平安夢柔話

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駿府城史跡発掘現場を見に行ってきました 後編

2019-11-03 09:40:11 | 静岡大好き
 駿府城史跡発掘現場を見に行ってきました 前編

の続きです。

 豊臣流天守台跡の隣には、徳川流天守台跡が置いてありました。こちらもパチリ。記事の一番上に写真を載せてあります。豊臣流天守台に比べると色が地味ですよね。
 少し歩くと、豊臣流石垣と徳川流石垣が一緒に置いてある場所が。でもこの時、雨がかなり強くなっていたので、写真は断念しました。
 このように、豊臣流と徳川流の天守台と石垣が同じ場所で一度に見られるのは、全国で静岡だけだそうです。

 少し話が前後しますが、発掘現場を見る前に、本丸跡に建っている家康公の銅像と、家康公お手植えミカンの木も見てきました。こちらも今回は写真に撮らなかったのですが、4年前の駿府城史跡散歩の記事に写真を載せてあります。
 で今回、銅像とミカンの木の前でHさんがお話しされていたこと。
 家康の死因について。たいの天ぷらを食べ過ぎて亡くなったという拙があるが、最近の研究によると胃ガンだったとのことです。あらあらいきなり現代病ですね。
 で想いました。たいの天ぷらというのは、今川義元の馬に乗れなかったという逸話と同じく、江戸時代の講談がもとだったのかなと。このような逸話はとても面白いのですが、やっぱり真実を知りたいです。

 ついでに駿府城天守台についても少し。
駿府城の天守台は江戸城よりも大きい。家康さん、「大御所の方が将軍より偉いんだぞ」と主張したかったのでしょうか。

☆江戸城の天守台
 地表からの高さ11メートル。東西41メートル。南北45メートル。
☆駿府城の天守台
 地表からの高さ12メートル。東西61メートル。南北68メートル
 12メートルというと、3、4階建ての建物ぐらいの高さですよね。更に一角が60メートル以上とは!確かに、発掘現場は想ったよりずっと広々していました。その天守台の上に、5層7階の天守閣が建っていたのです。すごい。
 そんなわけで、天守閣を復元できたら静岡にたくさん、観光客を呼べるとのこと。
 でも、復元には400億えんぐらいかかるそうです。その上、設計図が出てきていないので、正確には復元出来ないとか。やはり、復元は難しそう、想像するしかなさそうですね。

 次に、所々に残っている当時の石垣を見て、触らせてもらいました。
 家康は西国の大名に命じて駿府城を築城させたそうです。そして、大名たちは、「俺が作ったんだぞ」と、家紋などの痕跡を石垣に残したそうで。私が触った石垣には丸い印が刻んでありました。

 こうして、雨の中の発掘現場見学は無事に終了。歴史上の人物たちの痕跡に触れるのは楽しいです。

 最後になりましたが、私に付き添って下さった支援センターの職員さんには、誘導だけでなく、写真撮影のお手伝い、撮影中に傘を差し掛けて頂いたりなど、たくさんお世話になってしまいました。どうもありがとうございました。
 そして、このような企画を計画して下さった静岡県視覚障害者支援センターの皆様に感謝です。
 だんなさんがいなくなってから、史跡巡りの機会が激減してしまいましたが、このようなイベントに参加できることを嬉しく思います。史跡巡りイベント、またぜひ参加したいです。

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