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生きること:過去と未来とエスペラントと

ドキュメンタリー: 更生学校

2010-03-31 10:49:48 | 福祉と教育
 月曜日、偶然つけたテレビに釘付けになりました。確かフロリダ州のある都市、ギャング組織が抗争し麻薬がびこる都市の話でした。
 更生学校とは昔、日本では、実修学校とか教護院とか呼ばれた施設に似ていました。日本では時々呼び名を変えるので現在なんと呼ばれているか知りませんが、いわゆる非行少年または非行傾向にある生徒の更生施設です。軽いものでは校則違反も含みます。ですから非行と言っても日本的表現では『すぐ切れる』ような子どもも含みます。
 45日間決められた成績を納めなければ修了できません。修了者は元の学校へ戻ります。ここは通学施設ですが、修了の見込みが無いとなると職業更生学校に180間収容されるそうです。

 教師、カウンセラーの一丸となった熱意に感動しました。昨日も今日も観てしまいました。教師の中に子どもの気持ちを代弁し、校長や副校長と話しあう教師もいます。問題ありと思うと駆け付ける心理臨床士もいます。
 彼らはまだ未熟な生徒たちに人との交流の仕方を教えたり、自信を持たせる努力をしていました。修了者の更生率は70%を超えるそうです。

 サブプラクィムローンの問題は学校の経費の削減となり、その運営にも悪影響を与えています。実は修了者には3ヶ月間援助者をつけ彼らの更生を助けているのですが、経済的にそれが難しくなったというのです。 
http://www.nhk.or.jp/exit/

 まあ、それはさておき、日本では校則違反の場合停学とか退学でけりをつけます。その後子どもが非行に走る場合もあるでしょう。
 非行問題に興味のある方是非、明日から見てください。

 
 テレビを見ながら先週電話で話した友人を思い浮かべていました。癌にかかって化学療法をしているそうで、会いたいというからと我が夫が見舞いにに行きました。私はそう言う事は苦手です。
 数日後電話があり私とも話したというので数分話しました。卒業以来会っていないので会いに来てという事でした。
 彼女は明るく誠実な人でした。夫と共に20数年間実修学校で寮母として過ごしました。どれほどの緊張と努力を必要とする仕事だったろうかと今彼女の過去に思いをはせています。
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モンゴルへのビザ

2010-03-28 08:53:02 | エスペラント
 金曜日会った友人からモンゴルへの入国が4月からビザ無しになると聞きました。ビザ取得が面倒くさいので木曜日にJEIのキャラバンに申込をしたばかりでした。

 というのももうすぐ息子が幼い娘を連れて帰国し、4月中旬まで滞在するのでもう検討する時間的余裕が無かったのです。

 このキャラバンは北京に1泊するという事です。インチョン経由は夜中につくという事でした。考えてみると以前、シベリア鉄道で旅行した時、ウランバートルで4時間も過ごしたのです。というのは警備上国境を明るいうちに通過させないという事でロシア国境を越えたのは夜の10時過ぎでした。もしかしたら夜の12時前後はモンゴル人にとって宵の口かもしれません。

 その上、半年ほどモンゴルに滞在していたというその友人は空港と市内はすぐそばだというのです。北京で1泊するというのはなんだかもったいなくて・・・。
 悔しい限りです。

           

 さて、昨日みずみずしい県内産の大根を見つけました。128円。干し大根を作る事にしました。日本の味として姉が来日したら持たせるつもりです。2本買って、1本と3分の1を長さ15センチ、5ミリ角ほどに切りました。例の網二つに分け入れて今外に干しています。重さは2キロ強ありましたが、干し上がったらどのくらいの重さになるのでしょう!楽しみながら眺めています。
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物を作るという事

2010-03-27 10:30:29 | エスペラント
 昨日、ドイツから来た若いエスペランティストと会いました。写真は彼女の贈り物です。

 鍋つかみは彼女のお手製です。太い木綿糸を細編みでしっかりと目的の大きさに編み、最後に周囲をバック細編みで仕上げたありました。

 今、使っているのは、20年近く前にノルウェーのディケアー施設で記念にと頂いた障害者が作った織物を加工したものです。これが古くなったら使うようそれまでは大切に保管しようかそれとも壁にぶら下げて眺めようかと迷っています。時間をかけて作ったと思うとやはり大切に使うことになります。最近日本からも多くの人が海外に出かけますが、出会った人にあげようと自分の手で作り、貯めておく人は少ないように思います。 

 彼女に来日の目的はと尋ねたら、『言葉の実践』と答えました。言葉は使わないととっさに出てきません。
 羨ましいですね。昨日はしばしの間エスペラントが出てきませんでした。私も体力のあるうちに言葉の実践という名目の旅行がしてみたいと思ったのですが、もう無理かもしれません。

 でもやっぱり物見遊山の旅行ではなく、人とふれあう旅行がしたいです。
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日本の伝統

2010-03-19 09:11:12 | 家族・友人・私
  久しぶりに友人たちと上京しました。日暮里で千葉からやってきた友人と合流し谷中墓地を抜けて『谷中木楽庵』で開催されている江戸指物展に行きました。

 品のある素晴らしい作品が並んでいました。どんなに素晴らしくても我が家には似合いませんし、値段が高くて手も届きません。
 友人の娘さんが指物師になり、彼女の作品も展示販売されているという事で、『枯れ木も花の賑わい』的発想で出かけたのです。
 それに谷中も懐かしかったのです。50余年前姉が谷中に住んでいました。姉と甥と一緒に谷中の墓地を散歩したり上野へ行ったりしました。あの頃はまだ五重の塔が健在で、塔を囲んで広場があったような気がしたのですが、5重の塔跡という標識を見つけましたが跡地そのものはわかりませんでした。立派な墓が乱立し、地区を示す標識が立っています。この標識が無ければ目指すお墓も見つからないかもしれません。昼食後、羽二重だんごの喫茶店に入りよもやま話、身の上話に花を咲かせました。

 たわいもない事をこんなにおしゃべりしたのは久しぶりの事でした。友人達と往復の車中も入れると8時間も一緒にいたのですが、良く話が尽きなかったものです。

 指物師になった娘さんの写真が、もうすぐ発売のNHKのテキストに載っていると彼女が受けとったテキストを見せてくれました。作品は買えませんがこのテキストは買う事にしましょう!

 写真は記念に頂いた手ぬぐいとパンフレットです。
 手ぬぐいも日本の伝統です。いつかテレビで手ぬぐい職人が言っていました。手ぬぐいも10年20年と使うと水を良く吸うようになり快適になるのだと。色も変化し、落ち着いた味わいになると。

 使う人が大切に使ってくれることを信じ丁寧に手をかけて作品を作るのが職人なのでしょう。

 消費することがが良いことという風潮がありますが、このような不況が続くと考え直す人もいるかもしれません。

 素晴らし品を大切に使い保存するというのは生活の土台を豊かにしてゆくことだという事はわかるのですが、良い物を子孫に残ほど生活に余裕が無いというのが実情です。
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露店のおかみさん

2010-03-17 09:49:41 | 家族・友人・私
 時々行く商店街に週に3日ほど開くという露店があります。姪がここの野菜が美味しいと買っていたのをきっかけに時々買い物をします。
 紫花豆、デパートの品より3割ほど安くその上軟らかく煮えてとても美味しかったのでときどき覗きます。
 おかみさんの話では信州高遠から横浜まで通っているというのです。私たちは店を出す金も無いから露店をしているけれど殆ど地元の野菜だから味は保証すると言っていました。でも、私が買うのは豆くらいでしょうか。

 一昨日、籠盛りの丸々としたシイタケを見つけました。10~12個入って350円。3籠で1000円というのです。そんなに食べられないというと近くの100円ショップで干しもの網籠が売られている。干しシイタケにすれば良いというのです。
 新しい知識にはすぐ挑戦したくなる私、早速100円ショップで網かごを買いました。無愛想な店員にあそこの露店のおかみさんに勧められたけれどこの籠良く売れるでしょうねと言うと、声をあげて笑っていました。図星だったようです。

 昨日は風も強く気温は25度を超えていました。籠いっぱいのシイタケは1日で半分の大きさになりました。露店のおかみさんの話では夜は家に入れ、5日ほど干すと売っているような干しシイタケができるそうです。

 この籠、ゴーヤなど野菜を干すのにも使えそうです!

 丸々としたシイタケ10個は4ツ割にして塩コショウ味でオリ-ブオイルでじっくりと炒めました。歯ごたえがあってとても美味しかったです。
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子どもが育つとは

2010-03-13 11:18:53 | 福祉と教育
 今朝、なにげなくつけたテレビで鳥取市酒津で行われている『とんどう』という小正月の行事が放映されていました。子どもたちは一軒一軒の安全を祈願して寒さの中を裸で家々と海の間を走っていました。前半は見なかったのですが、祭りの準備、『とんどう』作りも2ヶ月かけてしていたようでした。昔は多くの地区で子どもが大人になれるよう、社会に参加できるよう行事を通して子どもを育んでいたのでしょう。

  昨日はエスペラントの学習の合間に友人とおしゃべりしました。子ども達の事です。
 今、小学校で問題になっているのは新入生の各クラスに大抵一人ぐらい学習に参加できない子どもがいるというのです。彼らは知能が低いとかそんなことではなく社会性が無く、他人には無頓着で気ままに行動するので、授業中も気にいらなければ教室を飛び出してしまうので教師は落ち着いて授業ができず、ひいては学級崩壊につながってゆくというのです。その子たちは小学校に入ってから急に変化したのではなく、幼稚園や保育園でもそのような行動をしていたのが見過ごされていたという事です。

 もうすぐ新学期また大変と友人は話していました。

 さてさて、学習中、私の近くで誰もなにも食べていないのに、時々するめか、燻製のイカのようなにおいが漂います。本と魚と同じバックに入れた事があったのでしょうか。私は自分の本を何度もくんくんと嗅ぎました。

 私の後ろの席に髪を金髪に染め目の周りをパンダのようにした女子が長椅子にひっくり返って寝ていました。その反対がはのイスには髪は黒ですがやはりパンダ目の女の子があおむけに寝ていました。

 数時間たち、帰る頃になって友人があの子達、もしかして中学生?私の知っている子どもかもと言いだしました。その子たちも多分こちらを気にしていたようで、私が振りかえると起き上がり友人に向け指でピースの合図をしてきました。化粧しているので分からなかったと友人は話していました。

 帰りがけに友人が、『この部屋では寝ころんではダメなのよ』と言うと『わかってる。だけで、今日は中学の卒業式だったから、二人で打ち上げしたの。だるくて座っていられない!』と答えました。あのするめのような臭いはこの子たちのげっぷの臭いだったに相違ありません。

 洗面所に立寄ったら二人がやってきて、『飲んだら気持ちが悪い』といいながら『先生さようなら』とそれでも挨拶しました。

 金髪の女の子の両親を友人も知っていて『母親はいつもがみがみ言っているし、父親は決して注意をしない。』のだそうです。この子たちはどんな人生を歩むのでしょうか。

 子ども成長過程で誰が何時どのように手を貸してやるべきなのでしょうか。子どもが育つ事がとても難しい時代になっているように感じます。
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敬老パス

2010-03-12 10:40:33 | 家族・友人・私
 敬老パスは誕生日の前日から使う事が出来るという記述があったので絶対初日に使おうと決心していました。
 最近運転免許の書き換えは警察署で済ましています。そこまでは徒歩30分。私が歩いてゆける距離です。そこでわざわざ運転免許試験場まで行く事にしました。私鉄を少々使いますが、帰りはJRにつながる別のバス路線を見つけましたので、見知らぬ街を走って楽しく帰宅しました。

 以前混んでいた試験場の会場は寒々としていて人影もまばらでした。作業も早くなっています。以前は書留代を支払い、郵送されていましたが、撮った写真はそのまま免許証に印刷され、受付から手渡しまでの時間はたった30分でした。

 帰り、バス停でバスを待っていると杖を持った男性と女性が話していました。無料のパスがいかに便利かという話でした。私はもうすぐ70歳になると言った男性が来る度に景色が変わっている、今度来るのは5年後だと話しているのを聞いてびっくり。
 この前の講習で70歳になると更新は3年ごとに行いますと言われ、私は3年後に更新と思っていた私はあわてって受け取ったばかりの免許証を手に取りました。更新の期日は5年後でした。

 もしかして、今日免許更新の手続きをしていたら、3年後になっていたのかもしれません。なんと言う強運でしょう!

 バスに乗ってから、その女性は私に色々と話しかけてきました。若い時からの自分の病歴を色々と話し、医者の説明に納得ゆかなかったら医者を変えて調べてみるといいのよ。以前肝炎を患ったので毎月定期的に検診ているのだけれど、先月、いつもと違う気がすると医者に訴えたら、もしかしてと癌研センターに紹介され、すぐに放射線治療を2週間して、癌は消えたのよ。

 本当に陽気で楽しそうに話す女性に私は圧倒されて聞いていました。今後の自分の生き方、人生の楽しみ方をお知られているようでした。

 JRの駅で降り買い物をしバスに乗ったら、私より10歳近くは年配と思われる女性が3人乗りこんできました。

 横浜に出たら馬車道あたりでバスを探すと良い、あの辺はいろんな方面へ行くバスの路線が有るから、自分の行きたい所へのバスがたいてい見つかるし、と敬老バスを仲間と示しながら、これを有効に使うには色々研究しないとねと話していました。

 敬老パスは元気老人を生み出し、医療費節約に一役買っているのかもしれません。私も有効利用を考えるつもりです!

 昨日1日で、パス代金の90%ほど使用しました。これからは本当に無料パスです!
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本の登場人物

2010-03-04 14:14:23 | エスペラント
 Steele 著 Kvazaux cxio dependus de mi を読み始めたと先日書いたのですが面白いです。でもなかなか進みません。今60ページ第一次世界大戦が終わった所です。同じ時代の話ですから、戦闘場所も当然 Schwartz の Kiel akvo de l' rivero と同じアルザス地方でしょう。Schwartzはフランス人の非戦闘員の視点から描き、Steele はドイツの戦闘員の視点で戦争の惨めさ、残酷さを時にははユーモアを交えて書かいているので興味をそそられましす。軍隊指導部の兵隊への指導は日本と似ていると思います。戦争を賛美する人に私たちの前の世代がどんな状態にいたか知って欲しいと思いながら読みました。

 また、いろんな人物がでてくると実在の人物かどうか確かめたくなり、せっかく閉じたパソコンをまた開き読書そっちののけで調査を始めてしまいます。以前本で読んだ人名でもすっかり忘れている名前もありますし…。この短いページに二人のエスペランティストの名を見つけました。この二人と小説の主人公が物語の中で交合うことはあるのでしょうか。

 ちょっと楽しみです。

 Paul Bennemann(1885~1859)パウル ベンネマン
 ライプチッヒ生まれの国民学校の教師。1909年エスペラントを学び特に教師と子どもたちにエスペラントを教えた。1914~1916にはドイツの戦場からの電報をエス訳している。(LA flavaj folioj)
 ドイツ語ーエスペラント、エスペラントードイツ語辞典を編纂した他、多数の著作がある。

 Henri Barbusse(1873~1935)アンリ パルュビス
 フランスの作家、社会活動家、エスペランティスト。戦場体験をもとに反戦運動を展開した。日本でも雑誌『種まく人々』に集った人たちや小林多喜二など、日本の作家や芸術家に影響を与えた。
 モスクワで客死。

 
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