glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

2008:夏・4 食堂車に乗って!

2008-08-31 08:50:12 | エスペラント
 列車は満員でした。あまり人のいない乗車口に急ぎ乗り込む。なんと車内の中央は食堂車。前にも行けず、後戻りもできない。まだ、空席がある。昼食には早いのですが昼食をここで取る異し、座りました。列車はかなり小さい駅も止まるので車内はだんだん混んできます。空腹でもないのにピザを食べ、ゆっくりとジュースを飲み、間をおいてコーヒーを飲む。周りに立っている人は恨めし気に見ているし・・・。
 3時間ぐらいねばったでしょうか。あと2時間立つことにし、食堂を出るとなんと運良く席が3つありました。

 HanoverでHerzbergへの切符を購入。3人で27ユーロ。

 余談ですが、ドイツでは3人以上だと切符の割引があります。5人単位のようです。グループで旅行するときは切符の共同購入をお勧めです。
 また、長距離で、事前に予定を決めることができるのならインターネットで事前購入するとかなり安くなります。日本からもできるそうですので試してください。

 Hanorverのホームは長くaとbとして同じホームから列車が2本発車します。ここで1時間以上待ったのに行く先にHerzbergの文字がなかったので見逃しました。動いてゆく後部には掲示してありました。
 幸いにも15分後Herzberg行きがありました。現地に到着したのは19:30。駅で緑星旗を持った人を見つけました。私たちより前に到着した年配者を迎えに来たペトロでした。本当に長い1日でした。

 でも、大変さはこれで終わらなかったのです。
 Herzbergは小さな町です。夕食会に行く前にペトロが車で町を案内してくれました。ぐるぐる回っているうちに自分の宿とレストランの位置関係が分からなくなり、人気のない夜に道に迷ってしまったのです。疲れたと早く出たレストランに戻り他のエスペランティストと一緒に宿に帰りました。

 夕食の時、列車事故について話したら誰も知りませんでした。ベルリンで息子から聞いたのですが脱線事故は小さなものだったそうです。ただ、原因が機関車の不具合と分かり、ドイツ鉄道はすべての特急用機関車をリコールし、運転を中止したということでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008:夏・3 え? ドイツ行きの列車無し!?

2008-08-30 11:23:44 | エスペラント
 ようやくアムステルダム中央駅到着。切符売場を探す。
 売り場には人が溢れていました。ようやく順番が近づきました。ところが案内係が"昨日鉄道事故があった。今日はドイツ行きの列車はありません。今日はアムステルダムに泊って明日にしてください。" 姉が喰い下がります。"明日になれば必ずあるんですか。" 
 
 バスがあるでしょうと私。姉のその質問に女性は外に案内所があると答えました。バックを引きずり3人で駅の外に出て案内所を探す。ところがそこは市内観光とホテルの予約所でした。バス発券売り場を尋ねると別の窓口を教えてくれましたが、これも市内用でした。国外なら駅の案内所と言われ、また駅に逆戻りしました。

 私は以前息子の乗用車でアムステルダムからベルリンへ帰ったことがありました。4時頃出て10時前後に到着しました。Hanoverなら半分ぐらいの距離です。オランダに来る時は息子が仕事を終えた夕方に出発しHanoverで1泊しました。その時見本市が開かれるHanoverには安い宿が沢山あるといわれました。1泊することになってもその方が安上がりと考えたのでした。

 余談ですが、合流したとき姉に言われたのです。あんたが全部考えてよ!私は英語が必要な時に話すから…。ですからすべての決断は私の仕事でした。海外初体験の友人は私は付いてゆくだけよと言っていました。

 駅の案内所ではバスは時間がかかる。特急ではないが今日1本だけドイツ行きがあるというのです。10:45分発。もう10時です。切符売場はまだ人が大勢います。姉は案内係を見つけて嫌味を言っていました。

 オランダで切符を買う時には日本の銀行のように予約券を取ります。これが1時間後とか、1時間以内とかに分かれていて早く発車する人が比較的に早く切符を買えるのです。

 切符を手にしたのは10:20過ぎ、ホームへと急ぎました。

 切符はわかりやすくHanoverまで買いました。3人で193,7ユーロでした。

 感想:オランダ人は親切ではない。
    自分の仕事の分野のみで仕事をする。
    ∴ サービスを求めてはならない!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008:夏2・オランダは入国拒否

2008-08-29 09:09:25 | エスペラント
 予定時刻、朝7時アムステルダム到着。入国監理官にパスポートを見せ入国。いよいよスタートラインについたと思ったとたんに、別の管理官に呼び止められて逆戻りさせられる。

 どこへ行く、ホテルの名は・・・そこでハタと困った。というのもなぜか成田で、リュックに入れていた行動予定表を旅行鞄に入れてしまったのです。早朝のことUEAに人がいるはずもない。どうやってここを抜け出すか必死で考える。友人の持っていた日付だけはエスペラント書きの日本語に訳した行動予定表を見せても数人で相談して手元に返されるだけ。

 気がつくと私たちの後ろに数十人の中国人らしき人たちが待機させられていました。姉の飛行機は7時10分についているはずです。鞄受け渡し所には人影もなく、迷子になると焦るばかりでした。なにしろ私は英語は単語ぐらいしか思い出せません。それにしても彼らはエスペラントという単語も、大会がロッテルダムだあることも知らないのです。
 "UEAよ、地元でしょう!それくらいの宣伝しておいてほしい!" ぶつぶつ言ってもだれにも通じません。

 ベルリン在住の息子は休暇でスイスに行っているので連絡不能。でも、会社に電話してもらえば同名の日本人がいて休暇中であることを証明してもらえるかもしれない。

 ノートに記した息子の住所・氏名と会社の電話番号を係員の一人に見せました。彼女はその会社名を知っていて他の人達に見せ、すぐ通過を許されました。

 なぜ、これだけ多くの人間が留め置かれたのか理由は全くわかりませんでした。
もう、姉の姿は見えません。二人でHerzbergに行く覚悟をきめ切符売場を探し当てました。うれしいことに私たちを探しあぐねて一人でHerzbergに行く決心をした姉とばったり出会ったのです。国外への切符はアムステルダム中央駅でないと買えないというので中央駅に向かいました。

 ですが、私たちの可笑しく困難な旅はまだ続くのです。

 教訓:海外では自分の身元を保証する書類や行動予定表は必ず手元に置くこと。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008:夏・ Esperanto‐Urbo はどこにある?

2008-08-28 10:45:47 | エスペラント
 ご無沙汰しました。雨が続き涼しくなってきました。目覚める努力をします。

 この夏の旅行目的はエスペラント市・ヘルツベルグ(ハーツベルグ)にあるドイツ・エスペラントセンターが主催する文化観光週間への参加でした。

 さて、エスペラント市・ハーツベルグがどこにあるかエスペランティストでも知らない人がいると思います。参加申し込み前横浜の一番大きい書店でドイツの国の地図を探しましたが、売っていなかったので観光ガイドの地図を眺めて位置を一応見つけました。

 ドイツを人体にたとえるなら体の中央である腹部がハルツ山地と言えるでしょう。そしてお臍部分にある小さな町がハルツべルグです。

 エスペラント市Hercbergを囲むように大きな都市があります。ドレスデン・ハンブルグ・ブラウンシュベィク・ハノヴァー(ハノーファー)そして少し遠くにフランクフルト・ベルリン。ベルリンはブラウンシュベィク乗り換え、特急で3時間でした。つまりドイツを旅行する際はどの町からも行けるというkとです。
 ケルンから支線で入った町(村?)に住む古い友人からもハーツベルグに行くのなら近いからうちにもどうぞと誘われました。

 私たちはHertberg滞在(7/11~19)後、ロッテルダムで開かれるエスペラント世界大会に出席する予定でした。そこでロッテルダムへの行き方を尋ねるとバスか乗用車に分乗できるということでしたので、アムステルダムから入ることにしました。

 つまり、アムステルダム・ハノヴァー・ハーツベルグとし、姉とはアムステルダムで合流するように飛行機到着時間を合わせて7月10日午後成田を出発しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薬の副作用

2008-08-20 10:31:56 | 衣・食・住
 先週、蕁麻疹の薬を半分にしてもらいましたが、頭重はとれたものの眠気は去りません。
 痒さを我慢するか眠さを我慢するか。

 お医者さんに談判したら、24時間効く子供用の薬をくれました。ところが昨夜は眠れず、朝生ごみを出せるかが心配になってこっそり生ごみを出してきました。2時過ぎというのにタクシーで帰宅する人が結構いるようで驚きました。

 こんなに長期間薬を飲んだことは今までありませんでした。食後に薬を飲む同年代の人たちを見て不思議でしたが、私もその仲間入りをする時期が来たのでしょうか。
   早く涼しくなってほしい! 

 ゴーヤの保存法はあるのでしょうか。

 数本、種と綿を取り薄切りにして冷凍してみました。今度炒め物をするときにそれを使ってみるつもりです。美味しかったら忙しい時や手を使いたくないときには便利ですよね!

 手を濡らすと余計痒くなるので、まとめて準備ができるならその方が良いのです。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も緑のカーテンが!

2008-08-14 12:33:18 | 衣・食・住
我が家の東側には細長い土地が1メートル少々。隣の2軒との家との距離は2メートルほどです。ですが、2軒の間がまた空いているので日当たり良好です。今年もゴーヤを植えました。
 今年はなかなか芽が出なかったのですが、今では二階のベランダまで這いあがっており、実を沢山つけています。先日は大量のニンニクと一緒にゴマ味噌炒めにしました。おいしくて元気になったような気がしました。
 今日はてんぷらにしようかと思っています。

 お日さまを反射させながら揺れる葉は涼しげです。隣近所には小さい子がおり、喧嘩する声や泣く声がします。でも、揺らめく葉が子どもの叫び声すら和らげてくれます。

 もっと狭い南側にはプランターを置きササギを植えました。葉がちっとも茂りませんでした。来年はそこにもゴーヤを植えようと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

えっ!蕁麻疹の原因は空気

2008-08-08 23:49:44 | Weblog
 帰国してから手の甲が変でした。
 朝起きた時はすべすべしているのに数時間するともこもこと腫れ上がったような感じになる。そのうち汗をかくと腕の露出部分に発疹が出るようになりました。とにかく痒い。でも、涼しくして休憩するといつの間にか消えています。
 所が昨日は発疹が急速に広がり痒みが我慢ねできないほど強いのです。木曜午後皮膚科が休診なので薬局に走りかゆみ止めを買い応急処置。
 今日お医者さんに行ったら、診断は蕁麻疹。寒冷蕁麻疹と同じ原理で起こると言うのです。

 暑いと汗をかく。汗が蒸発するときに皮膚の熱を奪う。すると皮膚温度が急激に下がり蕁麻疹が出ると言うのです。

 驚きました。空気で蕁麻疹になるとは。

 薬を飲んだので発疹も大分引きました。当分薬の世話になりそうです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エスペラント学習

2008-08-04 10:48:33 | エスペラント
 私が出席できたエスペラント大会の講演会は少ないものでした。ようやく入れた講演会の一つに'ESPERANTO LERNADO'(エスペラント学習)があります。

 この中で大本の三好さんが話していました。
 彼は以前、フランスのル・モンド紙などにエスペラントの有用性を訴えるく広告を出したり凄い方です。現在もCIGNO(白鳥)賞なるものを作り、活動的なグループに賞金を出しています。今回はインターネットでエスペラント学習を支えているグループ'lerunu'が受賞しました。これは余談です。

 三好さんの学習方法には驚かされました。本は音読、同じ本を10回繰り返して読むそうです。もし、すぐに理解できないフレーズがあった場合はさらにこの音読を繰り返すというのです。大概10回読むとその本に出ている単語、フレーズは即座に分かるようになるそうです。
 現在、川端康成の雪国を読んでいるそうです。日本語には表現として擬音が多いので10回読み終えたがまだ不十分。これからも繰返し読むと言うことでした。

 すごいことです。
 私も音読を心掛けていますが、結構難しいのです。目読ですと多分、頭の中で翻訳しているのでしょう内容がよくわかります。声に出すと耳から入る音が頭脳の翻訳を許さないのでつい黙読に切り替えてしまうのです。

 今後、頭脳内翻訳を防ぐ意味でも音読を心がけます。

 私の学習努力の不足さを反省させられた話でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年のエスペラント世界大会

2008-08-03 13:40:04 | エスペラント
楽しかったHerzbergでの1週間。だが、ロッテルダムの世界大会はまるで間が抜けたような感じでした。
 閉会式でUEA理事であり、現地組織代表者でもあるANS Bakker-ten Hagen氏はボランティアだけでなくUEA職員の働きを絶賛していたが会合の在り方に不満を感じていたものとしては間抜けにさえ見えました。

 先ず大会会場はせまく開会式、閉会式も全員が入れませんでした。それに比べれば、1987年3000人の収容会場を用意したにもかかわらず参加者6000人。開会式を午前と午後に分けて開いたワルシャワ大会はまだ、良心的でした。

 おまけに消防署の要請とかで、立ち見はだめと数少ない講演にも入れず、締め出されることしばしばでしたし、コンサートにいたっては私たちの斜め前方に空いた椅子が沢山あったにもかかわらず、早めに帰ろうと出てきたら、入れない人が沢山ドアの前に立っていました。

 大会中、私は安いホテルを利用しました。
 大会終わった後、市内を散歩し帰ってくると荷物はまとめられていました。ホテル側はUEAとの契約はもう終わっていると一晩の宿泊料を請求されました。その日外はカーニバルです。歩くのも大変でした。動きが取れないだろうともう1泊分払いました。UEAが本当に支払っていないのか、それともホテルにだまされたのかわかりません。こんな時の救済措置など緊急を要する時の連絡先もわかりませんでした。そういえば横浜の時のようなLogxigoservoのテーブルもなかったと思います。

 大会2日目だったでしょうか、ある日本人がE-istoが警備に確保されて連れて行かれた、何が起こったか知っているかと尋ねました。私は見ていないのでわからないと答えました。
 昨日偶然、Libera Folio を読みました。彼はスウェーデン人のGunnar Olsson でした。彼とはアジア大会でおしゃべりしたなかでした。胸にカードを下げていなかったのが原因で逮捕されたそうです。そこまですべきだったのでしょうか。今までは入り口でチェックし、大会章ををつけていない人は会場に入れませんでした。ですから子どもたちもみんな付けていました。今回は大会章を付けず会場で遊んでいる子供を数人見ました。そう、大人もおりました。誰もが会場に入れる状態を作っておきながら逮捕させるとは…!そこまでやらなければならなかったのでしょうか。
 また、事務局はそのことを書いた記事を検閲し削除させたそうです。詳しくは下記のページで読んでください。



http://www.liberafolio.org/


 出かけるごとにいろいろと教訓を得ます。今度はホテルに着いたらUEAが何日まで契約してあるか確かめる必要があると学びました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笑える幸せ!

2008-08-01 18:16:32 | 家族・友人・私
 28日午後成田着。
 リムジンバスに乗って気が付くと目の前にニュースが流れています。殺人、鉄砲水による死亡、火事など。日本社会の暗さに愕然となりました。

 一人旅では危険も、冒険もほとんどなく無事こなしていた私ですが、姉、友人と3人旅で気が緩んでいたのでしょうか、アムステルダムにつくなり試練が待ち構えていました。それは次々と続き、でも私達はそれを笑いで吹き飛ばしていました。私たちの旅はまるで冒険冒険の連続でしたがとても楽しく、日本の社会がこんな悲惨な出来事にあふれていることをすっかり忘れていました。

 エスペラント市:Herzbergでの一夜を私は息子の所に行くと決めていました。娘の成長を見せたいと思う息子の願いに逆らえなかったのです。現地で二人も同行したいと言い出しました。私はインターネットで切符を買ってもらい持っていましたが、ふたりは持っていません。Herzberg駅は無人駅になっていて切符はインフォメーションでしか買えません。に元世界大会を組織していたジャン・カルロがエスペラントセンターの図書整理にボランティアで来ており、彼がドイツ語の話せない私たちの切符を買うのを手伝ってくれました。もう80歳近いのです。しかし、私たちが駅や電車を間違えないようにHerzberg の隣のホームだけの駅:Herzberg Schloß まで同行くれました。エスペラント界では名の知られた人ですが 人のために働くことを楽しんでいました。

 私達の笑いのもとは私の孫娘のくだらないとも思える一言でした。
 彼女は私たちが訪れた前日に2歳2カ月になっていました。排泄練習の真っ最中だったのです。
 朝、彼女はトイレに行くと要求、所が連れていった父親を浴室から締め出し一人で排泄しました。
 <パパ、×××!>という声に父親がすっ飛んでゆきました。<ママ、×××!>と言われ今度は母親がすっ飛んでゆきました。嬉しそうな笑いの後に<オンマ、オンマ×××!>という声がしました。同時に息子が<お母さん、見て見てと言っているよ!>と大声を出しました。
 行ってみるとスポンポンの裸の彼女が自分で便器を覗くようにして私に自分の排せつ物を示し、見ろと勧めました。<わあ、すごい!ひとりでできたの?えらい、えらい!>というと彼女は、自分が認められたことが嬉しくてで踊り出しました。それはまるで妖精のようでした。

 その話を聞いた姉が、トイレ使用を<見て見て!>と言いだし、私たち二人が同じくその言葉を使い、それからの10日間、私たちは事あるごとに笑っていましたし、その笑いは3人部屋の緊張を和らげました。こんなくだらないことで笑える不思議さ。ほとんど意味もないことで笑うなど何年ぶりだったでしょうか?子ども時代に返ったような日々でした。

 帰国後、旅行中に発売されたお話『ハリー・ポッター』が待っていました。これを読み切らず何ができましょう!つい先ほど読み終えました。
 日本のある有名なエスぺランティストが空想物語はばかげていて面白くないと言いました。空想だからこそ面白い!と、私は思います!
 
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする