昨日、Nはおやつにホットケーキを作ったらしく、MとTがバナナとイチゴと一緒に美味しそうにほおばっている写真をフェ-スブックで送ってきました。その写真を私が取り込めるとは思いませんでしたが、できたのです!ドイツの息子たちに送ったのでついでに!
昨日、Nはおやつにホットケーキを作ったらしく、MとTがバナナとイチゴと一緒に美味しそうにほおばっている写真をフェ-スブックで送ってきました。その写真を私が取り込めるとは思いませんでしたが、できたのです!ドイツの息子たちに送ったのでついでに!
ブログのアクセスその他の表示の形式が変わった。誰がブログを更新したかなど咄嗟に判断しにくいくなったと感じているのは私だけでしょうか。ブログを開く楽しみがかなり減りました。
付記
昼食後美しい鳥の映像を楽しみました。:https://www.youtube.com/watch?v=N-tajlNS7us
3月24日(日)
夜9時、またまたスカイプ。ドイツにいる息子からだった。今年の日本旅行は福岡から始めるとかで航空券を手配したという。ドイツは午後1時。H も自宅にるので顔を出しました。家人たちも起きていたので交代で会話。Mは昨年8月からギムナジューム(中学校)に通っている。履修外国語の話になる。英語は必須科目だが、第2外国語もある。第2外国語はスペイン語とフランス語から選ぶのだそうで、スペイン語を選んだそうで、スペイン語の学習はとても面白いということでした。エスペラントは?という伯父の質問にエスペラントは無いという。スペイン語ができたら、エスペラントはすぐできるようになると言われ、ウン、ウンと言っていました。一昨年来たときに私が訳したエスペラントの本を渡したら、予想外に喜んでくれました。もしかしたらエスペラントに興味を持ち、スペイン語を選んだのかも知れないとエスペランティストになってほしいという淡い期待を抱く。
3月26日(火)
25日の夜、日本にいる息子から電話。MとTが遊びに行きたいと言っているが火曜日に行ってもいいかということでした。用事があったのですが良いと返事をする。午前10時ごろにに母親のNと来るという。Nはどうして自分で連絡しなかったのだろう?後でパソコンを開いたら、フェースブックを通して昼頃に春休みなので遊びに行きたいと連絡が来ていました。彼女は電話が苦手なのです。
来てもよいと許可したものの昼御飯をどうするか悩む。夜中に焼き鳥を作ろうと思い立ち、塩麹に漬けて置いた鶏肉を冷凍庫から冷蔵庫に移す。
26日はあいにくの雨。駅から迎えに来てほしいと電話があったので車で迎えに行く。Tは言葉が増えました。1歳の誕生日1日前に日本を離れ、タイへ。1年半で帰国したものの途中数カ月は母親の母国ラオスへ遊びに行ったりしたので日本語を耳にする機会が少なく日本語が出ませんでした。住んでいる市に子どもセンターがあり、そこにはことば教室を兼ねた幼稚園もあるが、いつも満員で空がない。昨年は週一日だけ通うことができました。言葉も出てきました。兄ちゃん、兄ちゃんと話しかけています。私にもばあちゃん、ばあちゃんとと積極的に呼びかけます。人とコミニケーションが取れることが楽しいらしいし、とても朗らかでした。
Mはとて器用で小さな折り紙で、ヤドカリとかカワセミとか折ってくれましたが、持ち帰りました。編み物がしたいから教えてと言います。私の弟も小学3年生の頃編み物がしたいと言い出し、かぎ針で鎖編みをし、鎖編みの球を持っていました。6年生の時母がリリアン編み機と呼ぶ小さな編み機を見つけてきて、またまたそれで長い紐を編んでしました。先日100円ショップでその大型のものを見つけました。筒状のメリヤスしか編めないのですがマフラーぐらいにはなるでしょう。試してみようかな!
午後、2時ごろ太陽がでる。二人とも公園まで散歩したかったのですが今日は駄目というとⅯは不機嫌に。Tに兄ちゃん帰ろうと促され渋々帰り支度をする。駅まで送ってのですが不機嫌のまま帰ってゆきました。とても疲れました。でも、孫たちが遊びに来たいと言ってくれる機会は決して多くは無いでしょうし、その時期がいつまで続くかわかりません。大切にしようと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=YLIz8cokvH8
上記は私がこの数日聞いたユーチューブの一つ。Ekparopluの訓練のためのカタリンとその夫の映像です。6まであります。
付記:Mは学校からもらったDVDを持ってきました。各家庭以外には持ち出さないようにとの注意書きがあります。中身は子どもたちの授業風景です。我が子が授業中どのように過ごしているか一目瞭然です。以前は先生の目で見た子どもの姿しか親には伝わりませんでしたが、映像で見ることで親は自分で子どもを学校生活を理解することができます。先生の良し悪しもわかるでしょう!凄い時代になりました!
3月21日
私と同じ年代の人はどんな未来を持って生活しているのでしょうか。昨年亡くなった友人は数年前からことあるごとに、私やその他の友人に’死ぬの怖くないですかと質問していました。彼女は死を非常に恐れているようでした。いつ訪れるかわからない死を恐れるより、これから自分が何をできるか考えるのが先でしょうと言っても通じませんでした。死はいつかやってきます。それよりも私にとって怖いことは自分がするべきことを失って、生きた死人になってしまうことです。
外出することができなくなり、家にいることが多くなった時に何をしようかと考えて、50代の終わりに織り機を買いました。ところが手に湿疹ができました。それは機織りどころか、布や紙に触るのも、時にはパソコンを打つのも苦痛なほどひどいものでした。それもどうにか回復したと思ったのは私の独りよがりだったようです。先日セーターを編んだらまた湿疹復活(?)で医者の世話になっています。未来のために買った織り機は今、私の部屋でまだ長い休憩を続けています。また、新しいことをしようとしてもできなくなるかもしれないのですが、私の未来に何もないと諦めて過ごすということは私には無理なようです。
誕生日に'edkado net'がお祝いのメールをくれたので久しぶりに'edkado net'のページを詳しく読みました。そしてekparolu!(話そう)という運動に興味を持ちました。
https://www.youtube.com/watch?v=XxhSOhzPUm
参加するとしても訓練が必要なようです。
La geonkloj estos spertaj esperantistoj, sed ne nepre instruistoj. Ilia tasko estos la paroligo de komencintoj. La onkloj havu minimume B2-nivelon (prefere kun KER-atestilo). Ili ricevos metodikan trejnadon kaj teknikan helpon uzi skajpon.
また、インターネットで話すためにはスカイプが必要です。今使っているのは夫が使っていたものです。以前、息子や姉と話すためにスカイプをしていたのですが、このパソコンに取り込めませんでした。一念奮起繋げようと頑張ったら繋がりました。やれやれです。息子にはスカイプが使えるとメールしました。
実はエスペラント会話が苦手です。参加することで自分を鍛えられたらうれしい!医者通いに目途がついたらメールをすることにします。昔、責任者のカタリンさんの講座を一度受けたことがあります。素晴らしい指導者です!
3月22日
姉(verdavojeto)の誕生日でした。スカイプの連絡者の欄に姉のアドレスが登録してあります。そこで姉はにこにこ笑っています。抹消すべきかどうか悩みます。
3月23日
夜10時、寝ようかと思ったらスカイプの呼び出し音。息子からでした。誕生日に電話をもらったのですが、顔が見えるのと耳だけではやっぱり違います。孫のEも顔を出しました。下の子、Hは外が好きで友人と遊びに行ったそうです。久しぶりにいろいろ話しました。部屋にはマットが敷いてあり、その上で体操するのだと実演してくれました。虫が好きで今カタツムリを飼っていると写してくれました。少し赤みを帯びた黄色で芋虫みたいにゴロゴロしています。大きさは今15センチ。ケースを大きくすると50センチほどに成長するそうです。ケースを大きくする?・・・このカタツムリは自分の殻を背負っていないのでしょうか?
4年ほど前、日本に来たときにダンゴムシを沢山とって楽しかった。ベルリンは寒いので捕って遊べるほどの虫はいないそうです。Tがトカゲを捕まえたらしっぽを置いて逃げて行った話など他愛のない話を15分ほど楽しみました。
エスペラントを聞き取る練習になる動画を友人のためにユーチューブで探しています。子ども用のお話をいくつか見つけました。でも、大人は飽きてしまうでしょう。今日見つけたのは https://www.youtube.com/watch?v=ssDyNmcMU4M です。1954年ユネスコはエスペラントの目的がユネスコの目的と合致しているのでエスペラントを支持すると決議しました。その決議から60年を記念して作られたものです。声だけではなく、文が読めます。動きを止めて声を出して読むこともできます。そしてエスペラントの歴史的歩みを簡潔にまとめています。こんな素晴らしいテキストを利用しない手はないと今日友人に送りました。
『動画の最後にザメンホフの版画の肖像が出てきます。昔見た記憶があります。もしかしたら農民版画家、飯野農夫男さんのものではないでしょうか。ご存知の方、教えてください。』
私も、エスペラントの学習に飽きた時に繰り返し聞くつもりです。モンテビデオでのユネスコ決議について興味ある方は日本エスペラント協会のページを読んでください。
http://www.jei.or.jp/eo-unesko/
昨日の朝ジャガイモを植えた穴を確認したら、土が崩れ深さは10センチほどになっていた。土崩れの原因は?良い天気が続いたので土が乾いていて自然に崩れたのか、カラスが穿り回したのかわからないが放置することにしました。そうでないと自然農にはならないでしょうから。
書き忘れたこと:自然農で使う道具は稲刈り鎌一つだけ。穴掘りは鎌で柔らかくした土を手で掘るのです。結構疲れますね。何しろしゃがんで穴を掘るのですから。鎌で細かく土を刻み、草の根を切ることで土に空気をたっぷりと含ませるのだろうかと自己解釈しました。肥料は米ぬかしか使わないとのことでした。
今日午前中ホームセンターに行き、稲刈り鎌を買ってきました。
3月15日(金)自然農法講座に参加し、ジャガイモを植えました。皮が赤いレッドアンデスという品種で気候その他の変化にも強い品種だそうです。植え方が面白かった。40~50センチ間隔で穴を掘るのです。穴の大きさは直径25センチ、深さも25センチほど。穴の底に種イモを置き3~4センチ土をかけて手で土を固めて終わりです。芽が出たら、周りの土を崩して少しかけるを繰り返す。普通の方法では芽が出て、苗が成長するにしたがって土をかけてゆくので、畝は高くなって行きます。この方法だと土寄せの手間はいらないのです。収穫は6月頃になるそうです。その後また植えます。年に2回収穫できるのだそうです。
昨年収穫した高菜や白菜の残りからトウ(薹)が立ち黄色い花が咲いていまました。菜の花といえが小松菜が有名ですが、アブラナ科の花はすべて菜の花と呼ぶそうです。白菜と高菜の味は違うというのでつぼみの部分をかき取って持ち帰り、夕食に食しました。私は菜の花をわさび醤油と鰹節で食べるのが好きですが、味の違いを見るために素醤油にしました。白菜はとろける様に甘かったです。一方高菜の花は少し辛味がありましたが、さっぱりとしたさわやかな味でした。
帰り際に植えたい人に種イモをくれるというので数個頂戴しました。植える場所は無いのにです。ウッドデッキ横の昨年トマトを植えた小さな地面に植えました。もし収穫できたら、田舎の兄にあげようと思ったのです。兄はジャガイモが大好きです。毎年自分が収穫した芋から種芋を取り、数十年植え続けています。兄のジャガイモほど美味しいジャガイモを食べたことがないと言って良いほどです。その上、好奇心も強いのでこの赤い皮のジャガイモに興味を示すかもしれません。先日の姪のメールには、兄は30分ほどの短い時間ですが外に出て、雪を早く消すために雪割をしていると書かれていました。
帰宅しひと休みして早速穴を掘りジャガイモを植えました。家に入るなりカラスが飛んできて穴の周りから離れません。多分穴の中に私がジャガイモを置くのを眺めていたのでしょう。部屋のガラス戸を叩くと飛んでゆきますがまたやってきます。直径25センチほどの穴です。深さもそのくらい。体ことはいるの無理でしょうし、首を突っ込むのは無理でしょう。でもカラスは利口ですか。土を崩すとか他の手をあみ出すかもしれません。芽が出るまで油断できません。
1昨日夜来訪者。ドアを開けずに応対する。近くで工事していますがという声で玄関へ。最近水道・ガス工事も多く〇日は×場所で工事します、ご協力くださいなどとの挨拶も多いのでドアを開けた。突然、お宅無料で塗装しませんかと見知らぬ男性が、会社名や身分も明かすことなく、開口一番に言いました。
ただほど高いものはない!
子どもの頃、知り合いの話しで楽に利益を得る方法などを聞くたびに両親が言っていた言葉を思い出しました。
内容は塗装中に足場を作り周りをカーテン(?)で家の周り囲むが、そこに会社の広告を塗装中下げるというものでした。疑念がわく。塗装料金はタダでも足場解体代を払わなかったらいつまでも足場はそのままということだってあり得る。何しろ私たちは足場を解体するなどできないのだから・・・。私は笑ってその提案を断りました。
世の中にうまい話などそんなにあるわけがないのです!
さて、話題は変わります。今日は私がこのブログをはじめから5113日なるそうです。良く続きました。生活の様子を姉と交換するために他人には興味がないだろうと思うことも書きました。姉が亡くなって1年が過ぎましたが、まだ報告し続けています。おかしな話です!でもこの書き方が身についてしまいました。今更変えることもないとこれからも続けるつもりです。今日は私の誕生日です。70代最後の年です。どんな年になるかはわかりませんが、新しい年代に無事到達できるような生き方がだできたら素晴らしいのですが・・・。
3月7日木曜日、雨。エスペラントの帰りにスーパーに立ち寄ったらスーパー内の薬局の関係者がサービスで血管年齢を計測していました。いつもは多くの人が並んでいるので横眼で眺めて通り過ぎるのですが、誰もいないので測ってもらいました。
実年齢より9歳若いとのことです。喜ぶべきか!?
61歳の時、ちょうど同じ時期、雨の日、ある大型店で客がいないので血管年齢測りませんかと声をかけられ測ってもらいました。それ以来のことです。その時の血管年齢は50歳でした。つまり、実年齢より11歳若かったのです。
実年齢より9歳若いって!老いる速度は確実に早まっている、というのが私がとっさに感じたことでした。
昨日の午前中は姉から送ってきた大正時代に出版された日本童話集を拾い読みをする。ページはボロボロで紙はすぐにも破れそうなほどに劣化している。懐かしい物語が載っているけれど、自分が懐かしいと思っても世界に向けてエスペラントで発表するなど不向きだと改めて悟った。翻訳に適するものは民族を超えて心に訴える共通する何かを持っている作品でしょう!伝説とか昔語りとは日本人が自分たちの後世の人たちに伝えたいと願って残したものなので、他国には通じ難い面があるし、時には不愉快に感じる他国の人もいるかもしれない。自分なりの物語を創作するために昔の話は使えるでしょう。子どもの頃はお話を書くのが好きだったけれど成長して、自分には独創力が欠如しているのではと感じ、書くのをやめましまった。今更良いアイデアは浮かばないでしょう!ましてやエスペラントで。
昼頃、先日買っておいた日本のおやつを荷造りし郵便局へ。いつもはひな祭りに間に合うようにドイツにお菓子を送るのですが今年は送れなかったので春休みに間に合うように発送。春休みはきっと家族でどこかへ出かけるでしょう。その時に楽しめるように彼らの好きな日本製キャンデイとか小袋に入ったあられなどを送ったのです。
帰り道、チィッ、チィッ、ピッと小鳥の声。近所の庭の大きく伸びたバラの枝を巡りながらシジュウカラが数羽遊んでいました。春を実感する温かさでした。
先日、キッ、キッという渋い鳴き声を聞いた。初めて聞く鳴き声でした。低い常緑時の葉の間から聞こえる。木の周りを巡りながら見上げると子雀ほどの大きさの小鳥が3羽枝の上で動き回っていました。驚いたのはその羽の色です。子どもの頃我が家には数羽の鶏がいました。鶏にはそれぞれ名前がありました。その中にオウハン(黄斑?)と呼ばれているのがおりました。ダークグレイと白の羽が波打っているような模様の鶏でした。
小鳥の羽はオウハンに似ていて黒と白の縞模様に見えました。鳥の図鑑は持っていません。名前を知りたくても調べられない。名前は何?どうして今まで出会うことがなかったのでしょう?知りたがり屋の私の心に引っかかる小鳥です。
土曜日エスペラントの機関誌’La Revuo Orienta'を受け取りました。Okazos Monde(世界の行事)の欄に友人の名前を見つけました。春のエスペラント集会で指導的役割を果たすようです。
新年に彼から挨拶があったのに体調を崩していたのでエスペラント文を書く気力をなくして返信しませんでした。昨年はフェースブックで彼がポーランドのポズナムのエスペラントの講習会に参加している姿を目撃しました。でも、便りを書く気が起こらなくて・・・。
昨日、彼の努力と進歩を祝して、ご無沙汰のお詫びと共にメールしました。私たちの交流は新年のあいさつ以外はお互いに質問や気が向いた時(?)のみ、年に数回というだけの付き合いですが結構気持ちは通じ合っているように思います。
出会いは2000年だったでしょうか、スイスのショードフォンのエスペラン文化トセンターでした。彼はまだ初心者で自己紹介は紙に書いたものを読ませてくれました。紙に書いて示すのは会話が苦手な人が初めてあった人に自己紹介するのにとても便利な方法だと思いました。エスペラントを使っての一人旅、パスポルタ・セルボや個人を頼っての旅では迎えてくれる人がどの程度のエスペラント力なのかわかりません。自己紹介を書いておくことを初めて旅する方にお勧めします。