glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

エスペラント講習会

2011-10-30 09:55:48 | エスペラント

 昨年10月30日に始まったエスペラントの入門講習会、それに続く継続講習会は昨日(10月29日)で終わりました。夏休みがあったので丁度12ヶ月間でした。

 私は一緒に楽しむのは好きですが、教えると言うのは結構苦手ですのでほっとしています。また、一度にたくさんの事が出来ない性分ですので、毎週土曜日決まった時間に出かけると言うのは結構大変でしたし、他の事をしようとしても途切れてしまうと言うような1年でした。今後の事をあれこれと考えて楽しんでいます。ただし、○○の考え休むに似たりという言葉もありますので、思いだけで終わってしまうかもしれません。

 今日も午後からボランティアの予定が入っています。新しい出会いがあるでしょう!せいぜい楽しんできます。

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実験:キムチを作る

2011-10-29 09:52:28 | 衣・食・住

 料理とは自分の想像力を駆使できる面白い仕事と思っています。ですから同じ仕上りになかなかならないのが、私の料理の欠点と言えば欠点ですが・・・。

 さて昨日は大根キムチに挑戦しようと思ったのですが、たまにはカレーを作ろうと買ったセロリの束が大きかったのでセロリも一緒に使う事にしました。この前教えてもらったのはサラダ風でした。本当のキムチは塩漬けした野菜を干すと言っていましたので、簡易塩漬け風にしました。

太めの大根15センチ、セロリ3本。セロリはすじを取り、繊維が気にならないように斜めに切りました。大根も同じ大きさに切りました。これに小さじ1杯ほどの塩をまぶし水分が出てきたものを梅干し用のざるにあげ天日で乾燥させました。6時間ほどで表面の水分はなくなり、薄い塩味が付いていました。準備完了!

 味噌大さじ2杯ほどに同じほどの韓国唐辛子の粉を練り込みました。もちろん使い捨て手袋着用してです。ニンニクは大きなかけらを3片。しょうががあったのでこれは親指ほどをすり下ろしました。塩からにしようかと思ったのですが、鰹節を入れました。これらと野菜をこねました。野菜の水分が無くなっているので少々硬めです!リンゴを4分の1個ほど加えました。水分が出て柔らかさの良くなりました。。そうニラを入れる事にしましょう。プランターのニラをひとつかみ取り、洗い、切って加えました。味噌と言うものは結構甘いと思うのですが、少々塩辛いので、黒砂糖小さじ1杯たしました。もしかして胡麻を加えたらもっとおいいしくなるかも!そこで大匙5杯ほどの胡麻を板摺りして入れました。結構な味となりました。少々辛かったたので、唐辛子はもう少し控えても良いかもしれません。 

 干しナツメの代わりに黒砂糖を使いましたが、今度はレーズンを使ってみようかと思っています。仕事から帰ってきた息子が味見し、‘美味しい!’と一言。大成功でした。

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地の果て

2011-10-28 08:10:12 | エスペラント

 来年の話をすると鬼が笑うと言いますが来年5月19~21日に行われるエスペラントカナダ大会に参加しようと計画しています。計画ではトロントへ飛び、トロントから汽車で大会が行われるケベック市までのんびりと汽車で行くと言うものです。帰りはモントリオールやオタワにより観光しながらトロントに戻りるそうです。なにしろ私は他人の計画にのるだけで、お金を節約すればよいのだけなので、気楽なものです。

 途中から支線で入る場所に“地の果て”と呼ばれる場所があるそうです。子どものころから遠くに行きたかった私の心をひきつけますが、汽車は週に2回ほどしか動かないそうです。それでも行きたいと調べてもらったら行きに地の果てによるとエスペラント大会には終わりしか出られず、帰りに寄ると真夜中に乗り換えなければならないとか・・・。

 諦める事にしました。でも地の果てとはどんな場所でしょうね。若かったら夜中の乗り換えも苦にならないでしょうが、他の人に迷惑をかけないためにも無理な旅はすべきではないと考えます。

 友人は秋だったらいいのにと言っていましたが、春のカナダも素敵だろうと想像しています。さあ、体力をつけておかなくては!

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韓国で食事

2011-10-27 09:01:01 | エスペラント

 韓国でのエスペラント大会終わってもう3週間になります。3食キムチ。今日もキムチかと思ったのですが、そろそろキムチが恋しくなり始めています。いろんな種類のキムチが並びました。韓国映画で沢山の小鉢が出るのを見てこの沢山の種類を毎日調理するのは大変と思ったのですが、保存食なら結構合理的な食べ方です。私は東北育ちですが、野菜の無い冬は塩漬けしたキノコや野菜、漬物が食卓をにぎわしました。

 大会後の旅行で野菜が干してあるのを幾度か見ました。茄子を切り割って干しているのもありました。干し茄子はどんな風に使用するのでしょうか。その料理を食べてみたい気がします。東北地方は空気が乾燥していないので欲し野菜と言えが軒につるしておく大根の葉ぐらいでした。これはたいていアブラゲと一緒に味噌汁の具になるのですが、ひなびたその味は今の懐かしいです。好きでなかったのは凍み大根。凍てつく季節になってから作るのですが大根を半分、大きいものは3分割し、これを縦に4つ割にし茹でて藁で閉じて凍らしてから乾燥させるので。丁度凍み豆腐の様にするのです。これを煮物や鍋に入れるのですが、味が沁み過ぎて私は苦手でした。

 旅行中、韓国は7割ほど紅葉していました。あの干してあった野菜の料理を食べてみたいと懐かしくお載っています。今日我が家は20℃ほど快適です。

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昨日も暑かったですね!

2011-10-26 10:36:35 | 雑感

 昨日も暑かったですね。今日は気温が下がると言う事でしたが今日も暑いです。

 体調がすぐれない事を理由に掃除も最低限でしたが久しぶりに床を磨きました。風はさわやかで干したマットも踏み心地が良くなりました。午後は買い物にバスで出かけ少々の野菜と三浦産の鰯と石川さんのぶりの切れ身を買いました。どこの産地であれ放射能の危険があるように思うのですがどうなのでしょう?あちこちでセシュウムとかストロンチュームが出たとか報道されています。私たちの年齢になると体内に蓄積される前に寿命が尽きるだろうと思うのですが、除去作業の具体的方法がいまだに見えないのは気がかりです。

 それにしても東電の危機管理の甘さ、ずさんさにはあきれます。完全に予備電源が切れた時の事は想定していなかったとか。現場の作業員はさぞあわてたでしょうね。そうそ、柏市のセシュウムの件、東電事故と関係が無いと当局は言っていたようですが、セシュウムの半減期を考慮すると東電が発したもの以外は考えられないようです。

 風はさわやかでも心までさわやかとは行きません。タイの洪水はどんどん広がりを見せています。これも想定外ではなく、タクシン政権のころから危険視されていたとか。トルコの地震もひどいですが、、生後二週間の赤ちゃんが52時間ぶりに救助され、その母親と祖母も救助されたというニュースは嬉しいです。でも、マダマダがれきの下に多くの人が生き埋めになっている事を思うとかんしいです。

 今朝のニュースで日本政府はベトナムが気象衛星を打ち上げるのを日本企業の参加を条件に援助すると言うのがありました。本当に気象衛星であって、他の秘密の目的が無い事を願っています。

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横浜国際フェスタ

2011-10-24 10:32:05 | エスペラント

 土曜日日曜日はみなとみらい地区の象の鼻パークで横浜国際フェスタが行われました。土曜の朝は激しい雨が降り、日中は時折小雨がぱらついたけれど行事は中止になってしまいました。日曜日はまだ雨が上がらないうちに早々と行うと言う事が決定し、午前当番で私も出掛けました。

 かなりの若い人が質問時耳を傾けてくれました。前から興味を持っていたのでインターネットで調べますと言われる方もいました。

 以前は国際フェスタはみなとみらい展示ホールで行われました。出店(?)団体タイも多くに偽や屋かでしたが、象の鼻地区に移ってからは規模が小さくなッたと感じます。やはり雨が降ると中止と言う事が影響しているかもしれません。私たちの会はエコメモ帳とエスペラントの単語とその絵を印刷いた動物チョコレートを作り訪れた方に配りました。

 こんな時は色々な出会いがあります。一番嬉しかったのは明治学院大1年生で興味のある事を調べ発表する機会があり、エスペラントについて自分なりに調べ発表したという女性が現れた事でした。私たちは彼女がどうんな事を調べ、どんな発表をしたのか是非知りたいと申出ました。どの団体にも属せず、一人で調べた若い感覚をきっと知ることができるでしょう!是非是非読ませて欲しいと願っています。

 イタリア人青年もいました。数カ国語を話すがエスペラント学びたいと思っているとの事でした。言語学を研究している人にエスペランティストと名のらなくてもエスペラントを学んでいる人が多いの言語を比較するのに役立っているのかもしれません。

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ラオスへ絵本を

2011-10-22 07:45:59 | 福祉と教育

 たった7冊ですがラオスにラオス語を張り付けた絵本を昨日送りました。11月中と思っていたのでまあ予定のうちかと思います。絵本にも改訂による変化があると知りました。送った本は3種類。3種類の内2種類の本が40年くらい前の出版と違っていました(これは我が家に残しました)。古い本は我が家の未来の孫のためですからそれはそれなりで良いと思っています。

 なんとなくつらい一カ月を過ごしています。もう一ヵ月下痢が続いています。そろそろ体力が無くなるかなと思いつつ暮らしています。友人に痩せましたかと言われ体重を測ったら、一月で1,6キロでした。来年春までに体重を5キロ減らしたいと思っていましたがなかなか減らないものですね!

       

 いまテレビでカダフィー氏とその4男の死体を映し出しました。リビアは本当に自由な国になるのでしょうか。国民の死体を眺める顔はとても明るく、多くは喜んでいるようでした。

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エスペラントの学習と他の言語

2011-10-19 06:37:33 | エスペラント

 今日ベルギーの友人にもらったメールにあったコバッツ カタリンの話を載せたちと思います。彼女は'lernu‘や'edkado-net’ などインターネットで利用できるエスペラント教材を作ったグループの主なメンバーです。エスペランティストは自分で聞いてください。

 http://edukado.net/biblioteko/filmejo?iid=115

  エスぺランティストで無い人のために少々説明しまします。この映像はブラジル人のインタビューにカタリンが答えたものです。彼女はハンガリー人です。彼女はハンガリー語、ロシア語、イタリア語、エスペラントの学位を持っています。ハンガリーの子どもたちに教育実験しました。あるクラスには初めからイタリア語を教えました。他のクラスは1年間エスペラントを教え、それからイタリア語を教えました。2年間たつとエスペラントを学んだクラスがよりイタリア語を理解していたと言う実験結果が出ました。

 この実験は確か大戦前スイスで行われた聞いています。エスペラントと英語だったと思いますが。

 日本語もヨーロッパ言語と構造が違います。やさしいエスペラントでヨーロッパ言語の構造の基礎を学びそれから英語や他の言語を学ばせると言う実験をする学校があったら嬉しいですが・・・。

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格差社会への反発デモ

2011-10-17 08:46:35 | 平和

 ニューヨークからの呼びかけで格差社会への反発デモが世界各地に巻き起こり、東京でも行われたとのことです。60年安保の頃学生だった私にはその事が政治を変えるほどの力にならないとわかっていますが、声を上げた人たちに拍手を贈りたいです。おかしいと思ったらおかしいと声を上げるべきです。若い母親がインタビューに答えて『子どもたちの未来のために何かしたいと思って!』と言っていました。その心意気に賛同します。

 60年安保の中でうたわれた歌を一つ紹介します。確かどこかの演劇集団が歌いだしたものだっと思います。

立ち上がる時だ 大切な時は今!

子どもたちの未来のために

立て 立て 立ち上がれ! 立ち上がれ!

 

立ち上がる時だ 大切な時は今

憎しみの火 燃え上がらぬうちに

立て 立て 立ち上がれ! 立ち上がれ!

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キムチ教室

2011-10-15 07:50:31 | エスペラント

 さて韓国へ行ったらキムチと言う事でキムチ教室に出ました。サラダ感覚のキムチでその場で味わいましたが、分量は正確に書けませんのでキムチを作るのが好きな方は自分の分量で計算してみてください。

 まず唐辛子。絡みの少ないもを選びます。赤みそと唐辛子を袋に入れて混ぜておきます。先に混ぜておくと野菜を混ぜた時の発色がよくなると言う事でした。

 まず大根。直径10センチあるかと思えるあおくび大根を使いました。6~7ミリの輪切りにします。数本使ったのですが切り方の早い事早い事。それを同じくらいの幅の短冊切にします。

 大きな梨とリンゴも同じようにに切ります。梨は皮をむきましたが、リンゴは皮つきでした。梨は高価なので家庭ではめったに使わないと言う事でした。果物はキムチの発酵を速める効果があるのだそうです。

 生栗も同じように切って加えます。

 (p.s) 松の実を入れたのを忘れていました。

 刻んだ干したナツメの実を甘みとして加えました。

 つぶしたニンニクを材料に混ぜてから、あら塩一つかみ、アミの塩辛を混ぜ、初めに混ぜておいた唐辛子味噌を混ぜ、最後にニラを加えて混ぜて出来上がりですが、日本人は甘いものが好きなようだと砂糖を少し入れていました。

 その場で試食です。塩漬けと言うより塩を振ってしなやかにしたような、塩辛くない白菜に巻いてこれを食べました。ものすごいからさでした。マッコリとよく合いました。1時間ぐらい寝かせたら調味料が調和してもっと美味しかったでしょう。辛い辛いと言いながらみんな結構食べました。

 後で旅行中にガイドが言っていましたが、白菜はこのように塩漬けにしてから干すのだそうです。

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日韓合同大会へ出発

2011-10-14 09:33:04 | エスペラント

 10月6日、大会前に観光しようと思ったので息子と二人でソウルに出発。一人旅の時は必死で色々調べるのですが今回はついて歩くだけなので気楽でした。

 ソウル着。インフォメーションで宿に近い地下鉄駅トンデムへの行き方を聞いた。若い係は日本語分かりますかと言う息子に、ノー プリーズ イングリッシュと言う。市内への行き方を聞くと電車ですかバスですか。バスの乗り場は建物の外とそっけなかった。これぐらいの会話なら喋れない私も理解できます。一応大会会場のある地下鉄駅について聞いてもらうと分からないと素っ気ない。思わず、この人日本語側が分からないから何を言ってもいいわよねと息子に話しかけ、インフォメーション係としては答え方が全く不親切!というと彼女の顔色がさっと変わりました。こちらの言いている事はちゃんと通じました。

 別のインフォメーション係に訊ねると切符売場からバス乗り場、わからないと言いながらも大会会場の駅へ行き方も一緒に考えてくれました。

 宿は地下鉄トンビョ前(?)から1分、大通りのわき道にあり、二人宿泊が基準だそうでダブルベットとシングルベットが置いてありました。これで一泊4300円でした。荷物をおき夜の観光へ。トンデム(東大門)を眺めに行く。宿から徒歩5分くらいでした。帰り、女学生が食べている庶民的な食堂に入る。言葉が通じないが写真を見て注文。うどんと思ったのはモヤシがたくさん載った雑炊でした。やさしい味で腸を壊している私にはありがたかったです。値段は3500ウオン(280円)。翌日、戦争記念博物館でコーヒーとワッフルを頼んだら5000ウオンでした。

 トンデム後は地下鉄で夜のミョンド(明洞)へ。にぎやかでしたがぶらぶら歩きしただけで宿に帰りました。途中コンビニでナツメのお茶を買いました。やさしい甘さで疲れを癒してくれました。同じものを空港で探しましたが見つかりませんでした。

 翌日は朝、戦争記念館へ。朝鮮人を拷問する日本人の展示が凄いと聞いていたので以前からここに行きたかったのですが、その展示はありませんでした。秀吉の朝鮮侵略の生々しい人形による展示がありました。もっと凄いのは朝鮮戦争の展示です。物資不足に苦しむ人々の姿が生々しく展示されています。沢山の子どもの集団が見学に訪れていました。この国が戦時体制にある事、ここで戦時教育が行われていると言う韓国の現実を感じました。

 はじめ地下鉄の切符にエラーが出て、改札を通れず、安いからともう一枚買ったけれどそれも作動せず、人の流れを見ていたらhelpと書かれたボタンを押して中に入る人を見かけました。そこで私もhelp押しました。3度目ぐらいにマイクから人の声、韓国語喋れません。中に入れません!というと若者が飛んできて切符を調べそれから改札口をあけて中に入れてくれました。その後改札口が開かない時は勝手にhelpから出入りしました。地下鉄の切符はデポジット制。1500ウオンで買い、返却すると500ウオン戻ってくるので実際の支払いは1000ウオン(80円)。安いので助かりました。地下鉄はかなり地中深くにあります。通路を含め空間が広く乗り換えにもかなりの距離を歩かなくてはなりません。そう言えばいつか北が攻撃しかけた時、地下鉄が防空壕になる様に作られていいると聞いたのを思い出しました。

 時間がまだあったのでナンデム(南大門)へ。まあ日本のアメ横みたいなところです。歩くと日本語で声がかかります。安いかどうか分かりませんでしたがお土産を買いました。兄と姉には人参茶を近くに住む姪にはBBクリームを買いました。それでも時間があったのでキョンボックン(景福宮)へ。10歳くらいの女の子二人が声をかけてきました。日本語で答えると困った顔をしているので日本語の他はエスペラントが話せますとエスペラントで言うとスペイン語?と首をかしげ、私のバックについっていた緑星バッチを写真に取っていました。このシンボルマークを知っている人がいて欲しいです!

 その後、宿に置いてあったスーツケース持って地下鉄でエスペラント大会会場に向かいました。トンビョ前から3回乗り換えたでしょうか。方向が分からなくなり立ち止まるといつも助けてくれる人が現れ、3時間近くかかりましたが、迷うことなく目的の駅へ。さてどうする?と思ったとたんコムーナセミナリーオを参加する青年たちが現れ、迎えが来るからと誘ってくれたので会場まで同乗させてもらいました。幸運な2日間でした。

夜のトンデム

ナンデム

宮廷は広くて全てを回るなどとてもできませんでした。ここも幼稚園、学校のグループが多かったです。

 

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Etero kaj Vento kaj Steloj kaj Poemoj

2011-10-13 11:19:38 | エスペラント

 一昨日韓国から帰宅しました。感じたこと、考えた事が色々ありますがやはり感動したことを一番に書くべきでしょう。

 本の紹介の時間に韓国のJeong-Yeol JANG 氏が自分が翻訳した詩集(下の写真)の紹介の中で最近ブログで見つけ、感動した詩として伊東三郎の詩『Ne riprocxu foliojn』に触れてくれました。本当に嬉しかったです!

 詩集: Etero kaj Vento

      kaj Steloj kaj poemoj

 は詩人JUN Dong-Gxu(1917~1945)の詩集です。空港の待ち時間にレンズを使って詩人の経歴を読みました。本当に驚きました。彼は満州出身。立教大と同志社大で学びました。1943年独立運動に参加したとして検挙され2年の刑を受けました。しかし1845年に福岡の刑務所で獄死しました。詩は簡潔で分かりやすく心に響きます。詩は小説のように長くはありませんが一つ一つが物語です。あわてずに読みたいと思っていますが、つい次へと進みたくなります。

 そこで詩人をネットで検索しました。漢字で書くと名前は尹東柱(ユン ドンジュ)

http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/history/71.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B9%E6%9D%B1%E6%9F%B1

 訳者張氏に挨拶するともっと伊東三郎の詩を読みたいがまとまったものはありませんかと言われました。せっかくパソコンに打ち込んだのにパソコンが壊れたと伝えるとブログから取り込んでまとめられませんかと言う。もう一度頑張ってみますか!

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カンボジア開発:国境を超えるダムに害その後(3)

2011-10-06 06:06:32 | Weblog

 この便りはとうとう(3)まで来ました。ここまで来て分かったのは日本がベトナムの開発援助をし、その結果カンボジア人を苦しめていると言う事でした。 

 

          

 

 みなさま

引き続き、2011年7月に、現地訪問をした際のスレポック川流域のコンノム郡Sコ
ミューン、S第2村の状況です。村の人口は668人、やはり、農業と副業としての
漁業、林産物の採取で暮らす村です。牛や水牛も約650頭飼われています。集
まってくださった8名の村人は、セサン・スレポック・セコン保全ネットワーク
(3SPN)のメンバーでした。この村の生活にも、下流セサン2ダムが大きな影を
落としています。

■頻発する洪水

洪水はダム建設後から毎年起こります。東南アジア一帯で大規模な被害を出した
ケッサナー台風が来襲した2009年には、洪水は2回発生、村の全ての水田と果樹
園の一部が水没し被害を受けました。洪水の影響が出始めたのは2004年で、異常
な洪水に驚いた村人は最初理由が分からず、精霊の怒りに触れたのだと考え、祈
祷でなだめようしようとしたといいます。2005年になってNGOの情報でダムが原
因だと知りましたが、それまでダム建設について聞いたこともなかったといいま
す。洪水だけでなく川は渇水にも見舞われます。2010年5月14-18日には川の水
が干上がり、魚が大量死したそうです。

この村では一部の人は雨季の間の3~4ヶ月、洪水の被害をさけるため水田がある
高地に移動します。10キロほど離れたそこで、かつては水田脇に小屋を作って寝
泊まりしていたそうですが、今そこは恒常的な家を建てています。しかし、高台
は乾季に水源がないため、農繁期が終われば村に戻ってくるという二重生活を強
いられています。

■生活を変えたダム

そこまでしても、一年の消費に十分な米がとれるのは、村の世帯の30%ほどで、
残りは米を買う必要があります。ダムの被害を受ける前はほぼ100%自給可能
だったそうです。今、村人が不足するコメを買う手段は日雇い労働で、州内の大
豆農園で11月、カシューナッツ農園で12月から4月まで働いて糧を得ています。
以前は頻繁に行われていた河岸での野菜作りも、ダムの放水による河岸の崩落や
不定期な水位の変動でできなくなりました。村では、生活用水に雨季の5~11月
は井戸か雨水、乾季の12~4月は川の水を利用しています。しかし、以前は乾季
に澄んだ水を与えてくれた川は、今は濁っています。水が引いたあと岩が白っぽ
くなり、原因は分からないながら2006年に目の病気が流行し、2007年から皮膚病
が出るようになりました。子どもと女性、年寄りに症状が出やすいといいます。
家畜が川の水に入った後、病気で死んでしまうこともあるそうです。

■人々の問いかけ

村人はこの状況に甘んじているわけではありません。2000年ごろから、カンボジ
ア政府や流域の開発の調整をする機関であるメコン河委員会に対して声をあげて
います。今では、村人自身がその被害を記録、政府に伝える活動も行っていま
す。2009年からは毎年、被害を国会に報告しているそうですが、政府から返答は
ないそうです。また、下流セサン2ダムの環境アセスメントに対する批判的な議
論も行っています。

この村でも、下流セサン2ダムの建設に反対する住民が多くいます。今年のカン
ボジア政府の説明会では、補償地が支給されると説明があったそうですが、村人
はそれも半信半疑の様子でした。用地には既に耕作している住民がいるからで
す。移転などせず、先祖も暮らしたこの土地で、自分も最後を迎えたいと人々は
話しています。

前回紹介したF村のヌピットさんは、「(発電するなら)小川に小規模水力を設
置してほしい。自分たちで管理できる。400メガワットを発電する下流セサン2ダ
ムは私たちのためではなく、外に電気を売るために作られるのです」と話してい
ました。また、様々な問題を語ってくれたスッさんは、「あなたたちNGOに伝え
て、大きな政府(カンボジアやベトナムの政府)に声が届きますか?」と私たち
に問いかけました。

ここ数年、日本はベトナムにとって最大の援助国です。電力マスタープランや水
資源管理のマスタープランも、日本の援助で行われています。2009年度の円借款
は1,456億円(交換公文ベース)に達し、過去最高額となり、震災前は官民を挙
げてベトナムへ原子力発電所導入を進めていました。その陰で、ベトナムの電力
開発はカンボジアの人々を苦しめているのです。

(文責/木口由香 メコン・ウォッチ)

    

 いよいよ韓国に出発です。どんな経験ができるか楽しみにしています。ただお腹の調子が相変わらず悪く美味しい物が食べられないかもしれないと思うと残念です。

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カンボジア開発:国境を超えるダム被害、その後(2)

2011-10-05 07:36:34 | 平和

 みなさま

カンボジア・ラタナキリ州では13の民族が農業と川での漁業を中心とした生活を
送ってきました。前回お伝えしたように、その暮らしは国境を越えたベトナムの
ダムの影響を受け、困窮しています。
また、この地域では、ベトナムの投資による下流セサン2水力発電ダムの計画が
着々と進んでおり、移転地の問題やさらなる環境被害などが懸念され、村人を不
安に陥れています。引き続き、2011年7月にフォンサイ郡PコミューンのF村を訪
問し、お話を伺った報告をお届けします。

人々の暮らしとこの地域のダム開発の詳しい状況については、ネット上で無料公
開している冊子、「水の声:ダムが脅かす村びとのいのちと暮らし」をご覧くだ
さい。

■水質汚染

ダムからの水は建設初期、貯水池にたまった有機物が腐敗するため、非常に水質
が悪くなります。また、熱帯での水の停滞は水温の上昇や水中の酸素不足を招き
ます。さらに、藻類の影響とみられる皮膚病も発生します。これは、タイのパク
ムンダム、ラオスのナムトゥン2ダムなどでも確認されている現象です。

PコミューンにはF村、P村の2村があり、522世帯、2366人居住しています。F村で
は、河岸の崩落で家屋が危険になったことや河岸の畑が失われたため、20世帯以
上が3キロほど離れたところに家を移しました。以前は川の水を生活用水に使っ
ていましたが、今は援助機関の掘った井戸に頼っています。村人は、約30の井戸
は人口に比べ少なすぎると言います。援助の入っていない他の村の一部は、村の
資金では井戸が作れず、水質の悪化した川の水を生活用水に利用し、乾季には皮
膚病が発生しています。

■奪われる土地

村人は新たな問題に直面しています。下流セサン2ダムの建設問題です。建設さ
れると村は水没し、移転を強いられます。しかし、移転地は付近にはありませ
ん。ベトナムや中国の企業が、村の周囲1000ヘクタール以上の土地で、99年間の
土地の賃貸契約を獲得しているからです。これは、村人の反対にあったにもかか
わらず、村長やコミューン長が勝手に了解してしまったといいます。人々は村の
周りの土地の所有権が変わっていることを、2年前に知ったといいます。この土
地はもともと、次世代に分配するために村人が共有地として確保しておいたもの
です。土地には3年前からゴム植林が行われています。F村のヌピットさん(55
歳、男性)は、「昔のように食べるのに困らない生活に戻りたい、(ダムの)反
対運動などしなくて済む生活がいい」と言います。

しかし、村人の願いとは裏腹に、下記の通り建設計画は着々と進んでいます。

http://www.mekongwatch.org/resource/news/20110215_01.html

この報道によると、国営ベトナム電力会社(EVN)の小会社であるEVNインター
ショナルが、ベトナム政府からカンボジア水力発電セクターにおける過去最大級
の投資案件を進める許可を取り付けたとされています。

(文責/木口由香 メコン・ウォッチ)

--
メコン河開発メールニュース
発行:特定非営利活動法人メコン・ウォッチ
E-mail: info@mekongwatch.org
Website: http://www.mekongwatch.org/

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カンボジア開発:国境を超えるダム被害、その後(1)

2011-10-04 08:14:50 | 平和

 先日ラオス在住のの知人からカンボジアでのダム開発に絡む農民たちがおかれた状態に関する報告書を転送されてふと迷いました。

 日本で東南アジアに関心を持っている人はどの程度いるでしょうか。他の国と国境をほとんど接していない日本人にはピンと来ない問題です。ただ昨年北海道の土地を中国人か買っているとか、富士山麓の土地を買う外国人が増えており、ミネラルウォーター採取が目的と見た自治体が販売目的の採取を禁じる条例を作ったと言う事が話題となっています。

 メコン川支流のダム開発が自国政府だけでなく隣国のベトナムや中国など国境を接する国々とも関連していると聞き、日本が他国で行ったバナナ栽培とかエビの養殖とかそんな事を思い出し、ブログに載せる事にしました。 

      

みなさま

セコン、セサン、スレポックというメコンの支流は、地図で見るとメコンの左岸
に扇のようにカンボジア東北部、ラオス南部、ベトナム中部高原に広がっていま
す。3つの河川の流域はその頭文字をとって、3Sと表記されることもあります。
カンボジアのラタナキリ州は、この3つのうちセサンとスレポック川が流れてい
ます。森林も多く緑の美しい場所です。13の民族が暮らす州内は、様々な文化や
生活様式のあるところです。セサンとスレポックはセコンに合流してからメコン
に注ぎますが、合流点はカンボジア、上流はラオスとベトナム、という国際河川
となっています。

この流域には、2000年に操業を開始したベトナムのヤリ滝ダムをはじめとし、数
多くの水力発電ダムが計画・建設されてきました。ダム建設の影響は国境を超え
て広がっています。特に、カンボジアでの影響は深刻です。メコン・ウォッチで
は、2008年に「水の声:ダムが脅かす村びとのいのちと暮らし」として、現地の
人々の暮らしと国境を越えたダム開発の影響についてまとめました。

http://www.mekongwatch.org/resource/publication.html#watervoice2

冊子では、人々の日々の暮らしに対する考え、望んでいることからダムの影響ま
でを写真を交えてお伝えしています。この地域での個別のダム建設計画は、50-
58ページに紹介しています。現地ではその後も状況が改善されず、人々は未だに
ダムの放水による洪水被害に悩まされています。2011年7月に現地を訪問した際
も、その暮らしは困難を極めていました。

今回は、現地の情報を3回にわたってお届けします。初回は、ラタナキリ州の中
心バンルンから40kmほどのヴォンサイ郡PコミューンのF村の状況です。

■村の抱える問題

この地域で、米は1期作、晩生や早稲を育て洪水や干ばつのリスクを分散する栽
培がおこなわれてきました。村人の生業は、水田での稲作を中心とし、畑作、川
での漁業、森での林産物採取を営む自給自足に近いものでした。しかし今、村人
の多くが米の不作に悩まされています。スッさん(女性・56歳)はヤリ滝ダムが
できてから、村は顕著な洪水被害を受けるようになったと言います。

「1993年、ベトナム側でヤリ滝ダムの建設が始まり、1996年から影響がひどくな
りました。以降、連続で洪水被害を受けています。最初の年は3回洪水があり、
すべての水田がダメになりました。今も、1日3回もセサン川の水位が変わること
があります。」

「(放水の影響で)河岸が崩れ川の淵を埋めてしまい、魚の生息場所がなくなり
ました。また、乾季に水位が自然な状態よりも大きく下がり、淵に集まった魚を
村人が一網打尽にしてしまいます。そのため、魚は減っています。」

同じくF村のヌピットさん(55歳、男性)の家をたずねましたが、ラオスやタイ
では川沿いの村では必ず見かける漁具が、彼の高床の家の下にはありませんでし
た。

「川魚が減った理由の1つは、戦争です。爆撃と兵士が爆弾漁をしたため、減っ
てしまった。でも、それよりもダムの放水が決定的に魚を減らしました。(自分
の記憶では)約70種いた魚が5-6種類になってしまった。100種類もあった川の野
草もなくなった」と話していました。彼は既に漁をすることを諦めています。

村人は口をそろえて、食糧の安全保障がダムによって脅かされ、そのために持続
的でない漁業もおこなわれるようになったといいます。それだけでなく、自然な
状態でも水が少なく流れの穏やかな乾季に川の水が干上がり、かつ放水があると
川は急流になります。この村の周辺では、延べ29名以上の方が、流されておぼれ
るなどして亡くなっています。村人は、セサン・スレポック・セコン保全ネット
ワーク(3SPN)をNGOと共に立ち上げ、政府やメコン河委員会に問題を改善する
よう交渉し続けています。しかし、改善はほとんど見られないといいます。

スッさんは「3SPNのネットワークができるまでは全く情報がありませんでした。
(ネットワークが設立された後)村人の抗議を受けて、ベトナム政府はプノンペ
ンにある水資源省にダムの放水を連絡することになりました。しかし、仮に連絡
あったとしても、意味がないでしょう。国から州、郡、コミューン、村という順
に連絡があるため、水のほうが早く村に着くからです」と話しています。

今、この村の抱える問題は、ベトナムのダムの影響にとどまらなくなっています。
現在、村が抱える新たな問題を次回のメールニュースで報告します。

(文責/木口由香 メコン・ウォッチ)

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メコン河開発メールニュース
発行:特定非営利活動法人メコン・ウォッチ
E-mail: info@mekongwatch.org
Website: http://www.mekongwatch.org/

 

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