glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

なかなか進まない!読書

2014-10-29 10:00:36 | エスペラント
 マジャリ・ブルタン(Marjare Boulton)著のPOETO FAJRAKORAを読んでいると以前書いたのですがなかなか進みません。とても面白い本なのですが・・・。中身はユリオ・バギィの作品に関する解説と批評です。1983年の出版です。1983年と言えば私が自分のエスペラント力の無さに愕然とし、猛烈に本を読み始めた時期です。

 この頃だったろうか横浜エスペラント会には1000ページ読書運動と言うものがありました。一年にせめてエスペラントの本を1000ページくらい読む努力をしようと言うものでした。ただし、100ページでも200ページでも自己登録し、個人的読書目標を達成す努力をしようという運動でした。今、堀さんが行っているエスペラント相撲に似ていますが、こちらは1年がかりでしたので、結果としては見えにくかったかもしれません。普段使っていていないエスペラントを忘れず、更に新しい単語や表現を身につけるためには読書に勝るものはないと感じています。ですがエスペラントブログは長期間休業状態です。書く事も必要とは自覚していますが・・・。

 でも、'83年頃に読んだらこの本をこれほど面白いと感じて読むことはできなかったでしょう!バギィの本を今までに何冊か読んでいるからこの本に惹きつけられるのでしょう。 とにかく今年度中に読み終えるよう努力することにします!
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パイナップル

2014-10-26 11:56:31 | ラオス人を家族に持つと
 Nがつわりだと言います。来年5月第二子が生まれるらしいです。本人はラオスに帰って出産するつもらしいです。9月初めに家に来た時彼女は私に『ラオスに行きたいです。』と言ったがこの時もしかして妊娠の予兆があったのかもしれません。ラオスには姉たちが5人もいて同じ敷地内に4人暮らしています。父親も老齢ですしラオスに帰るのも良いでしょう。ただ、せっかく日本語を話し始めたMが日本語を忘れるかもしれません。ままよ!なるようにしかならないのだから・・・。

 息子は決してものをねだらないと言うか、その言い回しが面白い。『パンやみかんいつでも歓迎します』とメールにありました。神奈川ミカンはまだ出回っていないので、南国育ちの彼女には南の果物が喜ばれるだろうとパンと一緒にパイナップルを入れて送りました。すぐに食べたらしいです。先日パイナップルを買おうとしたら1個800円もしたそうです。これも需要と供給の関係でしょう。
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仕事日和

2014-10-25 10:34:49 | 家族・友人・私
 月曜日、火曜日夜までは雨が降らないと言う天気予報を信じてウッドデッキのペンキ塗りを始めました。ところが夕方から雨、火水木と激しい雨が降り続きました。昨日は心地よく乾燥した空気でしたがデッキが水を含んでいるでしょうからペンキ塗りはお休み。今日は風もなく穏やかな日和です。ペンキ塗りをしようと思う。友人にそんな男の仕事はしたことがないと言われましたが、私は自分ができると思えることは何でも挑戦してみます。人に頼むのは失敗してからでも良いのでは!
 昨年は手の湿疹がひどく箸を握るのさえ苦労しました。塗るのを休んだら痛みがひどいです。昨秋から試みに医師からもらう薬を止めると初め大変でしたが、数ヵ月後状態が良くなり、今は非常に良い状態が続いている。ブエノスアイレスであったフィンランドの皮膚科の医師は毎日少なくとも10分間太陽に当てなさいと言いました。例え気休めでも良いと思いながら実行しているのですがなんだか状態が良くなったように感じます。

 穏やかな日差しの中でこれからペンキ塗りの作業に入ります。
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チェコ倶楽部

2014-10-21 21:21:11 | エスペラント
 日本エスペラント大会民宿での同室者の一人林幸子さんはチェコ倶楽部の主催者でした。チェコ語講座とかチェコでのイベント紹介とかしているそうです。私もホームページを訪ねてみました。昔友人が住んでおり、泊めてもらってボヘミアの森を歩く基点としたヤブロニッツ・ナド・ニソウでの昨年のイベントなども載っていました。チェコのビール美味しいです!森を歩いてお昼の休憩にみんなコップ1杯のビールを飲むのです。チェコではまるで日本で野草を煎じて飲む民間薬のように体調に合わせてビールの銘柄を選ぶのです。
 チェコ倶楽部では冷やしたビールを輸入してうまみが抜けないように冷えたまま会員に宅配することもしているそうです。興味ある方はホームページを見てください。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/czech/index.html

 プラハ郊外にテレジンと言う町があります。私はここは収容所だと思っていましたがウキペディアを見るとゲットーと書いてありましたのでユダヤ人居住区だったのでしょうか。ここに住んでいたペトル・ギンズの事はご存知でしょうか。世界エスペラント協会の機関誌【Esperanto】で紹介されたことがありますからエスペラント関係の方は知っていると思います。彼の両親はエスぺランティストでしたし、彼もチェコ語―エスペラントの辞書を作るほどエスペラントに堪能だったようです。ペトル少年の妹が彼の日記をを編集し出版しました。本の名は『プラハ日記』です。この本の訳者の一人が林さんでした。また彼女はペトル少年の妹と文通して色々と資料を集め著書『テレジンの子どもたちから』を出版しました。その過程の話などを伺い有意義な夜を過ごしました。気の合う人と出会うなら民宿もなかなかいいものですね。





 『プラハ日記』も『 TAGLIBRO DE MIA FRATO』もチェコ語からの翻訳です。同時進行で読んでも面白いかもしれません。

http://eo.wikipedia.org/wiki/Petr_Ginz
ペトル少年に関する日本語がなかったのでこれはエスペラントです。


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日本エスペラント会公開講座:10月13日

2014-10-20 08:14:45 | エスペラント
 日本と韓国の友好に関するものでした。初めは韓国青年エスペラント会副会長KIM Seon Wookさんの『日韓友好のいくつかの顔』という題で訪れた日本各地のエスぺランティストとの交流の話でした。彼の愛称はSUNO、この名を知っていいるエスペラント仲間は多いかと思います。二つ目は泊(とまり)の歴史を知る会の大森和良さんの『韓国戦遭難救助の記録の発掘』と題するもので1900年に嵐で遭難した当時の朝鮮から流れ着いた遭難船を小浜市泊の人々が救助しました。日本が朝鮮を併合する10年前のことで両国の関係は冷え切っていました。政府が遭難した朝鮮の人たちに与えて良いと言うコメの量があまりにも少なかったので泊の人たちは内緒で自分たちの芋や大根を与え、朝鮮人は村人の仕事を手伝ってその行為に答え、帰国してからも友好関係が続いたと言う事。近年になってその事を知った韓国に人達との交流が続いているという内容でした。この出来事は絵本になり日韓両国で出版されたそうです。今回の大会記念品はこの絵本のエスペラント版でした。



el "La vilagxo, al kiu blovis la vento"


台風が近づいていました。交通機関がまることを恐れた早目に帰る人もおり、聴衆は少し減っていたかも知れませんがとても聞きごたえのある、また多くの人に知って欲しい史実でした。

詳しいことを知りたい方は下記のページを訪ねてください。
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民宿

2014-10-19 07:06:20 | エスペラント
 民宿は愉快でした。同宿者は15名だったでしょうか。もし気の合わない人と組まされたらつまらない夜になるでしょうが同室者は2005年ヴィルニス大会でリトワニアを大会前遠足で一緒に旅していらいの友人とチェコ通の方で話題は尽きず2晩とも夜遅くまでおしゃべりに花を咲かせました。

 10月12日(日)夕べ:夕食会
 鯛や甘エビなどの新鮮な刺身のがどっさり。ふぐの刺身。干物と地元の魚が食べ切れないくらにテーブルに並んでいました。鯛のあらを使って出汁を取る鍋ものも出ました。同宿者に中国人が二人いました。さしもを鍋に入れる手も美味しいと教えられると彼女は生で食べるのを止めて鍋で湯がいて食べていました。彼女は凄く自己主張が強いだけでなく変わっていました。2年前宇宙からKosmolingvo『宇宙言葉』を聞いたと言うのです。そしたら歌えるようになり、ダンスができるようになり、エスペラントも喋れるようになったと言うのです。もう夕食を終わらせなくてはならない時間になったのにおしゃべりを止めず突然立って踊り出しました。宿の人達も驚いて眺めていました。後で自分の部屋にどうぞ来てくださいと言っていましたが誰か訪問した人がいたかどうかは定かではありません。
 中国人が日本入国に必要なビザを個人で手に入れることができるようになったと聞いていたのですが彼女達のビザはたった5日間だそうです。せっかく日本に来たのですからもう少し滞在させたやりたかったですね。翌朝(13日)5時に宿を出て関西空港へ向かうと言う事でした。

 可笑しかったのはお手伝いの人が私たちが中国語で喋っていると勘違いしたことでした。『すごいですねぇ、みなさん中国語が達者なんですね!』と囁くのでエスエペラントで話していいると話しましたが、さてエスペラントが何か理解して貰えたかどうかは分かりません。
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開会式と午後の散歩

2014-10-16 06:45:52 | エスペラント
 10月12日(日)
 駅近くで給油し8:20分ごろ会場につく。今日から参加の方々が見えていたので受付や荷物アヅカリを手伝い、開会式には10分ぐらい遅刻しました。可愛いチェックの洋服姿の少年少女が『証城寺の狸ばやし』歌っていました。写真を取りたかったのですが残念ながら取れませんでした。

 市長挨拶は凄かったですよ!補助的に日本語を使っただけで全てエスペラントだったのです。小さい市であればこそみんなで大会を盛り上げてくれたのでしょう!2008年エスペラント市ヘルツべルグに行きましたが、そこでも市長がエスぺランティストを前にエスペラントであいさつしましたが、それに比べるても流暢で素晴らしかったです。


エスペラントで挨拶する市長


午前中のプログラムを一つお手伝いし昼食後、食の市が開かれている広場へ。美味しそうなな魚の加工品が沢山ありましたが持ち帰ることはできません。干し鱈を見つけました。母は塩出しして調理していた記憶があります。調理法は分からないのですが購入しました。ロシア産でした。干し鱈は最近店頭で見ることがありません。そう言えばビヤイストックからワルシャワへ向かう列車の中であったブラジル人は『ブラジル人の好きな料理はノルウェー産の干し鱈。でも、最近は手に入らない。』と話していました。どこでも品不足なのでしょうか。

 町を散歩したいと地元の方に話すと三丁と言う古い街並みが残っている所があると教えてくれました。隣にいた方が湾沿いに海を眺めながら行くと公園もあるしと勧めてくれました。海岸でちょっと障害物をよけたら方向を失ったらしく公園にたどり着くのに延々と歩き続けました。公園そばにコーヒー店があったので一休み。後から来た方も交えて近づきつつある台風の話となりました。『最近台風は若狭湾を避けているけれど直撃されたら原発が心配!』と女主人。『原発ですか?』と私。『すぐそこに見えるよ。ここは原発銀座と言われている。』と他の客。『稼働していないけれど燃料があるから・・・。稼働している時はきちんと監視しているでしょうが、稼働していなくともきちんと監視しているか心配で!』と女主人。古街並みの場所を聞いて店を出ました。古い町並みは店の裏手を入ってすぐでした。日曜で資料館もお休みとの事でしたが、補修している家も前で地元の方とおしゃべりしました。真っ黒い鴨居をさしながから彼女はこの家は江戸時代に建てられた、文化遺産として登録されているので外側を傷つけないようにトンカントンカンと直していると話していました。中の修理が終わったら外の連子格子はまたベンガラで赤く塗られのだそうです。
 長い散歩でしたので午後の公開プログラムには出られませんでした。夜は分宿した民宿でそれぞれに夕食会です。

 追記:道に迷ったので幾度も道を聞く事になりました。みんな嫌な顔もせず親切でした。小浜はバス路線が無く、走っているのはコミュニティバスだそうです。歩くかタクシーを使うかしか移動手段はないそうです。
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私の大会前遠足

2014-10-15 07:23:54 | エスペラント
 11日夜前にエスペラント大会の会場に着くにはどうしたら良いかと思案しました。鉄道を使って乗り換え乗り換え行くよりも自動車で行き、ほとんど見たことのない関西の景色を眺めるのも良いのでは?と決めました。友人も家族もあきれ顔でしたが、大会が開かれる小浜市へは実家のある秋田より近いと言って皆を黙らせました。

 『10月10日』
 高速を走るのはあまり好きではないのですが一部高速も走る事にしました。後はナビ任せです。朝6時過ぎに出発し、1時間、あるいは1時半ごとに道の駅やサービスエリアで休憩を取り今津に着いたのは午後4時前でした。通された部屋は8階のツインルーム。こちらの都合で替えましたのでゆっくりお過ごしくださいとのことですした。窓からは琵琶湖が一望できます。一人乗り、二人乗り、数人乗りのボートや遊覧船が見えます。ハノイで開かれたアジア大会で同室となり、友人となった方は学生時代カッターをしていたと話していましたので多分こんなボートを漕いでいたのだろうと暮れゆく空を眺めながらベトナムでの出来事など思い出していました。

 『10月11日』
 朝、窓から見える琵琶湖が美しいので少し散歩をしました。

 朝の窓から。水鳥がえさを啄ばんでいるようでした。黒い鳥は野性の鵜でしょうか。


 散歩の時はもう鳥たちは消えていました。


 雲がとても美しかった!


 ホテルが竹生((ちくぶ)島への遊覧のために今津港への送迎を引き受けてくれましたのでホテルの車で港へ。申し訳ないことに客は私一人でした。竹生島は島自体が神域になっています。色々な神様や仏さまの住処のようです。






 龍を祭っているようです。


 龍には会いませんでしたが美しい色のトカゲが迎えてくれました。




 全貌を写そうと思ったら他の観光客が写りました。肖像権の侵害などと言わないでください。


 12時に今津を出発。33キロの道のりなので受け付け開始時間まで1時間。少し手伝いをすると約束したのですが、昼食を済ませておいた方が働きやすいだろうと若狭小浜道の駅で食事をしてから1時少々過ぎに大会会場に入りました。

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本日は晴天

2014-10-14 07:56:14 | エスペラント
 昨日はエスペラント大会の閉会日でした。台風のために式は予定より30分早く終わりました。民宿で同室の方は埼玉からやはり車で来ていました。朝、天気予報を見てどこかで1泊するより帰宅する方が賢明ではないかという結論に達し、私は開会式後にすぐに会場を後にしました。敦賀より高速道路に乗り家近くで下りました。高速で走り続けるのは好きではありません。途中で何度も短い休憩を取りました。雨が強く降りだしましたが、静岡県に入りるとぴたりと止み、神奈川県に入ると今度は猛烈な雨でした。家に着いた時は土砂降りの雨。荷物はまだ車の中です。今日は無事帰宅の報告です。琵琶湖や大会についての感想はまた書きます。
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老兵は死なず

2014-10-08 09:42:46 | エスペラント
 連絡など全く取り合っていない古い友人から先日メールをいただきました。エスペラント日本大会の準備をしているが全く人手が足りないと。場所は福井県の小浜市です。大きな会場もないし宿は民宿です。それも変わっているし面白い。それに小浜の名前はアメリカの小浜大統領が立候補した時に応援した面白い土地ぐらいの知識しかありません。行って見ようと参加を決めたのですが・・・。外国人も沢山来ると言うので先日受け取った参加者名簿を見たら不在参加を除いて240数名の参加者です。そのうちの26人が外国人。中国人に至っては14名です。多分初めての外国旅行でしょう。大会に参加してもぶらぶらしようと言う私の気分は一変しました。できる限りお手伝いしようと。年輩者はそれなりの経験があります。それをフル活用する機会があったら次の活力となります。まさに老兵は死なずです。
 ですが、若い力も素晴らしいです。未知の事に挑戦する良い機会です。若い方も事務局に手伝いを名乗り出たらきっといい経験を得ることができると思うのですがいかがでしょうか。

 さて、私の初めての日本大会は1960年。赤城山にある関東学生連盟の建物だったと思います。宿泊は山荘風で寝床は2段になった鰻の寝床のような仕切りがありませんでした。私は長谷川テル氏の姉である西村幸子さんを紹介され彼女の横に寝てほとんど一晩中若かりし頃のテルさんの話や家族の話を聞きました。彼女には弟さんもいたのですがある夏休み姉弟3人が揃ったら事前に相談したわけでもないのに3人ともエスペラントを学習し始めていたと言う事でした。早朝散歩に行きました。山頂には沼か湖がありその周りを廻りました。その時のスナップ写真があります。


 後列向かって左端が昨年亡くなった阿部祈美さん、伊東三郎氏、真ん中の女性が長谷川テルさんの姉の西村幸子さん。右端の男性は当時東京都の職員でベトナムからの便りを都職員の機関誌に投稿していた今村静雄さん。この数年後彼は40代の若さで急逝しました。前列は岡山か和歌山かから見えていたような記憶があります。私と同じ年代でしたらまだエスペラントを続けていたら嬉しいです。年配の男性はとても穏やかで優しい方で散歩しながら伊東氏との若い頃のエピソードをいろいろはなしてくれましたしたが、どうしても名前を思い出しません。この方についてなぜか大切なことを忘れているような気がします。どなたか名前をご存じないでしょうか。
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ことばはなぜ通じるのか(追記)

2014-10-07 14:24:28 | エスペラント
 この本を棚に戻そうとしてページをめくっていたら付記に仙台の佐伯氏のことが書いてあるのに気づきました。定年後だったと思うのですが、『物言えば人間は回復するー1社会事業家の手記』と言う本を出版したと書いてあります。彼は宮城県の中央児童相談所で働いていました。
 仙台へ行ったら是非佐伯君と福島の産科医だったでしょうか、○○氏を訪ねなさいと私は伊東氏から言われていました。福島を訪ねたことはなかったのですが、勤め先の病院から心理検査を覚えるようにと児童相談所で研修するように言われ初めは数週間その後は継続的に土曜日に児童相談所に通っていました。当然佐伯氏とは顔なじみになりましたが偉い方でしたの声をかけるには勇気がいりました。病院の同僚の薬剤師にその事を話すと彼女はは高校で彼の娘さんと同級生だったそうで時々遊びに行ったと佐伯氏の家族の話などしてくれました。そして彼は凄い恐妻家で奥さんに頭が上がらないようだと。

 ある昼休み偶然佐伯氏と二人だけになったのでエスペラントを学んでいること伊東氏の弟子であることを告げました。廊下の待合用の長いすに座って午後の仕事が始まるまで話をすることができました。彼はあたかも私が彼の恐妻家ぶりを聞いている事を知っているかのように『伊東君は投獄されてもへこまない、私はエスペラントを捨て満州に逃げたんですよ、弱い人間なんです。そして帰国する時家内は見つかったら命にかかわるかもしれない私が満州で記録した小さな手帳を懐の奥に隠し、持ち帰ってくれたんです。手帳は私にとってはとても大切なものだったのです。家内には本当に感謝しているんです。』と話していました。単なる恐妻家ではなかったのです。

 エスペラントのお蔭で本当に予期せぬ人との出会いがあり、色々な人の(日本人だけでない!)多様な人生にも触れることができました。本当に嬉しいことです。

 当時仙台の米ヶ袋(文字が正確かな?)と言う所に住んでいました。勤務先へは電車で通っていましたから仙台駅へは東北大の構内を通っていました。正門近くのお店のガラス戸に時々エスペラントの会合の知らせが張ってあるのを横目で見ながら通り過ぎていました。何しろ医学には知識がなく渡された専門書は英語でしたので辞書を片手に知識を得なけらばならなかったのです。英文を読む前にザメンホフの詩を読んではいつかエスペラント運動に必ず復帰すると自ら慰めていました。50年前の出来事です。
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ことばはなぜ通じるか

2014-10-07 06:49:19 | エスペラント
 今週末にもう日本エスペラント大会が始まります。エスペラントと繋がっていたいと言う望み以外は特に意図する事もないのでぶらぶらゆきます。こんな時拾い読みする本があります。伊東三郎著『Inicado Esperanta ことばはなぜ通じるか』です。彼はとても易しい文を書きます。ですが中身はいつも意味深長です。哲学的で実行するのはとても難しいです。

 今回読んだ部分:言語とは言力と語学である。言力とは自分の内面を外に出すこと。ことばを学習すると言う事は言力を育てることと語学を学ぶことです。自分の内面を表現しなければ語学力(単語を覚えるとか、文法を理解する力)があっても話は通じない。

 人はなかなか素直になれません。私もそうです。せめてエスペラントで話す時は素直な表現を心がけます!
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雨の日は

2014-10-05 13:16:09 | エスペラント
 昨日までの暑さとうって変わって今日は気温24度。台風上陸の予想もあってか外も静かです。いま嵐にさらされている方には申し訳ないほど快適な時間を過ごしています。まったく読み進めなかった本『POETO FAJRAKORA』ようやく第3章70ページまで読み終えました。

 バギーの小説は戦争と関連するので戦争嫌いの私は敬遠しがちでした。マジャリ・ブルタンは小説の一つ一つの内容を紹介し、コメントを書いています。内容ははどれも暗いですが読んでおくべきだったかななどと半分後悔しつつ読んでいます。第4章は戯曲家としてのユリオ・バギーについてらしいです。今日はもう少し頑張って読み進みましょう。目はやはり疲れます。

 パソコンをつけると読書が進みません。パソコンが目に入るとついスイッチを入れたくなるのでパソコンを視界からずらしました。
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打ち身

2014-10-03 09:32:28 | 雑感
 打ち身は子どもの頃には膝などぶつけてしまって痛いと騒いでも数日で忘れてしまうような出来事でした。でもこの年齢になると生活に支障をきたすほど大きい出来事になるらしいです。
 昨日友人が医者に行ったと遅れてやって来てすぐ帰ってゆきました。旅先のホテルのベットが高くベットの傍に足台があったそうです。翌朝その事を忘れてベットから出ようとしたらベットから転げ落ちた格好になって足台で肩甲骨を打ったそうです。呼吸しても寝ても痛く病院に行ったのですが、レントゲンを撮り、診察した医師に打ち身の跡もないし、骨にも異常はない。もしレントゲンに写らないほどの微細な傷があったとしても治療の方法がないので自然治癒を待つより仕方がない、まあ4ヶ月ぐらいしたら治まると思いますよとも言われたそうです。

 かくいう私も息子の車から降りる時に足にハンドバックのひもが絡まって転んでしまいました。膝とつま先の向く方向に寄っては突然激痛が走ります。打ち身の跡も出までんせんでしたが。

 もう一人の友人は団地の車止めの棒に膝をぶつけて私と同じ症状だそうです。次第に身のこなしが悪くなっているのでしょう。ほんの些細な事故が生活に及ぼす影響はまことに大きいです。

 背中が痛いという友人はバスで帰ったらと言う私たちの忠告に対して、『4か月もかかるなら歩かないと歩けなくなってしまう。休み休み帰ります。』と坂道を心配する私たちをしり目に帰ってゆきました。あっぱれ!
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言葉遊び:間違い探し

2014-10-02 06:18:27 | エスペラント
 木曜日、私たちが決めた本の他にverdavojetoさんがパソコンに打ち込んだ本『Sub la negxo』を読み、気づいた打ち間違いを彼女に送っています。原本もなく、全てを照らし合わせているわけではないので校正と言うにはほど遠いです。まあ、間違い探しの遊びのように読んでいるのです。見つけた間違いを1回づつ送れば良いものをずぼらにも9月分は溜めこんでしまいました。
  今日は珍しく夜明け前に目覚め、やる気が起きたので10数ペ-ジの中で私たちが見つけた間違いをコピーして送りました。

 何でもかんでもため込んでしまうサボり症。今日は10月の学習(?)の第1回目です。とにかくけじめがつけられて良かったのですが午後は辛くなりそうです。


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