金沢街道「塩の道」(その壱)・・・杉本寺

 6月には、八王子市の絹の道を歩いて来た郷秋<Gauche>ですが、今日は鎌倉の金沢街道、別名「塩の道」を歩いてきました。

注:「金沢」の名は、横浜に古くから伝わる地名で、「金沢文庫」が今も地名として残されています。江戸時代には金沢藩が置かれていましたが、維新後に加賀の金沢藩との錯誤を避けるために六浦藩と改名されています。

 絹の道は、明治初年に使われた所謂近代遺産ともいえる道ですが、塩の道は遠く鎌倉時代に使われた道です。古くは「六浦路」とも呼ばれた塩の道は、三浦半島の東側にあり塩の産地であった六浦から塩や海産物を、また全国各地から六浦津(津は港の意)に荷揚げされた物資を鎌倉に運ぶための道でした。

 六浦と鎌倉とを直線で結ぶ位置には急峻な山が立ち塞がっていましたが、この交通路を重視した北条泰時が、1241年(仁治2)に自ら陣頭指揮を執り工事を急がせたのだそうです。硬く急峻な山を切り通し(朝夷奈切通。ガイドブックなどには、現在の地名から、「朝奈切通し」と標記されているものが多いようですが、正しくは「朝奈(あさいな)切通し」のようです)にしたわけですが、800年を経てなお崩落している箇所がほとんどない程に固い岩盤ですので、さぞ難工事であったことと思われます。

 さて、郷秋<Gauche>は海側からではなく鎌倉側、つまり鶴岡八幡宮から東に進みこの塩の道を歩いてきました。塩の道の真骨頂は、ほとんど往時のままの姿で残されている「朝夷奈切通し」ですが、鶴岡八幡宮から切通しに至るまでには、杉本寺、報國寺といった名刹も多く、これらを素通りするわけには行きません。という訳で、タイトルを「塩の道」としておきながら、ハイライトの「朝夷奈切通し」の登場は数日の後となりそうです。

 そんなこんなで、今日ご紹介するのは「塩の道」の最も鎌倉寄り(鶴岡八幡宮から東に約1km)に位置する杉本寺。杉本寺は坂東三十三所観音霊場の第一番札所で、734年(天平6)創建の鎌倉最古の寺院。(つづく)





鎌倉、金沢街道「塩の道」を歩く
その壱・・・杉本寺
その弐・・・報國寺
その参・・・浄明寺
その四・・・朝夷奈切通し
その五・最終回・・・朝夷奈切通しⅡ
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