glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

思い出の町へ

2007-08-31 14:00:37 | Weblog
義姉の見舞いを口実にして思い出の町に行ってきました。

 昔その町は神宮寺町と言い、私は昭和19年~20年の2年間をこの町で暮らしました。亡くなった幼友達に弔意を表すためにいつか行こうと決めてから50年経ちました。幾度も汽車の窓から懐かしい間道林を眺めながらなぜか下車できませんでした。その間道林も汽車の窓から見えなくなっていました。

 友人の名前はキョウコちゃん。同い年です。多分20年の2月のことと思います。東京で空襲にあい両親と妹(?)を失い、中学生のお兄さんに連れられてこの町に来ておじさんのところに預けられました。お兄さんはすぐ学校へ戻ったので、私は2回ほど見掛けた記憶がありますが、彼女はひとりで肩身の狭い生活を送っていたようです。彼女の当時6年生だったおばさんが面倒見て欲しいと私と彼女を引き合わせました。以来1年間私たちは昼間はいつも一緒でした。

 親のいない子どもの生活がどんなにみじめか、彼女を通して私は追体験していました。父の転勤で別れなければならなかった時の悲しみを私は決して忘れません。

 町は変わっていました。私たちが住んでいた場所には保育園が建っていました。しかし、古い校門とか、乞食がお供えを盗み食いしていた学校横のお墓とか私の記憶そのままでした。学校裏の土手で食するために若い甘草やイタドリをとりましたが、そこは国道が走り、田圃は宅地となっていました。でもその向こうを私の記憶にある鉄道が走っていました。

 一人の男性が声をかけてきました。誰を探しているのかと。私はキョウコちゃんのことを尋ねる気はありませんでした。彼は『私は終戦の時2年生だった。20年の9月にここの養子になったのだ。』と言いました。
 この近所のお寺には東京から学童疎開が来ており、かなりの数の子どもが孤児となり、お寺やその他の人の里子や養子になったのでした。彼もその一人かもしれないと思いました。

 草先生知っているか?と聞かれてよく知っていると私は答えました。アボちゃんという愛称で私が呼んでいた友達の家だったのです。その娘さんが近くに住んでいると彼は言いました。でも、私は訪ねるつもりはありませんでした。実は50年前キョウコちゃんの死を知らせるために我が家を訪ねてくれたのは草夫人だったのです。彼女は親せきの家を訪問した際駅で偶然私を見かけたのだそうです。そして、次の機会を利用して我が家を訪ねてくれたのでした。

 キョウコちゃんは中学2年生の時に肺炎で亡くなりました。親のいない子どもの生活がどんなにみじめであったか、想像することができます。ましてや日本人がまだ生活にゆとりがない時期だったのです。
 わたしがもし彼女について訊ねたら、この男性はいろいろと話してくれたでしょう!しかし、それはを思い出したくない人もこの地にいるかもしれません。私はお礼を言ってお寺の場所を聞いて別れました。

 お寺はお風呂が壊れ、もらい湯に通ったしたところです。入浴後和尚さんからおやつにいり豆をもらったこと、疎開児童をそっと眺めたこと、五右衛門風呂で内側に触ると飛び上るほど熱く、熱い!というたびに奥さんが水を足してくれるのでお湯が冷たくなったことなどいろいろ思い出があります。鬱蒼と茂った杉の木立の中を歩いた記憶がありますが、今は天保の飢饉の際に死者の供養のために植えられたという大樹が高くそびえているだけで、明るいお寺でした。

 子どものころの私の願いは大きくなった時、キョウコちゃん引越した後私たちも大変だったの!なにしろ山の中で、学校まで4キロ以上あってね、吹雪の時は前も見えないし長靴に雪が入るし・・・などと笑って話せることでした。

 人は2度死ぬといわれます。一度目はこの世を去った時、2度目は人の記憶から忘れ去られた時。今の私にできることは、私が生きている限り彼女に2度目の死を与えないということだけでしょう。
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老いるとは?

2007-08-27 16:23:29 | Weblog
 田舎に行ってきました。長兄は80歳を超えています。義姉が皮膚がんの手術をしたのでその見舞いでもあったのです。
 そして奇妙なことに気付きました。手術後念のために組織検査をしたら正常であった、だから癌ではなかったというのです。息子から電話が来た時も癌ではなかったと言い張っていました。

 その検査結果の意味するところは組織に癌が残っていないということだと思うのですが、思考のどこかが欠落してしまった、あるいは自分がこうであって欲しいと思ったことを正当化して思い込んでいるのではないかと思いました。

 本人も言うのです。毎日の決まったことを繰り返すするのは苦痛ではないけれど、ちょっといつもと違がうことをしなければならなくなると混乱して元に戻るのに時間がかかったり、自分がしようとしてていたことが何であったのか忘れてしまったりする、これがボケなんだろうかと。

 多分、脳が柔軟性を失い状況に対応できなくなるのが老化であり、混乱した時まだらボケとなり、それが継続するとボケといわれる状況になるのかと思いました。


 そのあと病院に行ったら義姉はいうのです。夫が頼んだことをなかなかやってくれないと。義姉は腰を病み、同時にパーキンソンとわかり靴下も一人で履けない状態になってから幾年たったでしょうか。義姉は自分のできないことはすべてやって欲しく夫に要求するのですが、夫が年を取り体力も気力も低下していることには気づいていないのです。

 もう80過ぎでしょう!いろいろできないのは当たり前でしょう!と私が言うと義姉は義姉でキョトンとしていました。

 義姉の退院後の兄夫婦の生活も気になりますが、私たち夫婦が老後に自立した生活を送るために、どんな意志をもってで生きてゆくべきか考えなくてはと感じました。

 老化とは長生きすれば誰もがたどらなければならない道ですが、夫婦であっても一方的依存は避けたい。それが私の願いです!
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日常生活への復帰の難しさ

2007-08-24 10:19:18 | 家族・友人・私
 21日火曜日、我が家を拠点としていた旅人が帰国しました。これで私のエスペラント世界大会は完全に終わりとなりました。
 特別な接待もしませんでしたが、それでも私の生活はいつもと少し違っていたようです。自分中心の生活に戻したいのですがなぜか戻れずにおります。

 並外れたことをやってみようかな?
     

 先日新聞にネクタイで作る小物が載っていました。そうだ。私も!
 あまのじゃくの私は同じものを作りたくありません。そこで夫の古ネクタイと取り出しいろいろ考案 。海老茶色のネクタイの先を利用して、世界大会用に買った携帯電話を入れる袋を作りました。先のとんがりは蓋にしました。蓋はすぐにはずせるように小さく切ったマジックテープを付けました。 

 とても素敵!と自画自賛。

 明日は夫の義姉の1周忌の法要があります。黒のバックは箱型。旅にはかさばります。黒地にあまり目立たない赤い模様がついたネクタイとグレイのネクタイでポシェットを作りました。これなら法要の席で膝に置いても目立たないでしょう。

  

 黒いほうの残りで首にかけるひもをつけました。短い!
 ネクタイはバイヤス地でできています。そこで力をいれて引っ張ったら、縫ってあったミシン糸をピリピリと切りながら伸びました。一応出来上がっていたポシュエットから紐をはずし、また縫い直し付け替えました。  

 よく見ると不出来です。でも身につけるととても体になじんで素敵に見えます!まさに自画自賛ですが、ネクタイ生地の良さが私の未熟さを補ってくれているようです。

 法事の後はそのまま私の義姉の見舞いに田舎にゆきます。彼女は22日耳の後ろにできた悪性の腫瘍をとりました。まだ神経まで至っていなかったとか! 元気なようです。

  そろそろ日常生活に戻れそうな予感がします。 
 
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嬉しかったこと!

2007-08-13 09:22:34 | エスペラント
 日中はただただ働いた1週間でした。今になって疲れが出てきています。

 実はエスペラント世界大会とは別に市民のための展示会とエスペラントの90分講座が開かれました。あふれんばかりの講習生には驚きました。

 姪とと知人が講習を受けました。
 29年になるでしょうか、若かった彼女が『いつか私もエスペラントをしたい』と言ったのを覚えていて電話しました。3月で定年を迎えました。昨年癌で夫を亡くした暗い表情も気になりました。これから彼女の指導計画を練ろうと易しいエスペラントの本も買ってきました。

 姪とは20数年ぶりの再会でした。私の父の法事だったでしょうか、母親に叱られて泣いている姪とその弟を散歩につれ出し川で遊びました。そこは私と弟が真っ黒に日焼けして遊んだ川でもあるのです。弟が羨ましがるので翌日4人で行き、また川遊びをしました。本人は覚えていないかもしれません!

 エスペラントに興味を持ってもらえただけで嬉しいですね!継続してもらえたらもっと嬉しいですが。

 我が家の緑の壁はまさにジャングル状態です。閉会式に出る前にモロヘイヤを収穫し夕食に備えましたが、今長い40センチほどの隠元が風に揺れています。今夜の夕食にしなくては。

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