glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

2018年最後の日

2018-12-31 23:19:31 | taglibro: 日記

今年が良い年であったかどうかはわからないが無事に過ごしたことに感謝。

クリスマス前ザメンホフの論文を読んだメモを残して置くことにしました。

 Gentoj kaj Lingvo Internacia

 Memuaro verkita por la kongreso de Rasoj, 26.-29. De Julio 1911

  リンス氏の講演の中に出てきたのでこの機会にと読み始めた。約9ページ。5日間かってしまった。目が疲れると休憩ばかりしていた。衰えているのは視力だけではない。できるだけ声を出して読み、重要なところはメモしながら読んだけれどこの記憶いつまで残っているのか心もとない。

 それでも読む価値があったと改めて感じている。ザメンホフは他民族に対する憎しみや軽蔑、あるいは優越感がどうして生まれるかを一つずつ論じてゆく。そして最後に民族が違っていてもお互いの文化、その中には言語や宗教も含まれるのですが、を尊重すべきであると説く。それを実行できる手段はどの言語にも属さない中立言語だと結論づけている。また、宗教の統一も彼の願いであった。しかし、これは中立言語を広めるよりも難しい。

 100年以上も前にこのように主張し、運動を起こしたザメンホフはやはり素晴らしい!こういう本は読み返し初心に帰ることが大切だとはわかっているが、なかなか実行できません。


 残念なのは暇暇にピロンの'vere aux fantazie' を読んでいたのに20ページほど読み残したこと。新年は心新たに別の本を読みたかったです。

 最後に私のブログを訪ねてくださった沢山の方に感謝します。新しい年も皆さんにとって良い年であってほしいと願っています。私の脳細胞の中にいまだに眠っている細胞があると信じ、それらの細胞が活性化することを私は願いつつ新年を迎えます。

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三浦大根

2018-12-30 20:23:18 | taglibro: 日記

 今日あるグループが自然農法で栽培している野菜の大根ほりをするという。年末なのになんで大根堀と思ったけど参加した。鍬は使わない。大きな大根を手で掘った。なかなかの作業でした。なぜこの時期に大根ほり?大根は横浜の労働者の街、寿町の越冬者の炊き出しとして使われるのだそうな。正月三ガ日は行政の援助はない。その間元日の餅つきなど、労働組合や地元のボランティアグループが炊き出しをするのです。私も2度ほど手伝いに行ったことがある。

 私も大根一本と切り落とした葉っぱをいただきました。葉っぱは痛まない内にと蒸し野菜の料理方法を応用し、火を通しました。40~50センチに育った大きな葉でしたがみずみずしく柔らかでした。大きく育った大根はどんな調理法が良いのか思案中。先ほどスーパーで三浦大根を見つけ、その値段の高さに驚てしまった!

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リンス氏の講演覚書

2018-12-29 11:13:03 | エスペラント

 

 26日はリンス氏の講演の要旨の後半を読んだ。

 国際連盟加盟国の混乱と連盟の弱体化で国際主義は根付くことができなかった。

 1923年無民族協会(SAT)が創設される。この協会の参加者の多くは無政府主義者・共産主義者的労働者が中心であった。

 (私が昔読んだ本による記憶;レーニンは世界の継続的革命を唱えていた。ですから初期のソヴィエトではエスペラント運動は盛り上がった。しかし、世界同時革命は無理と見たスターリンはトロツキーなど反対者を追放、粛清し、一国社会主義政策をとる。エスペラントで革命の成果、労働者の世界的同盟を示そうとしていたソヴィエトのエスペランティストはスパイ容疑をかけられ粛清や流刑など、犠牲となりソヴィエトのエスペラント運動は衰退する。

リンス氏著 ’La Dangxera Lingvo'(危険な言語)1988年版の後半の大部分(p.190~423)はこのソヴィエトでの出来事に充てられています。

 1933年に出版されたV.Varankin著 'Metropoliteno'にもドイツとソヴィエトの労働者の交流が書かれている。)

 

 SATの活動は労働者の運動を盛り上げたが、民族主義に反対する、あるいは新しい国際主義に一致して反対する力をそいだ。(エスペラント運動を労働者たちと一般市民とに分断した。)

 エスペラント運動は戦後盛り上がったがジュネーブ(国際連盟)であまり成果をあげることができなかった。世間はエスペランティストの真面目さに気付きはすれど彼らを変わり者と見るようになった。

 ホドラ-は1920年に亡くなり、その友人プリバーは世界エスペラント協会(UEA)の自由な国際主義を発展させようと1935年に著:Interpopola konduto で内在思想を守ろうとするがそれはエスペランティストの失笑をかった。国際主義が民族主義に反対するする有効な手段であると気が付くのは遅すぎました。これに似た考えを持ったのは日本の田中耕太郎です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%80%95%E5%A4%AA%E9%83%8E

 プリバーは1930年代、あまりにもUEAの組織的仕事にかかわりすぎました。1932年からはヨーロッパ委員会委員長であるガンジーを助けあちこち旅をしていました。 

 国際連盟での失敗後のエスペラント界の動きをしっかり見て取ったのは盲目のエロシェンコでした。・・・

 

 長くなったので最後は割愛しました。

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年末は忙しく

2018-12-29 09:26:12 | taglibro: 日記

 昨日はブログ書きかけて餅づくりを始めてしまった。あれやこれやとしているうちに一日が終わったしまった。今日はこれから昨日の続きを書くことにしましょう。書くことは沢山あるのに時間が過ぎて反故にせざるを得なくなる。体力気力の問題でしょうね。今年ももうすぐ終わりです。

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虹色のマフラー

2018-12-25 09:16:24 | 家族・友人・私

 夕べは息子家族が来て夕食を一緒に食べました。孫のⅯはマフラーがほしいと言います。七色に光る虹色のマフラーがほしいと。母親はおばあちゃんに頼みなさいと言ったそうです。ラメ入りの七色の毛糸なんてあるのでしょうか。

 いぬいとみこ著:木かげの家の小人たち。その物語の中で小人のアイリスはクモの糸を七色に染めてきらきら光るリボンを編んでいます。Ⅿまだこの物語は知りません。どこからそんな考えが浮かぶのでしょうか。彼が夏に着ている洋服は奇抜です。ほとんどが原色に近い大胆な色と模様です。スパイダーマンとかウルトラマンとか(もしかして著作権侵害かな?)。学校へ行くときは目立たない服装ですが。

 派手な服のほとんどはラオスに行った時、伯母さんが買ってくれたものです。色彩感覚が違うのでしょうか。

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ゆず

2018-12-22 08:47:23 | taglibro: 日記

 今日は冬至。隣家の子がゆずが大好きと言っていたのを思い出しました。我が家のゆずは小さいですが先ほど10個ほど枝ごと切り取りお隣の郵便受けに入れてきました。

 ゆずは馬鹿ゆずというそうです。馬鹿は差別語ですが植物に使うのは許されるでしょう。10年ほど前姫ゆずを植えました。この木は放っておくと伸び放題に伸びる。もともと我が家の地面は狭いので木を大きくしたくないのだが気が付くと道路の上に伸びてゆく。ゆずを馬鹿ゆずと表現するのは実が豊作の時は沢山収穫できるが、不作の時は全く実らないからと聞いたことがある。ところが我が家のゆずは疲れも知らず毎年沢山実をつけ続けている。10月の台風のせいで南側の実は変色しているが葉影の実は変色を免れました。

 海老で鯛を釣ってしまいました!

 午前9時過ぎ訪問者あり。チャイムがなりました。お隣の夫人。大きなカボチャをいただく。これこそ海老鯛ですね。

 

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リンス氏の講演

2018-12-20 16:49:36 | エスペラント

 12月19日エスペラントの音読を'La nanoj en domo kun granda zelkovo' ザメンホフ祭でもらったリンス氏の講演要旨 'Antaux cent jaroj: esperoj pri nova monndo'に変更する。物語はいつでも読めるけれど運動とか歴史とかに関する話に接することは少ない。読み返し、講演内容を確認することは私にとっても有用ですし、参加しなかった友人にはもっと刺激になるような気がするので!  私たちは近況とかいろいろ駄弁ることが多いので全部読み切れなかった。26日いつもはお休みにするところですが残りを読むことにしました。

   読んだか所の覚書:第一次世界大戦は世界を揺るがし激しく変化させた。1914年以前、平和主義師子王は全く弱いというわけだはなく非常に楽観的であった。パリのエッフェル塔に象徴されるパリ万博の時にエスペラントは注目され平和主義者達に支持された。  エスペランティスト達は文化的な国際主義に協力していた。例えば1911年ロンドンで開かれた第一回世界人種会議にザメンホフは‵人種と国際語´(Gentoj kaj Lingvo Internacia ザメンホフ全集P.345)という研究論文を提出した。歴史的に最も重要なのはこの会議が人種差別と植民地主義に反対する国際的宣言をしたことです。この会議が人権宣言を受け入れたということは全く先駆的な成果でした。

  1914年(第一次世界大戦)国際主義は壊滅的な打撃を受けました。しかし大戦後その芽は再び発展し安全な平和のある世界を作ろうと呼びかけます。新しい世界秩序の構想をアメリカの大統領ウッドウ・ウイルソン(国際連盟創設に尽力した第28代アメリカ大統領ノーベル平和賞受賞)が広めようとします。ヘクター・ホドラーとエドモンド・プリバーはエスペランティストとして彼を支えました。ホドラーは論説で、プリバーは行動で。

 ホドラーは平和主義者たちが大衆をあまり指導しないことを批判しました。ある者たちが幻滅し、またある者たちが民族主義に回帰しましたが、ホドラーは国際連盟が持つ素晴らしい役割を説く努力をし、楽観的でした。ホドラーは(参加する)政府の数を数えるなと助言しました。ホドラーは平和主義達が見落としている平和主義者の団体による表面的な純粋に法律家的問題を広めること狙っていました。そして様々な国に所属する人たちの個人的関係を多くすることの必要性を強調しました。

 ポーランドの独立を長期間にわたって支持いていたプリバーへの評価がホドラーの論文を補完しました。1916年ホドラーはローザンヌで開かれた 多民族による第三回会議(?:Tri aKonferenco de Naciecoj)に参加ししました。プリバーは1918年不幸な人々の権利に対する燃えるような支持を表明しました。彼はその場にいた東ヨーロッパの国家(たち)を歓迎しましたが、新しい論争に反対すると付け加え、また国家(たち)は憎しに基ずく愛国主義を行わなみいようにと完全にザメンフ的助言を付け加えました。

 今日私たちはよくわかっています、ウイルソンの弁明が民族自己決定のためという素晴らしい意図があったにもかかわらずどれほどの害をもたらしたか。

 1915年の’Alvoko al deplomatoj' (ザメンホフ全集:p.353)の中で要求した、政治家はヨーロッパ地図を単につくろったり作り直したりする以上のことをせよというザメンホフの要求は称賛に値します。これは現代的民主主義に対するふさわしい助言であったのですが全く無視されました。

 プリバーは植民地で忘れ去られた人々、あるいは現地民といわれる人の権利を守る国際委員会創設に協力しました。国際連盟におけるプリバーの働きはエスペラント運動にとって良い機会となりました。1920年学校におけるエスペラント教育を歓迎するという計画が提案されました。この陣営に有名なアジア人やヨーロッパ以外の人々が加わりました。フランス人はフランス語には国際的使命があると考えていました。

 フランスの強い憎悪によってエスペラントの採用は拒否されました。国際連盟事務次長であった新渡戸稲造はそれを批判しています。1919年パリにおける平和会議で人種の平等原則を正当化しようとした日本の努力は失敗します。1923年フランスのエスペラントに対する反対が決定的勝利を収めた時、新渡戸稲造は国際連盟に知恵がかけていたと後日人々は記憶しているだろうと予想しました。」それ以後に彼は国際連盟は次から次へヨーロッパの問題にのみかかわっている、そして国際性は単なる神話であると残念がっています。

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ザメンホフ祭

2018-12-16 10:41:17 | 平和
 今日神奈川県のザメンホフ祭が根岸線の本郷台駅から徒歩1分のところにある神奈川県立地球市民プラザで午後1時から開かれます。講演者は岩波新書の「危険な言語」の原作者:ウルリイッヒ・リンス氏です。内容は第一次世界大戦後の世界情勢とエスペラント・ザメンホフの先進的な思想についてとのこと。中学生の時エスペラントの平和志向を知りどうしてもエスペラントを知りたくなった私。大人になってエスペラントを知り、いまだにエスペラントにしがみついている私。そして現在、世界情勢は混とんとしています。世界は協調できるのか、中東の戦争は拡大するのか、アメリカと中国の覇権争いはどうなるのかなど私たちに未来は読み取れません。リンス氏はどんな話をしてくれるのか楽しみにしています。
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小鳥の寿命は?

2018-12-14 15:57:41 | taglibro: 日記
 以前ブログに書いたことがあるのですが、シジュウカラが一羽雀のグループに交じってやってきました。プランターの縁にとまり、捲れているプランターの縁の裏側までのぞき込みながらぴよこぴょこ動く。なかなか可愛い。雀たちは細い枯れた雑草の茎にとまって穂先の種をついばんでいる。どう見てもこのシジュウカラは雀グループの一員です。郭公鳥は托卵して鶯に卵を孵化させるというがシジュウカラにもそんな習性があるのだろうか。彼らの来訪はもう数年続いていいるように思う。野生の小鳥の寿命は何年くらいなのでしょう?

 昨日友人に贈り物をもってゆきました。牛乳パックで育てたサラダ菜を添えました。種を播いたのは10月20日ごろでしたのでもうすぐ2ヵ月です。サラダになる種が混じっているものを買ったら一番成長したのは水菜でした高さ20センチぐらいです。少しは楽しんでもらえるでしょうか! 
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風呂敷

2018-12-11 20:07:36 | taglibro: 日記
 バスで大きな風呂敷を背負った老婦人を見ました。バスを降りてからすたすたと身軽に歩いていたので、小柄だけれど私より若い方かもしれません。初め高いところに座っていた私から見えたのは大きな風呂敷包みと包みの向こうにある団子に丸めた白髪でした。まるで昭和のおばあさんが紛れ込んだように見えました。

 今は老いも若きもリュックを背負っています。その上に買い物用のカートを引いている人もいます。肩に載せた風呂敷はリュックより楽かもしれないと感じたのでした。中身によって大きくもなれば小さくまとめることもできる。
 と感心したのですが、私には風呂敷を背負う勇気はない。子どもの頃大きな荷物を背負わされて親戚の家に使いだされたことなどあまり楽しくない思い出もあるせいでしょうか。
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入管法改正

2018-12-09 10:01:59 | 雑感
 外国からの労働者を受け入れるために入管法の改正が急がれている。私は外国人が日本で働くことを拒否するつもりは毛頭ない。ただ、働く外国人が多くなればなるほど日本に定住する確率は高くなるでしょう。日本政府は労働力を求めながら、この外国人労働者の生活をどう守ってゆっくのでしょうか。

 私は日本にいる子ももはすべて教育を受けり権利があると思っていました。最近、教育を受ける権利を保障されているのは日本国籍の人だけであるということを知りました。
 最近のニュース:父親が永住権を得て家族を呼び寄せ、一緒に暮らす喜びを得たものの子どもが日本語を話せないことを理由に学校への入学を拒否されたこと。隣町に不登校の子を受け入れるフリースクールがあり、その子はそこに通うことになったが、そこで幾人もの外国籍の子どもが授業を受けている実態。
 また、日系ブラジル人の娘として来日、学校に行けなかったので日本語が話せないその女性が結婚して子供が学校に通うようになったが、やはり日本語が話せないという負の連鎖。
 外国人材拡大の法改正というニュースがなければ、テレビ局もこのよう報道はしまかったでしょう!私も多分外国籍の日本に定住する人達への差別を知らないでいたと思います。

 政府に彼らの生活環境を良くするための政策を行う義務があるのはもちろんですが、受け入れたからには私たち一般庶民も日本の生活に対する知識も少なく、日本語に堪能でない彼らを隣人として守るべきではないか、と感じる昨今です。

 
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頑張った!

2018-12-07 23:16:58 | 家族・友人・私
 2週間針仕事に没頭しました。姪が置いて行ったウールの着物と羽織り、襦袢の解体から始まり、2メートル四方のこたつ布団の皮を縫い、家にあったいつか田舎の法事のお返しに受け取ったこたつ布団を押し込みました。それから残った布で巻きスカート風のエプロンを縫いました。おまけは大小3個のポケットです。それから座布団の皮を1枚。残ったのは本当に小さな端切れでした。彼女縮んでしまったかわいい模様のセーターが捨てられない、何か作れないだろうかと私に押し付けてゆきました。いろいろ考えましたが袖を切り、開き、身頃に付け足し、中にバスタオルをたたんで入れて足ふきマットを作りました。姪の着物を再利用する作業の第一弾は終わりです。ようやくミシンもアイロン台も片付けました。明日からは通常の生活!でもそろそろお正月の準備をすることになるのでしょうか。
 新年こそ心してエスペラントに励むと誓ってはいるのですが、さて、どうなるのでしょうね。
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暑くて

2018-12-05 08:47:45 | taglibro: 日記

 バスで郵便局へ。お昼はバスの本数が少なく、20分近く待たされた。あまりの暑さに気分が悪くなる。車にすればよかったと後悔する。ついでの買い物をし2時間近くぶらついてしまった。デパートの特設会場で印伝の製品を見つける。印伝は高価なのだと驚く。私の免許証入れも財布も友人からいただいた印伝製。お姑さんが印伝好きで次々と買ってくれたので使いきれないと私にくれたものです。

 今日はミシンかけを頑張りましょう!こたつ布団を仕上げるまでとミシンもアイロンも出しっぱなし。物置に寝ている夢まで見ました。

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毎日同じことを繰り返し

2018-12-02 08:27:29 | 家族・友人・私

 姪の置いて行ったウールの着物と羽織り、それに襦袢3枚をようやく解体しました。毎日同じことの繰り返しでいた。 

 子どもの頃裁縫嫌いな私に、裁縫を教えようと母は着物や布団を部分的に縫わせたものでした。糸の終わりのこぶの付け方などよく叱られました。解いてゆくとその理由がわかります。再利用するときに着物を解体しやすいように、それでいて、縫い目がほどけたりしないような縫い方をしているのです。昔は着用しなった着物を再利用していましたから、その時の作業も考えて初めから縫っていたのです。この年になって理解しても遅いですが!

 姉は自宅の庭で取ったという柿を沢山送ってきました。彼女はいま、東京の息子のもとで暮らしています。自分の家は千葉にあります。柿を収穫するためにタクシーで千葉へ。帰りに頼んだ顔見知りのタクシーの運転手は、わざわざ柿を取りにタクシーで来たのかとあきれていたそうです。

 夕べはその柿とリンゴと白菜の白い部分でサラダを作りました。美味しかったです。バナナやレーズンを加えても美味しいでしょう。柿はまだ沢山あるので次に試す予定です。

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