glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

文化とは?

2006-11-25 08:23:34 | エスペラント
 先週、11月17日18日の2日間、横浜にある展示場パシフィック横浜に横浜エスペラント会も展示をし、来年の横浜で行われえる世界大会に向けて宣伝をしていました。

 そこで、同伴の彼女に話しかけている若者の言葉が未だに気になっています。

 エスペラントとってしっているかい。エスペラントは人が作った文化の無い言葉だよ。そんな言葉を話す人がいるなんて信じられない。

 それ以来文化とは何かということが心をはなれません。

 ヨーロッパでラテン語が世界語であった時期にコメニウスは生活の向上のために女性も子どもも教育しなければならない、そのためには分りやすい共通言語が必要だと考えました。その考えに同感した多くの人が共通語を作ろうと努力し、その結果生まれたのがエスペラントです。そのようなエスペラント誕生の思想的歴史は文化とは言わないのでしょうか?エスペラントはヨーロッパの思想の一つの具現化であり、その思想に基づき生み出された文化だと私は思っています。

 エスペラントを話す人は自国語を持っています。また、自国固有の文化を身につけているといえるでしょう。人が人を理解すると言う事はその人の背景にある文化を含めて理解しようとすることです。自分を白紙にして相手を理解しようと努力する、これもまたエスペラントの文化といえるでしょう。
 そのような事をどう表現すべきかなかなか難しい事です。

 ある人がいいました。エスペラントは英語に負けましたね!

 そんなことはないですよ。英語はビジネス語でしょう!英語を話す人が互いに理解し合いたいと努力しているわけではないでしょう?
 相互理解をしようとする言葉としてはエスペラントが勝っていますよ!だってエスペラントは個人の相互理解を目指していますし、それに賛同する人の集りですから・・・。英語が話せるからといってすべて人が英語で相互理解しようと思っているわけではないでしょう!もし英語人がすべて相互理解の思想を持っているとしたら英語圏のエスペランティストは激減するでしょうね!

 先日もそう話しましたが、これが私の決り文句です。さて、上手な論理的はなし方はないでしょうかね。





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楽しんでいます!

2006-11-20 07:48:59 | 家族・友人・私
 先日、酵母パンの講習会の記事を見つけました。以前からやりたかったのですが作っている方は時間がかかるけど簡単よというもののまるで企業秘密のように教えてくれません。
 そこで今回遅ればせながら習おうと思いました。
 
 実は習い事が大嫌いで、エスペラントも、織物も初歩の手ほどきを受けただけで全て独学です。パン作りも本を片手にはじめましたが、自分のちからはこんなものと認識し、楽天的に取り込めばなんでも結構うまく行くものです。駄目だったと言う人は最初から師範並の結果を自分に要求する人だと私は思っています。

 ところがです、講座は満員でした。

 インターネット時代に作りかたを教えるページがあるかもしれないと調べました。見つけました。

http://members3.jcom.home.ne.jp/yeast/koubo/index.html

 早速実行です。仕込んだのは16日です。今朝発酵を始めていました。毎日レーズンと水を入れたビンを目にするあたびに振りつづけていたのです。発酵には新鮮な空気が必要だそうです。

 昨年春より中止していたパン焼きを開始しようとワクワクしています!

 ただ、成功した時冷凍庫に保管してあるドライイーストを誰に押し付けようかと悩んでいます。

       

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太陽光発電

2006-11-17 08:19:48 | 衣・食・住
 5月末に現在地に引越しました。日当たりのよい事この上無しです。太陽熱を利用するのが良いと温水器とか発電とか色々考えました。
 以前、温水器を30年近く使って知人に経済効果を尋ねたら、ようやく元が取れたか取れないかと言う状況と言うことでした。良いのは太陽の熱でお風呂に入っている感覚と言うことでした。

 太陽光発電について調べました。出資金を回収するのに天気頼みですから早くて20~30年かかるのです。夫は自分は生きていないと言います。それは私も同じことです。

 悩みましたが将来の資金の中から光熱費を先払いして太陽光発電をはじめました。一昨日の夕方から機械は作動し始めました。

 機材は半永久的で地震で家が崩壊しないかぎり大丈夫ということです。気になるのは個人の資金がどれだけ地球温暖化防止に貢献するかということです。

 設置まではとても忙しかったです。行政からの補助金の件数が決っていて、件数を越えると貰えなくなるから急いだ方がよいと言われまさにバタバタと駈けずりまわりました。

 屋根が狭いのでパネルは8枚です。
私と同じ事を考えている方のために1~2ヶ月後成果を発表したと思っております。
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サリバン先生の平和教育

2006-11-10 08:46:05 | 平和
 あるアメリカのNPO団体に所属する平和学専攻の女性の学校での出前需業を偶然テレビ見ました。
 友人から学校で平和や国際理解に関する授業サポートするグループに参加したがまだうまく機能していないという話しを聞いて帰宅したところだったのです。疲れて椅子に座り何気なく入れたテレビから現われた平和授業。吸い込まれてみてしまいました。

 このNPOで平和を選考したただ一人の人だそうです。彼女は広島長崎のを訪れ、平和について語らなければと思ったそうです。それも生徒たちに体感させることが大切であると。

 彼女が使っていたのはパチンコの玉のようなボールでした。その玉ひとつが長崎に落ちた原子爆弾とすると現在は2600個の核爆弾が地球上に存在しています。長崎広島の惨状を話し聞かさせた後で、彼女は金属の入れ物に一つ落とします。その音を生徒達は耳を済ませて聞いていました。その後、残りの2600個マイナス1個の玉を金属の入れ物に落し続けていました。目をつむって生徒たちが現在存在する核の多さを耳で感じていました。本当に素晴らしい授業でした。

 数年前、もしも世界が100人の村だったらと言う授業を見せてもらいました。この日本のNPOは生徒の数にあわせて状況をを変えて行っていました。

 最後に食料としてもビスケットが配られたのですが、最貧のグループのビスケットの数が1個足りなかったのです。ひとりがみんなと分けるのはイヤと隠し持っていたいたのでした。

 この飽食の世界でさえゲームに夢中になるとそんな事が起こります。現実にはもっとひどい事が起こりかねないことの象徴のようでした。

 平和教育と言うのは事実の伝達だけでなく、論理的でありながら感覚的に訴える方法が必要だと思います。多くの知恵を寄せ集められたら良いのですが・・・。
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菜の花の黄色に寄せて

2006-11-07 08:59:42 | 家族・友人・私
 菜種を蒔いた話しを書いたら、ブログにいつも花の写真を載せているブログ仲間から次の話しを貰いました。

 
野の花 (あまもり) http://blog.goo.ne.jp/biragoyan/e/7c77e545bc50c029b14cd3e9f4eca86a
 ばらまいただけで芽が出るとはさすが野の花です。
菜種の話、子供の頃に何の本だったのか覚えていないのですが、都で一旗上げようと母を残して京に上った息子が、人の噂にも上るほどの盗賊となり、目が見えなくなった母は、そんな息子のことを知ってか知らずか亡くなってしまった。大金を抱えて帰ってきた息子は母が死んでしまったことを知り号泣して野原にその大金をばらまいて姿を消した。翌年野原には黄金の花が咲いた。これが菜の花だった。
とこんな話なんですが、なぜかいつまでも覚えているのです。
淀川の堤防で黄金の花を見て、菜の花だ!と思ったのですが、それはセイヨウカラシナ。花は似ていますが、辛子は取れても油は取れません。ちゃんちゃんですね。
菜の花屋敷で、モロヘイヤのご馳走、いいですね。

似たような話の。(serena) http://blog.goo.ne.jp/serena_2005/e/31af093758dc5090dd94cb501e1b5bcf
映画を見たことがありますよ、あまもりさん。
話の筋は全く憶えていないのですが、有馬稲子という美しい女優さんが娘の役で母親は誰だったのかも判りません。母が重病で薬代が高い。その薬を買いたくて普段言い寄っていた好きでもない金持ち男の二号になる決心をした娘が、身を売ったお金を持って帰宅すると母は冷たくなっていた、と言うものです。娘は号泣し持っていた札束を部屋中に放り出すというシーンまでしか覚えていません。お札は飛び散ったけれど花にはなりませんでしたが。。。
娘の心情が痛ましく、それで何時までも覚えているのでしょう。どんなに口惜しかったかと。
    

  人の連想とは本当に面白いものですね。子どもの頃聞いた話は全て覚得ているわけではないのにいつも心に引っかかっています。何故かそれは頼りなく心の三日月にぶら下がって居るようで忘れそうですが忘れられずにいるのです。
 学校嫌いで滅多に学校へ行かない私に母は色んな話しをしてくれました。それは多分本で読んだ話、人から聞いた話と自分の想像を入れた部分とゴチャゴチャになっていたに違いありません。

  菜の花が野の花とは知りませんでした。

私にも黄色い野の花の思い出があります。背丈10~15センチ。花の直径は2センチ足らず。黄金色に野原いっぱい咲いていました。その花の名を母に尋ねると<こがね草>と答えました。

 昔、昔、貧乏な女の子と母親が山の上の1軒家で暮らしていました。母親が病気になりましたがお医者さんを呼ぶお金がありません。少女はこの黄金色の花から金が取れるかもしれないと思いました。少女は花を摘み鍋に入れ、薪を広い外でぐつぐつと煮ました。花はドロドロになりましたが金は出てきません。少女は泣きながら煮続けていいました。旅人が通りかかりました。旅人は水が欲しいと所望し、何をしているかと少女に尋ねました。
 少女は母親の病気の事、花の金色がお金に変るかも知れないと花を煮ていることを話しました。
 旅人が冷たい水が欲しいと所望したので少女は泉まで水を汲みに行きました。旅人は少女を哀れと思い、彼女の留守に金貨を一枚鍋の中に入れました。・・・・。

 当時私は6~7才。
 山の中腹に住んでいました。家の前に原っぱがあり、花で黄金色に染まっていました。その話から私は幾つか大切なことを学んだと思っています。

 今の子はおとぎ話は嫌いという人もいます。でも幼い頃の親の話はくだらないと思えることも奇妙に心の残ると信じています。
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菜種

2006-11-05 09:28:22 | 家族・友人・私
 引越しの際にたくさんの菜種の種を見つけました。

 菜種の種と言うべきか、菜の種と言うべきか迷っています。

 室生犀星だったか、三木露風だったか子どもを亡くした時の詩に
 菜種の花は遠くかなたに波をつりて
 いまは、はやしんににさびしいぞ
とか何とか詩っていたのを思い出したので菜種の種と言うべきでしょうか。
 とにかくその種は夫が数年前に取ってものです。もう芽はでないかも知れませんが、ゴミ箱に捨てるには忍びなくもってきました。

 今の家は庭は無く少々地面があるだけです。思い切ってその上にばら撒きました。夫は植えるならちゃんと土を掘って・・・云々と言ったのですが、芽が出ないだろうし、運の良い種だけが生き残っているだろうとか屁理屈を言って蒔きました。

 それがです。密集して芽が出ました。

来春はどうなっているでしょうね。菜の花屋敷(?小さくて屋敷とは言えない!)でしょうか。

 今の楽しみはモロヘイヤの種です。プランターに植えたモロヘイヤを一本残しておきました。まだ7~8センチの青虫大の鞘です。種が落ち、来年芽が出たら客達はモロヘイヤばかり食べさせられるかもしれません  
コメント (4)
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