glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

 La lasta ceremonio de funebro: 葬送の最後の儀式

2017-11-29 08:52:40 | 家族・友人・私
En la 26a estis bela tago. Mi iris sola laŭ la bordo de Hanamigaŭa (gubernio Ciba). Sekaj miskantoj skuis sin en forta vento.
Apud la rivero estas tombejo. Familianoj de mia frato kaj mi enmetis ostujon en tombo, en kiu estas ostoj de mia frato.
 Belaj estis koloriĝitaj arboj.

Aldono
Budahisma pastro ĉantis sutron antaŭ kaj post enmeti ostujon en tombo. Mi rimarkis, ke en la sutro estis kelkajn modernajn frazojn. Mi unuafoje aŭskultis modernan ligvon, kiu estis miksita en sanskrita sutro.


* * *

 26日は快晴でした。私は一人花見川の岸を歩きました(千葉県)。枯れすすきが強風の中で揺れていました。
 この川そばに墓地があります。弟の家族と私は弟の骨をお墓に納めしました。
 紅葉した木々がとても美しかったです。

付記
僧侶は納骨の前と後にお経を唱えました。そのお経の中に現代語が入っているのに気が付きました。梵語のお経に現代語が混じっているのを聞いたのは初めてでした。

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Poŝtkarto de mia frato: 兄からのはがき

2017-11-25 11:13:33 | 家族・友人・私
  Hieraŭ mi ricevis poŝtkarton de mia frato. Tie orde vicas liaj literoj. En ĝi li dankis min pro informoj de nia forpasinta fratino, kiun mi sendis.
Li skribis jene;
 Hieraŭ neĝis. Vi ne malvarmumu.
Ni ne povas diri, ke vovoj de gefratoj estis ne longaj, tamen ankaŭ ne povas diri, ke iliaj vivoj esits mallongaj. Homoj devas rigardi homojn malaperantajn antaŭ si. Tiel pensante mi estis malĝaja.
Mia vivo baldaŭ finos. Ĝis tiam mi vivos sincere. Mi operaciis kokson kaj tie enmetis feran tableton kaj oston, kiu elprenis de miaj ripoj. Kracisto diris; mi povos pasi post jaro. Mi deziras veni tiun staton al mi.

 Mi kredas, ke skribante la leteron li konsolis sin mem. Ĉar ankaŭ mi konsolis min per skribado.

* * *

昨日兄からはがきを受け取りました。几帳面な文字が並んでいました。それは亡くなった姉について書かれたものを私が送ったことへの感謝でした。
 次のようなことが書かれていました。
 昨日、雪が降りました。風を引かないようにしなさい。私たちのきようだいの人生は長いとは云えないが、短いとも云えない。人は自分の前から人が消えてゆくの見ていなくてはならない。そう考えると悲しくなった。私の人生も終着駅に近づいていると思う。それまでは精一杯生きようと思う。私は腰の手術をしました。鉄の板を入れたち、肋骨を取って入れたりしました。医師は1年後くらいで歩けるようになるだろうと云っています。私もそうなってくれるように願っています。

この便りを書きながら彼は自分を慰めていたに違いない。私自身書くことで自分を慰めているのですから。

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 2017-11-24

2017-11-24 10:31:01 | taglibro: 日記
 En la 21a mi ricevis dikan koverton. Ties sendinto estis malnova amiko de mia fratino. En ĝi estis kopiajn fotojn de ŝia junaĝo. Mi devos respondi al li, tamen nun ne havas tempon.

 En la sekva tago (la 22a) mi ricevis iom grandan kartonan skatolon. La senditnto estis mia plej aĝa navo. Li trovis leterojn kaj poŝtkartojn senditajn de mi, kaj ankaŭ albumon, fotojn kaj dosierojn de mia junaĝo. Ili estis en la domo de lia patrino. En ĝi mi trovis leteron de mia patrino. Ŝi ordonis por ke mi nepre revenu hejmen kaj restu dum duono da somera libertempo. Estis varmega somero. Mi rekudris kovrilojn de peplomon(hutonon) kaj vatis ilin kun mia patrino en tro varmegaj tagoj. En tiu tempo mi kaj mia fratino kunvivis en Tokio, kaj hejme mi ricevis ŝian poŝtkarton.
En ĝi ŝi veis, ke ŝia kuiristo ne estis. Junaĝe ŝi tute ne povis bone kuiri.
Dosieroj estas rilataj al mia studo. En ĝi mi trovis paperon de kanto. La kanto lamentas pri mortigita studentino Kamba Miĉiko(1960-6-15). Mi ankoraŭ forte memoras tiun tempon.


* * *

 21日私は分厚い封筒を貰いました。送り主は姉の昔の友達でした。中には姉の青春時代の写真のコピーがありました。今は時間が取れませんがそのうち返事を書かなければならないでしょう。
 
 翌日(22日)大きめの段ボール箱を受け取りました。送り主は私のいちばん年齢の高い甥で、私が若いころに受け取った手紙類、学生時代の書類などでした。それらは彼の母親の家にあったのでした。その中に夏休みの半分は家に帰るようにと云う母の手紙を見つけました。暑い夏でした。私は母と一緒に数枚の掛け布団を縫い直し、綿を入れました。当時私と姉は東京で一緒に暮らしていたのですが、家で姉からのはがきを受け取りました。そのはがきの中で彼女は料理人がいないことを嘆いていました。当時彼女はほとんど調理ができなかったのです。
 勉強に関する書類もありました。その中に楽譜を見つけました。それは殺された樺美智子さん(1960-6-15)を悼む歌でした。当時のことを私は今も良く覚えています。

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2017-11-20

2017-11-20 11:04:35 | taglibro: 日記
Hiraŭ mi vizitis la hejmon de mia filo. Antaŭ la vizito mi telefonis al lia edzino N. Sed respondo ne estis. Mi restigis mian mesaĝon en ĝi, ke mi havas ŝlosilon de la domo, kaj se ili ne estas en la domo, mi metas miajn donacojn ene de la enirejo.
Kiam mia aŭto haltis ĉe la heltejo de la domo, ŝajnas al mi, ke aŭdiĝis infana voĉo. Mi sonorigis sonorilon, sed ne venis respondo. Mi deŝlosis kaj malfermis enirejan pordon. En sidĉambro estis N kaj ŝiaj filoj.
 Ili spektis filmon per persona komptilo. La lingvo estis tradikita al la Tailanda. Kiam ili estis en Tailando, ili ĉiam spetkis filmon de la japana. Sed nun ili ĝuas tailandan lingvon.


* * *

 昨日は息子の家に行きました。出かける前に息子の妻Nに電話しましたが返事がありませんでした。メッセージを入れました。私は鍵を持っているのでだれもいなかったら玄関を開け、お土産を置いておきますと。
 私の車が駐車場に止った時、子どもの声がしたようでした。でも、チャイムを鳴らしても応答がありません。鍵を開けて入るとNとその二人の息子はパソコンで映画を見ていました。タイ語の映画です。タイにいた時に彼らはいつも日本語の映画を見ていましたが、今はタイ語を楽しんでいるのです。
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Poemaro: 詩集

2017-11-18 09:13:22 | 

 Mi estis melankolia. Poemoj konsolos min. Mi aĉetis poemaron de Marjori Boluton. Ties titolo estas kontralte. Kontralto! Kion ŝi rakontis kontralte? Nokte mi legis kelkajn poemojn el ĝi.
Ba! Oj! Oj!
Ŝi versis siajn naturon kiel virino kaj perditan amon. Mi fariĝis pli merankolie.


* * *


 私は憂鬱になっていました。詩は私を和ませてくれうでしょう。マジョリ・ボルトンの詩集を買いました。その表題はコントラルテ。 アルトで! 彼女は渋い声で何を語るのでしょうか。夜に幾つかの詩を読みました。
オイ!オイ!何たるこっちゃ!
 彼女は自分の女として性(さが)と失恋を詩にしていました。
 私はますます憂鬱になりました。
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2017-11-17

2017-11-17 09:35:13 | taglibro: 日記

Temperaturo de ĉi-matemo estas pli malalta ol la hireŭa. Mia poŝtelefono tintis. Venis du mallongaj ret-mesaĝoj de mia fratino. Ŝi nun estas en hospitalo rompinte oston. Antaŭ la 7a kaj duono ŝi finis fizikan trejnadon kaj atendas matenmanĝon.

Hieraŭ K kaj T kaj mi kunvenis por legi libron, sed K tute forgesis, kion ni faras. Kompreneble ŝi ne havas legolibron! En la lasta ĵaŭdo ŝi ankaŭ forgesis ĝin kaj diris al ni ‘mi aŭskultos!’. Poste T diris al mi, kiel ŝi povos aŭskulti nin? ...ĉar ŝi diris al ni, ke ŝi perdis aŭdkapablon.
Tial mi diris al ŝi, ke bone, bone, ŝi povos aŭskulti nian legadon por trejni sian aŭdkapablon. Sed ŝi legis kun ni libron de T kun T.

En babilado T kaj mi rimarkis, ke K tute forgesis, ke ŝi partoprenis en japana Esperanto-kongreso.


* * *

今朝の気温は昨日より低い。携帯電話が鳴り姉からのショートメールが2通来ました。彼女は骨折して今病院に入るのです。7時半前にリハビリ訓練が終わり、今朝食を待っているとのこと。

 昨日はKとT と三人で本を読むために集まりましたが、Kは自分が何をしに来たのか忘れていました。もちろん読む本も持っていません。先週も本を忘れてきたのですが彼女は‘私聞いているわ’と云いました。後でTが私に云いました、彼女どうやって聞くのでしょう?・・・聴力を無くしたと本人が云っているのに。
 そんなわけで私はKに云いました。良いわよ、良いわよ、私達の読むのを聞いて聞く力を鍛えてね。ですが、KはTの本をTと一緒に読んでいました。

 その後、おしゃべりしながら気がついたのですが、Kは自分が日本エスペラント大会に参加したことをすっかり忘れているのです。
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 2017-11-15

2017-11-15 08:24:29 | taglibro: 日記

 Preskaŭ antaŭ du semajnoj mi ricevis ret-leteron de amikino de mia fratino, kiun mia nevino transsendis al mi. Ĝi estas sciigo al ŝiaj japanaj amikinoj pri forpaso de mia fratino. Mia nevino estas ankoraŭ ne lerta en la japana. Tial ŝi transsendis ĝin al mi. Miaj maljunaj gefratoj ne uzas ret-leteron. Por klarigi lastan situacion de mia fratino, mi devas presi kaj sendi ĝin al ili. Tamen mi ne emis fari tion. Finfine mi hieraŭ sendis ĝin al ili kun artikolo, kiun mia konato sikribis sur informilo de iu Esperata societo. Ĉar li skribis en ĝi pri renkontiĝo kun mia fratino.

 
* * *


2週間ほど前に姉の友達のメールを姪が転送してきました。それは姉の友人が日本人の友人たちに姉の死を知らせるものでした。姪はまだ日本語上手ではないのです。そんなわけで彼女はそのメールを転送してきました。これを印刷して老いた兄姉に送るべきとは思いましたができずにいました。昨日ようやく印刷し、知人がエスペラントの機関誌に書いた記事と一緒に送りました。と云うのもその記事には姉との出会いが書かれていましたので。
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孫たちへの贈り物

2017-11-10 09:01:32 | エスペラント
 ドイツから来た孫たちへの贈り物は本が2冊。
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 1冊は2009年ポーランド・ビアイストックの世界エスペラント大会で姉と共に買いました。二人ともいつか孫たちにエスペラントを勧めたいと思ったのでした。言語はドイツ語・英語・エスペラント・ポーランド語の4言語で書かれています。いつか日本語を付けようと話していたのですが、それはできませんでした。6年生になったばかりのEがエスペラントに興味を持ったので渡すことにしました。

 内容は大好きなパウロじいさんが病気で倒れ、車いす生活になる話です。先日同じ内容の絵本を見ました。私はこちらの本が好きです。と云うのは絵は数人の子どもが描いています。ですからページによっておじいさんの顔が違ってきますが、絵が好きな私達の孫にとっては自分も絵本を作れるかもと云う夢を持つかもしれません。4歳ごろでしたか、2男は画用紙に描いた絵を数枚持ってきて自分の云うことばを書いて欲しいと云いました。それを閉じて絵本を作りました。内容は忘れましたが、多分物置きのどこかに保管してあるでしょう。その子の娘ですからもしかして同じことを考えるかもしれません。


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 2冊目は『La nanoj en domo kun granda zelkovo』です。原作はいぬいとみこの『木かげの家の小人た』です。作者の文章はよどみなく流れるように美しい!内容は昭和18年から21年春までの自由主義者の家庭に生まれた少女の戦争体験です。とりわけ情景描写が素晴らしいです。むごい戦争を描くのではなく美しい情景を描くことで、作者は戦争のむごさ、庶民の悲しみを表現しています。 
 エスペラント訳がそれをうまく表現しているかどうかは分かりませんが、解説や解説に付けられた挿絵が内容を分かりやすくしています。Eも日本的な挿絵にも魅かれたようでした。

 絵や文章で直接語ることのできない平和を語ることは難しいことです。どうしても戦争のない世界、人種など出自によって差別されない、また経済的格差のない社会などと語ることで平和とは何かを考えることになります。その点でもこの作品は優れています。作者は単に西洋から来た小人だけでなくアマノジャクと云う日本伝統の小人を登場させることで、戦争物語として平和を考えさせる半面、楽しめるファンタジーの世界も描いているのです。

 Eの母親はドイツ人です。日本もドイツも戦争を起こした加害者です。いつか、エスペラントを学びこの本を読んで欲しい。そして平和とは何か、考えながら生きる人になって欲しいと云う願いを込めてこの本を贈りました。日本の若い人にも是非読んで欲しいです。

 私と同年齢の人が戦争の記憶を持つ最後の人でしょうか。戦争中の生活は60代の人にも理解しがたい事と思います。日本は今共謀罪とかが議論されています。それは戦前の治安維持法によく似ています。隣組と云うものもありました。それは互助組織でもありましたが、庶民がお互いに監視し合う組織でもありました。隣組の代わりになる組織はなんでしょうか。ツイッターとか現代はインターネットを使った組織が使われるかもしれません。

 
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エスペラント日本大会

2017-11-07 09:09:27 | エスペラント
 エスペラント日本大会が終わった。一緒に学習している体力気力が衰えている友人を誘うほど余力は私にはありませんでした。二日目の午後、古くからの友人が彼女を誘って連れて来てくれました。その日は多くの古い知人と挨拶しながら、知っている顔なのに名前が思い出せないと嘆いていました。
 大会三日目の午後も友人が待ち合わせてやって来ました。昨日より表情もすっきりしていて嬉しい限りでした。
 大会後、私は1933年生まれと云う友人と喫茶店に入ったら、彼女たちがいました。5人でワイワイと1時間ほどお喋りし、京浜東北線の石川町駅で、3人は横浜方面へ、私と彼女は大船方面へとわかれました。

 友人たちの力と云うものは誠に強力です。
 彼女は最近では、自分がなぜエスペラントをやったのか、なぜ続けているのか分からないと自嘲的に言っていました。ところが電車に乗った途端にエスペラントで話し始めました。“エスペラントは良いですね。何十年あっていなくとも打ち解けて話すことができる。疲れたけれど楽しかった。”と。

 私は彼女の降車駅の一つ手前で降りたのですが、それまでずっとずっとエスペラントで会話し続けました。

 このブログの所有者つまり私の名がばれているようなので、これは彼女と出会った方々への報告です。

 学習の曜日を変えてという要望があったので3人で相談しようと思っています。仲間同士支え合い、人生の最後に向かうことができたら素晴らしいと私は思うのです!
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うたげは終わった

2017-11-03 06:34:08 | 家族・友人・私


 火曜日、2男家族はハロウィンの街は避けたいと江の島散歩。私も同行しました。最近階段は歩いていないので頂上まで登るのはきつかったです。帰り、モノレールに乗ろうとするとバリアフリーのための工事とかでエスカレーターが無く、駅のある5階まで階段を上らねばなりませんでした。大船で食料を買い、重い荷物を持って家にたどり着きました。

 さすが子どもの頃に鍛えた脚です。翌日はすっかり回復していました。

 昨日は彼らの日本最後の日です。朝買い物を済ませ、昼ごろ、鎌倉の海で遊んでいる彼らと合流しました。2時間ほど一緒に遊びかれらのゲストハウスに行きました。15分ほどの距離と云っていたのですが、何と30分以上歩かされました。鎌倉駅から由比ヶ浜までの距離をたすと私にとっては十分な距離でした。夕食は3男の住む町の駅ビルですることになっていました。途中はEはエスペラントは難しいか、この言葉はどう云うのかと盛んに質問してきました。答えながらもあえてしなさいとは言いませんでした。ドイツでは6年生の成績で将来大学に行くか普通高校に行き、そこで職業を選ぶかが決まると云うことです。エスペラントは2年後に来た時に勧めるつもりです。

 ゲストハウスを出て駅へ。息子は地図で祇園山ハイキグコースと云うのを見つけ、鎌倉らしいところを歩こうよ、距離は短いと神社横から登山口と書かれた狭い道を入って行き、みんな後に続きますぃた。ところが、このハイキングコース大変な道でした。木の根につかまりよじ登る場所、逆に下る場所など起伏に富んでいました。息子は何の下調べもしないでこの道に入ったのです。地図に書かれた距離だけ見て歩く判断をしたようです。昔から無鉄砲な子でした。スキーをすると初めから直滑降でした。約束の時間に30分遅れました。

 夕食の時間は泣いたり笑ったり、賑々しく過ごしました。2年後の再会を約束して別れました。

 そろそろ宿を出発する頃です。午後の出発です。


 今日から日本エスペラント大会が始まります。

http://kamakuratrip.com/gionyama_hiking/
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