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生きること:過去と未来とエスペラントと

ああ、大晦日

2019-12-31 16:54:10 | ラオス人を家族に持つと
 2019年最後の日となりました。孫たちもやってきて忙しく、にぎやかな晩になるだろうと、朝からあくせく働きました。Mの希望はすき焼き。鍋に入れる出汁も取り、野菜も切り、コンロも出しました。いつまでたっても息子家族が現れない。もしかして、Nは大晦日という言葉を理解していないかもしれないと電話しました。やはり家にいました。1キロもの肉どうすると息子に聞いたら、これから行くとのこと。電車・バスで1時間ほどの距離です。多分6時ごろにはやってくるでしょう。
 Nの日本語の理解力をうっかり忘れていた私のミスですが、せっかくの肉が無駄にならなくてよかった。正月の品で冷蔵庫はいっぱいなのです。

 みなさん1年間ありがとうございました。来年も気儘に書き綴るつもりです。よろしくお願いします。
 2020年、みなさんにとっても、私にとっても良い年であるように願っています。世界の紛争が少しでも減ることを切に願います。
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タシュケント紹介

2019-12-30 21:18:47 | エスペラント
https://www.youtube.com/watch?v=C1vJ3yZfMnY ユーチューブでタシュケント紹介のエスペラント映像を見つけました。Esperanto en Azio kaj Oceanio でタシュケントについて韓国のソ・ギルス氏の紹介がありましたが、その成果でしょうか。  海外の夢を見るのも今年はこれが最後でしょう!
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今年最後の自然農

2019-12-30 12:50:38 | taglibro: 日記

 今年最後の自然農に参加。男性たちはサトイモ掘り。その後で、穴を掘って来年の種イモを保存する力仕事。女性陣は春菊やホウレンソウの収穫と蕪や大根を抜き取りました。春菊は丈が50~60センチにも伸びていました。柔らかそうです。蕪は聖護院。売っているものほどの大きさがなかったですが(直径8~9センチ)、夕食に皮も一緒にサラダ風に調理したら本当においしかった。大根は日本古来の品種ということでしたが名前を聞き逃しました。ずんぐりむっくり。明日で来たら写真をとりましょう。解説を聞いていなかったのは鶺鴒(セキレイ)のせいでした。鶺鴒が1羽やってきて、周りをちょこちょこ動き回り、舌を鳴らすと寄ってきます。50センチぐらいのところまで寄ってきました。

 家を出るときは風が冷たかったですが、畑では風も凪いで心地よいひとときを過ごしました。

12月30日(月)

大根の葉を処理する前に写真を撮りました。大根の葉茹でて細かく刻んだら15センチ四方、高さ5センチのケースに8分目ほどでした。午後は蕪の葉を調理する予定です。 


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小さな本

2019-12-28 20:35:24 | rememoro: 思い出

 昨日、リトアニアの友人から小さな本が届きました。はがきほどの大きさで36ページ。私が貰ったのは3冊目です。彼女との付き合いがいつからなのか、どうして知り合ったのかもう忘れましたが、多分、私の名前が共産圏の雑誌に載ったことがあるそうで、たくさんの便りを貰いました。その時のひとりのような気がします。最初にもらった本に私との写真があったので、多分1995年以前からの知り合いだと思います。エスペランティストは不思議な生き物だと時に思うのです。便りを交換したのは年に数回なのに、文通相手の生きざまというかいろんなことを理解しあっているのです。

 彼女はカトリックスクールの宗教史の教師、子どものこと孫のことなどいろいろと。私より1年ほど早く生まれたのでもう80歳。E-メールはしないので今彼女の友人に本を受け取ったとメールしました。世界エスペラント大会に参加するとエスペラント教師候補を連れてきて受験の世話をしていました。ですから顔を合わせても数10分の会話。残りは帰国してから手紙で話し合うというものでした。おそらくは毎年毎年エスペラント教師を生み出していたのです。便りに健康がすぐれないと書いていました。友人は減ってゆきますが、もう新しい友人を作る気力も萎えてゆきます。きっと、これが人生なのでしょう!

「Vivu la amo: 愛万歳」

本の挿絵の中に私が送った横浜の絵葉書もありました。

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ヒヨドリ

2019-12-26 11:01:21 | taglibro: 日記

 ウッドデッキの屋根にヒヨドリがやってきた

空が汚れて見えるから、糞はしないで、お願い

降りてプランターにいれた生ごみをついばむ

リンゴの皮をどうしても呑み込めない

喉につっかえた!

吐きだし、飲み込み、つっかえる、吐きだす

目を白黒しているように見えたが

諦めて飛び去った!

写真撮りたかったな

 

 昆布でにしんを巻き終えた

 ゆっくりと煮込んでいる

 

 

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肉の筋切り器

2019-12-25 12:31:50 | 衣・食・住

 肉の筋を切る時にいつもフォークを使っているが力も弱まってきたようで苦労し始めました。このような日常品あっても良いのではと思ったらやはりありました。消費税込みで700円余り。早速使ったら楽しくてやめられないほどサクサクと肉に食い込みました。

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高齢者自動車運転資格

2019-12-23 08:29:47 | 雑感

 先日のニュースで高齢者に自動車運転ができるかどうか試験する法案ができるとかできないとか論じられていることを知りました。

 私は運転能力に関する実技試験をすることに賛成です。最近は若者の自動車離れが進み、教習所の規模が縮小され、運転技術を教える人が少なくなっているので、免許更新の際に問題になった人にのみ実施する案もあるそうですが、できるならある年齢、例えば70歳以上になったら一年に1回、運転を見てもらう、体でいうなら健康診断のような制度ができたらうれしいですね。きちんと専門家の助言が受けられたら、自分の能力の低下も少しづつ受け入れることができるような気がします。

 私はいつまで自分が運転できるかという基準を決めていますが、それは主観的なものです。例えば前回試験結果がなかなか良かったこと。87歳(いや88歳だったでしょうか?)の誕生日を前に免許を返上した姉は東京のど真ん中を通って千葉・東京間を運転していましたが、その姉よりも私の運動神経が良いので、83歳までは無茶をしなければ大丈夫だろうなどと考えるわけです。これには個人的な運転能力がどの程度という根拠などありません。年に1度、簡単な診断テストがあったら嬉しいと思います。

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perdita nokto(失われた夜)

2019-12-20 06:56:32 | エスペラント

 昨日のエスペラント音読は先週の続き、ポーランドの作家、ヤロヌフ・イヴァシュキエヴィッチの短編集’La kvarteto de Mendelssohn kaj aliaj rakontoj' のperdita noktoの最後の2ページを読んだ。ようやくこの小説が幻想小説というか、怪奇小説に属するのではないかということが分かった。子どもの頃山姥の家に泊まった旅人が包丁を研ぐ音に気付き逃げ出す話、あるいは小僧が和尚からもらった3枚のお札を使てって山姥から逃げ出す話を読んだり聞いたりした人もいると思うのだけれど、そんな奇妙な小説でした。

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冴えない日々

2019-12-17 09:07:09 | 雑感

 昨日は温かくマフラーなしで歯医者に行きました。今朝は肌寒く小雨が降っています。三寒四温というのは春へと続く言葉のはずですが今寒かったり暑かったり、季節感がわきません。気分がさえないのは気候のせいだけではないとは思うのだけれと、日中ぼんやりしています。

 どうせぼんやりしているくらいならお正月の準備でも始めようと思ったのですが・・・。

この前何かの広告で昆布巻きの具に鶏肉とかゴボウ・ニンジンなどなど入れる工夫が書いてありましたが、私は身欠きにしんが好きなので先日魚屋で見つけて買いました。身欠きにしんを戻すには白水が必要です。玄米食のわが家では白水が出ないので、餅も自分で作ろうともち米を探す。無洗米もあったけれどこれからは白水は作れないので普通のもの。板昆布とかんぴょうも買いました。

 1週間ほど前、柔らかそうな小ぶりのニンジンが大量に入った特売品の袋を見つ購入。数日前、このニンジン6本・大根3分の2本・姫ゆず(直径5~6センチ)10数個で大量のなますを作って冷蔵保存。昨日食べてみたら美味しく仕上がっていたので、夕食に出しあとは小分けにして冷凍庫へ。ニンジン利用でシイタケ・玉ねぎと大量の蒸野菜も作った。蒸し野菜は10日ほど冷蔵庫で保存できると言います。でも、小分けにして冷凍保存しておくととても便利。調理をしたくない時は卵とチーズがあれば即キッシュなど。みそ汁の具にもなります。

 毎年、カズノコは12月初旬に買ますが、今年はとても高いようです。スーパーや魚屋で並んでいるものの値段を比較したら頭がこんがらかってしまいました。あるスーパーには量も値段も形も違うカズノコが並べてありました。170g・200g・220g・300gなど。値段も980円・1280円・1580円…とバラバラ。同じ形状の品が量によって値段が違うというのはよくあることで納得がゆきます、が、なぜこんな売り方をそるのでしょう。同じグラム数なら比較しやすのに。あるいは値段が同じでグラム数が違うなら、それなりに品質の違いが比較できます。こんなパックの仕方は消費者への欺瞞ではなかろうかと思い買いませんでした。先日魚屋で見つけた1キロ5000円の品が一番良いようです。一昨年だったでしょうか、1キロ3000円前後で買ったような気がします。多分品不足なのでしょう。でも、消費者を悩ませるような量や値段の設定はやはり受け入れません。

 なんとかすっきりとした生活に戻りたいと最近感じたことを書き込みがしたが、まだまださえない日々が続きそうな予感がします。

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おかず

2019-12-15 08:21:22 | 衣・食・住

 金曜日、Nから家族で日曜の夕食を食べに行きたいと連絡を受けました。日曜は彼女の日本語教室の日です。もしかしたら今年最後の授業かもしれません。場所は私がいつもエスペラントをしている地球市民プラザなので我が家から2キロちょっとの距離なのです。

 先日、お気に入りのバックのファスナーが壊れたのでラオスに里帰りする前に直してほしいと持たされました。材質は帆布。できるかどうかは挑戦する主義なので引き受けたものの気が乗らないので放置していたのですが、昨日は自分に拍車をかけてミシンを出しました。

 固い布は木綿針が通らなかったのでしつけ無しでミシンをかけました。ファスナーが少し波打っているようですが使えれば出来が悪くても良いという約束なのでそれで良しとしました。

 さて夕食のおかずは?子どもたちは鶏肉が好きなので鶏肉を焼くことにしました。私も夫も鳥の皮は嫌いです。ところが先日、金属の容器に入れてガスコンロの魚焼き器で弱火で長時間かっけて(400gほどの量。様子を見ながらでしたが多分20分以上)、皮の部分を上にして焼いたところ身もしっとりとして柔らかく、皮はまるで北京ダックのようにパリパリで美味しく食べれました。こういう調理はやはり材料を室温にしてから焼かないとダメなようです。先ほど冷蔵庫から出しました。みんなが来る前に焼いておき、食べる直前に温め直すつもりです。

 ジャガイモも茹でて置くことにします。これは耐熱ガラスの器に並べ、溶けるチーズをまぶし、ベーコンのみじん切りをかけてトースターで焼けば手間いらず。ジャガイモとチーズは私の好物です。Nは生野菜が好きなので午前中に買い物に行き購入しましょう。ベランダに春菊や小松菜があるのでこれも摘んで材料にするつもりです。汁ものとかはまだ決めていません。私はごちそうは作れませんが、私のおかずは美味しいというのが姉たちの意見でした。

 下準備をして追えばMやTと遊んだり、おしゃべりしたりする時間があります。


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本を読む

2019-12-13 10:24:21 | エスペラント

 昨日も先週の続きの物語を読んだ。ポーランドの作家、ヤロヌフ・イヴァシュキエヴィッチの短編集です。今読んでいるのは'perdita nokto'。La kvarteto de Mendelssohn kaj aliaj rakontoj(p.103)の中で一番長いものです。世間話もありますがなかなか終わりません。イタリア旅行から帰る途中の小説家が疲れて立ち寄った小荘園の若い所有者と作家との会話が延々と続いている。28ページ中25ページ読み終えたのにその結末が見えません。推理小説が好きなので、作者が何を言わんとしているのかを推測して読むのが好きなのですが、それができません。感性の衰えでしょうか。ちなみにこの作品の日本語訳はありません。

 古い作家だと思っていたのですが1980年まで存命でした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%AD%E3%82%A7%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%81

 

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小説:La Faraono

2019-12-09 03:58:21 | エスペラント

  ザメンホフ祭参加者も少なくお世辞にも楽しかったとはいいがたい。単なる旅行の話は自分がそこへ行きたいと思わなければ興味は沸きません。特に楽しいエピソードでも入ればわくわくするのですが・・・。

 話題の一つはNPOエスペラントよこはまが博物館を作ろうとしていること。単なる事務所ではなくエスペランティスト以外の市民が出入りできる場所を作るという構想は素晴らしいと思います。なんでも3000万円寄付するという方がいて動き始めたということですが、資金は今、その3倍ほどになっていました。ちょっとワクワクします。

 私は友人に贈ろうと本を買いました。La Faraono. 全3巻で2500円。4~5000円は覚悟していたのに嬉しかったです。若い時からこの本を読みたかったのですが、子育て中はとても手が出ませんでした。友人が亡くなった時、ご主人が何か本を貰ってほしいと電話をくださったのでこれ3冊お願いし、いただきました。でも、仕事が忙しく、老後に読もうと取っておいたのです。もう読まないと読めないかもしれない、音読している友人のエスペラント力も向上したので今の本を読み終えたら、La Faraonoをよむことにしたのです。

 亡くなった友人が購入した日付を書いてありました。1973年5月26日と。値段は2200円3冊で6600円。当時3男が幼稚園に通っていましたが、その月謝より高かったのです。

 La Faraonoの作者プルースはポーランド人。訳はカーベ(カジミィル・ベイン)。難解なポーランド語から訳した、エスペラントとしての名訳で多くのエスペラント文学者に影響を与えた言うことです。少々文体が古いという人もいます。それも含めてじっくり読めたらうれしいと思うのです。エスペラントをものにしようとがつがつと取り組む日はもう過ぎました。これからはエスペラントを楽しみたいです。一人だと3巻読み切るのにはかなりの努力が必要ですが、おしゃべりしながら友人と楽しみたいものです。

 映画:太陽の子ファラオもこの小説をもとにしているそうです。

 

 久しぶりに人の集まるところへ出かけたら、バタン・キューで寝てしまい、もう眠れなくなって3時に起きました。

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ザメンホフ祭

2019-12-07 09:07:22 | エスペラント

 12月第1、第2の土日は世界各地でザメンホフの誕生を祝う集まりが開かれます。というのもエスペラントの創始者ザメンホフは1859年12月15日にポーランドのヴィヤウィストックで生まれました。この日は本の日ともいい、多くの人が本を買う日でもあります。機関誌エスペラントには東京エスペラント祭:12月8日13:30~12:40武蔵野公会堂会議室1&2、神奈川ザメンホフ祭12月8日13:30~16:30茅ヶ崎市民文化会館、名古屋Eセンターザメンホフ祭12月14日15:00~えほんのもり。と3か所かしか載っていませんが、いつも東北、四国、九州などでも開かれています。最近出不精になっていますがザメンホフ祭には参加するつもりです。

 なんとなくマジョリー・ボルトンの著ZAMENHOFを開きました。ページをめくっていると2005年参加したリトアニアの大会前遠足のことを思いだしました。ヴェィシェィヤィというところに行った時のことです。家も疎らな湖のほとりにザメンホフの記念碑がったていました。その近くの草地に、昔ザメンホフの姉が住んでいて、夫が病気になり新米の医者だったザメンホフを呼び寄せて開業させたそうです。その石碑には若いザメンホフがここでエスペラントを練り直したと書いてありました。それを読んだポーランド人たちが憤慨していました。まるでザメンホフがここでエスペラントを考え出したように読めるじゃないですかと!

 ポーランドは元リトアニア帝国の一部だったのです。リトアニアの首都ヴィルニスにはポーランド詩人ミツキェヴィッツの像が高い塔のような台座の上に立っていました。’なんで彼の銅像がここにあるの!ミツキェヴィッツはポーランド人なのにとポーランドのエスペランティストが憤慨していました。でも彼はヴィルニスの大学で学んだそうですし、'Sinjoro Tadeo:パン・タデゥシュ'は: Litvo! Ptrujo mia! simila al suno; (リトアニア!我が祖国!太陽にも似た;で始めまりますからリトアニア人がミツキエヴィッツの銅像を建てたことを責められないように感じました。それにしてもヨーロッパの国々は属国にしたり、2重属国になったりと支配関係がありました。それでも過去を引きずらないように努力しているように見えます。羨ましいです!

 リトアニアの旅を探してみました。ブログに出てくるMさんはフランス人モーリス。1991年スェーデンのデイケア(作業所も含む)を見学した時に親しくなりました。2006年フィレンツェで会った時、横浜で開催されるエスペラント大会にはゆけないかもしれないと言っていましたが、大会前に亡くなったという知らせを受けました。

 https://blog.goo.ne.jp/glimi/e/70f7cd8a88ab2987f4bb920feb5c86c2

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タジキスタン

2019-12-02 10:55:14 | エスペラント

 タジキスタンに行きたくなって旅行記を探しました。あるブログでタジキスタンの景色を見ると広々と続く大地と広がる青空がありました。やっぱり、ソ・ギルス氏の記事を読まなくちゃ・・・。

 夕べ一気に読みました。ああ、エスペランティストの数が少ない。えっ?大会ができるのと思ったのですが・・・。

 1999年ヴェトナムで開かれアジア大会に参加した時、受付にはエスペラントが話せない学生ばかりで苦労しました。この時、ヴェトナム―エスペラント語辞典が発行されたとお披露目がありました。フエへの大会後遠足のさい船の中で、英語の教師をしながら(学校は2部制)フランス語の生徒という女性が、いろんな単語を聞いてきてそれを畳んだ紙にメモしていました。自分なりの辞書を作っていたのです。今、彼女はヴェトナムエスペラント会のトップになっています。あの大会後ヴェトナムでのエスペラント活動はとても活発になりました。タジキスタンも外国人が大勢押しかけたらどんな広告よりも効き目のある宣伝になるでしょうね。例え大会が混乱してもかえって面白いかもしれません。

 一人では勇気がありませんが、誰か誘ってくれないでしょうか。体力特に脚力はまだまだ自信があります。

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