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生きること:過去と未来とエスペラントと

なぜか今また’赤毛のアン’:付記あり

2025-08-29 17:27:31 | 家族・友人・私

 今年になって赤毛のアンの再放送がテレビであったと思ったらまた放映された。ついつい録画して見てしまった。赤毛のアンはこの度再放送されたもの以外にも違ったフィルムがと二つほどであったが私のイメージっ違っていたので途中で見るのをやめてしまった記憶がある。

 

 アンに出会った時、私は中学生でした。高校生の姉が友人から拝借したものを読んだのでした。訳者は村岡花子だったと思う。私の記憶違いでないとすれば本は4巻でした。正確であるという自信はないのけれど、題名は赤毛のアン・続赤毛のアン・アンの青春・炉辺荘のアン。

 その中にアンが新しい出発を決心すときに口にした言葉があった。`曲がり角には夢がある’。私と姉は困った時、新しい決断を迫られた時いつもこの言葉を口にしました。

 なぜこれほどまでにアンが私たちを奮起させたのか。それは私たちが生まれ育った時代背景があるかもしれない。姉は1938年生まれ、私は1940年生まれ。戦争中の食糧難も経験している。日本が戦争へ突き進んでゆく中で兵力増強のために兵隊が必要であり、国策として女性が、子どもを産むこと、特に男子を産むことが奨励されていた。男子を沢山産むと表彰されたという話も聞いたことがある。そんなわけでどこの家も子沢山でした。私もも8人兄弟の7番目で、兄が四人と弟が一人でした。私の行動は他の女性たちと同様に、幼い時から’女のくせに!’、’女だてらに!’と言う言葉で制限されていました。小学校入学は1946年で、民主主義教育が唱えられ、学校教育の方針が変わた年だったけれど、教科書は無く、ノートの鉛筆も不足していて、教師は、ほとんどが旧制女学校や旧制中学校を卒業した経験不足の若い人たちでした。

 

 民主主義は唱えられても風習というものは変わらないもので、家では兄たちに小間使いのように雑用をさせられる日々は続いていました。姉は虚弱体質で10歳まで生きられるかどうか保証できないと生まれた時に言れたそうで、私とは全く違う待遇を受けていました。学校を休むことなかったけれど、授業中でも疲れたと言い、学校の宿直室で大半は寝て過ごしていたようです。当時は保健室などありませんし、警備員もいません。夜の警備は男性教師が交代で行い、その就寝場所として宿直室がありました。姉のそんな生活は高校卒業まで続きました。

 私にはもう一人、12歳年上の姉がおりました。長姉が、いつも次姉の世話をしていました、彼女が家を出てからは次姉の布団の上げ下ろしも、私の仕事でした。

 私はいつも毎日家族からも社会からも抑圧されていると感じては抵抗して敗北していました。時にはみんなに保護されている姉を羨ましいと思うこともありました。姉は姉で、なんにでも抵抗を試みる私が羨ましかったようです。姉も後にエスペラントを学び、私の仲間になりました。友人たちに姉妹喧嘩はしなかったのかと幾度も聞かれましたが、本当に喧嘩をしたことがないのです。今になって思うのはもしかしたら、私が我を通していたのかもしれません。

 

 私はいつも閉そく感のある生活から抜け出したいと思っていました。母でさえ、頑張ってここから出てゆきなさいと言っていました。

 アンの行動力に私たち強い刺激を受けました。意志さえあればある程度の困難は切り抜けることができると信じるようになっていました。

 親は県内の大学を勧めました。家を出たら授業料以外は出さないとも言いました。そんな親に反抗して大学は東京を選びました。高校3年生の秋、予約奨学金の制度ができ、教師の勧めで申請して志望大学に入ると奨学金をもらえることとなりました。それだけが私の生活を保障してくれるお金でした。後の生活はアルバイトと、時に兄たちがくれるお小遣いで賄っていました。

 同じころ、体が弱いにもかかわらず姉にはいろいろと縁談が舞い込んでいました。こんな田舎で私は飼い殺しになるような生活をするなんて嫌だ姉は嘆いていました。

 

 翌年の春、つまり私が2年生に進級したころ姉が友人の手を借りて家出し、箱根の旅館で働きはじめました。仲居としての労働は大変な重労働だったようです。当時、兄が3人と長姉も東京に住んでいました。姉は4人に助けを求めました。長姉は谷中に住んでいて古い土地を手放して移住しようと動いている最中なので、妹の世話までできないと断りました。兄たちは家事でもしてくれるなら考えるけれど、料理も掃除もできない妹とは一緒に暮らせないと断りました。そして私に言いました、’あの子は必ずおまえをたよってゆく。絶対に家に帰せ。一緒に暮らしたら共倒れになる!’と。

 あの閉鎖された社会で一生を終える!私には耐えられないことでした。そのことを姉に強いることはできないと思い、姉に二つの約束をさせました。夏休みの2カ月間アルバイトして部屋代を貯めるから、少なくとも2カ月待つこと。姉は調理ができない。お金がないから食費も節約しなくてはならない。予算内で私が作った料理は文句を言わないで必ず食べること。

 姉は本当に偏食で、魚が苦手なだけでなく、食べられない野菜も沢山あったのです。ですから私が一番心配したのは食事でした。姉が同意したので夏休みはアルバイトに明け暮れて、京王線だったと思うけれど方南町ということころに小さな部屋を借り、兄たちの困っても助けてやらないという声の中で共同生活をはじめました。

 当時大学は原宿にあり、新宿で乗り替えます。授業が5時ごろ終わると新宿で下り、三越にの地下に行きます。運がよければ、5時半の安売りに間に合って、半額セールのハンバーグなどを買うことができました。冷蔵庫など一般家庭には無い時代でした。お弁当のおかずには良く鯖缶を使いました。苦手でしたが、鮭缶の半分ぐらい値段で4缶100円でした。ラーメンとキツネ蕎麦は40円だったと思います。私と暮らすようになってから姉は一度も寝込みませんでした。丈夫だと言われた私は時々熱を出していました。

 

 数カ月後長姉は板橋区に建売住宅を買い、近くに6畳4部屋のアパート建てました。よく頑張った!家賃は半額してあげるから、引っ越しておいで!と手を差し伸べてくれました。頑固だった父も折れて、昔の教え子に頼んで姉にきちんとして定職を捜してくれました。この間、困ったことがあると私たちの合言葉は’曲がり角には夢がある’だったのです。

 

 姉がエスペラントを始めた時、学業で忙しくなった私と交代するように、私が所属していたグループに入りました。仲間たちはあんな活発な(お転婆!)妹さんがいたのでは、毎日大変でしょうねと言ったそうです。でもね、私のせいで妹が苦労しているという必要もないと思うので、そんなことは無い、大丈夫と答えて言うと話していると言ってきました。みんな。表面しか見ていないのよねとも

 姉がエスペラントを使って使って日本を脱出したのは1966年でした。エスペランティストの手助けで、スイスで2~3年働き、その後カナダに渡りました。いつか、アンの故郷のプリンスエドワード島に行こうねと私たち話し合っていました。

 

 姉が素晴らしいガイドがいると言いました。個人で1カ月のツアーを組み、友人の息子に運転させて旅するのだそうです。彼女が参加者を募集するとほとんど同時に埋まってしまうので参加が難しいとのことでした。席があれば数日間の参加も可能だということでした。

 1997年6月、私たちは義姉とその友人と共にプリンスエドワード島が含まれるその女性のツアーに6日間だけ参加しました。私にとっては2度目のカナダ旅行でした6月6日に成田を経ち、19日に帰国しました。

 

出発の2~3カ月前,グリーンゲイプルズは放火されました。悔しいことに中に入ることはできませんでした。

 

プリンスエドワード島で迎えてくれた透明のアンと共に。

57歳!私も若かった!

 

1992年。初めてのカナダ訪問で買ってしまった本です。いつか読みたいと思ったけれど単語を忘れ、発音がなっていないのでもう読めません。いつかと言いう日は永遠に来ない日のことをさすと身にしみて感じてます。

誰かに読んでほしい634ページです。

 

 付記

 当時私たちは家族内でグレン隊を名乗っていました。映画の紅蓮隊にちなんでですが、文字は燃え上がる紅蓮の炎の紅蓮隊です。両親・兄姉たちは'我ら紅蓮隊’と言う言葉にいつも苦笑いをしていました。

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編み物

2025-07-05 14:43:06 | 家族・友人・私

 5月、連休中大腸の調子が悪くて座ったいるだけの生活。何かすることは無いかと編み物を始めた。袖をつけたらいつ完成するかわ刈らないのでノースリーブにした。材質が絹なので夏でも着られる。手間も考えることも入らない編み方にしようと四角に編むことにしました。

 

 編み物は身に付けると勝手に体にそってくれる。だが、編み進む時間がとても遅くなっていて、中高生の頃のようなはやさであみすすむことができなかった。

 

 口惜しいので続けて2枚目に進んだ。今日ようやく仕上がった。

 

 哀しいかな、写真に収めようとしたが不格好です。着てみるとそれなりに体に馴染むのだけれど!

 

 型の悪さをごまかすには着用して自撮りをしたら良いのではないかと、孫の真似をして自撮りに挑戦。だが、エラーが出て初めての自撮り挑戦はあえなくとん挫しました。

 不格好だけれど、編んだ証拠品として写真に撮りました!

 

5月5日から6月15日まで40日もかかってしまった。

 

6月15日から7月5日までで編んだ。短時間で編めたのですが、手の動きた早くなったと言うより、体調が良くなって持続力ができたからと感じます。

前のセーターは糸数4本だったけれど、これは3本にし、目数を多くしました。そしたら、あと10キロ体重が増えても切れそうな大きさになりました。

糸はクリーム色。おそらく桑の葉とサフランの花色です。

なんだかやめられず、編み続けそうなのでブレーキをかけなくては!

茜で染めたピンクの糸も見つけました。85歳、ピンクのセーターも良いではないか?‼

また挑戦するかも!

3月からエスペラントは聞くだけでご無沙汰です。大会には参加できなくても、復帰したいですね。

 

 

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可笑しいけれど笑えない話

2025-06-03 10:57:04 | 家族・友人・私

 先日、夫は目に出血が見られたので、杖をついて眼科に行きました。結構規模の大きな眼科で診察室が四つあるところです。杖をついて一人で来ている年配者などいなかったそうです。

 目の充血は心配ないし、白内障も進んでいませんと言われたそうです。目薬少し多めにくださいと頼んだらなんと10本も渡されたそうです。これから暑くなるのにこんなにたくさん保管できないと言ったら冷蔵庫に入れておいてくださいと言われたそうです。

 

 さて、このことと関係があるかどうかわかりませんが、夫が入院中に目薬が無くなると言うのでこの医院に行き、目薬を出してもらえないかとお願いしたら、本人が受診しないと出せないので似たようなものがあるから市販の目薬を使ってくださいと言われて、薬の成分を聞き、その後は市販のものを使っていました。

 それにしても10本は多すぎると夫は言っていました。

 夫が入院していたのは40日間でした。使用した目薬は約2本です。10本だと約200日分です。もし点眼するのを忘れる時があったら1年近くの使用量となります。杖をついた行動がおぼつかない老人にはあまり来てほしくないのかと私は思ったけれど、夫には言いませんでした。

 私は本人が自分でできると思っているうちは黙ってさせるつもりです。今日は夫が以前から参加していて老人体操の会の行われる日でした。今月から復帰すると張り切っていたのですが、今日は雨。バスへの乗降りもありますし、今日の出席は断念したようです。

 

 私はユーチューブでエスペラントを聞いています。もう40分も聞いたのでちょっと中断しました。話しているのは中国人。中国でのエスペラント運動の始まりから現在の状況から現在の活動家のことなどこまごまと!途中、発表者が原稿を見失ったらしく、突然、発表者の声が替わるというハプニングも。聞き取りやすい語り口ですが、1時間は長すぎます。ですが、休憩できるのもユーチューブの良いところです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=JiW_ieE6tpc

 

 

 

 

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転院

2025-03-20 09:39:37 | 家族・友人・私
 18日(火)夫を転院させました。予定は3~4週間です。

 初めて介護タクシーに乗りました。本当にコンパクトにできています。寝たきりの人の為の担架風ベット・専用の車椅子。付添人は3人ぐらい乗れそうです。私は朝は弱いので下の子に付き添ってもらいました。

 病院に着いてからは息子は帰えして、次から次へと書類を書き、医師の説明を聞き、退院後のためにケースワーカーの質問にいろいろと答え、のうみそはパンクそしそう状態で帰宅しました。朝7:50に出て、14:00帰宅でした。

 昨日午前中は寒く雨が降っていました。東京は雪が降ったそうです。毎日春と冬が入れ替わっている感じです。天気の良い日に転院できるなってなんと幸運なのでしょう。病気を早期派遣してくださった医師・救急病院での対応、救急病院・今度のリハビリ病院や夫がボランテアしていたケアプラザのケースワーカーの方々の連携というか、それぞれ素早い対応に本当に助けられました。

 昨日は夫の部屋でいらないと思われるものを整理処分して1日を終えました。最近は行動力が鈍っているので整理整頓がなかなかはかどりません。とにかく、退院までは整えたいと。まだまだすることがいっぱいあります。

 ミシンで遊んでいたのですが、我が部屋は手付かずで、いろいろなものが散乱しています。今日はこちらも片付けないと!
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誕生日も過ぎてしまった!

2025-03-15 10:54:52 | 家族・友人・私
 12日は85歳の誕生日でした。収入の少ない私は税金の申告などしたことがなかった。夫の替わりに申告書を書いた。幾度となく眺め、どうにか理解して、昨日提出しました。

 夫の病状は良くわからない。左に少しマヒがあるということです。杖があれば歩けるということでしたが!

 昨日は正式に転院先が決まりました。バスと電車を乗り替える必要があるけれどそれほど遠くはないので良かったです。リハビリは週7日間行うそうで、本人も退屈することは無いでしょう。

 今、コロナが流行っていて、患者を受け入れない病院もあるそうです。

 病気の発見も早かったし、幸運だと思う。

 ブログは21年目に入りました。

 これから書く内容は、老老介護の愚痴になるかもしれませんね!
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さて、どうなる?

2025-03-10 21:11:26 | 家族・友人・私
 土曜午前は中を受信し、血液検査の血液を採取された。金曜日の夕方頼んであったラジオが届いたので、午後は病院に届けた。

 日曜日は夫の部屋の片づけ。

 今日は予約してあった歯科医院へ。

 午後は近くのケアプラザに行き介護保険の申し込み書を書いた。病院のケースワーカーからも連絡してくれていので事務所処理は簡単でした。介護保険は申請してから認められるとしても2カ月近くかかるということでした。

 退院後ひとり暮らしは辛いと思うので、必要なら送迎はするので、老人のいろいろな集いに参加させてくださいとケアプラザのケースワーカーにお願いした。

 大したことはしていないけれどひどく疲れます。

 
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’25-3-7:病院へ

2025-03-07 17:38:13 | 家族・友人・私
 水曜日に今後の対応について話がしたいと病院から連絡があり、今朝10時に伺うことにしました。

 9:50に病院前まで行ったけれど道路に車の長い列。駐車場が満杯で入れないのです。病院の駐車場はとても広くて入れないなどと言うことは想定外でした。車の中から、病院に病院の前にいますが遅刻しそうだと連絡しました。

 待っている間も救急車がやってきます。世の中こんなに病気やけがの方が多いのかと驚きました。

 夫が家に帰っても私の力ではすべての世話(介護)も、通院も難しいです。面談の連絡を受けた時にそのことは伝えておきました。面談してくださったのはお医者さん(?)それともケースワーカー?私は確認していませんでしたが、他の方が先生と呼んでいたのでどちらも出も良いことにします。

 私の状態を考慮して、早い時期にリハビリをした方が回復が早いからとリハビリ病院への転院の方針をだしてくれました。 
 
 患者本人は早く帰りたくて不満そうでした。でも、事前に家族としての私の希望を伝えておいてて良かったです。退院してもいまのままだと 介護保険の申請のしていないので、経済的にも大変なようです。病人がリハビリしているうちに介護保険の申請もできます。

 とにかく家庭の事情・介護者としての私の状況の説明を事前にしておいて良かった感じたのでした。
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'25-3-4(火):病院へ

2025-03-05 21:05:03 | 家族・友人・私
 午後病院へ。病室にいませんでした。入院3日目の月曜日からリハビリがはじまったそうで、リハビリ中という札がベットの上に置いてありました。リハビリ時間は20分ほどというので待っていましたが、1時間待たされました。心臓のエコーの検査をしていたそうです。することがないので認知症になりそうだと本人は元気でした。

 それにしても、間髪を入れないでリハビリを始めるとは今の医療体制はすごいですね!足も杖をついて歩けるので今後のことについて話し合いたいと今日(3月5日)電話を受けました。

 この数年、夫の部屋は書類でいっぱいです。3月いっぱいでいろいろしていたボランティア活動をやめると言っていたので、それらの書類を処分したいと言ったら、処分に同意したので、仕分けを始めたところでした。

 押し入れの中を見たら、数年前協力して仕分け、廃棄すると約束したものがいまだに入っていました。歳をとると捨てようと思ってもなかなか捨てれないようです。この際だから捨てようと分類を始めた今日(3月5日)、病院からの電話でした。

 いらないものを捨てきらないうちに退院しそうな予感がします。

 せめて。2週間ぐらい片付けの時間が欲しいです!

 
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時の流れに身を任す!

2025-03-03 13:03:08 | 家族・友人・私
 夫の足が腫れて病院に連れて行くなどいろいろとすることが多くなった1週間でした。本人も歩けなくなるかもという不安があるのだろう、食欲も落ちて不機嫌になってゆく。晴天続きだったけれど我が家にはマイナスイオンが満ちていました。

 土曜日の朝、左手の力が無いと言う。いつものクリニックに行くと、血流が悪いかも、月曜でも大きな病院に行きなさいと紹介状をくれました。その足で整形外科に行くと、医師が、脳梗塞かもしれない、緊急外来にすぐに行くようんと手配してくれたので病院へ。5~6時間の検査の後、脳梗塞。数日中にまた発作があるかもしれないのでと即入院。昨日は下着など必要なものを買い、洗濯して午後病院に届けました。

 するべきことはまだありますが今日はまず休養です。

 珍しく雨です。動くのも書くのも億劫です。

 医師には今後発作が起こらなくとも筋肉の衰えや、痴呆症状が出るということもあり得ると言われました。90歳まで、大過なく、過ごせたことは奇跡に近いかもしれません。覚悟はできていますと返事しました。

 老々介護の始まりとなりました。慌てず、時に身をゆだねて、一つ一つ対処しようと思います。
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書くか書かぬか迷ったけれど!

2024-10-15 15:31:54 | 家族・友人・私
 あと5カ月で85歳になる。用事のついでに立ち寄ったスーパーの店頭で、血管年齢を調べませんかと言われた。某女性体操教室が主催していると言う。結果は血管年齢65歳でした。若いとは言えないけれどそれでも20歳近く若かった。

 実は今年6月、サントリーの製品売っているところが宣伝として体内年齢の測定をしていました。うちの体重計でも図れるのですが、ちょっと若すぎるのではないかと思っていたのです。体重計が狂っている可能性もあるので測ってもらいました。71歳。家での計測とほとんど同じでした。

 瓶の蓋を開ける時握力の衰えを感じています。買い物に行くと、行きは良い良い帰りは恐いでと言うほど持続力がなくなったと疲れ感じるけれど、まだ少し、元気でいれるかなと思ったのでした。
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姪が来た!

2024-09-18 09:10:06 | 家族・友人・私
 夫が大腸にポリ-プができ、その手術で4日ほど入院すると言う姪に、夕食を一人で取るよりも我が家で一緒に食べたらと誘った。

 昨日夕方姪が来ました。手術と言うからどんなかと思ったら細い管を入れてプツンと切り取っておしまいだった。あまりにも簡単でと話していました。術後の話では入院は2~3日と言われたそうです。

 ところが夕食後に歓談していたら病人から電話が来た。なんと、ほとんど異常がないので、明日の午前中、朝食を食べたら退院してくださいと言われたとのこと。夫が手術するのでと5日も休暇を取ったのにと姪が苦笑い。

 今日はそろそろ退院の準備をしているのでしょうか。

 私は数日、食事量が増えると思って昨日は沢山買い物をしました。消費しきれないものは冷凍をしなくてはいけません。手術が大したことではなかったことは喜ぶべきですが、さてさて?
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嵐の前の離日とEUの試み

2024-08-17 15:22:12 | 家族・友人・私
 昨日正午前、2男家族はは離日しました。弟家族が羽田へ見送りに行き、みんなで変顔を作った写真などを送ってきました。

 毎日のように知人にあったり遊びにったりと忙しい3週間を過ごしましたが、1昨日にはのんびりと我が家で数時間過ごしました。私もの終活でブローチやネックレスなど持って行って貰いました。Eは真珠のブローチを必ず結婚式で漬けると言っていました。

 EUは若者たちにEUを理解してもらうための企画の一環として電車の切符を贈り、EU内を旅行させているそうです。参加者は応募者から抽選で選んでいるそうです。Eも選ばれた一人だそうです。切符の有効期間は3週間と3日だとか!
 9月に入ったら、旅行に出発するそうです。”ひとりで?”と聞いたら”ボーイフレンドと!”ああ青春。親も気がもめることでしょう。

 行き先はウイーン・ザグレブ・クロアチアの都市二つ。そこから船で北イタリアの何とかいう湖まで船で旅して、電車でベルリンに帰るコースを決めたそうです。それで、大学進学は来年にし、帰ったら近くある知的障がい児の支援学校で無給で働かせてもらうそうです、

 まさに青春!頑張って沢山の経験をして欲しいものと、声援をおくりました。
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 肉まんを食べに!

2024-08-02 09:03:55 | 家族・友人・私
 日本滞在中はベジタリアンをやめると言う孫Eのために、昨日は他の孫4人も伴って中華街に肉まんを食べに行ってきました。昨日も暑かってですね。
 中華街に行かなくても肉まんは食べることができますが、どうしても干しナツメが欲しかったのです。
 以前、韓国で行われた日韓共同エスペラント大会に参加した時、大会前にソウルを歩きました。小さなコンビニで’疲れた、宿で飲めるお茶が欲しいね!’と同行の息子に話していたら、店員がインスタントのナツメ茶を疲れに良いと勧めてくれました。ナツメ茶を飲んだら本当に元気になりました。
 先日ネットでナツメ茶の作り方を見つけたのでのんでみたくなりました。以前、干しフルーツの一種として中華街で買いパンに入れていました。ちかくでも売っていますが価格がとても高いのです。肉まんを食べに行くと言うよりも私は干しナツメが欲しかったのです。

 

食事後デザートを待っているところです。
Eが買って持ち歩いている人形です。キューピーに似ていますがお尻に尻尾もついています。
ひとり一個しか買えないので、仲良し4人組の仲間のために家族で一個づつ買ったそうです。
 目玉ぐりぐり、おでこが出ていてEそっくりの人形です。


 ナツメ二袋買いました。
 一袋300g入っていて400円でした。
コロナ前は500g入り500円でしたが。
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笑いをこらえる

2024-07-12 09:11:05 | 家族・友人・私
 もうすぐ、ドイツにいる息子家族がくる。我が家に寝泊まりすることは無いけれど時には食事を用意しなくてはならない。孫娘のEは一昨年来日した時は肉食をやめていた。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんが学校にやってきて、肉食をすることがいかに自然界の輪を乱し、自然汚染を引き起こすかということを講演した後、みんなで討論して集団ででベジタリアンなったとのこと。日本でベジタリアン的食事の場が少ない、食べる」ものがないと嘆いていた。
 さて、どんな料理を作るか私も悩んだ末に彼女にベジタリアンをまだ継続中かどうか質問したら、返事が来ました。
 日本ではお休みします。ブタマン食べたい。

 まあ、良いでしょう。笑いをこらえて受け入れることにしましょう!

 今日も雨。雨の力はすごいです。バジルが沢山生えたので、友人に鉢植えにしてあげたら、我が家の分は枯れそうになった。そのバジルが生き返りました。今後また、あの暑さが復活したらひと夏持たないかもしれない。少し鉢にでも植え替えて涼しいところに置けるようにすべきかも!
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昨日は孫の誕生日:写真追加

2024-05-21 10:50:15 | 家族・友人・私
 一番目の孫の誕生日が昨日でした。小さい頃は日本に馴染ませようと誕生日前に着くように贈り物を送っていましたがコロナ以来そんな習慣は無くなってしまいました。

 7月に来日すると言うので高い郵送料をかけて送らなくても良いかなと思っているうちに誕生日も忘れていました。

 こちらの3時ころ、ベルリン時間は朝7時ごろでしょうか、18歳になりましたと、向こうから電話をかけて寄こしました。おめでとうと言わってほしかったようです。

 2年前の10月来た時、最後の日にさようならと帰っていったと思ったら戻ってきました。ハグのないさようならは本当のさようならではないとバス停で泣きだしたのだそうです。ハグするために戻ってきて、ハグのあと機嫌よく帰ってゆきました。
 面白い子です。

 孫というのは観察するととても面白いですね。無理に仲良くしようと努力はしないけれど、5人が5人全く違く性格や能力があり、眺めていると飽きません。

 写真を貰ってわかりました。18歳は成人だったのです。窓のは生まれた頃の写真が飾ってありました!

 





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