glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

エスペラント

2019-10-30 10:27:15 | エスペラント

 古い友人を通して10年ほど前にドイツであったエスペランティストからメールをもらった。彼女の近況を書いているのは良いのだが、出会った時に話した、いつ、どこでエスペラントを学んだかなどなどいくつもの私の過去への質問が連なっているのに閉口する。この年になって自分の長い歴史穿りだして答える気にならない。同じくエスペラントで文を書くなら今しているエスペラントの翻訳を進めたいと願う。

 さて、相手を傷つけず、便りは頻繁には書けないと気付かせる文を書くにはどうするべきか、ただいま考慮中。

 

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おしゃべり

2019-10-28 07:07:00 | エスペラント

 姉に進められてフェースブックに登録してから幾年たったろう。ほとんど投稿しないし、開くのも顔見知りの人が投稿したという知らせを受け取った時だけです。姪と息子の妻の一人がフェースブックを通して連絡してくるので連絡用に使っています。友人になってほしいという依頼がものすごく多くたまっています。これらの依頼を他の方どう処理しているのでしょうか。過激思想の人もいるでしょうし、また、自国語だけで記事を投稿している人は気に食わないしで、なかなか確認のところをクリックできません。

 さて夕べ、少し整理しようと思ってクリックを開始しました。幾人クリックしたでしょうか、フェースブックの電話が鳴りだしました。まあ良いかと電話を受け取りました。東チモールの青年でした。26歳、首都ディリに両親と弟と暮らしているそうです。私の年齢を聞いて驚いていました。電波が悪く時々切れるので5分たらずのおしゃべりでした。

 以前、ベルギーのハイジさんという言語学者が私たちの会で講演したことがありました。彼女は数年東チモールでエスペラント普及活動していたと聞きました。が、彼女の教え子かとか、会はどうなのかとエスペランティストの活動までは聞けませんでした。

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足カバー見本

2019-10-26 09:12:48 | 家族・友人・私

 姉:verdavojeto が亡くなって後3週間余りで2年になる。彼女はかなり頻繁に夢に出てきたうるさいことを言う。もしかしたら私の意識の奥にあるものが彼女の言葉として現れるのかもしれないとも思う。いつだったか彼女が足カバーの編み方を私に伝えようと見本を編んで私にくれたものが行李の中から出てきました。今年は足カバー編みに専念しましょうか。

見本は2種類です。大きさを変えるためにはどうするかが一目でわかるように、一つは大きさが変えたあります。ガーター編みと一目ゴム編みだけの簡単なものです。

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竹行李(たけごうり)

2019-10-24 06:38:15 | taglibro: 日記

 行李などというものを知らいない人もたくさんいるでしょうね。18歳の時、つまり61年前に着替えその他の生活必需品を入れて大学の寮に入りました。それ以来の付き合いです。と、言っても押し入れに入れっぱなしでした。角の布以外痛んでいません。丈夫なこと!凄いですね。夫のものと二つ、中身を出して昨日風に当てました。

孫のEが我が家での最後の時に浴衣を買いたいと言い出したのでした。今時浴衣など売っていないといったのですが・・・。そう言えば以前、友人に頂いた浴衣があるかもしれない、私も藍染の着物があったはずと思いだして引っ越し以来押し入れに入れっぱなしのこの行李を取り出しました。義父の形見の襦袢や着物も入っていました。ゴロとかセルとか呼ばれたウール生地の着物は虫に食われていました。それらは処分することにしました。昨日は押し入れの整理に追われました。Eのおかげで少し片付けることができました。

 さて、これに何を入れましょうか。処分は私の死後にして貰おうと思っています。


 今日はエスペラント。エスペラントの音読は2週間休みました。私にとってエスペラントは生活必需品です。

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時は風のごとく

2019-10-19 10:22:23 | 家族・友人・私

 10月4日(金)に来日した息子家族は宮崎を訪れ、木曜日に関東へ。台風を経験して昨日ドイツへと帰ってゆきました。台風の日と友人と会った1日を除き家族であることを確認するかのような時間を過ごしました。例え2年に1回であって親に顔を見せることが子どもの義務だと思っている息子。息子の義務感を満足させるために協力する親。当たり前なのか、変なのか70歳過ぎてからそんな親子関係が続いています。孫たちは名所旧跡に興味はなく、外で体を使った遊びが良いのだそうです。昨年も鎌倉の海で釣りに挑戦。今年もまた・・・。

 釣り好きのHが興味を持つかと、友人が亡夫のルアーを沢山くれました。ドイツでは釣りはライセンスがないとできないそうです。また魚の種類が違うので果たして役立つかわかりません。全部ほしかったようですが父親の許可が下りず、いくつか選びましたが、我が家に来るたびに残ったものを眺めていました。

 15日火曜日、予報は雨でしたがHとEは父親と海岸へ。河口で釣りをしたそうです。ハゼ用の餌でしたがハゼは釣れなかったけれど10センチほどの魚を6匹釣り、E も1匹釣ったそうで午後写真を持ってやってきました。翌水曜日、私はおにぎりを作り私も河口の護岸に座って3人の釣りを眺めました。母親は一人で鎌倉八幡宮など散歩していました。この日は1匹釣った後、ルアーを試したいとHは言い出しました。大きなルアーで小さな魚は釣れないと父親に言われても聞かず、ルアーをつけて投げることを楽しんでいました。釣り針を放ると1昨年はすぐ近くに落ちたのですが今回はかなり遠くまで飛ばすことができるようになっていました。ルアー付けると対岸近くまで飛んでゆきます。引くとルアーがきらきらと光りながら水の中を走ります。Hにとってその光景はとても魅力的に見えるようでした。見かねた父親ルアーの先にゴカイをつけたらまた魚が釣れました。この日の収穫はEと父親が1匹、H2匹釣り大満足でした。雨模様でしたので、母親の帰りを待って宿へ行きみんなでおにぎりを食べました。

 

ルアーで釣れたと大喜び 

なんという名の魚でしょうか

 

 宿で日本語学校の教科書を見ました。日本の中学生と同じ教科書で学習していました。内容は私の中学時代よりも難しいのではないかと思いました。Eは漢字が苦手だと言っていました。普段の授業はドイツ語、第1外国語は英語、第二外国語はスペイン語を選んだそうですが、その上に系統の違う日本語を学ぶのですから結構大変だろうと感じました。

   

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台風とエスペラント大会

2019-10-14 07:00:51 | エスペラント

 昨日は自分のことにかまけてニュースもほとんど見ていませんでした。先ほどニュースを見て驚きました。私のところは大した被害もありせんでした。(アルミ製の塀の一部の一枚が飛び、隣を覗き見できるくらいの穴が開きました。)が、日本中あちこちに大きな被害を受けた方々がたくさんおられるとを知りました。お見舞い申し上げます。

 

埼玉会館(〒330-8518 埼玉県さいたま市浦和区高砂3-1-4)で土曜日・日曜日・今日開催される予定だったエスペラント日本大会も台風で土曜日は中止、昨日は午後3時よりということで、どれほどの人が集まったのでしょうか。一般の人に公開されるプログラムも沢山あったのにと思うととても残念です。が、日本のあちこちで甚大な被害を被った人のいることを思うと大会のことを嘆いていてはいけないのでしょう。今日最終日。どんな締めくくりをするのかわかりませんが、今回できなかった公開プログラムを来年はぜひ実行して欲しいです。


 ドイツにいる息子家族は一年おきに来日します。昨日昼には二家族が我が家にやって来る予定でした。ところが電車が止まってしまいました。来れるかどうか分からない。でも食材は用意していある。どうしても調理してしまわなければならないものもある。被害を受けた方々から見ると贅沢な悩みですが、悩みながらお昼の準備。ようやくみんなが揃ったのは3時でした。調理したものは帰りに持ち帰ってくれましたので助かりました。

 エスペラント大会に今日だけでも参加しようと思っていたのですが、息子家族が再会予定家族が台風の被害に遭いそうになり、避難したりしたので予定が変更になるかも、そうしたら横浜をぶらつき帰りはまたわが家に来るというので、今日は家にいることに決めました。


 古民家に散歩した時の写真

T・H・E・M(Eの身長は私を超え、Hももうすぐ追いつきます。Mは私の肩を超えました!)

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訃報

2019-10-12 10:27:00 | エスペラント

 エスペラントの創始者ザメンホフの孫: d-ro L.C. Zaleski- Zamenhof (ルドヴィーコ・クリストファー・ザレスキー・ザメンホフ 95歳)が2019-10-9パリで逝去。

 

 2003-7-27 スウェーデンのエーテボリで開かれたエスペラント世界大会でザレスキー・ザメンホフの生涯について書いたローマン・ドブジンスキーの著 'La ZAMENHOF-STRATO'(ザメンホフ通り)を買いました。その時、著者は飛行機が遅れて講演を行うことができずザレスキー・ザメンホフ氏が話をしました。サインを求めると僕が書いたのではないけれどと照れながらもサインしてくれました。2006年フレンツェの大会の時に狭いレストランで一緒になりました。そこで出会った数人と共にに食事をしました。初めに見かけたのは1987年のワルシャワ大会の時の絶滅収容所トレブリンカへの遠足でした。彼の父や叔母たちはここで殺されました。あまりにも悲しそうで周囲の人達は声をかけそびれていました。ましてや初心者の私には声などかけられませんでした。


思い出したこと: ザレスキー・ザメンホフは技術者として四国大橋の建設に携わったそうで、幾度もの日本を訪れたそうです。日本料理はどれも美味しい、お刺身が大好きと話していました。四国大橋の近くのホテルで彼と交流された方がいるかもしれません。第二次世界大戦後、彼はエスペラント界に姿を見せませんでした。生きている説と逃亡途中で亡くなったという説が交錯していました。確か戦後姿を見せたのは1987年のワルシャワ大会だったと思います。本格的にエスペラント界にかかわり始めたのは仕事を引退した後でした。ですから当時彼と知り合った方はエスペラントと彼の関係はご存じないでしょう!


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朝風呂

2019-10-12 09:09:14 | taglibro: 日記

 大きな台風が近づいている。ほとんどの交通機関がお昼頃には止るという。息子家族は昨日は横浜見物。夕方には大量の食糧を購入して宿に帰ったそうで一安心。台風も孫たちにとってはそれなりの日本体験になると思う。

 今朝はのんびりと風呂に入った。こんな日は焦っても無駄なのだからゆっくりとできることを考えようと思う。それに風呂の水はもし断水した時に水洗トイレ用として使うことができるので浴槽たっぷりのお湯に浸った。これも生活の知恵!朝風呂は単なる贅沢ではないのです。

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Grezijono antaŭ 40 jaroj kaj fine de oktobro

2019-10-11 09:51:44 | エスペラント

 昨日は忙しくてメールを読む暇もなかった。グレジヨンからのお知らせとしてSxtona urbo「石の都」 の著者アンナ・ローウェンシュテインが初めて自分がグレジヨンを訪ねたころのことを書いたものが送られてきました。なかなか面白かったです。興味のある方は読んでください。

 

Grezijono antaŭ 40 jaroj kaj post 2 semajnoj

Mi unue vizitis Grezijonon en 1974 aŭ 1975, kiam mi havis proksimume 24 jarojn. En la skota Esperanto-revuo mi legis artikolon pri Grezijono: pri la kursoj kaj aliaj agadoj, sed ankaŭ pri la kastelo mem. Mi tuj pensis, ke estante sola (ĉar miaj gepatroj estis en Israelo) kaj sen aliaj devoj, mi povos viziti tiun mirindan kastelon dum mia somera ferio. Tio estis por mi aŭdaca, iom timiga kaj samtempe ekscita ideo. Mi apenaŭ ĝis tiam ĉeestis Esperanto-kunvenon eksterlande, sed fakte mi apenaŭ entute tiutempe estis vojaĝinta eksterlanden, kaj certe neniam sola.

 

Por miaj malmultaj antaŭaj vizitoj en eksterlandon, estis miaj gepatroj kiuj organizis ĉiujn detalojn de la vojaĝo. Sed nun mi iel devis mem malkovri kiel atingi la urbon Baugé – kompreneble tiutempe ne ekzistis Interreto, internaciaj telefonvokoj estis tre multekostaj, kaj necesis aranĝi ĉion letere. Finfine mi ja faris tiun grandiozan vojaĝon, per ŝipo al Kalezo, per trajno al Parizo, tiam per alia trajno al Le Mans, per aŭtobuso al Baugé, kaj finfine portante mian dorsosakon mi marŝis al la kastelo.

 

Kaj tie mi restis dum du semajnoj, ĝuante la sperton la unuan fojon en mia vivo paroli nur en Esperanto. Mi partoprenis en la mezgrada kurso (bedaŭrinde post tiom da jaroj mi ne plu memoras la nomon de la instruisto), amikiĝis kun francaj junulinoj de mia aĝo, kaj ĉeestis ekskurson al la antikva apoteko en la urbo. Mi memoras, ke ni spektis la filmon Angoroj, sed kiel nova esperantisto mi ne plene komprenis la tekston, tamen sufiĉe por sekvi la rakonton. Mi malklare memoras ankaŭ prelegeton pri Schwarz kun legado de kelkaj el liaj amuzaj poemoj, kiujn mi ja povis kompreni kaj ĝui.

 

La kondiĉoj en la sepdekaj jaroj estis relative primitivaj. Mi restis en ses- aŭ ok-lita ĉambro – kompreneble kiel junulo mi elektis la plej malmultekostan eblecon. Mankis varma akvo en la ĉambroj, kaj necesis alporti ĝin en kruĉoj de lavkuveto en la koridoro. Aliflanke mi aparte ĝuis la bongustajn francstilajn manĝojn.

 

Mi eĉ ne imagis tiutempe, ke iam mi mem verkos artikolojn kaj eĉ librojn en Esperanto, ke mi havos Esperantlingvan familion, kaj certe ne, ke mi iam mem fariĝos instruistino en Grezijono.

 

Kaj nun ni venas al la kerno de ĉi tiu longa enkonduko. En la lasta semajno de oktobro (t.e. post du semajnoj) estos la aŭtuna renkontiĝo en Grezijono. Mi mem instruos kurson pri literaturo, en kiu ni legos eltiraĵojn el pluraj verkoj gravaj en la historio de Esperanto, mem verkos mallongajn rakontetojn, aktoros scenon el teatraĵo, kaj ekzerciĝos pri kelkaj tiklaj gramatikaj demandoj. Krome mi prelegos du-tri fojojn.

 

Sed kompreneble ne nur mi instruos dum tiu semajno: fakte estos amaso da konataj nomoj. Murast Özdizdar el Turkujo instruos la komencantojn, Xavier Godivier instruos la progresantojn, kaj krome tiom da aliaj konataj esperantistoj prelegos aŭ organizos agadojn, ke mi vere ne povas listigi ĉiujn ĉi tie. Estos ankaŭ multaj agadoj taŭgaj por infanoj kaj adoleskuloj, precipe rilate al Haloveno. Vi povos mem legi la detalojn ĉe: eventaservo.org/eventoj/M0RxSj8RwReVpr5W/  aŭ rekte en: gresillon.org/a.

 

Do mi esperas, ke multaj esperantistoj partoprenos en tiu interesa semajno, kun propra ĉambro, varma akvo, kaj ĉio, kio mankis antaŭ 45 jaroj!

Anna Lowenstein

-- 

Anna Lowenstein
22 St Pancras Court
High Road
London N2 9AE
 
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 ジャガイモの皮

2019-10-11 07:53:50 | 家族・友人・私

 ドイツに住んでいる息子家族が来日している。九州を1週間ほど旅をして昨日羽田へ。夕食はわが家ですることになったのですが、この前 (2年前)来日した時カレーを食べそこなったとHが残念がっていたので夕食の注文はカレー。ヒレカツが美味しかったというのでカツカレーにしようと思うが、あげるのが面倒なので市販のものを購入。メニューはシンプル。大好きな枝豆。カレー味が気に入らなくてもジャガイモがあればと、蒸し煮にしたジャガイモ。食後には梨と甘いお菓子。

 カレーを子どもたちはお替りしていました。気に入ってくれたらしい。外食時、以前は日本の味を選ぶのに苦労していた妻のBもジャガイモにバターをつけて美味しそうに食べていました。さて私。ジャガイモを皿に取り皮を少し向きました。’あっ!’とB。茹でジャガの皮をむくなどということはドイツ人にとっては驚きの行為のようでした。

 以前、ドイツに行ったころ、果物で残して良いもはバナナの皮だけ。ブドウの種も皮も残していけない。リンゴも皮は向かない。食事で皿に出されたものは何でも食べること。息子に言われたことをすっかり私は忘れていました。

 ジャガイモは先日、93歳になった兄が作ったもので、姪が新米と一緒に送ってくれたものでした。新ジャガなので皮はとても薄いのですが、習慣というものは気が緩むとでるものなのですね、つい皮を剥いてしまいました。

 

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えっ?民生委員!

2019-10-08 14:54:35 | taglibro: 日記

 昨日初めて民生委員の訪問を受けました。驚きましたが、驚くことではなかったのです。75歳以上の方への訪問を毎年行っていますとのこと。今までは町内会に申請していなかったのですが、7~8年後、班代表が回ってくるのでその時、こちらの年齢を班の皆さんが知っている方が良いかもと今年年齢を書く紙に書いたのでした。本当に民生委員の世話になる時期来ているとは思いもしませんでした。多分いつ人様の世話あになってもおかしくない年齢になっているのでしょう。

 昨日はカレーを作りました。歯医者に行くのに髪の毛にカレーのにおいが付いているでしょう。そう思って頭を洗いタオルを頭に巻いている時の来訪でした。玄関先でタオルを外したのですが、後で鏡を見たら髪の毛は逆さに立ち、急いで着たブラウスの襟がめくれていました。まさに山の神。彼女笑いを必死で抑えていたのに納得が行きました。 

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謙虚でありたい

2019-10-07 08:21:11 | 平和

 今朝、数人の人が私のふるい記事を読んでいるのに気付きました。10年以上前に自分が何を思い、なにを書いたか忘れていることも多い。どんな人がどんな思いで読んでくださったのかと私も読み返しました。栗栖継さんの著書の引用でした。いま、韓国と日本がいがみ合っています。この時期、私たちエスペランティストはどうすべきなのかを考えさせられる内容でした。自分の記事を読みながら’私たちは謙虚でありたい’と思いました。エスペラントを愛する人にぜひ読んでいただきたいです。

https://blog.goo.ne.jp/glimi/e/bf7a08da548c297ee275ff388405f63b

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ただただ慌しく

2019-10-05 22:14:37 | taglibro: 日記

 暑い日と台風と入れ替わりにやってくるのでなかなか思うようにことが進まない。ドイツの息子家族が来日する。息子家族が2組やってくると人数は8人増える。孫たちは体が大きくなったので家の中に収まりきらないでしょう。ウッドデッキは日焼けして白くなっている塗料を塗りたい!でも外は暑い!

 昨日はTが遊びに行きたいと言っているので訪ねたいとNが言うので了承。10時半にやってきて2時半に帰った。Tは好き嫌いが激しい。食習慣は離乳の時が大切だと分かっていながら助言しなかったことを後悔する。国が違えばやり方も違うだろうと考えたのは間違いだったろうかと。Tは虫が好きで、我が家の狭い地面を掘り起こして虫を探していました。硬くなったプランターの土を私が空けると外に出した土の中から数匹の幼虫が出てきました。’おお、幼虫がかわいそう’と言いながら小さな植木鉢に取りしばらく眺めて満足し、土に戻して帰ってゆきました。

 暑かったのですが、夕方ウッドデッキを水で洗う。今朝は朝2時間と夕方1時間半作業をしたら、手すりと床部分だけは塗装できました。明日は涼しいということですのでできれば床だけでももう一度塗りたいのですが・・・。塗りたてならきれいなのではだしでも遊べますし、食事もできます。ゴザを敷いても良いかと。天気が良いことを願う。

 木曜日。ポーランドの外交官・国会議員・音楽評論家・詩人・作家であるヤロスワフ・イヴァシュキヴィッチという人の短編を友人と読んだ。’Nova amo' 何が言いたいのかわからずに、まあ、まあ、これはなんだ言いつつ読み進んだ。なんと主人公の妄想を読んでいたのでした。ふたりで大笑いしました。



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買い物用トートバック

2019-10-01 06:30:12 | taglibro: 日記

 昨日の作業。右は紳士用雨傘で作りました。とてもしっかりしています。色はダークグリーン。もう一枚分は袋だけ仕上げました。左は皺加工のある姉が送ってよこしたレンコート。不用品に出そうと思ったのだけれど袋にしました。デザインがあり、布地して使うのは使いにくかったのですが、先日、袋にしてみたらとても使いやすかったので残りでもう一枚作りました。これは布三枚はいであります。取っ手部分の布も幅が狭かったので中に別布を挟んで持ちやすくしました。もう一枚小さな袋も作りました。先日Ⅿが来て工作をするといったのですが、左利き用ハサミがありませんでした。先日買ってきました。ハサミとセロテープを入れて、すぐ使えるようにしました。

 ミシンを出すとあれもこれもと思うので切りがありません。まだ縫いたいものもあったのですが、昨日はこのへんで!

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