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生きること:過去と未来とエスペラントと

アジアとオセアニアにおけるエスペラント

2019-11-30 08:38:32 | エスペラント

 寒くなりました。今年5月頃Mにテニスが上手になったから見に来てと言われたのですが、足を手術したので延期していたら夏は夏で暑くて出歩く気になれず、秋という気節を飛び越したかのように急に寒くなってしまいました。今年中に約束を果たそうと大きめのブランケットを腰に巻き夕べは1時間見学してきました。テニスを始めたのが昨年5月、1年半で打つのも受けるのも上達していました。後から参加したと思える子はオタオタしてボールを追い、他の子が指導受けている時にブラブラしているのに、空き時間は指導者の言いつけ通りにボールを拾い集めているのに感心しました。時間は4時半から5時半。終わった後、暗い中を車を運転して帰ったのですが、夜間運転はやはり疲れました。

 寝しなに1昨日届いた'Esperanto en Azio kaj Oceano'をぺらぺらとめぐり拾い読み。興味ある記事が詰まっていました。

 アジアのエスペランティストをまとめようという活動が起こったのは1990年ごろだったと思います。アジアを飛び回ったのは韓国のソ・ギルス氏で、私たちの会を数回訪れています。その後、仕事が忙しいと姿が見せなくなりましたが、2016年だったでしょうか、エスペラント日本大会でお見掛けしました。仕事満了ということかなと思っていました。冊子の最後の方にソ・ギルス氏の中央アジアの旅の記事が12ページにわたって載っています。訪れた国はカザフスタン・タジキスタン・ウズベキスタン・トルクメン・キルギスの5ヵ国。期間は22日間です。ページのどこかに月給40ドル、インターネットは自宅で使うと高額なので公的な場所メールチェックをしているというのが目に入りました。経済的には豊かでない中でエスペラント活動をしている人々がいる、この記事は後からじっくりと読もうと思いつつ眠りました。

 冒頭の記事は2020年5月初めて中央アジアでエスペラント大会が開かれるというお知らせです。場所はタジキスタンの首都ドゥシャンベ。2008年、インドのベンガルールで開からたアジア大会にタジキスタンの元軍人というエスペランティストが出席していました。軍務に就いている者は国外との交流が禁止されているが、除隊したのでエスペラント活動を始めた。いつかタジキスタンでエスペラントの大会を開きたい。タジキスタンは見るべきものはないが、隣国のウズベキスタンと協力すれば、参加者に満足してもらえる大会ができると話していました。言葉通り大会後遠足はウズベキスタンのサマルカンドへ3日間。

 中央アジア!行きたいですね!自分の体力の問題だけでなく、家人のことを考えると無理でしょう。私の役目はこうしてみなさんにお知らせすることなのだと思っています。もちろん全文エスペラントですが、この冊子を読みたい方はエスペラント協会に連絡してください。数千円の寄付で、1年間の冊子を受け取れます。

 この冊子が発行された最初の頃は計画ばかりでしたが、本当に内容が豊富になりました。上記の記事のほかにフィリピン・日本・ヴェトナム・韓国・インドネシア・インド・イランの報告やお知らせが載っています。











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兄弟とは!

2019-11-27 11:04:50 | 家族・友人・私

 先日、TとMの交流の仕方を見ていてとても興味深かったです。いくらMの誕生日といえTがなにも貰えないのは4歳のTにとっては悔しいでしょう。彼には家にあった折り紙をあげました。袋から折り紙を出したとたん彼はMのところに駆け寄り言いました。’Tにはこれできない、兄ちゃんやってよ。’Mはもらったばかりの本を読みながら言いました。’うん、後でな。’それはまさに兄と弟という感じでした。

 一年前に、Tは自分のものは自分のもの、Mのものも自分のものとまさに気儘にふるまっていました。’それは僕のだ!’とMがいくら言っても返しませんでした。Tがちょっと飽きて手放すを待ってMは取り返していました。先日、Tが持っているおもちゃを’それは俺のだぞ!’とMがいうと、TはそれをMに返しているのを目にして驚いたばかりでした。弟が生まれてからのMの様子を観察していましたが、時にはTの存在に不満を持ち、小さいからと時には世話をしているうち兄弟らしさが次第に育ったのだと感じました。

 Tも実は来年兄になります。母親がつわりの時は兄に頼らなくてはなりません。この数カ月、食料の買い出しにMが近くのスーパーに行っていたようです。Tも行きたいというと連れて行ってそうです。すぐ近くの団地を抜けると、信号のある交差点を一つ越えるだけでスーパーのある商業施設につきます。危険は少ないといえ、2年生と4歳児のお使いです。信号を渡る時は必ず兄の指示に従うとか、二人の中、暗黙の了解ができたのでしょう。兄弟関係はそんなふうに生活の中で信頼を築くことで育ってゆくのでしょうね。

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ゲーム

2019-11-24 08:37:43 | 福祉と教育

 22日、Ⅿの8歳の誕生日を祝いました。久しぶりに遊び相手をしました。彼はゲームをしようと紙と鉛筆を用意しました。鉛筆に枠を書き、3個連続の場所と占めたら勝なのだそうです。初めの勝負はⅯの勝でしたが2度目3度目は私の勝、次からは勝負がつつかず、彼は自分が勝てないので頭を傾げながらもこの遊びは終わりました。おばあちゃんは子どもの時から五目並べが強いのよ、Ⅿはまだまだ勝ち目がないよと私は一言!

 子どもと遊ぶ時は手を抜かないが私のが信条です。いつも勝っていたら子どもの考える力を奪うことになります。ただ、体を使う遊びの時はちょっぴり力抜き、もう少し頑張れば、私に勝てるだろうという気持ちを抱かせるように心がけています。

 Ⅿの話では現在は小学1年生の時から学校でパソコンをしているそうです。2年生の今はパソコンでゲームを作ったり、絵を描いたりしているとか。今、クラスで本を作っているそうです。とても楽しいそうに話していました。

 私が小学2年生の時とは比較になりません。私は昭和21年(1946年)小学校に入学しました。教科書さえありませんでした。多分田舎の子たちはノートも持っていなかったでしょう。2年生の時の記憶です。薄茶色のざらざらわら半紙の4分の1を渡され、それに折り目を付けて作文を書いた覚えがあります。鉛筆の芯は固く折れやすく、強く書くと紙が破けてしまうのです。また、ほとんどの子がクレヨンを持っていなかったのでしょう。校庭に落ちていた落ち葉を拾い、紙に貼り付けて絵を描くということしました。先生は二人机の真ん中の上部に小さな紙を置き、その上にノリを置いてゆきました。多分このノリは小麦粉で作ったものだったのでしょう。乾くと落ち葉は剥がれ落ちてしまうので、私は絵にするどころか、落ち葉さえ紙に貼れませんでした。とても悲しかったことを記憶しています。72年前の記憶です。 

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錯乱?

2019-11-20 07:07:52 | taglibro: 日記

 昨日忙しかった。火曜日は買い物の日。また、車を車検に出すことにしていたし、Mの誕生日の贈り物も探さなくてはなりません。先日から探しているのですが、Ⅿの好きな色がなかったのです。自動車を車屋に持って行き、その足で駅前のバスターミナルまで1,5キロほど歩きました。それからバスで25分ほど離れた場所にあるデパートへ。見つからないので、地下でパンにいれる干しイチジクを買って戻り、駅前ビルの商店で、色違いですが、Mが前から欲しがっていた品物を買いました。家を10時に出たのにもう午後3時、ようやくバスに乗ってわが家へ向かいました。バスは駅を出ると最初のT字路を右折するはずでした。ですがなんととバスは左折しました。えっ、いつ左回りの路線ができたの?私は夢を見ているの?現実離れした、異次元にいる感覚とはこんなものでしょうか。バス路線の変更に気付かないほど私は疲れていたのでしょうか。

 バスの自動案内が次は西公園前と停留所の名を告げ、バスは停車しました。えっ!という声がほぼ満席のバス内のあちこちから聞こえました。’すみません、道を間違えました。!少々お待ちください。’と運転手の声。車内は静まり返っていました。

 運転手が会社に電話し、バスはバス停2つ先の車庫に移動しました。正規ルートでもこのバスは車庫前を通ります。会社側の説明では、バスは元の路線のT字路まで戻り正規ルートを通らねばなりませんが、飛ばされたバス停で下車予定の方が6人以内ならお送りします。幸いにも下車予定者は男性一人と私の二人だけでしたので、私たちはバス会社の車で逆方向から、帰宅しました。バスは車庫から正規路線に戻って目的地に向かいました。

 実際に自分が間違ったバスに乗ったと錯覚した人は私だけではなかったようです。人が錯乱した時はもしかして現実離れしたあの不思議な感覚、夢見を見るているような感覚に陥るのだろうか、この感じが今朝もまだ残っています。



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時間がないと言いつつも

2019-11-18 13:53:30 | taglibro: 日記

 編み物には興味がある。先日NHKでカゴメ編みというのを教えていました。柔らかく編めて面白そう、ヴィデオに取りました。夕べ試してみました。編目記号を見るとどこかで見たことがあるような気がします。そう、高校生の時にあなだらけのチョッキを編んで母にこれは寒さに耐えられないと言われた記号です。ただ、記号には裏目記号が付いています。編み物する人は経験があると思うのですが、表目と裏目では表編みの方かとても編みやすいのです。裏目でガーターを編むなら表目なら折返して編んでも表目でスーィスィです。

 編地を伸縮性にするために立目は独特です。夕べ、お手本通りにしてみました。立目は裏と表、糸の流れが逆にになるでけで模様には響かないように感じて・・・。

 今朝は昨夜の4段ほどをほどき、表編みで試してみました。糸のかけ方を変えれば、表編みで楽に編めそうです。夢中で工夫していて、もう少しで歯医者の予約に遅れるところでした。

 時間がないと言いながら、気になるとどうしても自分の考えたことを試したくなります。困った性分だと自分でもわかっているのですが! 

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目を見て話すということ

2019-11-16 20:55:44 | エスペラント

 木曜日、エスペラントに行く時によく合う女性がいます。2歳くらいの女の子を歩かせて行き違います。私たちがエスペラントを学習していると同じフロアに来てパソコンを操作しています。このフロアは集団で使う人が多く、個人で使用しているのはまれなので帰って目立ちます。

 14日木曜日、知り合いの女の子、といってももう40歳過ぎたでしょうか、母親になったその子が、月に1度くらいやってきて娘の顔を見せてくれます。昨年は立てるようになったと思ったら、もう駈けますし、おしゃべりもするようになりました。エスペラントとは関係ないのですが、嬉しいですね。

 彼女たちが去った後、上記の女性が話しかけてきました。私はスペイン語を教えているますが、なに語を勉強しているのですかと。見た目は日本人でしたが、母が日本人、父がペルー人。三つの民族の血が流れているそうです。エスペラントについてたくさん来てもらえました。エスペラントは母国語を離れ人が人として平等に話し合える言葉であること。宗教と政治を付き合いの中に押し込んではいけないことなど。

 目を見て話すと怖いとある日本人に言われたので、日本の人と話すときは目をなるべく見ないように気をつけています。でも、目を見て話すとその人がどんな人か良く理解できると思うのですがと彼女は言いました。そう言えば、昔は直視しない習慣があったけれど今の人はどうでしょうか。人と話すとき私は直視します。特に子どもと話すときはそうです。昔から、’目は口ほどにものを言い’というではありませんか。

 彼女の子どもは2歳10か月、保育園に預けて、迎えの時間まで、授業の準備をしているのだそうです。家にいるより仕事がはかどりますということでした。両親はペルーに、妹はカナダのオタワにいるという彼女と時におしゃべりできたらいいなあと思います。エスペラントを熱心に学んでいる人がいるということは知りませんでしたと彼女は言っていました。私たちの存在を知ってもらえただけでも嬉しかったです!

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T;4歳の世界

2019-11-15 07:58:03 | 家族・友人・私

 日曜日正午過ぎNから電話が入る。ユズを貰ったらあまりにも多くて持ち帰えられないので駅まで取りに来てほしいと。息子の家には長いこと訪問していないので、精米しておいた新米を持って出かけました。

 お茶の後、Tが大きなスーパーの袋を持ってテーブルにつきました。中から鉛筆、クレヨン、書きかけの紙を出し絵を書き始めました。絵は深海の絵でお気に入りは海老とセンジュナマコだそうです。袋にはその他愛読のアニメ本とか、怪獣なども入っていています。遊んだ後に片付けをしないので父親に捨てるぞと叱られ、愛用品は袋に入れて持ち歩いているのだそうです。大きな袋を引きずるようにして移動するのです。2階の遊び部屋には階段でカタコトと打ちながら上ったり下りたり・・・。この袋は彼にとっては宝箱のような宝袋なのですが、遅かれ早かれ破れるでしょうね。丈夫な手持ちのデニムでTの宝袋を作りました。いたずら心で、Tの世界を布で切って貼り付けてみました。気に入ってくれるでしょうか。

 今月22日はTの兄のⅯの誕生日です。贈り物をもらうのが兄だけだったらさびしいでしょうからとTにあげようと作ったのですが喜んでくれるでしょうか。


 先週金曜日から一昨日の水曜日まで、布で遊んでしまいました。今日からエスペラントと自分を鼓舞している私です。

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羽織から

2019-11-13 09:22:02 | 家族・友人・私

 羽織をほどき、アイロンをかけ、頭を使ってああでもないこうでもないと布を組み合わせ、3日かかってワンピース風の上着を仕上げました。工夫することは楽しいことです。襟元は見返しをつけるのが面倒なので毛糸でまとめました。でも、まだまだ男子用着物もあるのです。処分しようとすると再生したくなる、困った性分です。

 多くの人は洗濯してから再生するでしょうが、面倒がり屋の私は仕上げてから洗濯しました。ですから少し皺があります。でも、とても着易いし、暖かです。肩付近には裏地もつけてみました。眺めていたらアッパッパという言葉を思い出しました。簡単服ともいっていました。アッパッパは夏のワンピースですが・・・。このワンピースも古風です。

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まるで崩れるかのように

2019-11-09 08:37:14 | 雑感

 木曜日、エスペラントの帰りにスーパーによりました。バスを降りると私の前を小柄な女性が歩いていました。スーパーの前で彼女はゆっくりと崩れるように、地面に膝をつき、手をつきました。それは陽の光を浴びた雪だるまがゆっくリと崩れてゆくような不思議な光景でした。近くにいた女性が駆け寄り彼女を助け起こしました。助けられた女性は膝を抑え、’痛、痛い’と声を発していました。私には映画のスローモーションを見ているような光景でしたが、これは転倒だったのです。その女性はなかなか歩き出せず、そこに止まっていました。外目よりかなり強く膝を打っていたのでしょう。

 よく見るとスーパーの入り口に続く道は緩やかな傾斜になっていました。滑り止めでしょうか、そこには数ミリ深さの溝が数本ありました。その溝に躓いたようです。年齢は60代でしょうか、私よりかなり若く見えました。こんな平らなところでも躓くことがあるのかと思ったのですが、なぜかその光景が何度も思いだされ、人の振り見て我が振り直せと自戒しています。

 

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多言語

2019-11-06 20:08:15 | 福祉と教育

 言葉に興味ある方にお勧めしたい講演です。弱音は吐きたくありませんが、次第に外出が億劫になっています。多文化に興味ある方是非参加してください。

 トニーさのん息子さんにあったことがあります。横浜のユースホステルで日韓の青年エスランティストたちがセミナーを開いた時に人手が足りないと言われ手伝いに行きました。その時、トニーさんが子連れで参加していました。息子さんは3歳と言っていました。あれからもう10年も過ぎたのですね。

 その後、このセミナーに中国が参加し日韓中の3か国セミナーに発展し、私の記憶が正しけれその後、ベトナムも参加し、その他の国の若者も集える場所になった様な気がします。若者が集えるとは羨ましい限りです。私がエスペラントを始めたころは1米ドル360円に固定されていました。大学出の初任給は7000~8000円ほど。ニュージランドのエスペランティストが福祉を学ぶなら学費・生活費の面倒は見ると言っているから行かないかと言われました。航空券100、000円は自己負担といわれ、諦めました。多文化からまた話がそれました。

 

11-10 (日) 慶応大学日吉にて。
題名:講演と対談「多言語・多文化共生とは?」
主催:日本外国語教育推進機構(JACTFL)
共催:慶應義塾大学外国語教育研究センター
日時: 2019年11月10日(日)14:00-17:00(13:00開場)
講師:トニー・ラズロ氏、ハルペン・ジャック(春遍雀來)氏
題名:講演と対談「多言語・多文化共生とは?」
会場: 慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎大会議室
参加費:無料
定員:100名(先着順)
申込:http://bit.ly/30UxXpg
#多文化共生 #多言語教育 #ダーリンは外国人
詳細:
ポリグロット(多言語話者)としても著名なお二人の講師を招き、多文化共生や多言語学習をテーマにお話を伺います。
●トニー・ラズロさん(フリージャーナリスト)
「多言語多文化共生の日常― 我が家の場合」
ハンガリー人の父とイタリア人の母の間に生まれ米国で育ったトニーさんは、自他ともに認める語学好きでポリグロット。1985年より日本を拠点として、ライター活動開始。小栗左多里さんの漫画『ダーリンは外国人』シリーズのダーリンとしても人気を博している。中学生になった息子さんを含めトニーさんのご一家は、日常生活が多言語・多文化そのもの。身近なところから話題にしていただき、多言語
多文化共生とはどういうことか、私たちはどう受け止め対応していけば良いのか考えるきっかけにしていきたいと思います。

ハルペン・ジャック(春遍雀來)さん 日中韓辭典研究所(CJKI)取締役社長
「多言語がつくる豊かな人生― 多言語学習の秘訣」
ドイツ生まれのユダヤ人。イスラエル、フランス、ブラジル、
アメリカ、日本の6カ国に移り住み、英・日・ヘブライ、イディッシュ・葡・西・独・中を始めとする15カ国語を習得した。イスラエルのキブツで出会った「漢字」に魅了され、漢字の謎を解くべく家族と共に1973年に来日。以来日本に在住し現在に至る。その間に漢字を体系的に学ぶ方法を考案
、外国人向けに『新漢英字典』(研究社)や『講談社漢英学習字典』、『漢字学習辞典エスペラント語版』(日本エスペラント協会)を編纂。国内外で数多くの講演、論文発表、執筆活動を行う一方、趣味である一輪車の普及にも貢献し、日本一輪車協会の常務理事を務めた他、国際一輪車連盟の創設者でもある。
ーーーーーーーー
11/10 14:00~17:00 慶應義塾大学(日吉)
14:00 開会
14:05~14:55  トニー・ラズロさん
14:55~15:05  質疑応答
15:05~15:55  ハルペン・ジャックさん
15:55~16:00  質疑応答
休憩
16:10~16:40  対談
16:40~17:00  質疑応答 

 
 
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2019-11-04 08:08:30 | taglibro: 日記

  JxomartとNatssxa はエスペラント界では名の知れた歌手です。先日ジョモが癌で手術したことを公開した。そのせいでしょうか。今日久しぶりに彼の歌を聞いたら心に沁みました。題名は'Amu min'(私を愛して)。たまにはエスペラントの歌も良い!

 詩が書けたら良いなあと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=YfuNkDrQlfQ&feature=youtu.be&fbclid=IwAR057aLAkCUpbK08hWSqc5jFCcK9xuLwSNvrXBbqNykGMliQPXOgZp2-iMg

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姉妹

2019-11-02 15:16:23 | 家族・友人・私

 姉妹とは不思議な関係です。先日甥が祖父母の歴史を知りたいというので姉は自分の両親の歴史を彼等から聞いたことを思い出して書いたという。それをコピーして私にも送ってきました。姉は91歳、私が聞いた話と比べると抜け落ちている部分も多かったので、紙に書いて訂正しようかと思ったのですが、紙に書いて送ると姉が批評されているとて感じるかと思い電話しました。私と姉の年齢差は約12歳。私がいろいろと補足しているうちに姉はいろいろと過去のことを思い出したようでした。小学校時代の可笑しな経験など思いだして話し出しました。私たちが共に暮らしたのは10年くらいでしょうか。ましてや私は姉の子ども時代のことは知りません。それでも姉に共感して二人でケラケラと大笑いしてしまいました。こんな時姉のさびつつある脳の働きは活性化してゆくようでした。

 老人にとって共感しあえる人がいるということはボケ方を遅くする意味でも大切なことなのでしょう。キンさん,ギンさという長寿姉妹、ギンさん娘さんだったでしょうか、そろって元気で長生きしていると以前報じられていましたが、肉体的に健康で、共感しあえる仲間がいるから、元気でいられるのであろうと今更ながら思いました。

 姉妹関係において私の不満は私がいつも命令を受けたり、指示される立場であることでしたが、それが最近無くなってきました。それは喜ぶべきことか悲しむべきことかはわかりませんが、姉の思いに共感できるのは同じ親を持ち、似たような経験をしたからでしょう。生い立ちに逆らわず共に生きる努力をしようかとおもったり・・・。

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