glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

不思議な国ロシア

2007-01-23 09:58:00 | 家族・友人・私
 アレクセイ以外にもロシアに友人がいます。

 その夫婦はエスペラントの雑誌を発行しています。その雑誌がなかなか届かない!
 先日メールを書くついでに雑誌待ってますと書きました。その返事はなんと 


今、郵便局に切手が無いので切手が来るまで送れません。
  もう少し待っていてください。 

つまりこれは料金前納とか後納と言うようなシステムがが無いということですよね !!

悠長ですね。

実はフィレンツェであった時、友人がバスでイタリアへきた妻の方に『バスで何時間かかりますか。』と尋ねました。

『モスクワへは数日かかるでしょう。状況によります。』と涼しい顔をしていました。彼女はモスクワまで汽車で30時間のところに住んでいるのです!

 私の若い友人の20歳になる友人は横浜の世界大会の汽車と船を乗り継いでくる計画だそうです。

 ああいう国土の広い国ではこうでなければ生きてゆけないのかも知れません。
 日没まで走り、囲った土地を与えると約束され、得た土地は自分の墓地分だけだったと言うトルストイのお話しを時々思いだします。ロシアでは欲張ったり焦ったりすると生きてゆけないのかも知れません。

 本当を言うと私も彼女達のようなバスの旅がしてみたいです。 

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雪がひとひら

2007-01-20 09:22:35 | 家族・友人・私
 朝カーテンを開けると雪がひらひらと風に乗っていました。ゴミを出す頃にはもう見えませんでしたがこれを『風花』と言うのでしょうか。
 雪国生まれの者にとって雪は嬉しいです。毎日は嫌ですが。

 ブログ書きたいことはたくさんあるのに書いている暇が無いというのが実情です。

 水曜日、子どもと楽しむためのサンバの演奏の入門講習を受けました。タンボリン(小太鼓)を手に入れました。みんなとおんなじ楽器が嫌で横にエスペラントのシンボルでもある緑の星を七つ貼り付け、スティック(菜ばしで作ったもの)には菓子包みについていた赤いリボンを巻きつけ、とても素晴らしくなったと悦に入っています。今度の練習は来月です。

 もともとダンスとかリズムに乗るのが苦手です。これで打つリズムは『たんたんたぬきがいたいたいたた・』やるのです。ん、い、ぬは叩かないのですが同じ繰り返しをするとと要で外れたくなってしまうと言うか・・・。これは個性と片付けてはいけないでしょうね。共同作業では。
 朝、このリズムが頭の中で鳴り響き目を覚まします。

 でもですよ。指導者がすべて正確であればよいとも私は思いません。学童保育の指導員をしていた頃、ダンスをするとステップがからきしダメでした。子ども達が言うのです。『先生ダメでしょう。こうでしょう!』高学年の子が私を懸命に指導する、すると低学年子たちがドンドン上手になるのです。ですから敢えて上手になることで子どもと競う必要は無いと思うのです。
 上手な指導とは年齢経験を超えて相手の力や努力を認めることに基盤を置くことと思っています。『指導する者が上に位置しなければならないということはない。』これが私が人を指導しなければならない立場にたった時の原則です。


 またまた話が飛びます!

今週初めエスペラント世界協会の機関紙『Esperanto』を受け取りました。ここにも面白い記事がありました。
 ドイツのヘルツベルグという都市が『エスペラント市ーヘルツベルグ』を名乗ることを超党派で決めたそうです。
この市は2005年はポーランドのGO’RA(オーラと言うのでしょうか)市と友好都市になり、共通語としてエスペラントを使用しているそうです。それにはあるエスペランティストの40年以上にもわたる活動があったそうですが、羨ましいです。それにしても日本の都市は大きすぎますね。

 その他今週話題にしたかったことは沢山あったのですが、このくらいにしておきます。

     


 あっ! 雪がまた舞い始めました。 
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七番目の天

2007-01-14 23:28:43 | 家族・友人・私
 七番目の天とはなんでしょう。私にもわかりません。

昨日ロシアのアレクセイから本が届いたとメールがありました。本は私が船便で10月下旬送ったものです。引越しの時息子が処分して欲しいといいました。彼が日本を出てもうそろそろ15年になります。古い本と言っても表紙をかけて読んでいたのできれいでした。
 
 1年程前、アレクセイが夏目漱石を読んだがとても面白かったと便りに書いていたのを思いだし、文庫本だけ50冊選んで持って来ました。2度と読まない本は私にとってもゴミでしか過ぎません。送料の高さと彼にもう少し現代の日本文学を読ませてやりたいと思いを天秤にかけて、ロシアではお目にかかることのないであろう本を手にする彼の喜びを想像し、送るほうを選びました。
選んだ本はたとえば松本清張、遠藤周作、小松左京、三浦綾子、井上ひさし、などなど傾向の違う作家達の作品です。
 娘用にケースに入ったチョコレート菓子と詰め物に不要な紙などを詰めると送料がもったいないような気がして、いただき物のタオルハンカチ3枚あいたところに入れました。それもとても喜んでくれました。

それにしても、世界中の若者はいま携帯電話を持っているのですね。パソコンの前に本とお菓子の缶、ハンカチを並べ写真を付けて送ってきました。

 
 とにかく私も嬉しいです。

 それを受け取った喜びの表現として彼が書いてきたのが、『私は幸せで、今7番目の天にいます。』
 ( Nun mi estas sur la sepa c^ielo pro felic^o.)

 語源が知りたいと思いました。

後記:

 Serenaさんが早速教えてくれました。七番目の天ではなく七番目の天国とであり、それは至上の幸せを意味すると。もしかしたらロシア正教でも同じ表現をするのかも知れません。

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サゲスミとニクシミの置きみやげ

2007-01-12 14:37:11 | 平和
  数年前にエスペラントの入門講習会の講師をした時に使用した資料を探していたらこのような表題のついた古いコピーを見つけました。おそらく黄ばんだ本からコピーしたと思われ紙面は黒ずんでいます。これを私に送ってくれたの多分7年前に亡くなった湘南のエスペランティスト足立長太郎氏だと思います。

  コピーは栗栖継氏が(『同じ太陽が世界を照らしている』:昭和24年6月発行)エスペラトでの文通を日本語に訳したものなどを編集した本の中の数ベージでした。この中には第2次世界大戦後、日本のざんげに対して外国の人達がどんな思いで見ていたかが分る手紙が載っています。

  栗栖氏はチェコ文学者で1910年生まれ日本ペンクラブ名誉会員、現在も健在です。平和憲法を改悪する動きがある今、自分の著書をみなさんに紹介する事を彼は許してくれるであろうと事を願い、引用させていただきます。

    


     サンダカン 1948年1月17日  R・F・ヴォーン

 いかにも私は生きています。いたって健康で、とても気持ち良く暮らしています ― と言っても、これは決してあなたの同国人たちのおかげではありません。よそと同様ここでも信じられないほど恥ずべき方法でふるまい、おそらく幾世紀にわたってつづくであろうサゲスミとニクシミの置きみやげを残して行ったあなたの同国人たちはもうごめんです。彼等のおかげで不幸なことながら、日本人の一人一人が今後ながらく疑いと不信の目をもって見られることでしょう。
 私は日本のエスペラント運動が生きながらえ、戦後再び活発になった、ときいてうれしく思います。こういったことが将来再び起こるのを防ぎ得るのは、こういった思想を持った人々です。私はあなたたちがけなげにふるまって苦難をこうむった事に対して敬意を表します。
 私を今なお覚えてくれる古いエスペランチストがいましたらどうか宜しく伝えて下さい。だがわたしが日本を去ったのは1923年の暮で、おもえば遠い昔です!
あなたの R・F・Vaugnan (p.151)


   ヴォーン氏紹介の記述もコピーしてありました。(p.309)


 R・F・ヴォーン(北ボルネオ)ウエルス出身のイギリス人で、 1905年以来のエスペランチスト。戦前インドを経てしばらく日本に滞在していた。その後イギリス領北ボルネオに移り農園を経営しつつ、「ヘロルド・デ・エスペラント」などに東洋での見聞記を寄稿していた。我が福沢諭吉の生涯を紹介したこともある。1940年私は彼のエッセイのひとつを『巣立ち』という表題で雑誌『動物文学』に訳載するについて彼と文通を始めた。当時はもう太平洋戦争のキザシがあり、私たちは手紙を英語で書かざるを得なかった。それもその年の9月私が東京で検挙されて中絶した。
 老人の事であり、日本軍が散々荒らしたボルネオのことでもあるし、多分生きていまいと考えたが、試しにはがきを出したところ思いがけず返事が来た。しかしその文面は当然のことながら、日本人に対する激しい非難を含んでおり、私は暗然とした。しかしヴォーン氏はエスペランチストを含む進歩的日本人の男女の中に日本の民主的よみがえりを見ている。
 その後彼は「ヘロルド・デ・エスペラント」に「鎮魂歌」と題する文書を発表したが、それによるとヴォーン氏は日本軍の侵入と同時に捕らえられ、他の連合軍国人と共にバルハラという無人島に監禁されたが、ひどい飢えに悩まされ、闇にまぎれて船で食料を運んでくれた中国人によって、かろうじて餓死を免れたとの事である。しかしその中国人のうちのある者は日本軍に逮捕され殺された。「鎮魂歌」の題名はそれからきている。これらの事を考えるとヴォーン氏の手紙はごく控えめに書かれていることがわかると思う。


   少々長くなりましたが原文のまま引用させてもらいました。(但し、旧漢字等は変えさせていただきました。)この手紙を読み感じることはアジアの人達が日本人に抱く危惧はあるいは疑心は60年という短い期間で根本から変わらないだろうと言うことです。日本のアジア侵略という事実を戦争を知らない人達にも知ってて欲しいと思います。私はこのコピーをもらった時、日本がした行為ををどう受け止めたのが全く覚えていません。でも、事実を伝えられていた事で改めて戦争について、アジアの人々の思いについてまた考えました。伝えておく事の大切さを実感します。

   この本はどこで見つかるのか息子にインターネットで検索してもらいました。新宿区早稲田町にある日本エスペラント学会(03-3203-4582)の図書館にあるようです。読みたい方は学会まで問い合わせて下さい。


後記 :『同じ太陽が世界を照らしている』に関連する次の記事を見つけました。

http://www.janjan.jp/culture/0606/0605260010/1.php
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ソマリアに心をよせて

2007-01-07 16:51:35 | 平和
 昨日より、エスペラントの講習会が再開されました。
機関紙の発行、講習、その他会合といそがしい1日でした。
友人の一人が(講習生でもある)小さな冊子を貸してくれました。
冊子の名が『ソマリアに心を寄せて』~10年の歩み~。2006年12月発行です。
発行したのは『ソマリアを支援する会』。

アフリカの社会の複雑さ、貧しさなど新聞記事で読んだ内容とは深みの違う事実が心を打ちました。内容について私がここで語ることは不適切のように思われました。みなさん、ホームページを訪ねてください。
興味をもたれた方はご協力を。

 http://www5f.biglobe.ne.jp/~somalia/


私の息子のひとりが難民を救う会と言うNPOに参加してラオスに行っています。そこにもまだクラスター爆弾とかいう爆弾、ベトナム制圧の為アメリカがホーチ-ミンルートを爆撃したものが残っており、それによるけが人が絶えないそうです。

地道な活動をしておられる方が多くいます。

日本は憲法9条を改悪する必要があるのでしょうか。

平和を願う日本人の心意気として9条を守りたいと私は思います。

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賀状

2007-01-06 08:30:23 | 家族・友人・私
 賀状は書かない。高校生からの習慣です。最近は最低限書いていました。昔付き合った作業所の利用者とかに。

 今年はどうしても書く気になれずにいます。

昨日は弟から賀状を貰ってその文面に驚きました。
『 リハビリを兼ねて手書きでに挑戦しています・・・。』とあったのです。『後1年頑張ります。』とも。

 もうすぐ彼の誕生日ですが、そうすると64才。65才が定年なのでしょう。でも働ける状態で良った!

 それにしてもどこからも弟の病気に関するニュースは入りませんでした。兄弟は大人になると疎遠になるのですね。姉妹はなんのかんのと互いにうるさいと思いながら、それでも連絡は取り合っているのですが。

 今日もまた忙しい。

 明日には弟に電話したいと思います。
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今年もよろしく。

2007-01-02 15:55:24 | 福祉と教育
 昨日は友人に誘われてK町の炊き出しに参加しました。
それは今度エスペラント大会で使用するホステルヴィレッジがある裏の通りの児童公園で行われました。昨日の炊き出しは餅つきでした。並んだ人達を眺めていると高度成長を遂げる前の1960年代の東京の風景を思い起こしました。
私たちの暮らしは豊かになりましたが取残されている人が大勢いるのだと実感しました。そこで生きる多くの人は生活保護に頼っています。その保護費の査定も年々厳しくなっています。保護を受けていない人の生活は厳しくなっていると思います。そう言えば最近市町村など自治体で廃品の回収を行うようになったので、空き缶などを拾って生活の足しにしていた家のない人が自活しにくくなったと聞きます。
 また、以前生活保護で暮らす人を非難する人と出合いましたが、すべての人が知識や技術を必要とする仕事ができるわけでないでしょうし、重労働に従事する体力を持っているわけではないでしょう。そう考えると何か複雑な思いがしました。
 
 法律相談をしておられる方に正月の状態を聞くと正月期間は相談がぐっと少なくなるそうです。たとへば借金取りもお休みだからと言うことでした。最近一番大変だった事例は本人が知らない間に本人名義の銀行口座が作られ俺俺詐欺に使用され、訴えられたことだそうです。
 本人が行ったことも無い東京で口座は作られていたそうです。呼び出した裁判所は中国地方とか、知らない間に犯罪の加害者にされていたと・・・。

 そこには餅のつき方にしても、きな粉や大根卸しの味付けにしてもそれを自分の仕事と考えている人がいました。その人達の意見を尊重してお手伝いしたつもりです。帰りに数人がまた来年ねと声をかけてくれました。体力があったらまた参加することにしましょう!

 
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