glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

続食事会

2019-02-26 09:50:58 | 家族・友人・私

 用意した食事は手巻きずし・吸い物・サラダと蒸野菜。飯台は一つしかないのでテーブルの真ん中に置き、みんなが椅子に座ると手が届かない。居間は狭いのですが座卓を二つ置きました。真ん中に飯台を置くと一番遠いところに座った人でもちょっと身を起こすと手が届きます。手狭ということはそれなりに良いところもあります。Mは自分で作るの?と言いながら、いつもの倍は食べたでしょうか。

 ご飯の量が見当つかず沢山炊いたらすし飯が余りました。私たちは食べきれませんが、子どもたちは家に帰って食べるかもしれないとシラスのふりかけを入れおにぎりにし海苔を巻ました。Nのお祝いなのにあと片づけをNに頼むのもおかしいので後片付けも私。私は疲れました。休みたいけれどまさか一人自室に閉じこもるわけにはゆきません。Nがラオス人というのはこんな時は便利です。ラオス人は居間でみんなで昼寝をするのです。Nにソファから退いてもらい私はソファの上で横になりました。Nもざぶんとを敷いて横になって休んでしました。MとTがテレビを見たりヨーヨーを奪い合ったり、図書館で借りてきたドラえもんの漫画を読んだり、大騒ぎしていましたが、我関せず私たちは休憩しました。子ども達の相手は彼らの伯父の役目。父親は買い物へ。3時近く父親がMに’いつ帰る?’と聞くと彼は夜までいると動こうとしません。

 遊んでやらないと帰宅する気も起らないようなので散歩に行き、散歩の後でお汁粉を食べて家に帰ったらどうかと提案したら大喜び、N・M・T・子どもたちの伯父・私の5人で散歩へ。近くの児童公園へ行きたかったのですが、川を散歩して遠くの児童公園へ行きたいそうで遠くの公園を目指しました。N・M・Tの3人は小川に草の葉の船を流したり。魚釣りと称して落ちていた小枝や竹を小川に突っ込んだり。特にチビのTは川岸ぎりぎりまで近寄るので目が離せません。私は始終彼が背負っていたリュックを掴んでいました。

 公園でNが最近の学校行事に参加した時の様子をスマホで見せてくれました。1年生全員の行事です。ハーモニカの合奏、縄跳びなどです。その他に昔の遊びというのがあってコマ回しとかお手玉とかいろいろあったそうです。

‵Mは楽しいよう(注釈:Mは楽しんでいる)。ラオスではこんなことないから、にほんはいいねえ!’ 以前聞いた話ですが、ラオスの授業には音楽や体操はないそうです。読み・書き・計算を習うだけとでした。

 大人が子どもを大切にするなら日本の子どもは幸せな制度下にあると言えるでしょうが、最近児童虐待のニュースがあまりにも多くて悲しく、また、情けないです。

 4時過ぎたら急にさむなり慌てて帰宅しました。帰り道、Mは新しく得た知識をいっぱい披露してくれました。例えば道端に咲いていたたんぽぽの花を取り、西洋タンポポと関東タンポポとの違いは何かとか・・・。

 帰宅後急いでお汁粉を準備。Mはもち3個で2杯たべました。父親と同じ量でした。甘いものをあまり食べないTも’ごはん、ごはん’というのでおにぎりは?というと’おぎにり、おぎにり’といいなが子ども茶碗で8分目ぐらいの量の小さなおにぎりを2個も食べなした。多分、夕食はいらなかったでしょうがたまにはこんな変則も許されるでしょう。

 5時過ぎ、息子家族は満足して帰ってゆきました。もちろんNにもお小遣いをあげました。

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食事会

2019-02-25 23:21:56 | 家族・友人・私

 日曜日はNの誕生日だったので土曜日の昼に食事会をしました。先週はまるで’一週間の歌’のような生活でした。

日曜日は小豆を洗い

月曜日は小豆を煮たよ

火曜日は皮膚科に行って

水曜日はエスペラント

木曜日はお餅を作り

金曜日は買い物に行った

土曜日はお料理をして

それをみんなで食 べ た

チュラチュラチュラチュラチュ ララー、チュラチュラチュラチュ ララー

無理をすればこんな風に歌えそうです。

25日朝、ここまで書いたのですが中断続きが書けませんでした。続きは後日かくことにしましょう! 

Nのための食事会ですが、先日Mに今度来る日はお汁粉を用意しておくと言ったので準備だけはしておこうと思ったのでした。何しろ子どもの記憶力は大人が考える以上に良いのです。口に出して言わない事があってもです!

 

 

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2019-02-22 10:04:17 | 家族・友人・私

 91歳の姉がいます。彼女の楽しみは思い出話を書くことだそうです。でもそれは一方的に姉の思い出を書いてくるのですから赤ん坊のころの記憶のない私には腹立たしいこともあるし、私の記憶に残る幼年時代のできごとは私の感覚と真逆こともあるので読んだ後で腹が立つこともあるのです。そんな時は反論はしない。書きたければ書けばいいでしょう!勝手にしろという思いで無言を貫き通します。先日は私にとっては腹立たしい彼女の思い出の後、「思い出を書くのは本当に楽しいです。退屈でしょうが付き合ってください」とありました。もちろん腹の立つことが書いてあったので返事をしませんでした。その後2度ほどメールが来ましたが体調が優れないので返信しませんでした。とうとう数日前電話がありました。帯状疱疹のことを伝えると翌日現金書留が届きました。やむなく電話…。私も後期高齢者なのでお見舞いをもらうほど治療費はかかっていないといったのですが、どうしても何かしたいようです。でも91歳姉から80歳近い妹が小遣いをもらうなど変な感じです。

 石鹸を泡立てよく洗うように医者に言われ化粧水をつけただけで薬を塗りなさいと言われ、毎日すっぴん。外へも素肌で歩いていると言ったら、自分の使っているアロエの化粧水は殺菌力があるから送るというので断ったのですが、今朝、もう届きました。アロエ99.6パーセントのものと86パーセントのゼリー状のものと2本入っていました。それに飴とかその他の駄菓子。

 妹は死んでも妹。姉にとっては保護の対象。それに愚痴に付き合ってくれるただ一人の人間ということでしょうか。

 

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セーター

2019-02-21 10:54:51 | 衣・食・住

 友人がセーターを編みたいというので毛糸を提供しようと長らく開かなかった毛糸の入ったケースを開けました。いつ編み始めたのか記憶のない20センチほど編んだセーターの編みかけが入っていました。色は薄茶色ですが、ピング味を帯びています。20数年前に家の近くにあった傾斜地の椿の花を拾って染めた毛糸でした。帯状疱疹はかなり良くなったのですが目の下の絆創膏がとれていないし、時々痒かったり痛みを感じるので本を読んだり、文を書いたりするほどの持続力がありません。この際だからとセーターを仕上げることにしました。糸が極太だったのでこの上なく温かいセーターができました。ブログに載せようかと写真を撮ったのですが、日差しの強いところで撮ったら、色が実物と全く違うのです。植物はいろんな色を持っているので光の強さによって色の見え方が全く違うようです。

 

 友人は細めの月桂樹の葉で染めた濃茶色を選びました。(先週のこと)セーターの上にある毛糸は友人が選んだ月桂樹でそめたいとです。実際の色は床と同じほどの濃茶色です。

 友人は昨日、本を買い、編み棒を持参しました。そんなわけで昨日はエスペラントの音読ではなく、大半の時間を試し編みして目数を数えたり(ゲージつくり)などに費やしました。あまり編み物はしたことがないというので最初のものは太糸で編んだらと言ったのですが月桂樹の茶色が気に入ったそうです。独り身ですから時間はたっぷりあるでしょうが("^ω^)・・・

 ともかくがんばれ!です。

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九日雪予報に

2019-02-11 09:40:26 | 家族・友人・私

 体調がすぐれないので正月以降孫たちとも会っていない。一週間ほど前Mは遊びに来たいというので九日に来ても良いと返事。ですが天気は雪模様。9時過ぎ雪が降りだした。交通機関が止まったらどうする?訪問をやめなさいと中止させたらそれはそれで不満になるでしょう。息子に電話。来るなら早く来てお昼を食べて急いで帰りなさい。日中なら雪が降ってもまだ凍っていないので車を走らせらることができると。家族で来る予定だったが早く帰るということだったからでしょう、Nは来ませんでした。テレビを見てお好み焼きを食べて私の車で帰ってゆきました。彼らが出発するとすぐにまた雪が降りだしました。

 連休ですから天気が良ければ家族で出かけるようです。孫たちも短い時間でしたが遊びにこれただけでうれしかったようです。Mはお餅が食べたかったと言います。Mの所望するお餅はお汁粉です。今度来る時には小豆を煮てお餅も搗いておくと言ったら喜んで帰ってゆきました。帰り直前、Tがピアノを引き出しMも負けじと・・・。Mは指の移動を上手にしているのでピアノ習っていると聞いたら習っていないそうです。学校で覚えたということでした。クラスは30人前後です。少人数のクラスは良いですね。いろんなことができるようです。そういえば暮れには自分たちが育てたという大きな大根を学校からもらって帰ってきたと言っていました。

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通院はつらい

2019-02-10 11:11:44 | 家族・友人・私

 いつだったか病院が好きだと言っていた人がいました。私にとって長く待たされる通院はすごくつらい。帯状疱疹とは知らなかったし、皮膚科がお休みだったので痒い皮膚をひっかかないようにとバンドエイドを貼った。ところが朝起きたらバンドエイドがはがれない。無理にはがしたらなんと皮膚まではがれてしまった。眠っているうちに痒くて上から擦る、一方では発疹し、それが崩れてバンドエイドにくっついてしまったらしい。1センチ×5ミリぐらいの傷ができてしまいまいました。その周りにできた湿疹はほとんど消えたもののこの傷が癒えないので週2回の医院通いとなったのです。もう行きたくないと思いつつ、顔の帯状疱疹はたいていは入院させますと言われたことと悪化した時のことを考えて真面目に通いました。8日金曜日は休みたかったのに医師に来るように念をされてしぶしぶ・・・。連休を控えているので待ち時間は3時間でした。近くのデパートの休憩用いすに移動し、見慣れない単語に鉛筆で線を引きなながら1時間読書。目の下の絆創膏が邪魔で疲れました。その後スーパーに移動し食料の買い出し。医院にもどって本を読みながら1時間待つ。来週は1日半しか診療時間がないせいか、傷の状態はとても良いの次の週でも良いとようやく言われました。

 読んだのは'Norda odeseado'(北の冒険とでも訳しましょうか)。夜鉛筆で線を引いた単語を調べました。ようやく39ページまで到達です。

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2019年グレジヨンの予定

2019-02-06 07:26:45 | エスペラント

 フランスの小さなお城グレジヨンの今年前半期の予定が届きました。

  • 2019-apr-26/maj-04 : 9a PRINTEMPaS, intensivaj kursoj kun Przemek Wierzbowski, Christope Chazarein, Marion Quenut
  • 2019-apr-28/maj-04 : 2a Migra-promenada semajno (en Esperanto) kun Olivier Buisson

が日本の連休と一部重なります。興味ある方は過去の参加者の感想など読んでください。

Greziljono apartenas al kelkaj centoj de esperantistoj. Greziljono estas ankaŭ via domo. Vizitu!

La kompleta programo laŭ gresillon.org/agendo
  • 2019-apr-12/16 : Ĥora (korusa) renkonto de Interkant’ kun Zdravka Bojĉeva
  • 2019-apr-12/16 LandArt, Arto kaj Naturo en Greziljono kun Nathalie Dubrulle
  • 2019-apr-26/maj-04 : 9a PRINTEMPaS, intensivaj kursoj kun Przemek Wierzbowski, Christope Chazarein, Marion Quenut
  • 2019-maj-03/04 : 9a PRINTEMPaS, internaciaj KER-ekzamenoj
  • 2019-apr-28/maj-04 : 2a Migra-promenada semajno (en Esperanto) kun Olivier Buisson 
  • 2019-okt-26 / nov-03 : 8a AŬTUNE la Esperanto-ferioj - kun halovena festo
 
BONVENON!!!
 
Maison Culturelle de l’Espéranto 
Adreso:      Grésillon, St. Martin d’Arcé, 49150 BAUGÉ-EN-ANJOU, France 
Retpoŝto:   kastelo@gresillon.org 
Retejo:       www.gresillon.org aŭ nur gresillon.org
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追悼文

2019-02-05 10:28:29 | 家族・友人・私

 友人の追悼文を書くように依頼が来ました。文字数570。つまり原稿用紙1枚半。どんな内容を盛り込めるか不安になり夜中に目覚め、眠れなくなりました。試みに書いてみると思い出のできごとを次々と削除しなくてはならず、まるで新聞の死亡記事を書いているような気分になりました。570文字に活動的であった友人の人生80年の出来事をどれほど盛り込めることができるのでしょうか。

 これから身支度をして皮膚科へ。

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