り抜き帳Ⅲ

2017-06-05 12:55:43 | 
  当時、大阪市立中央図書館勤務だった松岡享子さんはアメリカと日本の図書館利用に違いについて書いています。アメリカでは図書館を本を読むところですが、日本では学習の場になっていると。仕事の中で、時たま幼児に絵本を読んでやる時やお話をしてやると時に、わずかに児童図書館員らしい生きがいを感じていると。
 そして当時盛んに行われていた家庭文庫についても触れています。学校の勉強とは関係なく本を読む楽しみを得られる場となっていることが良いこと。ただしこれは本当は行政がすべきことを個人が肩代わりしているのであると。
 最近、この文庫運動はどうなっているのでしょうか。

 文庫運動に子どもの仕事をしている時に私も6年ほど関わりました。市立の図書館で300冊ほどの本を借り、長くて期間は3カ月だったでしょうか。一ヶ月に一度ほど図書館に行き本の借り換えを行いました。一人の子が興味を持った物語はなぜか他の子も読んでとせがみます。大人が面白そうと思ったものが結構子どもに受けない時があります。違う子どもが以前他の子に読んでやった本を読んでと云い、読み手は同じ本を何度も読むことになります。その本は前に読んでもらったからもう聞かないという子はほとんどいないのです。繰り返し同じお話を子どもたちは聞くのです。
 私自身もそうでしたが、本には不思議な魅力があるのです。

 最近、読む本はエスペラントばかりですが、私は本の内容を咀嚼せず、読みっぱなしと云うことが多いです。この咀嚼するということが本当は大切だとわかっているのですが!
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古い切り抜き帳Ⅱ

2017-06-03 07:14:17 | 
 石井桃子さんは"子どもの心 子どもの本"と云う題で4回にわたって書いています。
①秘密の世界
②記憶とよばれるもの
③環境は訴える
④新しいおとな
 彼女はその中で子どもでない大人が子どもが共感を示すような本を書けるかと云うことを論じています。
 私は中学生の時に、彼女の作品"ノンちゃん雲に乗る"や他の作家の"51番目のザボン"を読んで驚いたのでした。それまで私が接してきた物語は民話とかいわゆる世界名作物語と云うものばかりで、現代の話が童話になるなどと思いもよりませんでした。もしかしたら私にも童話が書けるかもしれないと、見たこと聞いたこと空想したことなど毎日毎日、1冊の大学ノートを横にして書き続けましたが、それは物語とは程遠く、人に見つかると恥ずかしいので風呂の窯に入れて燃やしました。石井さんによれば書くということは大変な年月を要することなのです。人はいろんなことを記憶します。しかし、記憶は写真と違い年月を経る中である部分は希薄になり、ある部分は情緒的に積み重なってゆきます。そこから童話が生まれることもあるが、どんなに情緒的蓄積があっても生まれないこともあるだというのが石井さんの記事の要約でしょうか。

 世の中に名作が氾濫する理由を彼女は書いています。出版社は出版した本が売れないと困ります。名作と云うのは年月をかけて、時には最近のものであっても違う国で爆発的に人気を呼んだ物語には人心を掴むという保証が付いているから出版し易いと。なるほどと思います。
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古い切り抜き帳Ⅰ

2017-05-31 10:07:06 | 
 本棚の隅に古びた緑色のスクラップブックを見つけました。開くと児童文学に関する記事が切り抜いてありました。1965~67年に朝日新聞に掲載されたものです。この期間は長男、続いて二男を出産した時期と重なります。二男は月足らずで生まれ、生かすも殺すもあなたの努力次第ですと医師に言われ夜もほとんど眠ることなく終日眠くなるとうとうとと仮眠しながら過ごした日々でした。いつか児童文学を勉強できる日が来るかもしれないとお云う思いからこの記事を切り抜いたのかも知れません。
 10数年前の引越しの時に大方の本は処分しました。瀬田貞二さん達が書いた児童文学概論はこのような本はもう出版されることはないかもしれないと思うと捨てるに忍びず、当時、ボランティア仲間に児童文学が好きで、学校の図書係として就職した方がいたので彼女に差し上げました。

 新聞は黄ばみ、文字が読めるかどうかと危ぶまれましたが、拾い読みしました。今はアニメの時代本など古いという人もいるかもしれません。そのアニメだって台本がないとできません。基盤に文字文化があるのです。筆者は多くはありませんが2~3紹介したいと感じました。
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秘密の本

2014-09-26 11:10:18 | 
 家族の誰にも見せたことない本があります。それを押し入れの奥から出しました。1992年初めてカナダに行った時に記念に買った本です。22年間も眠り続けていた本は誰にも読まれることなく紙は黄ばんでいました。本の名は題名は' Anne of Green Gables'とそれに続く話2巻が入っています。

 今、テレビで村岡花子氏のドラマをやっています。見ていませんでしたが、最後だけ覗いて見る事にしました。私もアンの話に影響を受けた一人です。今日の話では出版は昭和27年のようです。私はその翌年にこの本を読んだと思います。あの時代本は不足していました。本好きの私は小さな学校の図書室にある本は幾度となく繰り返して読んでいました。姉が高校生になると図書館や友人から本を借りてくるようになりました。その本を読みたくて、読書している姉に内容はどうだとか今何ページ読んでいるのかとか、いつ読み終わりそうかと返済されないうちに読みたくてうるさく姉に付きまといました。姉はゆっくりと落ち着いて読書だできないと本を持ち帰ると私に先に読ませるようになりました。おかげで私は普通高校生が読むような本を次々と楽しむことができました。『赤毛のアン』もそれらの本の1冊でした。田舎暮らしは退屈です。世界と言うかと都会生活からかけ離れています。高校卒業後の自分の未来など見えませんでした。

 『曲がり角には夢がある!』それが私たち姉妹の合言葉であり、先行きの見えない世界に立ち向かう原動力になっていました。
 もう英単語も忘れたけれど発音は別として文章ぐらいは読めるでしょう!とカナダ訪問記念にこの本を買いました。

 
 その何年か後姉、義姉、その友人と共にプリンスエドワード島を訪ねました。私たちが訪問する2週間ほど前グリーン・ゲーブルズは放火され、屋根は防水シートとに覆われていました。3週間ほどの旅でしたが、カナダの自然と雰囲気を満喫しました。

 さてこの本を読む日が来るかは定かではありません。今は単語どころか英語の文法さえもすっかり忘れています。手元には読もうと思うエスペラントの本が幾冊もあり、日本語の本も読まない状態です。またこの本は押し入れに戻り眠り続けることになるのでしょう!

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読書

2014-01-13 08:18:26 | 

 セルマ・ラーゲルレーヴ著『ニルスのふしぎな旅』を昨日読み終えました。

 私の理想的読書とは?夏は木陰に座ったり寝転んだりして風に吹かれながら本を読む。冬は陽だまりにゆったりと座り、疲れたら空を見上げ、のんびりと本を読む。誰かがちょっとした食べ物やコーヒーを差し入れてくれたら最高。まあ自分でコヒ―を入れるとしてもそれもそれなりに良いでしょう。家族の食事時間など全く気にする必要もない。
 親に用事を言いつけられることもなく大人になったらそんな時間が持ちたい!せめて老後にはそんな読書をしてみたいといつも思っていました。でも、私の辞書に老後と言う言葉が無いのかもしれません。家事や食料の買い物の合間にちょこちょこと断片的に本を読むこととなります。興に乗ったところで食事の支度とかで中断することがしばしばです。分厚い本を買う時はいつもゆったりとした時間を持とうと決意して買うのですが現実にはそうは行かず分厚い本が積まれてゆきます。私の命が尽きるまで全部は読めないかもしれない。1冊づつ読もうとまずニルスから始めました。

 590ペ-ジはさすが長かったです。読み進むうちに面白くなって視神経が痛くなっても読み続け友人に長時間読み過ぎと言われましたが、とうとう完了しました。数人と雑談しながら週一で読めたら楽しいだろうと思いました。羽衣伝説的な話はどこの国にでもあるのだとか、どんなふうに違うとか会話しながら読めるような物語でした。
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私に残された読書の時間は!

2012-10-21 11:10:25 | 
 『塔の中の女』を金曜日から読み始めました。昨日は早朝数10ページ読み、ブログを書いてゆっくりと入浴しながら計算ました。この本に何日かけるつもりかと。10数年前までは市民図書の貸し出しのボランティアをしていたので本も良く読んでいましたが、そのボランティア制度が廃止になってから読書はエスペラントの本だけにしようと日本語の本は読むのを止めていました。この本を読むのに時間をかければかけるほど残された人生でエスペラントの本を読む時間が減ってゆくのです。そこで読み続ける事にしました。久しぶりの日本語の小説でした。夫にはまだ無理しない方が良いのではと言われましたが、1時間読んでは30分休み、30分読んでは1時間休みというような風で、休憩時間には家事をこなしつつ・・・。

 私に言わせるとファンタジーには2種類しかないと思うのです。
 面白いか面白くないかの二つです。
 『塔の中の女』は私にはかなり面白いと思えました。物語の中に塔と公爵が出てくるのでドラゴンでも出てくるかと思ったら何と巨大な紙魚が出てきました。私は若いころ『あなたは本を食べているのよねえ』と友人たちに言われましたが、私には本の食べカスさえ残っていないのです。食べた本の多くを忘れ去っています。

 すごく難しい読みにくい漢字が出てきました。中学生の私だったら意味が分かれば良い、そのうちまた出会った時に読み方を覚えればよいと考えたかもしれません。でも、この年になると未来という余裕はありません。やむなく辞書を引き確認しました。そして思ったのです。この今はめったに人目につかない漢字がこのファンタジーにどんな影響をもたらすと作者は考えたのでしょうか。易しい漢字はこの物語にそぐわなかったのでしょうかなどと。

 こんな風に本を読めるとは一月前の私には考えられないことでした。視力があると言う事は素晴らしい事です。夫はせっかく得た視力大事にしなくてはと言い、私は私の人生が後数時間か数年か誰にも予測できない、それならできるだけ有効活用すると答えています。でも、少し無理をしたかなという反省もちょっぴりあります。
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読書

2012-10-20 08:28:12 | 
 間宮緑著『塔の中の女:』を買いました。眼鏡が合わないせいか、それとも長らく読書から遠ざかっていたためか読み進めません。今朝は1時間読んで40ページでした。現在80ページなので後6時間も読まなくてはけなければなりません。本を早く読むことだけが特技だったのに嘆かわしい次第です。それに目の疲れ考慮するともっと掛かるかもしれません!なんとも心もとない次第です。

 昔から一番苦手な宿題は読書感想文でした。みなさんに読後に何か報告できるかどうかも分かりません。この本は完全なファンタジーと思って読んでいるんですが不思議な事に時々現実に見聞きしていることと重なってきます。例えばピュラデスの家の子どもたちの話を読みながら、私達がエスペラントを学習している集会場に集まるゲーム機を持った少年たちのグループを思い出していました。墓守の家の畑では寂れゆく農業とか、子どもの頃手伝わされた畑仕事のこと。とりわけ嫌いな虫たちのことなどを生々しく思い出していました。

 さてこのファンタジーの行方は?

 ザメンホフ祭までは読み終えるでしょう!
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父のふるさと:秋田往来ー三浦衛著

2011-01-24 10:53:32 | 

 

故郷が同じだからと友人をからいただいた本です。箱入りの素晴らしい装丁の本です。著者 三浦衛氏は横浜で出版業(春風社)を営む秋田県北部の出身の方でした。本を開くともう50年以上使ったことのない秋田弁が目に飛び込んで来ました。私は南部の出身なので聞きなれない言葉もありましたが、その場で数10ページ読み進んでしまいました。

お父さんの思い出は私の思い出と重なる部分も多いです。三浦氏の祖父明治生まれ、私の父は1900年、やはり明治生まれ、父上の兄弟は8人、そして私も同じく8人。父母や兄姉の人生と重なる部分が多いようです。

猫に襲われ傷ついて死んだヒヨコについての父上の作文が秋田魁に載ったという記事に、ふと高校時代に読んだ新聞の古い切り抜きを想い出しました。魁新聞は昭和10年代進歩的であったろうとおもいます。というのも父の寄稿は秋田の教育改革の提案でした。父は東京で教師をしていましたが病を得て昭和12年ころ故郷に帰りました。その頃の提案です。帰郷後の父の学校での実践はある程度成功したようでしたが、昇進という栄誉をつけて左遷されました。母はあくまでも父の行動を支持し、私たち8人は父に後ろめたさを感じるような人生は送るなという母の暗黙の教えを受けて育ちました。長兄は今でも父が東京時代に書いた教科指導法の載る雑誌を手放しません。黄色くくすんだその雑誌は多分兄と共に終わりを迎えることになるでしょう!

この本読んでいるといつの間にか私の思い出へと突然変わってゆきます。ヒヨコの話は私の中学時代の思い出へと・・・。

私は鶏肉が食べられませんでした。痩せて小さかったにもかかわらずです。昔は家で飼っていた鳥が食卓に上りました。昨日まで、名前さえつけて呼んでいた鶏が食卓に上るのですから感覚的に受け付けませんでした。中学生になったある日父が私を小川に呼びました。父は鶏を解体していました。逃げようとする私に父は生きるために人は残酷と思えることもしなくてはならないことがあると諭し、最後まで見るように言いました。胃・腸・心臓・卵巣の説明をしなが良く洗い、砂袋と称する胃以外はすべて食べなくてはいけないと説明しました。見ているうちに不思議なことに殺された鶏への感傷は消えていました。

挺身隊の話は昭和3年生まれの姉と重なります。多分こうして私は自分の思い出と本の内容を重ねて最後まで読むことになるでしょう!

もしかしたら84歳になる兄の方が私以上に喜んで読むかもしれません。読み終えたら兄に読ませたいと思っています。

 

急いで読むにはもったいない本です。もう少しゆったりした時間がほしい私です。

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ガイドブック

2010-10-06 07:01:21 | 
 長崎で開催されるエスペラント日本大会(10/9~11)に参加するので長崎の道を歩いてみようと思いました。ですがガイドブックを買う気になりません。難点は文字の大きさです。特に地図は文字が読めないのです。
 送ってもらった観光案内の地図を拡大して印刷したら少しは見やすくなりました。

 長崎に関するホームページを探し、自分が興味ある場所だけとりだし文字を拡大しこれも印刷しました。ガイドブックはこれで充分です。歩きながらページを探す必要もありません。

 考えてみたらこんな人間が増えたら本は売れないだろうと出版社が少し気の毒になりました。

 明日は長崎に出発です!
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