唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
日本人はそれ程凄いのか
政治的には困難な状態が続いている日中間だが、一般の中国人の多くは日本や日本の物が好きらしい。あるいは口では反日的、謙日的発言を繰り返しながらも実は日本と日本の物が好きらしい。その証拠に、日本を観光で訪れる中国人がますます増えている。
そんなことから、日本を訪れた中国人が、「日本人の民度は恐ろしいほど高い!」と驚いたと云う記事がWeb上に氾濫しているのだがその類の記事を目にするたびに、果たしてそうだろうかとついつい眉に唾してしまう郷秋<Gauche>なのである。例えばこんな感じだ。
その壱: 「1994年の広島アジア大会の閉会式後、6万人を収容した競技場に紙屑一つ落ちていなかった」
どうして20年も前のことが引き合いに出されるのか不思議だと云う事はさて置いて、そんなことはあり得ない。いまだに歩きたばこの果ての吸殻ポイ捨て、空き缶の投げ捨てなど日常茶飯事、いたるところで目にする。もし1994年の広島アジア大会の閉会式後に紙くず一つ落ちていなかったとすれば、それは大量の清掃員が投入されていた結果である。
その弐: 「日本の若者はエスカレーターに乗る時には、急ぐ人のために片側を空けている。交差点では必ず青信号になるまで待つ」
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」を北京語では何と云えば良いのだろうか。「みんなで渡れば」と云う、日本人の特性を良く表しているところが面白いので直訳だけではなく付和雷同しがちな日本民族の特性も教えてあげると中国人は喜ぶことだろう。もっと云えば、私なぞは赤信号だろうと、安全だと確認できれば自己責任で渡る(これは歩行時の話し)。
その参:「誰もいない道端に無人の販売所があって、1盛り100円で野菜が売られている。誰かが盗んでも分からないのに、常に商品が補充され、しかも盗む人がいない」
そんなことはない。残念ながら、その残骸を見れば代金を入れる瓶を割り、鍵をこじ開けて中の現金を持ち去る輩がいるのは明らかである。勿論、代金を入れずに野菜を持ち帰る人がいることも、まず間違いない。
その四:「レストランやバー、喫茶店、商店、路上などで大声で話している人がいない」
多くは無いかも知れないがいない訳ではない。地べたに座り込んで下品な日本語を話したむろする高校生が行く手を塞ぎ、店内を運動会会場と勘違いし、奇声を発しながら駆け回る我が子を制ししない親も少なくない。
その五:「阪神淡路大震災の時、ある貸金業者が多くの被災者に無利子・無担保で融資を実施したが、“恐ろしいことに”3年後にはすべて返済された」
到底信じられない。そもそも貸金業者が無利子・無担保でカネを貸したなどと云うことなどまったくもって信じられないし、借りた人のすべてが3年後に返済したなどと云う事も到底信じられない荒唐無稽な話しである。私でさえ、学生時代に友人から借りた「岩倉さん」を踏み倒したことがあるのだから(^^;
と云う事で上記の「驚き」の数々は中国人が書いたのではなく、日本人の民度の高さを強調することによって中国人を殊更に貶めようとする日本の国粋主義者が書いたのではないかと疑ってしまう郷秋<Gauche>であるぞ。
注:Wikipediaによれば「民度」(みんど)とは、特定の地域に住む人々の知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指すとされる。明確な定義はなく、曖昧に使われている言葉である。
例によって記事本文とはなんの関係もない今日の一枚は、山茱萸(さんしゅゆ)の花。見かけることの少ない花(木)ですが、これが咲くと次は辛夷・白木蓮、そしていよいよ桜が咲くと云う、「きっかけ」のような花です。
15日に撮影した写真を4点掲載いたしております。恩田の森の春をどうぞご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/ondanomori/