glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

久しぶりの晴天

2016-09-26 22:26:18 | 家族・友人・私
 私は掃除が苦手です。でも、久しぶりの晴天です。雨の日は掃除も憂鬱になるので今日は頑張って足ふきマットを洗濯しながら掃除に精を出しました。蒸し暑くシャワーを浴びなくてはならないほどでした。午後は無添加ソーセージを買いに行きました。

 この数日弟とメールのやり取りを数回しました。3歳年下の弟は中学生の頃スポーツでけがをした後遺症が60歳を過ぎてから出て今はかなり体が不自由になっています。昨年妻が散歩中に事故にあい急死し、一人暮らしです。父親思いの息子が自分の家の近くに家を見つけて引っ越しさせ、朝と夕は必ず父親を見舞って助けています。引越しをするまでは車を運転していましたが、義妹の法事の後に訪ねたら、電動付きの三輪車を買ったところでした。弟の新居は曲がりくねった狭い路地の奥にありました。私が入り込めないような路地でした。車は?と甥に聞いたらばらばらになったと彼は笑っていました。
 弟は足だけでなく指の動きも悪くなっていますが、それでも炊事は自分でしています。昨年あたりからでしょうか、回顧録をかき始めましたが、息子、娘、甥姪は読んでも、話相手にはなりません。年齢の近い私だけが彼の記憶と重なる記憶を持っています。不自由な手でパソコン打っている弟を思うと、ついつい便りをかいてしまう私です。戦後の私達の思い出には混乱の中で苦しんだ人達の記憶が沢山出てきます。昨日も今日もその思い出のために気鬱な日を過ごしました。
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本屋で

2016-09-18 15:06:14 | 福祉と教育
 そろそろMの誕生日に向けて本を選ぼうと買い物ついでに本屋に入りました。数組の親子が立ち読みしていました。私の立ち寄る本屋の片隅にはテーブルといすが用意されていて立ち読みを許しています。絵本売り場のところのも数人座れる椅子が置いてあります。親子は良くそこに座って本を選んでいます。

 今日見た母と娘。母親は40歳ぐらい。娘は2歳ぐらいでしょうか。母親は本を選んでいる様子もありません。立っているだけです。娘は本棚をいろいろかき回わしていましたが。そのうち紐でくくった雑誌を広げようと、床にたたきつけはじめました。母親はそれに合わせて云々うなづいていましす。まるで肯定しているように見えます。椅子に座った5~6歳の子がそれを眺めていました。それに気付くと雑誌を取り上げて小さな絵本を渡しました。娘はうまく開けません。うんうん云いながら本を開こうと引っ張ったり、床に打ちつけたらしていました。
 他の棚の前の平積みの本の上に8センチほどの人形が置いてありました。だれか落としたかもしれないので私は店員に渡しました。しばらくすると店員がその人形を持って本を開いています。その人形は絵本の一部だったようです。ふと気がつくとその母と娘は消えていました。床にはさっきその子の遊んでいた絵本の帯封が千切れて床に落ちていました。

 自由に手に取ってみて良いと云っても商品は商品です。さてこの母親はこれからどう子どもを育てて行くのでしょうか。老婆心と云えば老婆心。でも、やはり気になります!
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ただいま充電中

2016-09-17 12:00:38 | 家族・友人・私
 充電中といっても今までと違ったことをして気分一新というのではないのです。体のバッテリが切れてしまったようです。今週の月曜日から朝になっても目が覚めません。気がつくといつも8時ころ!今年の夏はとても暑かったのですが体力十分。元気な毎日でした。今日ももし、1日中寝ていて良いと云われたら眠ていられそうな感じです。
 これではいけないと昨日の午後は雨もやんだので散歩に出ました。川岸など3キロばかり歩きました。蒸し暑くて汗をびっしょりかきました。帰宅してもやっぱり眠いのです。目を覚まそうととシャワーを浴びました。それでもやっぱり眠くって・・・。

 どうしたらこの状態から抜けさせるか思案中ですが・・・名案も浮かびません。

 
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ゴーヤのキムチはどうでしょう?

2016-09-12 15:38:22 | 衣・食・住
 今朝は大分涼しく、秋の気配がします。ゴーヤもそろそろ終わるでしょう。ゴーヤをカレーに入れると云う話を聞いたことがあります。辛味と合うかもしれません。生のゴーヤをちょっぴり切ってキムチの素をつけて食べてみました。 大丈夫そうです。
 今朝取れたのも含めて20本ほど種を取り除きただひたすら薄切りにしました。この作業もいうなればボケ防止の作業かもしれません。そのまま漬け込むと多分ゴーヤの水分沢山ですでしょう。そこで梅干しを干すざる2枚に広げて干しました。雲が出始めましたがかなり乾燥したようです。
 途中ででひっくり返しました。ふと見ると塀の向こうに垂れていたゴーヤのツルが駐車しておいた車のアンテナに絡みついています。手を延ばし蔓を切り上に引き上げたら陰から30センチほどのゴーヤが2本でてきました。

 ゴーヤはまだ頑張って実を付けるつもりでしょうか!ゴーヤは本当に頑固でたくましい植物です。
 
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サルトリイバラ

2016-09-11 23:16:30 | エスペラント
 また、昔読んだ児童書を開いています。児童書と云っても堂々の400ページ。もしこれをエスペラントに翻訳するとしたら何年かかるでしょうか。日本の児童文学が世界の児童文学と比べて劣っているとは思いません。イギリスやフランスの児童書は沢山読みました。それだけ日本語に翻訳してくれる人が沢山いると云うことでしょう。そう思うとちょっと悔しい思いがあります。
 知力・体力・気力が継続して、健康だとしたら90歳まで生きたら仕上がるかもしれないと思ったのですが自信はありません。でも少し考えを変えてみました。途中まででも、あるいは粗削りでも、翻訳してあったら後輩に託すことができるかもしれません。そんな人が現れることを信じて、取りかかることにしました。所が出てくる出てくる、沢山の植物が・・・。

 以前「ニルスのふしぎな旅」を読んだ時、スカンジナビア半島の固有の動植物が次々と出てきて苦労しました。ヒツジ草なんて想像もつきませんでしたが、それが分からなくともいつか機会があったら聞いてみることにして読み続けました。そう思うと、外国人が分からなくっても、これは何だと読む人の空想力を刺激するように、できる限り正確に訳した方が面白いかもしれません。タラの木などは辞書にでていたので嬉しくお思いました。分からなかったのはサルトリイバラ。調べたらサンキライもこの種に入るそうです。
 子どもの頃バラの花が咲いたら、川でで泳いでも良いと云われていました。当時はまだ原野が残っていました。道路を通って行くと川まで20分ほどかかります。ですが、藪のある原野を走って行くと5分ほどで到着します。40~50センチほどに草の伸びた藪のある原野を川で走りました。藪にはサンキライが伸びていてい、その棘に引っ掻かれると赤くはれていたかったことを思いだしました。サルトリイバラとはサルをもひっかけると云う意味だろうと解釈しました。
(本当に子どもの頃遊び呆けていたことがこんな時に役に立つのですね!)

 さて、エスペラントでどう命名しましょうか。dornoでもveproでも楽しくない。数日辞書を片手に考えて先程思いついた訳がsimiohokoです。釣針がfisxhhokoならvepro de simiohokoで良いと先程思ったのでした。
 毎日、楽しく遊んでいるような日々が続いています。
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気まぐれ文法:2

2016-09-06 09:03:47 | エスペラント
 昨日は冠詞についてし調べましたので、ここに載せます。

  冠詞:la
 エスペラント文を書いていると冠詞を付けるべきがとうが悩むことが多いです。息子はドイツ語を専攻していました。たった一つの冠詞に悩むのはおかしい、ドイツ語は3個あり、それも格によって変化するのだぞと笑われたことがあります。その頃取ったノート。エスペラントで書いてあるのを訳しますので日本語がおかしかったらごめんなさい。

太陽とか月とか世界に一つしかないものに冠詞を付けることはみなさんがごぞんじでしょうから省きます。
一般に、landoj, urboj,maroj, riveroj, montoj, lagoj には冠詞を付けない。
ザメンホフは物の名前の前には冠詞を付けなかった。

Lakto estas pli nutra ol vino.
Malfeliĉo ofte kunigas la homojn.
Tamizo estas pli mallonga ol Danubo.
Usono estas granda lando.

しかし慣習としていついている物はつける

La Ruĝa Maro
La Norda maro

人の名には冠詞はつけないが告示する時は冠詞を付ける。
Adamo donis al sia edzino la nomon Eva.
La reĝo Salomo.

所有の形容詞に替えてlaを付ける。
Li levis al ŝi la manojn.
Ĝentile li levis la ĉapelon.

以上が古い辞書に載っていなかった例文です。新しいエスペラント日本語辞典にはそれはそれは詳しい記述があります。あまり詳しくてすぐに理解するのは難しいですが、必要に応じて読み解けばよいかと思いました。辞書を読んでいて新しい知識を得ました。
Rivero Kitakamiとla rivero Kitakamiの違いです。
前者は“北上川”、後者は“北上という川”と読み解くそうです。

知らないこと、本を読んでいても気づかないことがいっぱいあると分かった私です。
また必要に応じて辞書を読み返すことにします。
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ゴーヤの肉詰め

2016-09-04 15:10:54 | 衣・食・住
 今年は自分で播いたゴーヤもモロッコいんげんも芽を出しませんでした。ハトが来ていましたから食べられたのかもしれません。モロッコいんげんは種を買って播き直し、ゴーヤ5~6本苗を買いました。以前姉からも立ったモロッコいんげんは莢が長く数本で一食分のおかずになりましたが今回のは10数センチしかなりませんでした。種にも良いものとそうでないものがあるのですね。それも先日の台風で枯れてしまいました。普段は潮風を感じませんが台風になると植物がダメになります。ゴーヤと云えば30センチほどの長さの立派なものが次々となります。とても食べきれず、木曜日は友人に持って行き、夫もボランティア仲間に配ったりしています。もう食べ飽きてどうしようと思い、ナスやちくわなどと煮物にしてみました。これは好評でしたので、大量のゴーヤを消費するために肉詰めを作ってみました。ひき肉は脂肪が多くて嫌なのでもも肉を引いて使いました。

 先ず分量。ゴーヤの本数は分かりません。
 豚もも肉:400g、ニンジン1本、プランターからニラを一束分ほど、収穫したばかりのししとう10本ほど、高野豆腐を粉にして100g、卵一個、塩・こしょう少々。肉をミンチにする時にみんな一緒にミンチにしました。

 ゴーヤは5~6センチの輪切りにして、中の綿と種を取り除きこのミンチを詰め、切り口に片栗粉をまぶし、肉のうまみが逃げないようにしました。

 なんと直径28センチのフライパンに二つ分の量になってしまいました。ゴーヤは少し甘味が強い方が食べやすいようですので、普段は砂糖を使いませんが砂糖を使いました。

 調味料はいつも適当ですがブログに載せるために2どめの時にはかりました一鍋分です。。
 酒:100cc、水:300cc、黒砂糖:大匙3:醤油:大匙3
 水分が少ないのでゴーヤは汁から出ています。クッキングぺ-パーで落としブタをし、煮立ってから弱火。途中でひっくり返して、10分ほど煮ました。その後コロコロと転がしながら中火で汁を煮詰めました。切り口につけた片栗粉でとろみができ結構美味しくできました。
 今日の主采もゴーヤの肉詰めにして、調理をサボろうと思っております。高野豆腐などが入っているせいか、大きさはほとんど縮みませんでした。具にスープなど加えた方がもっと柔らかく出来たかもしれません。

 昨日農家のおばさんが野菜を売りに来ました。お宅のゴーヤは立派だと、外に落ちた種を拾っていました。

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文法

2016-09-03 14:14:47 | エスペラント
 エスペラント文を書いて見て、文を読むよりも書く方がいかに文法的知識が要求されるかを実感しました。10年間に販売されたエスペラント日本語辞典には幾つか例文が載っている単語が多く使いやすくなったと云われています。しかし50年前の辞書にはほとんど例がありません。
 エスペラントを始めたころ文がかけるようになりたいと思い自分が苦手な前置詞や動詞の文を例文として書き残しましたが、あまりにも昔のことで自分が書き写して文があったことなのどすっかり忘れていいまいた。
 前置詞の使い方で自分が一番間違った使い方をしたのが“da”でしたのそれを捜したらありました。使い方の例と使ってはいけない例までメモしてあったのです。これをそのまま処分してしまうのはもったいない気がします。もし興味のある人がいたら使ってほしいとこの数日暇を見ては復習を兼ねてパソコンに打ち込みました。学習の役にたててくれる方がいたら嬉しいです。

前置詞: Da
“Laŭokazaj Lingvoj Notoj”より
Ĉiom da tio = ĉiom el tio (P.54)
Da を次の物の前に置いてはいけない。
冠詞、指示、数、所有、等の代名詞あるいは形容詞 
例文
 Donu al mi kilogramon da pomoj.
 De la tablo ŝi prenis pecon da ŝtofo.
 Liveru la difinitan nombron da brikoj.
 En la ĉambro ni trovis multe da libroj.
 Iom da malŝato troviĝis en la sirento

Daの前に量あるいは測定の単語は名詞か副詞である。 量や測定を表さない単語の後にdaは決して使わない。
 Tio signifas por mi grandan perdon de tempo.
 La manko de mono estis por lit re malagrabla.
 Tiu speco de floro estas bela.

量や測定の表現であってもdaを使わず、deまたはelを使う例
:A laの前
 Peco de la viando, kiun li kuiris, kuŝis sur la tablo.
 Multe el la kolekto restis en biblio teko.
: B tiu, tio, mia, via k.t.p.; mi, vi, ni k.t.p.; ĉiu, tutaの前
 Bonvolu vendi al mi duon metro de tiu ŝtofo.
 Ĉiuhore kreskas la nombro de niaj partianoj.
 Li loĝas tie la lastajn dek jarojn de sia vivo.
 Tiom el ili ĉe estis la kunvenon, ke la ĉambro estis prena.
 Partoprenis la bankedon granda nombro el ĉiuj kongresanoj.

C: 分数(frakcioj)の後ろはdaを使わない
 Li aĉetis duonon de torto.
 Mi atendos vin ne pli longe ol dum kvarono de horo.

名詞的数字の後に数詞がない時はdaを使う
 Milionoj da homoj loĝas en tiu granda urbo.
 En la mondo vivas nuntempe proksimume tri milradoj da homoj.

数詞の前に名詞的数字がある場合はdaを使わない
 Du milonoj, ducent mil kvarcent tridek kvin vizitantoj vidis la ekspozicion dum tiujaro.
mil, cent, dek に普通はdaは使わないが名詞にした時には使う
 Kvin mil ekzempleroj vendiĝis en la daŭro de tri jaroj.
 Ducent kongresanoj aŭskultis lian prelegon.
 Miloj da bestoj mortis pro grandskalaj inundoj.
 En lia boblioteko troviĝas centoj da esperantaj libroj.

 その他:ĉiom da mia oro donos al vi. と云う方はこの法則に反する。→mian tutan oron mi donos al vi と云うべきである。

Fakto kaj fantazio p. 107




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