glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

田舎へ:昔は渓谷だった!

2013-04-30 10:49:11 | ラオス人を家族に持つと
 子どもの頃近くに発電所があり、その上流は渓谷でした。抱き返りという名前でしたが昔交通手段のなかった頃、山伏となどが岩手県に抜けるためにこの渓谷を利用したと言う事です。上流に田沢湖がありますが、今そこまでたどり着けるかは知りません。急流で紅葉の名所でもあります。

 息子が子ども頃夏休みで長兄のところに滞在していると、他の市に住んでいる兄がやって来て発電所の近くに魚釣りに連れて来てくれました。兄の息子はもう高校生だったでしょう。父親と遊んでくれないので寂しいのだと言う事でした。

 帰り際に息子が抱き返りに行きたいと言うので私も同行しました。昔空襲を避けるために発電所は蔦で覆われた素晴らしい西洋的な建物でした。建て替えられた建物は近代的というよりなんともそっけない建物でした。発電所の社宅も2階に突き出たような窓のあるハイカラな建物でしたが、もうありません。それ以上に驚いたのは素晴らしい景観であった急流がすっかり姿を変えていたことです。マスの養殖場を建築すると書かれたありました。
 
若くして逝った叔父が療養をかけてやって来て釣りをしていた急流の岩はすっかり無くなり、写真のようなつまらない風景に変わっていました。
 私たちも下まで下りてみました。この下流で私は水泳をしました。水温は真夏でも18度を超えることは無く、10分ほど泳ぐと唇は紫色になります。大きな石を探して腹ばいになり体を温めたものでした。
 この写真の日の温度は10度ほどあったでしょうか。孫が水に入ろうとすると、驚いた事にNは子どもの靴と靴下を脱がせて水に入らせました。足は瞬く間に冷えて真っ赤になりました。

 ちょっとだけ伝説に触れておきましょう。子どもの頃川の中に二つの大きな岩がありました。松が生え小さな祠がある岩は巫女岩、石だけの岩を山伏岩と呼んでいました。
 昔この川は歩いて渡れるほどの川だったそうです。ある時岩手に向かう山伏と巫女の夫婦が川の途中まで来た時水かさが増し、川幅も広がり、流れも速くなりました。二人とも流されそうになりした。山伏は助けを求める巫女を振り切り一人対岸に向かいました。巫女は流されながら助けてくださいと神に祈りました。夫に見捨てられた巫女を憐れみ神は岸にたどり着く寸前の山伏ともども二人を岩に変ええました。村人は岩になった二人を憐れんでてっぺんに祠を立て、松の木を植えて弔いました。ところが山伏岩の祠はすぐに壊れ、松の木も根付きませんてした。人々は妻を見捨てた山伏に神が怒っているのだと考え、以来山伏岩には近づかなかったという事です。その時から二人は川の中ににたち続けているです。
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2 コメント

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昔懐かしい、 (verdavojeto)
2013-04-30 18:10:36
自然美が消えると言うことは悲しいですね。マスの養殖が周囲で暮らす人々の生活を潤すのかも知れませんが、、、。或は投資者が豊かになるだけかも知れません。残念です。
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Unknown (glimi)
2013-04-30 21:19:37
 昔この渓流にますが住んでいました。叔父だけでなく釣りに来る人はいましたし、銛を片手にマスをめがけてつり橋から飛び降りる若者も見ました。

 人を呼び込むような環境を作ることはできなかったのでしょうか。とても残念に思います。
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