glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

学生のエスペラント誌:PASXO(歩み)

2014-04-30 20:01:37 | エスペラント
 学生たちがネットを使って雑誌を発行すとると聞き嬉しいですね。
 北大エスペラント研究会・京都大学エスペラント語研究会・筑波エスペラントクラブ・東京外語大の学生などが記事を書いていました。わが師伊東三郎の著書『ザメンホフ』に関する記述もありました。
 ネットとエスペラントを使えば世界とと繋がることはとても易しい。奇しくも明日な5月Ⅰ日。1960年5月Ⅰ日に緑星旗を掲げる仲間や伊東三郎と共に初めてメーデーに参加しました。驚きました!なんとすぐ後ろに大学の教授陣が連なっていたのです。‘おい、○○!お前どこにいるのだ!間違っていないか。おまえの列はこっちだろう’と数人の教授に言われました。翌日グループワークを教えていた教授は校内で私を呼びとめ、大阪外語大学でエスペラントを勉強していたと話してくれました。数十年後仕事の関係で会った時も私を記憶していてくれました。また、いつでしたか、東京で開催された日本大会で80歳を超えた元学生課長と会いました。その時上映された栗原小巻主演‘望郷の星’を見に来たそうで私の名前も覚えていて声をかけてくれました。エスペラントは覚えなかったが長谷川テルが好きだったと話していました。彼女も学生時代はセツルメントの活動家だったと聞いています。戦後、社会の発展を願う革新的考えを持つ人たちはエスペラントにとても興味を持っていたようです。これからも社会に新風を招くような人達が育ってくれたらと願ってしまいます。

https://docs.google.com/file/d/0B9UKBw1JrNO0eTF1eF90Nmx0MG8/edit?pli=1
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姉の野菜

2014-04-30 07:50:27 | 家族・友人・私
 『野菜少々送った。召し上がれ!』姉から短い携帯メールが入った。昨日の昼4リットルぐらいの段ボールが送られてきました。まるで段ボールミイラです。粘着テープで隙間なく巻かれていました。多分、輸送中に野菜が広がり段ボールから飛び出さないように工夫したのでしょう。ぎゅうぎゅう詰めの段ボールから出てきたのは新聞紙にくるまれた、ブロッコリーの脇芽、ホウレン草、春菊、セリでした。採りたてをそのまま新聞紙に包み姉はいつも送ってよこします。水に放すと数倍に広がりました。

 昨日の明け方、左手の湿疹が痛み出し痒み出し、熟睡できず気分の悪い一日を過ごしていました。こんな日は野菜を洗うなどと言う事はしたくありません。でも、腰が痛い膝が痛いという姉がせっかく収穫した野菜です。無駄にすることなく食べようようと一番量の多かったブロッコリーは軽く茹でてすべてトレーに広げて冷凍にしました。中くらいのトレー3枚分。冷凍ブロッコリーが市販されているのをみると炒めたり、グラタンにしたりでして使用可能かと思っての実験です。
 セリはこの際食べてしまおうと大量のセリ入りの豆腐入り、卵とじにしました。煮ると暈が減るので食べきることができました。まるで馬みたいな大量の食べ方でした。水に放たれた春菊とホウレン草は市販の2把分以上あります。これも下茹でしてからどう食べるか今日考える事にしましょう!
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GULOBE 4/20

2014-04-27 16:10:47 | エスペラント
 
ことばにめざめる


 友人から朝日新聞の日曜版をもらったのをすっかり忘れていました。言葉に対する特集でした。私の知らない言葉にいくつかのっていました。ハワイ語の復活については最近テレビで見たばかりでしたが・・・。
 その中に“どっこい生きてるエスペラント”と言うコラムもありました。エスペラントを認めていました!柳田国男や新渡戸稲造、宮沢賢治もこの言葉を学んだなど短いけれどきちんと紹介されていました。嬉しかった!

 ヨーロッパで開かれるエスペラント世界大会ではしばしば少数民族の言語問題が議論されます。いつでしたか私がドイツで息子にフランスでは民族語が抑圧されているんだってと話したら、“何言っているの!?フランスはフランス語だけでしょう!”と言われてしまったのでした。私たちはフランス人はフランス人だけと考えますがそれぞれに固有の文化、固有の言葉を使う人達が一つにまとめられいる事に気がつかないだけなのでしょう!

 久しぶりに世界の言語問題考えさせる記事でした。
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家の補修

2014-04-26 00:34:21 | 家族・友人・私
 最近友人が屋根の修理をしました。それが終わったところで土台が痛んでいるので土台を補修しないと家が持ちませんと言われたとの事でした。驚いたことにその修理代の見積金額がなんと700万円。年金暮らしの人間に700万のの金額を提示してくるとは、ましてや屋根の葺き代えで大金を支払った後にです。夫が建築関係の仕事をしていたので夫の生前から関係のあった会社との事でした。それにしても・・・。
 私は不信感をぬぐえず、私の知り合いの大工さんに契約はしないかもしれないけれど見積だけでもしてくださいとお願いしましょうと提案。他の友人も、契約のつもりで訪ねてきてから断るとごたごたする恐れがあるから、すぐに電話で保留の電話を入れた方が良いと忠告しました。昨日は半日、彼女がどう対処したか気になったのですが午後2時ごろまで我慢して電話してみました。

 午前中りホーム会社の人と話し合って先ほど帰ったばかりですと友人。
 友人の知り合いの職人に見てもらってから決めると言ったら、何と見積書を2通もって現れたそうです。1通は例の700万円分の見積書。もう1通は現在補修を必要とする個所の見積書でなんと100万円だったそうです。向こうが言うには会社に話したらこういう提案をしてみてはと言われたので後者の見積書を作ったが、前者は家を長く使うために必要な補修ですと説明をしたそうです。長く使うといっても永遠に残せるものなどないのです。それに補修方法とか材料が将来今よりも進歩する可能性だってあるのです。また自分の人生もいつ終わるか分からないし、残った家を子どもが使うとは限らないのに補修に大金を使わせようとは人を喰った話です。家は不都合な個所をちょこちょこと直しながら自分の人生に合わせて使え切れば良いのよねえと友人と話したのでした。

 いつでしたか、多分昨年のニュースですが、老人世帯を狙って必要もない補修を次々とさせてぼろもうけしていたリホーム会社が摘発されたことがありました。まさにくわばらくわばらです。
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ボタン

2014-04-23 10:08:39 | 家族・友人・私
五月、孫Mの誕生日です。またまた贈り物を送る季節になってしまいました。彼女は誕生プレゼントと同時に日本から送られてくるお菓子を楽しみにしているのでお菓子を送らないわけにはゆきません。彼女は小学2年生になりました。命がある限りお菓子を送り続けるのが祖母としての運命かとも思います。先日息子からメールにMが最近夢中になっているのは編み物・縫物・陶芸です。おもちゃ遊びは全くしませんのでおもちゃは送らないでください。できたら私が使った道具とかをもらえたら喜ぶと思います。最近鉤針でですが自分の帽子を編みました。何か道具をもらっても使えると思いますという事でした。私はいつもSAL便の小形包装物で送ります。これですと長い時にはベルリンまで約3週間必要です。ですからもう贈り物の準備はできていました。ですか、娘の趣味に合わせて材料を準備するのは息子にとっても大変だろうと思い一工夫しました。荷物が大きくなるので二つに分けました。誕生日の贈り物を一つ、お菓子を一つです。お菓子を入れた箱からお菓子を一つ減らし、そこに古いボタンが沢山入っている缶を入れました。館の模様は花柄、そこに可愛い黒猫がいます。10年程前でしょうか、カナダにいる姪が日本にいる時クリスマスにクッキーを入れて贈ってくれたものです。そして、お菓子とお菓子・箱とお菓子の隙間には詰めものの代わりに小さな毛糸の玉を入れました。ピンク・緑・青・空色・黄色・茶色などです。作品ができるというほどの量ではありませんが包を開いた時きっと驚き喜ぶと思うのです。

 ボタンの入った缶はずっしりと重く、小さな色とりどりのボタンが多分200個以上入っているでしょう。ひろげて眺めた時きっと喜んでくれるでしょう。ボタンには長い歴史があります。50年近く前、児童養護施設で5年半ほど暮らしました。そこを去る時一人の少女今井啓子チャンと言う子が私にくれたものです。私は必要な時にボタンをその中から探して使い、古い洋服から可愛いボタンを見つけた時はそれにたしていました。もしかしたら啓子ちゃんのボタンも混じっているかもしれません。彼女はほとんど笑わず話しかけても仏頂面で答える様な子でした。私は職員が病気の時に助っ人として臨時に働いただけですから彼女ととりわけ親しかったわけでもないのです。引越しの時彼女は自分の宝物でもあったボタンの箱を私にくれました。困った私が彼女の受け持ちの保母さんに相談するともらってあげてと言われました。そしてお礼に鉛筆を渡しても良いという許可も得たのでした。古いボタンを見るといつも彼女を思い出します。彼女の人生は幸せだったとは言えなかったようです。その上40代でがんで亡くなったと聞きました。Mにもいつか機会があったらボタン集めの由来を話してやろうと思っています。
 そしてボタンを見るたびに思い出すのは高校生の頃読んだ中原中也の詩です。うろ覚えでしたので探してみました。


月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛(はふ)れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
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嗅覚と味覚慣れの部分もある

2014-04-22 07:23:12 | 家族・友人・私
 匂いに関する感覚は育った環境で違っているようです。夫は仙台生まれ仙台育ちですが仙台で使われていた燃料は亜炭でした。昔、帰仙すると亜炭の匂いが街中に漂っていました。私には妙に思え、ときには息が詰まるようなその匂いを夫は故郷に帰ったという実感を持たせてくれるといっていました。

 先日ドイツに子どもの日に間にあうようにとお菓子を送ったのですが、中に家族分の最中も入れました。それは春の季節限定で桜の香りがするというものでした。賞味期限が4月23日までなので着いたら早目に食べなさいとメールに書きました。その香りを家族は受け入れれれなかったそうです。妻と息子は食べるのを放棄。あんこ好きの娘はなんとしても中に入っている餡子とお餅(求肥)が食べたいとテーブルを汚して最中の皮をむき中身だけ食べたそうです。残りは出張に持ってきてドバイのホテルで味合いながら食べています。こんな場所で日本の味が楽しめるのは幸せですとも書いてありました。

 以前は息子がこれは家族は食べられないだろういうものは送りませんでした。この頃趣旨を変えました。嗅覚や味覚とは慣れるとそれに適応できるようになるのではないかと思うのです。私が食べられるお菓子で息子が食べられない物はありません。家族が食べなくて息子が食べれば良い、食べているうちに子どもたちはそれになれ興味を示すかもと思ったのです。息子の妻は初め餡子が嫌いだといっていたのですが、昨年来日の際は大福やおまんじゅうを勧められもしないのに手に取って食べていました。孫たちには日本の味に色々と親しんでもらえるようにいろんなものを送ろうと考えています。嗅覚や味覚など感覚が広がりを見せるとそれだけ視野も広がると思うのです。自分が受け入れらなくとも少なくとも他人には寛容になれるでしょう!
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お知らせ

2014-04-19 15:19:58 | ラオス人を家族に持つと
知人より送られてきたお知らせです。染織やラオスに興味がある方にお勧めしたいところですが時間は夜です。

 第6回 ラオスを楽しむ 「現代ラオスの伝統染織」

今回は、川口えり子さんにラオスの布と染色を易しく砕いたお話を伺います。
最初にラオス織物をより深く理解するための染織技術や素材の基礎知識を紹介して下さいます。
その理解を基に、経済発展が進行する中で現代ラオスの伝統染織がどの様な変遷をしているのかお話頂きます(学術発表ではありません)。


日時:2014年5月9日(金) 午後7時から1時間半
場所:JICA 地球広場(市ヶ谷)202B号室
会費:1000円
出席:wattanatamlao@outlook.comまで

川口さんの自己紹介
「青年海外協力隊員としてのタンザニアでの経験を皮切りに、開発途上国の伝統といわれる染織品と関わってきました。
 伝統とは、開発の連続性の上に成り立っているものだと思います。先人の知恵は、その時代に活用されてこそ後世へと引き継がれるものだとする想いの下、伝統をそして伝統染織をとらえています。
 ラオスの染織との付き合いは、開発協力を通じて、そして学術的研究を通じて、ここ十数年時には熱く、そして時には冷静に見つめてきました。
 現代ラオスの伝統染織とはなにか、一緒に考えてみましょう。もっとクリアにラオスの染織が、そしてラオスという国が見えてくるのではないかと思っています。
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アダムの罪

2014-04-18 08:29:16 | エスペラント
 友人と読むんでいる本は韓国で買ってきた『Amuze lernu』と言う本です。急ぐこともなく訳すこともなく本音お題材におしゃべりを続けています。後30ページほどで終わりになります。時々興味のある記事などがあると持って行き従来のやり方から脱線させるのはいつも私です・・・。

 着の葉で賭けに珍しく本を開くと206課 Puno de Adamo からの学習でした。アダムの罪はエデンの園でリンゴを食べたことと言われていますが、本当にそれだけ?そう思ってGenezo(創世記)のそのくだりをコピーして持って行き友人たちと読みました。創世記を読んだのは3男が生まれた年ですからもう43年前です。記憶も確かではありませんでいたので。
 するとアダムの罪はリンゴを食べたことだけではなかったと分かり大笑いしました。リンゴは日本語の聖書にはどう書かれているか分かりませんがエスペラントではただ、果物と表現されているだけです。

 その文をちょっと引用します。
 3‐17 Kaj al Adam Li diris: Cxar vi obeis la vocxon de via edzino, kaj vi mangxis de la arbo, pri kiu Mi ordonis al vi, dirante, ke vi ne mangxu de gxi, tial malbenita estu la tero pro vi; kun suferoj vi mangxados de gxi dum via tuta vivo.
アダムの罪は妻の言いなりになったことが果物を食べたと同じく重要な罪だったのですね。聖書は母権社会から男性社会への移行の時期に書かれたのだろうか、古来男性は女性の顔色をうかがう習性があるのだろうとか無駄話をして昨日の学習は終わりました。でも夫を亡くした友人が出てきておしゃべりしてくれるのは嬉しいことです。
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くだらないと思いつつ?!

2014-04-14 22:29:42 | エスペラント
 先日、息子がドイツの友人と1年ぶりに再開しました。昨年出会った時エスペラントの話をしたら自分はエスぺランティストではないにもかかわらずお土にエスペラントの本をくれまじた。
 本の。題名は『オズの魔法使い』。私も同じ題名の本を持っているのですが訳者が違います。原本は同じでもエスペラント文が違うのは当然でしょう。
 くだらないと思いつつ、同じ本をなぜ訳すのか、どう違えるのか比べてみたくなりました。といっても全て最初から読み比べる気力もありません。自分の所有する本を読んだ時気になる個所に鉛筆で印をつけてありました。そこでその部分だけ比べてみました。書き写したのはその1部分だけですが、興味ある方もおられるかと・・・。でも、時間の無駄い遣いだったかも知れません。


 私の本[1]


 息子の本[2]

1. Farmisto
2. Kultivisto

1. Senofenda: Dorotea estis naiva, senofenda knabineto,…
2. Senkulpa: Doroteo estis senkulpa, neniun domaĝinta knabineto…

1. Surprovi: Ŝi deprenis siajn malnovajn ŝuojn kaj surprovis la arĝentajn, kiuj tiel laŭmezure perfektis kvazaŭ ili estus faritaj por ŝi.
2. Provi : Ŝi deprenis siajn ledajn ŝuojn kaj provis la arĝentajn, kiuj ĝustadimensioajn por ŝiaj peidoj, kvazaŭ farite specife por ili.

1. Pajlulo 2. Birdotimigulo

1. Rektis, veris: ‘ Kiel plaĉas al vi tiuj oreloj?’ ‘ Ili ne rektas,’ respondis la alia. ‘ Ne gravas,’ diris la farmisto, ‘ ili tamen estas oreloj.’ Kio sfiĉe veris.
2. Rekta, vera: ‘“ Ĉu plaĉas al vi la oreloj?’ ‘“ Ili estas nerektaj,’respondis la aliuloj. ”’ ne gravas,’ kio ja estas vera.

1. Ne plu malliberas: …, ke la Malbona Sorĉistino de la Okcidento venis al sia fino, kaj ke ili ne plu malliberas en fremda lando.
2. Ne plu estas kaptitoj: …ke Fia Sorĉistino de la Okcidento finiĝis, kaj ke ili ne plu estas kaptitoj en fremda lando.
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アルゼンチン危険情報

2014-04-08 06:59:07 | エスペラント
 アルゼンチンは決して安全な国ではないと分かっていますが、息子が念のためと送ってきたのが次の情報です。

 http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo.asp?id=241&infocode=2013T101
 アルゼンチンに興味ある方は読んでください。
 この情報を読んで思い出したのは1993年スペインのバレンシアで開催された大会の際の出来事です。ホテルを出るとなんとなくグループになっておしゃべりしながら大会会場まで歩きました。どこの国の人だったか忘れましたがお金の管理はどうしているかと聞かれましたので私はセフティ金庫も危ないと言われていたので旅行カバンに隠し、鍵を掛けてきたと話したら叱られました。鍵などすぐ壊される、フロントに預けても無くなる時は無くなる、身につけていた方が安全だと。

 メキシコの女性は自転車でやってきた数人グループに橋の上で襲われリュックサックを奪い取られ、残ったのはポケットに入っていた10ドルだけだとべそをかいていました。リュックな外から見えるので危険です。多分橋の上までつけてきて彼女だけ襲われたのでしょう。私は遠足以外はリュックは持ちません。その時は仲間も大勢いますし、前で止めておけば後ろから引っ張られてもすぐに外れません。

 その時の大会後の遠足はマドリッドで終わりました。泊まったのは日本人の経営するB&Bでした。夕方まで時間があったので美術館に行こうと出かけました。宿の主人はハンカチちり紙など必要なものはスーパーのポリ袋に入れ地元の人のようにぶらぶらと歩きなさいとポリ袋を渡してくれました。途中でイスラエル人とコロンビア人に合いました。コロンビア人女性はパスポート・航空券・現金をハンドバックに入れて歩いていたらむしり取られ、大使館に駆け込んでパスポートの再発行と家族からの送金の手配を頼んだけれど友人宅に後10日は滞在しなくてはならないという事でした。

 そうそう、旅行中のコルドバでもガイド役の地元のエスぺランティストが散り散りになるなスリが大勢いると四六時中言ってました。今回も旅行中は充分に気をつけることにしましょう!

 もう、7月までは世界大会のことは考えないことにします。
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ドイツの田舎暮らしがしたかった!

2014-04-07 05:02:40 | エスペラント
 アルゼンチンで開催されるエスペラント大会に姉と一緒に行きたいと思っていましたが、姉が行けなくなったので急遽準備に取り掛かりました。何しろネットで見ていると航空券は高くなってゆくし、一人部屋だと安い所に泊らなくてはと思っているのですが、空き部屋が少なくなってゆくのが分かるのです。インターネットで注文の表示が見られるようになって本当に便利です。10室以下になると数字が示されるようです。
 フランクフルト経由で行く事にしました。ドイツを通るならベルリンで息子家族の顔を見てこようかと思ったのですが、7月末から8月にかけて休暇は数週間家を留守にします。向こうの都合も聴かなければと土曜の午後に電話。2週間田舎に行くけれど、空港までの送迎は可能だからドイツの田舎に来ないかと言う事でした。ベルリンはもう見飽きたし、ドイツの田舎暮らしもしてみたかったので大いに喜びました。

 昨日、旅行会社へ行きました。ところがルフトハンザでベルリンに立ち寄ると24万円も高くなるのです。今までは同じか、あるいはグループ会社を使うと高い時で3万円ほどだったのがです。ベルリンへ日本から往復できる金額です。応対の若い子は最近システムが変わりました。ロンドン経由だともっと安くなりますと。それだと14万円高です。ですがヒースローで行きは7時間半、帰りが5時間半の乗り継ぎ待ちがあり、テーゲルを朝の7:00に出発でした。ああ残念、ベルリン行きは諦めました。

 久しぶりの見知らぬ人との対話にくたびれて昨夜は早々と就寝。今朝エスペラント大会の注文書をネットで送りました。会場から600mの安いホテルがまだ空いていました。送金はまだですが多分確保できるでしょう。ただ、日曜に行きたいと思っていた遠足はすでに満員でした。
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物忘れ

2014-04-04 10:08:14 | エスペラント
 1月に夫君を亡くした友人が昨日ようやく復帰しました。物忘れがひどく不安との事でした。現在の事も過去の事も忘れているというのです。長年の連れ合いを失ったことは大きななショックだった事でしょう。多分忘れた方が良いことが沢山あるのよ、一時的なここでしょうからしばらくは気にせず忘れ続けたら数ヵ月後には記憶力が回復するでしょうと慰めました。あなたにそう言われるとそんな気がしてきて安心すると彼女は笑っていました。エスペラントでつながるとい事はエスペラントを越えて人としてつながるという事と思っています。ですが年老いて一人、また一人と長年の仲間が減って行くのは寂しいですね。

 新しい仲間ができると良いのですが・・・。エスペラント上達のためでなくても良い、生涯人と繋がり支えあうためにエスペラントに戻ろうと考える人はいませんかと呼びかけたいですね。
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4月Ⅰ日前に

2014-04-01 08:43:39 | 家族・友人・私
 今日より消費税が上がります。昨日は朝から忙しかったですね。姉には冷凍にしておいた私特製のライ麦パンを2個送りました。ドイツの孫たちには子ども日用にお菓子を送りました。昨年子どもの日に合わせてスカイプであいさつがありました。孫娘のMは半ベソをかきながら言いました。『お雛様の時はお菓子が来るのに子どもの日はなぜ来ないのか。』と。半分は送って欲しいといっているようで図々しいかもと思いつつ、でも子どもの日もお菓子が欲しいと言いたいと遠慮がち 分に質問しているようでした。
 端午の節句は柏餅とちまき。私はそんな風に思っていたので送れないという固定観念がありましたが、孫たちにしてみれば日本からのお菓子なら何でも良いようでした。そこで送る事にしました。かりんとう、せんべい、スナックなども入れました。ドイツにもグミがあります。私に言わせと硬いだけで不味いです。ハリー・ポッターに出てくるグミほどひどくはないかもしれませんが・・・。梅干し味を見つけたので酸っぱいだろうとイタヅラ心でこれも入れました。暈は姉へのパンの2倍以上でしたが、重さはパンの方が重かったです。5月5日までは保存できませんが、あんこ好きな彼女のために最中も入れました。他の物は庭で食べたり、散歩の時に持って出かけられるでしょう。

 ホームセンターでウッドデッキに塗るペンキを買いました。計算すると高くなるのは200円未満です。たかが200円されど200円とわが身に言い聞かせながらの買い物でした。月曜日は近くのドラッグストアのポイントがいつもの3倍です。夕方いつもの買い物に行き、今すぐ必要でない物まで買いました。ああ、なんとなんと1点につき20%、15%、10%の割引券が付いてきました。割引券がもらえるなら余分なものは来週でも良かったのです。

 今日からは生鮮食品以外は当分の間買い物を控えます。庶民の生活は侘しいですね!
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